2006.3
ack−ack’通信
2月22日 新宿安田生命ホール!
  ボスの誕生日翌日、「生誕81周年記念」ともなるVTRコンサート。2部は小生も共演した 77回目のラブレターでしたので、My Wayを見終わり?ホールを背にする時「よぅ!」と声が掛かる気がしてなりませんでした。又、会場で「福ちゃん(福島照之・tp)亡くなったの知ってた?」と寝耳に水で何人かに問われて吃驚!共演は数回でしたが、慶応・三田大祭でボス、西条孝之介さん等と共演したのが最後となり、ボスとの縁を感じました。本田竹広君同様、日頃の共演者を始め、知らずに驚く人が多かったので、亡くなられた日を式に参列された方々やネット等で調べましたが分からず、小川潤二さん(福島さんの甥っ子!)に教えて頂きました。1月5日に入院なされ、2月9日ご逝去。11日通夜、12日告別式では原信夫さんが音楽葬を営まれたそうです。ご存知ないファンの皆さんに謹んでご報告致します。仲閧ニ仕事場でこれも時代かね〜と?一抹の寂しさを感じましたが、きっとボスが「よぅ!」 と笑顔で出迎えたに違いありません。ご冥福をお祈りしまして、合掌
25日(土) クール・ジャズ・パーティー vol.1  結論から申しまして、大盛況、大成功でした。オン・ステージなさった方々の高いレベルが、「完成したOPUS(作品)を皆で楽しむ会」の趣旨とピタリとフィットして、全員に楽しんで頂ける最高のジャズ・パーティーとなりました。3ステージ目など、皆さんが自然発生的にダンスに興じ、バンドがそれに応えて、演じる○○に踊る○○?どうせ○○なら皆で楽しまなくっちゃ・・・と大いに盛り上がり、嬉しい限りでした。仕事帰りに寄ってくれた、敬愛する先輩、ショウリ田中さんのクラブシンガーのムード満杯な3曲も成功の大きな要因でした。ダンスも楽しんでいらしたプロ・カメラマン・小平さんからは第一回の記念となるパーティーの雰囲気横溢の素晴らしい写真が翌々日には届けられるなど、全てに感謝感激でした。これまでも、野嵜さん、、海老沢さんたちに素晴らしい写真をたくさん撮っていただきましたので、これを機会に順次当紙に掲載いたしま〜す。皆さん、本当に有り難う御座います。感謝
読者のホ−ム・ページ (103)   Dancing Lawyer   今回の冬季オリンピックはメダル・ゼロの心配もありましたが、何とか荒川選手が最も脚光を浴びる女子フィギュアスケート(シングル)で「金メダル」の快挙を成し遂げました。素晴らしい限りですね。荒川選手は過去何回も挫折を味わった上での勝利です。しかも、芸術点も高く,過去においては、日本人が不得意だと言われてきた表現力も素晴らしいレベルでありました。さて,しかし,国内の他の分野に目を転じますと暗い話題が多いですね。民主党の自民党に対する国会質問は何だったのでしょうか?余りにもお粗末でした。議員の資質が著しく低下していることは否めません。ヒューザーの破産宣告とか、母親の子殺しとか,一体全体、今の日本社会はどうなっているのでしょうか?不安感しかないような気がします。結局,小泉政権になって良いことは、ほとんど無かったと思います。一番急務なのは、今後の日本の将来のビジョンをハッキリ示すことです。アメリカンスタンダードだけでは駄目なのです。このような、日本の新しいビジョンの提案作業は、政治家、企業家、役人、他の市民等が、それぞれ、打ち出すべきでしょう。相互に協力して行う必要もあります。これからの時代を担う若い人たちが将来の希望を持てる、新たなビジョンが必要なのです。私は、今の世界は各国家が主権を持って相互に交流していますが、「違う文化、違う民族、違う人種、違う宗教等々」が、「共存共栄」できる仕組みやシステムを構築することが大切であると思います。いわば「異文化コミュニケーション」が大切だということです。このような作業は大変困難な作業ではありますが、みんなで頑張りましょう。そういった場合,酒席は役に立ちますよね?勿論、バーボンでやりたいものですが。バーボンといえば、ニューオリーンズの名所、バーボン・ストリートの復興はまだまだ進んでないようですね。再び、楽しいパレードの出来る日が、一日も早く来ることを心より願いつつ、ニューオーリンズ回帰色に溢れる、ウイントン・マルサリスのStandard Time Vol.2 のクールな名演、“BAUBON STREET PARADE”を聞きながら、ニューオーリンズに乾杯しましょうか・・・・!           
69回   エロールあさかわ
  深夜の街角や閉店後のデパートの前でパラパラ踊りに興じる少女たちが増えている。年齢は全員が十四才、十五才という未成年少女たちである。踊り疲れると缶ビールを飲み、煙草をふかして休息する。殆どの子が学校に行っていないし、家にも帰ったり帰らなかったりである。彼女たちは将来のことなど考えたことはないという。学校に行かなくなった理由は勉強が出来ず落ちこぼれになってしまったからである。同様の仲閧ェ集まってパラパラを踊っている時が一番楽しいというのである。パラパラを踊っているときに声を掛けてくる男性もいるらしいが、その中で気に入った男性がいれば躊躇なくホテルに行く。少女の中にはイケメンの危ない系男に誘われてシャブ漬にされた揚げ句、買春を強要された子が結構いるらしい。十六才の少女の中で妊娠中絶を五回も繰り返した子が居り、その子がパラパラ集団のリーダーとなっている。十四才になったばかりのある少女は十七才の兄と十三才の妹と母親との四人で暮らしているとのことだが、母親は四年前に浮気が原因で離婚して以来、現在は妻子持ちの男性と交際中である。兄の方は度重なる非行が原因で現在は少年院に入っている。この様な状態が気にならない筈がないと云うことでレポーターが母親の話を聞いたことがある。「私は子供の人格を尊重しているし、いろいろ干渉しない主義です。」という返答であった。長男のことを問うと、「お兄ちゃんが家にいると問題ばかり起こすので少年院に入っている今が平和です。」との答えが返ってきた。現在交際中の男性のことについて質問すると、「私の愛は本物で例え相手に奥さんがいても私の愛は変わらない。彼も奥さんよりも私を愛してくれています。」この親にしてこの子ありという言葉があるが、誠にその典型とも思える。事の善悪もさることながら、この様な親たちには共通した点があるようだ。先ず戦後十数年程たってバブル経済が最盛期を迎えた頃に生まれた親たちであること。金銭至上社会の中で育って来た親たちであること。遠くの理想や目標より、身近にある快適快楽を追求する親たちであること。この親たちから生まれた子供が現在十四、五才あるいは二十才前後の若者たちである。昔、「女大学」という教本が流行したことがあった。子を持つ親の基本を記した本だったらしいが、再販の時機到来かも・・・。
 「ジャズ・タイトルの誤訳など」 新 折人 #61  (2001/2〜)
  
先月とは逆に、ジャズ・タイトルの誤訳を吟味してみたい。念のため誤訳だから全て悪いと決めつけるつもりはない。詩の内容や日本語としての美しさから、誤訳であっても許される場合もある。その辺りの判断は読者にまかせるしかない。但し次の例はどう考えてもいただけない。それは、1947年製作の映画「ニューオーリンズ」の中で、主演のビリイ・ホリデイが歌った "Do You Know What It Means To Miss New Orleans"を、こともあろうに「ミス・ニューオリンズを知ってるかい」と訳した例である。それどころか、日本有数のジャズを専門とする某出版社ですら、1987年11月発刊の特集号で「いとしのミス・ニューオリンズ」という迷訳を付けているのである。改めて説明するまでもないが、この曲のタイトルの中の"miss"は、"to"に導かれた「不定詞を構成する他動詞」であって、文例としては、"I miss you."(あなたが居なくて淋しい)、あるいは意訳すれば、「あなたが懐かしい」という時の"miss"である。従って両訳とも、それを「・・嬢」の"Miss"と間違えたひどい誤訳。なお、後者の場合は、「ミス」さえ省いて、「いとしのニューオリンズ」としていたなら、ミスはなく、むしろ名訳というべきであった。良く誤訳として指摘されるものに、1943年に書かれた"You'd Be So Nice To Come Home To"がある。これは誰かが「帰って来てくれたらうれしい」と訳したまま定着しているが、これも誤訳である。"come"という言葉が「来る」という訳で頭に入っている為の間違いであろうが、周知の通り英語の"come"は「来る」という意味の他、"John! Supper is ready." "Yes, (I'm) coming."のように相手の居る場所へ「行く」時にも使われる。更に、このタイトルの文章は文法的には「仮定法過去」であり、通常の"If・・"という条件節が、"to"以下の不定法の形容詞的用法の中に置き換えられている。また、「仮定法過去」といえども、日本語では「現在の時点」で訳さねばならない。かつ仮定法では、「・・だろうに」とか「・・なのに」とか、思い入れが入らなければならない。従ってこのタイトルを訳せば、「私が家に帰った時に、貴方(貴女)が居てくれたら素敵なのに」という、流布されている訳とは逆の意味になる。現に英語には"It is nice to have someone to come home to".(誰か私の帰りを待っていてくれる人が居ることは素晴らしい)という言い回しがあるくらいだから、この曲名は「待っていてくれたら素敵」と訳さねばならない。但し、意味が反対でも、感じからしてこの誤訳は罪が軽い方だろう。最後に訳としてどちらがベターか?というのもある。タイトルに星を入れるのが好きだった名作詞家ミッシェル・パリッシュの1934年の作品、"Stars Fell On Alabama"には「アラバマに星落ちて」と「星降るアラバマ」 という両訳がある。これなどは物理的に「ドカーン」と星が落ちてきたわけではなく、星が降るように満天に輝くアラバマの綺麗な空を歌っているのだろうから、後者の訳の方が詩情がある。更に屁理屈を言えば、英語学上"Star"なる単語は、「恒星」のみを指し、 「惑星」(Planet)などは含んでおらず、ましてや「流星」(Meteor)や「隕石」(Neteorite)      は"Star"ではないので、「星落ちて」はおかしいことになる。 しかし、そんなことを詮索する前に、英語のタイトルと歌詞そのままで、曲自 体を素直に楽しむのが一番であることは言うまでもない。
    
   
3月18日(土) Rose Room! ナビケーター 新 折人
        
ひな祭りにちなみ〜女性にまつわる曲特集 お囃子 有福 隆(p) 社中
                       at My Scotch 03-3402-6649
                                     
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (28)
   心なしか、指だけではなく膝の辺りにも震えがあるようだ。こりゃ下手すると熱中症になるかも知れんテ。私はキッと顎を引き背筋を伸ばし、手にした園芸用シャベルをグサッと掘り返した土目掛けて投げる。こういう場面では大体、シャベルは柄元近くまで土に刺さる。ナイフならテーブルに突っ立ち、ブルルッと震えることになる。しかし、私のシャベルはベタッと背から地面に当たり、引っ繰り返って腹を見せている。だが、35メートル彼方の観客には、そうは見えなかっただろう。私は悠々たる足取りで家に入る。後は一休みしてからにしよう。婆ァ共がいなくなってからだ。玄関のドアの隙間から覗いてみると婆ァ共が解散するところだ。それみろ、やっぱり見ていやがった。見てると中の一人が突然走り出す。何やら甲高い叫び声を上げている。ざまァ見ろ!煮物の鍋でも焦げ付かせたに違いない。ここ半年は斯くして過ぎた。薮は百坪足らずの庭に姿を変えつつある。ブロックと煉瓦で区切られた幾つかの花壇が出来上がり、コンクリートの地表には植木鉢やプランターが並び、梅、スモモ、無花果、杏、フルーベリー等の果樹が植えられ、地面の下では数種類の球根が目覚めつつある。春には花も幾つか見られよう。私には多少メイニアクなところがあるかも知れないが、メイニアてと化す程の強烈さはない。若しあったならば芸術家を志していただろう。だから、この園芸めいたものも多分動けなくなる迄は続くことになると思う。だが、それはそれで良いではないか。誰もが芸術家になれる訳がないし、又、それ程沢山の芸術家が必要でもあるまい。私も既に分を弁えるべき年齢には達している。今、 私に出来ること、それが私に 出来る全て  であり、すべきことの全てであると思う  ようになった。また、明日も朝から苗に   水をやり、陽向に出してやり、位置を変   えてやることから、一日を始めることになるだろう。犬と一緒に朝食を取り、銃を携えて野に出る。撃てれば撃つ、撃てなければ、ただ見取れ、見送る。家に戻り、花を眺め、本を読み、土をほじくり・・・。それでも慰めはある。喜びも少々、時には発見も感動もある。こうして、思い通りのことを気儘に書き連ねて読み返しもせずに投函しても、読んでくれる友人も居る。有り難いことであると思っている。