2007.5
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http://www.ack-ack.join-us.jp / t.nishikawa@ack-ack.join-us.jp / 平成19年5月号 2007#20〜225
ack-ack'News 編集室パソコン千夜一夜物語−2!
 いよいよ、先の4年物PC?のパワーUP作戦開始?先ずはメモリ256MB×2=512Mを中古512MB×3=1.5Gで限界UP!HD80GはDELL9200の際は外付けBOXに入れ、iPodバックアップ用としたが、今回はその侭に、HD300G、インターフェイスカードのUSB2×3&1394×2を増設。2個付いていたUSB1前面差し込み口をUSB2と1394に変更。これ又、頂きもの中古TVチューナーボードcanopus MTV1000 を差し込むも、ドライバーのダウンロード不可、画像入力変換プラグ必要と分かるまで悪戦苦闘?頂きに伺うと、序でにと?G4仕様ファン付中古ビデオカードとMTV1000の連係ビデオ出力カード canopusVideoGate1000 までオマケに・・・?G2仕様・ELSAのビデオカードと差し替え・・・ELSAはDELL9200のカードとの性能比較迄キープ?MTV1000でビデオ取り込みが両PCで可能となり作戦完了?だが翌日、中古パーツ店で CANONと並ぶ感じ悪メーカーのBUFFLO製だが、現行ヨドバシ価格\18,800- のTVチューナー&キャプチャーボックスPC-MV71DX/U2が\9,800- !? VAIO 用canopus板ちゅーが不調でもあり、中古即売ならと我慢して即買?ネットでアップデートを済ませて接続。使わないんじゃ〜、勿体ないと MTV1000 はお返しすべくスロットより抜き、箱に入った侭のVideoGate1000 と一緒に紙袋に!さてと、頼まれていたビデオ数本のDVD化に取り掛かる。同種ボックスは3年程前から使っているものも元気に稼働しているが、技術革新は早く、快調そのもの!使い勝手の良い付属ソフトTMPEGEncに仕事は任せて、やおらボックスの取説を(殆ど読まない)・・・と。他のキャプチャーカードとリンク可能?好奇心むらむらで再びMTV1000を紙袋から引っ張り出して装着。ン?ビデオデッキがED.Beta&SVHS と4台もあるのにVideoGate1000 を試用しない馬鹿はいないかと、次は電圧不足で電源交換?と案じつつカード2枚の装着完了。ン?VideoGateのドライバーがないか・・・また何かが始まる?!
我らがボス!「大衆音楽の殿堂」平成18年顕彰者に!
平成18年の顕彰者、全14名、歌手8名のお一人として、笈田敏夫さんの記念の品や想い出の作品などが展示されています。確か9月迄と・・・確認は下記まで!
あの時あの歌の思い出は、あなたの人生の1ページを飾っていることでしょう。「大衆音楽の殿堂」が音楽家達の顕彰の場であると共に、あなたの心の安らぎの場になればと期するところです。この場所に顕彰された方々の作品は地下1階「音楽情報室」にある検索装置で試聴することができます。
 古賀政男音楽博物館2F 渋谷区上原3-6-42
 TEL 03-3460-9051 http://www.koga.or
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バークリーを卒業するも家業後継の為プロには進めない彼と、帰国間もなく袖擦り合いまして20年。ハードな遠距離通勤ピアニストを10年も務めた、皆さんも良くご存知の栗田丈資君が、このたび陶磁器業界団体の副理事長に選任され、やむなく・・・。想定内のお目出度い出来事にて、真に嬉しい限りであります。左のSwingerはボス・笈田さんにも参加して貰いましたし、清水の鰻屋での、今は亡き彼の父上とボスの談笑風景など、昨日のことように思い出されます。フレ〜、ふれ〜、タケシ! 出張帰りに弾きにいらっしゃ〜い。
船山先生の1st.CD制作に携わって早3年!いよいよ、待望の2ndアルバムに取り掛かることととなり、真に慶賀の至りであります。過日、打ち合わせの状況が業界誌・イングルハイマ−に掲載されましたので、ご紹介致します。
Hobby  CLIP    JAZZピアノでスイング
 ほの暗いスタジオ内に軽快なモダンジャスが響く。ピアノトリオのライブ演奏。スタンダードナンバー「デイ・パイ・デイ」「サテンドール」と、実に楽しそうなセッションが続く。ドラムとベースはプロミュージシャン。先頃、船山先生が出したCDの録音も、ここ都内の自宅を一部改装したスダジオで行なわれた。本日はセカンドリリースに向けての選曲打ち合わせを兼ねた音合わせ。多くの来日ミュージシャンとの演奏経験を持つベーシスト・福井五十雄氏、プロデビューから数々のレコーディングを残してきたドラマ一・西川喬昭氏。豊かな音色と感性あふれるプレーを終えた2人に先生のピアノ評をお聞きすると、「タッチのきれいな、よく歌うビアニスト」(西川氏)、「歌心を大切にしている。若い頃のレッド・ガ-ランドやマッコイ・タイナーを彷沸させるねえ」(稲井氏)。ともに、日本を代表するトップミュージシャンに囲まれて、「アマチュアの私を強力に、温かくサポートしてもらって感謝しています」と、先生。還暦前に、長年の夢であったファーストCDを作成。このトリオで12曲のスタンダ−ドナンバーを演奏、収録した。ジャズナンバーのレバートリ一は50曲を数える。スダジオにあるご白慢のビアノは、4代目となるハンブルグ製のスタンウェイ。オーバーホールするほどのお気に入りだ。「このスタジオでビアノに向かっている時が、一番リラックスしますj。山形で生まれ育ち、大学生の時に上京.初めてジャズバーに行った衝撃を、先生は昨日のことのように覚えているという。「中学l年生の時からビアノは習っていました。大学でジャズ研に入りましたが、その後は医師としての仕事中心の多忙な日々が続きました」。「再び演奏を」と、本腰を入れでピアノに向かったのは、45歳を遇ぎてから.何気なく立ち寄った書店でCD付きのビアノ教則本を見つけ、寸暇を惜しんで音合わせした。「演奏に関しては、‘諦めモード'になっていました。まったくの独学です。耳だけはバッブ系の昔を常に聴いて鍛えてはいましたが、徐々に音感が戻り、10年日でようやくジャズの手法が習得できたように感じました。気がつけば60歳前。夢であったCDを今、制作しようと」。診療後に立ち寄る六本木のジャズバーのバンマスでもある西川氏とは10年来の友人。時折、店で飛び入りセッションに参加する。ただし、ジャズピアノはあくまで趣味の世界.年に1度、親しい仲間を招いての演奏会を開いたり30年来の学校医として生徒の前でスイングを披露したりして楽しむ。「ジャズははやりすたりがなく、自分が一番リラックスできる音楽です。いつまでたっても色あせない何十年前の先輩の曲をレコードが擦り切れるくらい聴きました」下町の開業医ではあるが、3年に1度の国際学会で海外へ。「CDもこのベースでつくっていけたらいいですね。エネルギーのある限り、いい音を求めてゆきたい」
読者のホ−ム・ページ (117)    Dancing Lawyer
 
私も大好きであった、植木等さんが逝去されました。植木さんは戸籍上では、1927(昭和2)年の生れで、亡くなった時は82歳でした。私と同じく名古屋出身です。植木さんの実家(父親)は浄土真宗大谷派(東本願寺)の末寺の住職でした。植木さんは後継者としての修行を積み、東洋大学にも進学、卒業されました。しかし、住職には満足しなかったのですね。芸能界に入るべく上京し、バンド演奏をしている店などに勤めたりして、バンドも持ちましたが、最終的にはハナ肇と出会い、犬塚弘、石橋エータロー、谷啓などと、クレージーキャッツを作り上げたわけです。
当時のクレージーキャッツはジャズを本格的に演奏するバンドであったと聞いています。後にコメディアンや俳優になったとしても、当時は、みな一流の楽器演奏者(ミュージシャン)でもあったのですね。
そして,1960年代(東京オリンピック前後)に大ブレイクしたのです。「スーダラ節」にしても「無責任男シリーズ」にしても爆発的ヒットでした。当時の高度経済成長時代のサラリーマンは本当に元気付けられたでしょう。その当時は「無責任」という言葉が流行したのですが、今の時代の「無責任」という言葉とは少し意味合いが違うと思います。植木さんの時代の「無責任」の意味は、「あんたも一生懸命がんばったのだから、結果は「運を天に任せるしかないでしょう」という趣があります。しかし、現在では「責任」と言いますと、常に誰かのせいにすると言ったイメージがあります。つまり、やるべきことをやらなかったのに、しかも、そのことを誰がやったかも不明なので責任の所在が不明確で、結局は「たらい回し」になるということです。現在の官僚の姿勢も同じですね。
さて、今も相変わらず、一般庶民は「不況感」を拭いきれません。それは、1960年代に植木さんが活躍された時代と違うことにも原因がありますが、最も重要なことは、我々一般庶民においては、将来に対する希望が無い(殆ど無い)ことに起因すると、私は痛感しています。しかし、この現状を打破するには多くの政策の転換も必要でしょう。直ちには無理かもしれませんが,若い人たちが希望を持てる日本にしなくてはいけないと痛感します。但し、「そのうち,なんとか、な〜るだろう〜!!」の精神も大切ですね。私は今日もお酒をちびちび飲んでいます。「わかっちゃいるけど、やめられない」というのが,おおよその愛飲家の弁(屁理屈)です。でも、皆さん、くれぐれも飲み過ぎませぬよう・・・。

さて、スパイクジョーンズを範とした、クレイジーキャッツの演奏スタイルは「冗談音楽」とも呼ばれ慣れ親しまれましたが、全員が日本のジャズ界で屈指の名手で、スパイクジョーンズに負けず劣らずのレベルにあり、谷啓などはジャズメン人気投票トロンボーン部門で数年間もポールウィナーでした。スパイクジョーンズはクラシックからポピュラーまで幅広く名演を残してますが、今宵は、「カクテル・フォー・トゥ」をBGMに、植木さんに献杯!  勿論、当方はバーボン?
80 回   エロールあさかわ
  「右を向いても左を見ても、馬鹿と阿保との絡み合い」。現代の日本人社会を象徴する名言である。また二十年程前に「世の中、馬鹿が多くて疲れません?」というCMがあり、面白いCMが出て来たものだと嬉しく思った。だが、頭の硬い文科省の役人の横槍で直ぐ中止になった。将来の日本を担う子供達の教育の場たる学校では「いじめ」問題が頻発し、両親と教師、教育委員会、文科省などが総動員で対策を練っているが何ら解決の糸口さえ見えていない。それどころか子供を教育する立場にある教師によるワイセツ行為まで発生している。小学校教師に限らず、大学教授、区議会議員、国税庁役人、警察官、NHK幹部職員等、一般的に常識のある人間と目される者達のセクハラ、ワイセツ、痴漢行為の多さには言葉を失う。彼等とて学生時代にはそれなりの勉強をし、机上の学問ではそこそこの成績を収めてきた連中である。柳沢厚労相の奥方の言葉を借りれば「頭は良いのですが、人間的には馬鹿なんです」ということである。憂慮されるのは此の様な連中が現代日本社会の牽引者となり各界の中枢を占めていることである。司法も行政も組織の中枢にいる連中は人間としての体温が欠滅してしまい、マニュアルに拘束されたロボット人間になってしまう傾向にある。最近注目を浴びたのはロボット化した裁判官の判決内容である。帰宅途中の幼稚園児の列にワゴン車が六十キロ強のスピードで突っ込み、園児四人を轢殺した上に、保母を含む九人の園児に重軽傷を負わせたドライバーが逮捕された。だが、裁判の結果ドライバーは無罪であった。「悪魔から突っ込むように命令された」というドライバーの陳述が無罪判決の決定につながったのだ。つまり事故当時のドライバーは心神喪失状態であり刑事責任は問えないことになっているのだ。無罪判決を聴いた園児の親たちは「そんな馬鹿な!」と泣き崩れた。マニュアルに従う方法しか知らないロボット裁判官にすれば当然の判決であろう。悪魔の命令や神のご託宣があったという陳述で弁護側は即刻、精神鑑定に持ち込み、心神喪失、総意失調を主張する。専門医が弁護側の主張を認証すれば全ての犯罪者は無罪となる場合が多い。ただし、事故当時の当事者が心神喪失状態であったか否かは専門医といえども判断は困難であるとのことである。最終的にはロボット裁判官のマニュアル通りの判決が下されるのだ。納得できない遺族達は、仕置人・梅安に頼むしかないのか。
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (41)
   犬との関係は親子、兄弟、仲隘・・これだけである。犬は主人に忠実な生き物であるなどと根も葉もないようなことを口にするような人は犬を持たない方が良い。そういう人が犬を飼えば、彼の下僕である犬に酷く噛みつかれるのは時間の問題であるからである。主従の関係などは封建制の、そして、その名残りの人間社会のみに於ける概念である。犬の世界にまでそういう概念を適用するのは愚というものであろう。そもそも、犬に対してまでご主人様でありたいと思わねばならないのであろうか。私は人間社会に於いてさへ、誰かを下僕、奴隷とするような主人になりたいと思わないし、その逆も同じである。若かし、私が下僕、奴隷の立場に置かれるならば、私は死の瞬間まで主人の隙を窺い続け、その立場と生命を奪いたいと願う執念の権化となるであろうからである。私は犬の主人にはなりたくない。犬にとって、私は母犬、父犬、仲隍リーダーの代用に過ぎない。その代用品になる為には、40日、50日目くらいの仔犬が良い。広告などには訓練済み、完成犬売ります。或いは、求む等というものもある。訓練は完成されていても、それは訓練者と訓練された犬との関係であるに過ぎない。私と、私の犬の関係は、私と他の犬、私の犬と他の人との関係に容易に置き換えられるものではない。信頼や愛情というものは訓練にも必要不可欠のものである。そして、それは当事者間にのみ存在する。どれほど良く訓練された介護犬、盲導犬でも使用する飼い主との間に信頼感や愛情というものが存在しなければ、役を果たさないのではあるまいかと、私は思っている。私は今、母犬、父犬、兄弟、仲隍そして、信頼し得るリーダーになるべく、懸命に犬化しようと努力している。犬の方でもそうしているようである。私は、今では本や新聞を読むか、映画を観る時くらいしか英語の必要はない。ブッシュ大統領の演説は分かるが同時通訳のバイリンガルの日本語には混乱する。TVの英会話の司会などをやっている若い外国人の流暢な日本語というのものも、過ぎたるは・・・にて、とても日本語とは感じられない。あれは、標準日本語から派生した英語弁という新しい言語であろうかと思ってしまう。私は目下、犬語を勉強中である。犬語の意味は論理的意味よりは情緒的意味の方が遙かに重要であるようだ。つまり、犬語は人間語よりずっと音楽的なのである。喜怒哀楽の混じりっ気無しの情緒を養っているところだ。君たちミュージシァンであれば、ずっと容易であろう処の音感養成自主トレーニングも、私のような者には仲々大変なことである。今回は犬の話に終始した。だが、闊達なる精神と想像力の持ち主であるルパン殿は、この犬の話の向こう側に見え隠れする私こと、
田舎の親父の姿は手に取るように観て取られたことであろう。これを書いている間に私の膝の上はいつの間にか猫に変わっている。テーブルの上にも白いのが2匹眠っている。仔犬はいつの間にか机の下で眠っている。部屋が静かになった気配で、出て行った猫共も、そろそろ戻り始めたようである。今のところ5匹しか戻ってないが、やがて、私は猫まみれになるだろう。田舎では老人は猫にまみれて過ごすのです。それが、習わしというものなのです。