Forever

2003.11
10月13日(月) 笈田敏夫四十九日法要
 薄曇りの空模様を眺めながら西麻布・長谷寺に向かう。祭日でもあり早く着き過ぎたので境内を散策し、笈田家墓碑を発見(パラソルに惹かれて・・・?)。思わず手を合わせて一礼。まだ早いな〜と思いつ社務所に向かう途中、ピアノ・バー、ユーケントスのオーナーだったU氏と久方振りに会い、千葉さんが亡くなくなった事を知り驚愕する。昔話をしながら控え室へ。ジョージ川口、大橋節夫、与田輝雄氏など諸先輩、ご親族、大勢のファンの方々と共に本堂へ。読経、焼香後、納骨のため墓碑に向かうべく玄関に出ると雨・・・。皆さんが社務所に傘を求める声を背に・・・小生の車中には5〜6本転がってる?・・・雨の中で大変だなと思いきや、納骨が終わり焼香が始まると雨はストップ!その後、レストランでの会食となり、宴もたけなわ・・・いきなり、窓外に見える並木も大きく揺らぐほどの強烈な風雨来襲?・・・後刻ニュースで被害甚大に吃驚!・・・皆さん帰路を心配しつつも「ゲソサン、やってくれるよなぁ〜」と座は盛り上がり?デザートも頂き、そろそろ解散となる頃には、お天道様も顔をのぞかせて気持ちの良い秋空が広がり、まさにボスの面目躍如・・・史上最高のショー二本立てで御座いました。同席致しました、ボスの御親友・K氏の「ゲソみたいに勝手に唄って勝手に終わるんじゃ〜、皆さん大変だったでしょう?何時もハラハラして・・・」とか、F先生の奥様の「スクラッチ会」・・・F先生とボスが主宰するゴルフ同好会?・・・は最初「短足会」と称して始めたのだが、コースでスタート時に「短足会の皆様・・・」とアナウンスされて先頭を歩るくのは様にならないんじゃないかとボスが申し出?二人で終生スクラッチをと改称されたとか・・・、面白いお話も一杯聞けましたし、お話もしたこともなかった方々に「西川さんには長い間お世話になりましたね。」と優しいお言葉もたくさん頂き、恐縮も致しました。全て含めて、ボスを送るにふさわしい印象深い法要となりました。香典返しに送られてきたCD(小生も何十回か伴奏しましたが、ラスト・レコーディングに残されてたMyWayを此処3年のコンサートから収録)のスタンパが素晴らしいこと・・・小生が大好きだったボスの背中・・・思わず声を掛けたくなりました
10月15日(水)  「英彦、パパ愛してる」出版記念メモリアルライブ!
当夜のSTB139スイートベイジルは当方の予想を遙かに超える入場者(360名?)にて、階段にも大勢の方々が座わっている状態となりに大変ご迷惑をお掛け致しました事をお詫び申し上げます。 さて、花々で綺麗に飾られたステージ上、佳子夫人の構成よろしく、永さん、徳光さん、水谷さん、渡辺美佐さんなど豪華なゲストのトークやヴォーカルを交えて暖かい雰囲気の中でスムーズに進行。小生は1.stステージで 「鈴木正男とスイングタイム」に加わり、久方振りビッグバンド・ドラマーを務めました。大矢江美&川島智子の歌伴を含めて50分ほど演奏。後は皆様のお相手に専念?後半、コンボの演奏の合間に松本英彦 with Strings の映像が流されましたが、この部分だけでも良かったのではと思わせるほど素晴らしいもので場内は拍手喝采でした。小生個人の呼び掛けにも、遠方から駆け付けて下さるなど30名もの多くの皆様にご協力を頂きました。此処に改めて深く感謝致し御礼申し上げます。有り難う御座います。何はともあれ、目出度し、目出度しで御座いました。
   今年一杯はボスの喪に服しまして薄墨版?にてお届け致します。破茶目茶ライブ参加の皆様の写真は賑やかに参りたく1月号に致しました。お急ぎの方は?HPをご覧下さ〜い。広告主の皆様にもご理解頂きまして、ご了承の程、よろしくお願い致します。
読者のホ−ム・ページ (74)よっぱライフプランナー
  この原稿が皆さんのお手元に届く頃には、今回の衆院議員選挙の結果も判明しているかもしれない。我が国にも2大政党制が根付くか否かの重要な時期なのかもしれないが、別に政治学的には2大政党制が正しい訳ではない。我が国では戦後長期間に亘り政権交代は無かったし、細川政権時代も短期に終わってしまったので、連立政権の経験も少ない。その意味では政治がマンネリ化し、現在の「政・官・財」の「アイアン・トライアングル」と呼ばれる利権構造が強固なものになったことは確かであろう。いつもジャイアンツが優勝していてはプロ野球が面白くないのと同じである。今年はタイガースがリーグ優勝して良かったと思う。「駄目虎」もやれば出来るのである。星野監督の功績は勿論大きいが、それに答えた選手・フロントはかなり意識が変わったと思う。来年の岡田監督にも期待したい。別に私は阪神フアンではないが、他のチームでも良いからスリルのある試合やプレーを見たいものである。それにしても今回の衆院議員選挙の元首・中曽根氏の「老害」は、見ていて嫌悪感を催した。なぜ彼が「大宰相」と突然評価されるのか、私には彼の政治家としての活動歴を振り返っても納得できない。首相になれたのも、故田中角栄「軍団」のお陰に過ぎず「田中曽根」内閣と揶揄されていた。国鉄や電電公社の民営化にしても、時機が熟しただけで、他の首相でも可能であっただろう。アメリカのレーガン大統領とのパフォーマンスも自己顕示欲が強い彼の行動パターンに過ぎない。殆どの戦後の「疑獄事件」に疑惑ありとされて、一番名前の出た政治家も彼である。彼は「塀」の内側に入らなかっただけで、常に「塀」の上を歩いてきたのである。橋本首相時代に比例代表の「終身指名」を約束されたというが、そんなものは「公約」ではない。「公約」とは政府や政治家が「国民」に対し、いかなる政策をもって公的な各問題について具体的な方針で活動するか等の約束であって、一個人の政治家の選挙当選保証などとは全く関係が無い。彼が言う「公約」なるものは橋本元首相の単なるリップサービスに過ぎない。定年制を規定するのは何も高齢者を排除する訳ではない。政治家の定員や活動範囲には限界がある。後に続く若手の活躍の機会を与えるためであり、世の中の常識である。中曽根氏が確実に今以上の迫力・健康で150歳まで生きるのであれば再考の余地もあろうが、それはあり得ない。結局、彼がゴネたのは「自己保身」に過ぎない。比べるケースではありませんが、笈田敏夫氏の早過ぎた死は大変残念でしたけれど、一面、羨ましい程のカッコ良さでカーテンコールが鳴りやまないのでは・・・。「死ぬまで現役!」など、やろうとしてもなかなか出来るものではない・・・合掌。先ずは静かにバーボンにて献杯から始めますか。
42    此処10年来、中国系外国人による凶悪犯罪が激増している。既に逮捕されている中国人犯罪者の口から其の要因を探ってみると、治安の甘さ、検挙率の低さ、刑罰の軽さなどがあげられた。こういった犯罪者の大半が不法滞在者や蜜入国者で占められている為、住所氏名の特定が困難なことが検挙率の低さに繋がっている。たとえ逮捕されたとしても刑務所内で看守から殴られたり蹴られたりの体罰を受けることがない。犯罪者であっても外国人の場合は慎重に扱って貰えるのだ。自由の束縛はあっても衣食住や健康管理面では中国とは比較にならないほど行き届いている。又、中国に逃げ帰ってしまえば中国政府の保護が得られる。つまり中国に逃げ帰った後で、日本警察のデッチ上げであり、自分は無実であると主張すれば身柄を引き渡されないですむ。これが中国国内で犯罪を犯したとなれば大変である。看守による暴行は日常茶飯事のことである上、一旦、死刑判決が下れば執行されるのも早いのである。中国系外国人の中には「蛇頭」の手引きで、最初から犯罪目的で蜜入国する連中も大勢いる。窃盗、強盗、集団スリ、ATM破壊、誘拐を始め、依頼があれば殺人も辞さないと云う。「蛇頭」に百万、二百万の大金を払っても日本に入国してしまえば充分な稼ぎがある事を知っている。一方、日本人若年層の凶悪犯罪の急増も、その要因は治安の甘さと刑罰の軽さと考えられる。日本警察の治安の甘さと手ぬるさは現実に犯罪や事件が発生しなければ動かないことにある。犯罪者達は日本警察を怖いとは思っていない。被害者の人権より犯罪者の人権を尊重する様な現在の法律では犯罪の減小など望むべくもない。因みに、俊ちゃん殺しの少年は1年間の保護支援の後に釈放される。「仇討ちをしてやりたい!」と悔し涙を流す両親の気持ちは察して余りある。いまや日本全国「犯罪自由国」となり中国系外国人にとって絶好の稼ぎ場となつている。現在の日本には不法滞在者だけでも35万人以上居るが、彼等を取り締まる警察官は僅か1100人である。これでは犯罪者の捜索も逮捕も困難であることは明白である。事が起こらない限り動くことが出来ない警察で一般市民の安全確保など出来る筈はないが、それでは我々市民の安全確保の為にはどうすれば良いのか?米国に習って各人が護身用のデリンジャーでも携帯することにしますか。
長生きジャズ・ミュージシャン  #33 新 折人
ジャズ・ミュージシャンには、天才・逸材といわれながら、飲酒や麻薬や事故で早世する人もいる。例えば「バップ」の先駆者ギターのチャーリー・クリスチャンは1944年に26才(麻薬)で、ハード・バップ時代にパーカー以上といわれたトランペットのクリフォード・ブラウンは1956年にこれも26才(事故)で、シカゴ時代サッチモの舌を巻かせたコルネットのビックス・バイダーベックは1931年に29才(飲酒)で、それぞれ神に召された。しかし、ジャズ・ミュージシャンは、長生きする人の方が圧倒的に多い。
 かって旧約聖書の「詩篇」において人間の寿命は、「20の3倍 足す10」、即ち70才とされていた。中国唐代随一の詩人の杜甫も、「人生七十古来稀」と詠んだ。これから稀に見る長寿である70才の異名として「古稀」が出来た。現在の近代医学で解明されているところでは、人間の寿命は最長120才前後と、遺伝子に刻み込まれてしまっているという。さすれば、1635年に152才で死んだとされる、「オールド・パー」で有名なトーマス・パーの年令は「あり得ない」ということになる。1986年2月に鹿児島生まれの泉 重千代さんが120才で亡くなり、最近では、1997年8月に南フランス生まれのジャンヌ・カルマンさんが122才で、1999年12月にアメリカでサラ・クナウスさんが119才で、それぞれ亡くなっている。この人達は人間の寿命の限界まで生きたことになる。カルマンさんとクナウスさん二人の女性の共通点は、共に「チョコレート」が大好物であったことだという。健康食品オタクには耳寄りな話だ。また、泉さんとカルマンさんは、共にタバコが好きだった。愛煙家には聞き捨てならない話だ。
 ジャズの世界での長生きのトップは、傑出したソング・ライターのアーヴィング・バーリンで、1989年まで101才と135日生きた。"Memories of You" などを書いたピアニストのユービー・ブレイクは1983年まで100才と5日生きた。サックスやトランペットなどいろいろな楽器をあやつったバンド・リーダーのベニー・カーターは2003年まで95才、ヴィブラフォン奏者で長くバンドを率いたライオネル・ハンプトンは2002年まで94才、ニューオーリンズの初期に白人系ジャズの始祖といわれたドラマーでホーン奏者のジャック・‘パパ'・レインは1966年まで93才、・・とそれぞれ長生きした。
 彼等が病気をしなかった訳ではないだろう。主治医が良かったのだろうか。そこで、やや不謹慎だがくだらぬ冗談を思い出す。ある男が病気になった。病院に行くと医者が言った。「さあ、元気を出しなさい。私も昔この病気をしたけれど、ご覧の通り今はすっかり元気にしていますよ。」すると、疑い深い男は言った。「でもねェ、先生は、先生以外の他のお医者さんにかかったんでしょう。」と・・。主治医には名医を持ちたいものだ。最後まで名医として忠実に医療に当り、その責務を果たしたジョセフ・グリーンという医師は、いまわの床で自ら自分の脈をとりつつ、「今停止した。」とまわりの人に静かに告げて息を引取った。見事と言うしかない。名医ではないが非常に正直で嘘がつけない医者もいた。あるとき患者の死亡証明書を書く段になって、その医者は死因の欄に、しばらく考えておもむろに自分の名前を書き込んだ・・。
 ジャズ・ミュージシャンは、毎日の演奏の中で新鮮な感動に出会い、指など身体を使い、様々な刺激を受けていて、定年の心配もなく、例え酒を飲もうとタバコを吸おうと、長生きすべき環境条件に恵まれているのである。現役のミュージシャン各位、是非長生きして枯れた良い演奏を聴かせ続けて下さい。
(訂正:拙稿#30で、シナトラがエリントンの曲を録音したのは3曲だけだと書きましたが、もう1曲、1955年に録音した“Mood Indigo"がありました。お詫びして訂正させて頂きます。)
 
E・メール名作選-39
  編集長、又、締め切りギリギリ!!です。世間から、見たらネコなんて、毎日、毎日、暇してると思われがちですが、とんでもない!もう、寝てる以外、忙しい...忙しい...?こう見えて、寝てたって気が気じゃないんですから!おちおち寝てられないんですから!ただでさえ、忙しいのに、最近は、<カラス>です。編集長のお家の周りには、カラスいますか?家の周りはもう、大変。どうも近所にカラスの官舎があるらしい...。朝から、カアカアしてるカラスは、これから出勤なんだろうなぁ...。いってらっしゃい。それは、まあ、我慢しよう。でも昼間、ベランダにやって来るカラス...あれは一体なんなんだ?いつまでも、ベランダに止まってて、カアカア言ってる。これって、暇な主婦カラス?あっちのベランダ、こっちのベランダでカアカア・カアカア....。カラスの社会・家庭も色々グチ・ストレスがあるんだろうか?きっとあるんだろうなあ...。でも、家のベランダ近辺は、やめて欲しい。だって家の飼い主、カラスどころか、鳥関係全部だめ!鳩・すずめ...怖い人種。カラスがベランダにやって来ると、もうパニクッテ大騒ぎ!“来ないでぇぇぇっぇ!!"って叫んで、あげく固まって、カラスだけでも、お昼寝タイム、邪魔されてるのに、飼い主が騒いで、暴れて、もう寝てなんかいられない。仕方ないから、起きて、カラスにニャアニャア言って、話しつけようと...<家には来ないで、頂けません?大騒ぎになって、睡眠不足なんですけど..>してるんだけど、これが、とんだとばっちり!"貴方達がカラスをかまうから、又来るのよ"と、飼い主が叫ぶ。編集長、もうどうしたら、いいんだろう?なんか、良い方法、あったら、是非お知らせ下さい。僕達、ここんところ、睡眠不足。ネコ族としては、なんだか“ふ"に落ちない日々...。カラスがベランダにやって来た時の僕達の後ろ姿、添付してみます。           -- (=^_^=)Writen byAYA with Musashi& AsariOtibi-Musashi &Sayori(^*^)
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (1)
 お便り有り難う。来訪の折りは会えなくて残念でしたが、久し振りに懐かしい貴兄の文字を見て感慨を深くしました。文字というものは人の性格を表すとは良く言われるけれども、それが本当ならば貴兄の性格は、まだ私が知っている通りのものであろうと安堵している次第です。容姿の方は、写真やVTで見る限りでは、以前通りの端正さに渋みが加わって、増々、良い男振りで、己の姿を鏡に映すのが恐ろしくなってしまいます。  頭髪はまだ充分に残存しているものの、それよりは、遙かに容貌を支えるに重要な歯の殆どが私を見限ったせいで、口元の辺りが非常に若さを喪失してしまい、外出或いは接客用の表情の研究をせねばならない羽目に陥って居ります。喋ったり笑ったりしようものなら、寡黙な思慮深い初老の男を気取っているというのに、余りにも可愛らしいミッキーマウスがひょっこり表れてしまうのには閉口します。人生の辛酸をなめても威厳を失わず、孤独に耐え抜く男の映画でも作るなら、即、主演の申し込みでも来るのではないかと、時に胸躍らせ、その時の対応に頭を悩ませたりするような、そう言う演出を試みたりしているというのに、口元が綻ぶようなことがあると、もうこれはいけません。トッポジージョだか、ミッキーマウスだかが化けてでたような顔付きになるのでしょうナ。子供達は途端に親しみを覚えるらしく、オジチャンと来るし、女性などが相手であれば、目元や口元に浮かぶ笑いをこらえるのに、人前では掻くに掻けない身体の部分に突然痒みが襲ったとでも云った顔付きをなさいます。 どちらの場合にでも、何やら名状し難い気分に襲われ、態度などあやふやになってしまい、畜生め、家へ戻ったら早速、この忌々しい前歯二本、叩き折って歯医者に馳せ参じ、総入歯の立派な奴を誂えて、あのガキ共と女共にブライアン・キースばりの苦み走った笑いと射るような眼差しを見せつけ、ぞくっと背筋を寒くさせてやろう、是非そうしなくてはならん等と考える次第。 だが、しかし、家へ戻ると何故かこの前歯二本が愛しくなるから不思議ではありませんか・・・、こいつもなくなると、咥え煙草をしても煙草がポパイのコーンパイプみたいに鼻の先に向かっちまうのではないかと・・・、すると、ポパイも歯なしでは・・・等と淋しい想いに駆られる此頃であります。 猟と釣りに明け暮れる日々を送っているせいで、肉体の他の部分は至って健康、頑強なのですが、歯と頭脳の方が、かくの通りいけません。辺鄙な人里離れた山麓に棲みついたせいでしょう。
何やら、貴兄には全く関心のない、見当違いのことを書き連ねているのではないでしょうか? しかし、しかしです。私の聴覚の何処かには、これを書きながら、貴兄選択のトロンボーンの音色が響いて居ります。そう、アーヴィー・グリーンのLPは、貴兄から私へのプレゼントでした。今でも、三十数年を経た今でも、獲物との出会いのない猟の帰途、カーステレオのスイッチなど忘れていても、あのレコードのタンジェリンの旋律は聞こえて来ます。現在、そして将来も続くであろう、私のスロー・ライフにずっと連れ従うであろう旋律です。 私が此の数日間、数週間も女房以外の人間とは接することがない暮らしのことを書こうと思ったのは、貴兄の殺人的スケジュールを知ったからです。お便り拝見して来訪滞在中のスケジュールを見て驚きました。今の私なら、もうあれだけのスケジュールなら、三回は死んでいるのでは・・・。多少本気で心配になりました。健康のことです。否、私などとは違って、いつも心配して下さる方々はいらっしゃるでしょうが・・・。Live fast.love hard and die young.という言葉など知ってはいるけれども、太く短くなどというのは、私には無縁であったようで、今の私は細く細く、長く長く、まるでイトミミズの如き生をば送っています。

今日は二月二十日、春の嵐、昨夜来の雷雨が朝まで続いています。強風が吹きつのり、辺りの森や林を揺さぶり続けます。雨は車庫の屋根を貴兄のワイヤー・ブラシの連打の如くに打ち鳴らし、激しく水飛沫をあげ、雨樋を伝って流れ落ち、出口の溜枡の中で泡立ち溢れています。多分、この天候、今年の春一番というものでしょう。この雨の後、こちらは誠に春らしい気候となるはずです。この嵐で吹き散らされた梅の花の代わりに、それよりはずっと濃艶な桃の花が一斉に花開きます。覚えて居られるでしょうか、こちらでは、春の女神は優しく、たおやかに訪れるのではなく、荒れ狂う淫乱女の如くに襲いかかり樹木や草花に掴みかかりあっという間に孕ませるのだということを・・・。こちらの春は訪れるのをひたすら待つというのではなく、自然や人々の方が突然に襲われるのだということを・・・。明日か明後日、晴れれば近くの山池、それは鳥越(トリゴエ)の池というのですが、そこには沢山の鴨共が集結しているのが見られるはずです。そこら一帯の山麓は私の庭みたいなもので、一寸した猟や、犬の訓練には良いところです。北帰行を前に、その池には沢山の鴨が集まります。猟期は二月十五日迄なので、鳥共も、私の銃や犬を恐れなくても良いからです。私も犬も、もう猟人でも猟犬でもなく、ただのオヤジと犬コロであることを知って、鴨共ものんびりしたものです。   以下 次号へ