2006.8
http:/www.ack-ack.jp nishikawa@ack-ack.jp /平18年8月号 2006#19~216  since1988
ack-ack’通信
7月2日(日) 共田明広・福岡和幸 展 (すどう美術館 銀座6-13-7) 
住まいにほど近い行きつけのレストランバーで馴染みであり、町内会でもある共田明広氏の銅版画二人展へ、ギリギリの最終日に、差し入れの焼酎をぶら下げて参上!さまざまな姿を見せる水の不思議な魅力を抽象的な版画とした作品展てした。以前、クールトレインにも一緒に入らした、同じく町内会の田中さんも入らしていて、楽しい一時でした。右図は会場で、共田さんが田中さんに「具象の方が良いんじゃないの~?」と冗談を言いつつ見せてくれた過去の作品なのですが、ミュージシァンを素材にしたものも多くあり以外でした・・・いえ、まだ問い合わせてはおりません?
8日(土) バンマス・松本氏
九州は葉隠れ・佐賀にてプロ活動をスタートした時(17才)の最初のバンマスであり、それは、それは、お世話になった・・・今でも?!恩人、松本敏美氏(現在も長崎で精力的に活動中)が北海道からの帰路、3年?ぶりに東京に寄ってくれました。品川プリンスホテル・アネックス・タワーへお迎えに参上。六本木の「旅籠」に案内しまして、ゆったりと一献傾けつつ、話も大いに弾みまして、実に楽しい一夜でした。氏は7才年長なのですが、常に前向きで、暗い話も暗くならず、お酒大好きなるも、肴もちゃんと・・・といったところが、丈夫で長持ちの秘訣なのかも知れません。帰りにクールトレインへ寄り、岩崎佳子p、平田ちひろvo 両嬢?のステージを楽しみながら仕上げを致しました。またまた全てご馳走に・・・!当方飲酒につきタクシーにてお帰り願いました・・・いえ、タクシー代だけは運転手に・・・ハイ? 楽しゅう御座いました。
読者のホ-ム・ページ (108)   よっぱライフプランナー
  サントリーラグビー部監督・清宮克幸氏の講演を聴く機会に恵まれた。高校からラグビーを始め、3年時に花園の全国大会出場。高校日本代表に選出され、86年早稲田大学入学。2年時に日本選手権優勝。4年時主将として大学選手権優勝に導き、卒後、サントリーに入社。01年引退後、早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任。就任後5年連続で関東大学対抗戦全勝優勝、大学選手権も3度制覇し、06年2月、日本選手権で強豪トヨタを撃破。大学生が社会人を18年ぶりに破るという快挙を成し遂げる。今年度はサントリーとプロ契約を結び、監督として再生に力を注いでいる。チームを強烈なリーダーシップで率いた氏の講演は熱くエネルギー溢れるものだった。その氏も監督就任に際しては大きい壁があった様である。早稲田ラグビー部は学生がOBの中から監督を指名するのが習わしだが、学生から監督就任を拒否されたそうだ。事前に学生が監督候補を集めて(本人には候補と知らせず)ヒアリング会を開催したが、「早稲田を強くする為には」という質問に対し、「見てないからわからない」と冷たく突き放したらしい。学生はOB会の説得で渋々了解したらしいが、前途多難なスタートとなった。しかし、強力なリーダー、明確な目標と優れた戦略を得た選手は持ち前の才能を思う存分発揮、栄光への階段を駆け上がる。チームのスローガンULTIMATE CRUSH も選手の意思統一に欠かせないという。これはOBである外交官故・奥克彦大使と一緒に考えに考えて創りだしたものらしい。03年11月29日、イラクにおいて人道復興支援活動を行っていた奥克彦大使、井ノ上正盛書記官とジョルジーズ運転手は何者かの襲撃に遭い凶弾に倒れた。イラクの子供達の支援に特に力を入れていた二人の遺志を受け継ぎ、氏は代表発起人の一人として「奥・井ノ上イラク子ども基金」を設立し活動しておられる。氏のミッションはラグビーを通じて「夢と感動」を与える事である。残念ながら、今の日本ラグビー界は元気が無い。ラグビー人口の減少に代表チームの低迷。2011年W杯招致もニュージーランドに敗れた。だが、清宮氏は悲観していない。昔ラグビーに熱狂していた世代、その子供達が、父親からラグビーを熱く語られ、ラグビーに魅せられ、2015年日本でのW杯(日本招致が決まれば?)の頃には、素晴らしい選手としてグランドを駆け回り、又はファンとしてラグビー場を埋め尽くす事を目指している。久々にラグビーがやりたくなった。もっとも、運動不足とアルコール漬けの身体では無理?となれば、気分だけでも戦っている気持ちになりますか。、2015年W杯の日本開催を夢見て、もう少しバーボンを。ん?ラグビーは英国が発祥だ!スコッチにすべきかな?まぁ~いいか。今宵「夢見る人」にはジョー・ヘンダーソンのいぶし銀テナーサックスによるDreamer(VIVO SONHADO)(アントニオ・カルロス・ジョビン)がぴったりだ!ワ
71回   エロールあさかわ
  「楢山節考」という哀しくも残酷な物語があったことを覚えておられるだろうか。年老いて役に立たなくなったり、働くことが出来なくなった老人や、長患いで家族や周囲の者に負担を掛ける様になった者を人里離れた山奥に捨てに行くという「姥捨山の物語である。この制度は貧乏な藩の藩制でもあったと云うから実に恐ろしい話である。ところが、この恐ろしい当時の藩制を今世紀の日本で復活させようとする兆しが見えてきている。永年の間、税金を払い続けてきた老兵達に対する唯一の保護制度を廃止しようと云うのである。養老年金、国民年金の大幅減額。老人医療、老人介護の補助金撤廃。更に前号にも記載したが、永年に渡って支払って来た筈の国民年金の年数が、いつの間にか半分になっていたりしている。これは不祥事のデパート!社保庁の一方的な掛け年数削除であることが判明している。斯くの如き一般庶民に対する保証制度の一方的削除と撤廃により、忽ち生活に困窮をきたした老夫婦が火葬場のカマドの中で自殺するという惨事があった。また、永年の間、認知症の母親の介護を続けてきた六十三才の息子が母親の首を絞めて殺害し、自分も後を追って自殺を計るという事件も起きている。生活保護を認めて貰えない上に老人介護補助も廃止されてしまった為、生きる術が無くなったことが原因である。つまり、働いて税金が払える間、税金の徴収が可能な者は保障制度適用を受けられるが、役立たずの老人や政府に負担を掛けるだけの老人は早々にあの世に旅立って貰いたいということか。その一方で国会議員の為の豪華なマンションが百六十七億円を掛けて建設中である。駐車場完備、アミューズメントルーム完備の3LDKマンションで家賃二万六千円。その他に保護施設が三十五億円をかけて長野に完成している。政治家、官僚、将来の天下り先となる大手企業のみが優先される今日である。嘗て、私は北朝鮮のことを「将軍様の江戸時代」と同じと指摘したが、現代日本とて大差がなくなってきている。北朝鮮には仕事のない浮浪者とコッチニビ(未成年浮浪者)が四百万人居ると云うが、日本にも形が異なる浮浪者が六百万人も居るのだ。学歴がなく、取りたてて才能も能力もなくてニートを決め込む者も多いが、いくら働いても政治家と官僚を肥らせる為の税金供給者にはなりたくないと宣う、反骨の士?も居るのだ。
ルパンの私書箱~from 田舎親父 (32)
   犬は良くススキやチグヤといった禾木科植物の葉を食べる。どれも、繊維の固い筋の多いものである。私は黙って食べさせる。固い繊維は糞に混じり黄色くなって出て来る。その糞を調べてみると普段は決して出ない古い宿便のようなもの、体毛の凝固した様なものまでが絡め取られて出ている。禾木科植物に接する機会のない犬は代わりにタオルの端やカーペットの縁などを囓って我慢するのであろうが、帰って良くない結果となるだろう。余り文明化されているとは思えない私でさえ、その知性や感性は相当に文明の影響を受け、歪められている筈である。しかし、肉体は文明化しているとは思えない。極めて原始的状態に止まっている筈である。私は肉体については、貝原益軒流で通し、食べたいものを食べたいだけ、食べたい時に食べる。眠りたい時に眠り、眠たくなければ眠らない。身体のことは身体に聞くことにしている。それで、今のところ支障なく生き続けている。体力は、猟なら午前中4時間、午後4時間、2ラウンドやって、夜2~3時間の授業をやる。翌日、同パターンでも命中率が下がることはない。体型も20代から殆ど変わらず、体重もそうである。脚はラグビーをやっていた高校時代ほど太くはないが、まだ皺ばんではいない。上腕、胸、背の筋肉もポーズを取らずとも、それと分かる程にはついている。内臓については見たことがないので良くは分からぬが、どうしようもない程悪くなっている様な兆候はない。こういうのはポックリ逝くタイプだそうだが、死ぬまで元気でいられれば、それで良い。私の回りの男達は殆どが身体にメスを入れず、管も通さずに死んだ。私も、そうできればと思っている。生老病死は、もとより、私の思惑の埒外のことであるから、どうにもならない。だが、その後に及んで、どういう処置を選択するかは私の意志の問題である。先に旅立った私の身近の男達は皆そうした。先月亡くなった私の弟の様な男も膵臓癌だったが、点滴以外の管は許さなかった。享年56才。亡くなる前日の午前中、私に電話で「風邪を引いて具合が悪い。話も余り出来そうにないから、明日は来てくれなく て良い。」と云った。葬儀は慎ましく、身 寄りは兄妹二人、参列者は他人ばかり   であった。最後に坊主か故人の名前を忘れて思い出せず、近くにいた私は小さな声で数回教えたが聞こえなかったらしく、名字ばかりを何回も繰り返すので、私は大声で「バカタレ」と怒鳴り、式を台無しにしてしまった。祭壇で故人の写真が私を見て笑っていた。喪服の似合い過ぎる、ポニーテールやモミアゲの長いゴリラの様な男達に睨まれて、退場なさる導師様は、今、その棺から出て来たかの様な蒼白い顔で、再び昇天しそうな様子であった。死ぬ少し前、彼は、「若し、少しばかり気分が良くなったら、親父さんの庭に樹を一本、一緒に植えさせてくれないか。」と云った。どういう樹を植えたいのか聞き忘れたので、一人で何か植えなくてはならない。  以下次号
「ルパンの私書箱」でお馴染み、田舎親父殿から小生の体を案じての有り難きお便り!当紙編集に追われるを好都合に当紙上にて返信をば・・・これって、公私混同?
拝啓、西川喬昭 様
 今年の梅雨は本格的というか、激しいというか、妙に根性の座ったような処があって、毎日激しい降りを眺めながらの暮らしです。もう暫くは此の天候は変わりそうにない。そちらも相当な雨量で大変なようだが、外出など大変だろうね。マイカー、タクシー、電車、バス・・・?演奏中の貴兄が想像のスポットライトの中に浮かんでいるだけで、全く見当も付かない。が、それはそれだけでも仲々良いもので、事あるごと、折あるごとに想い浮かべては心を和らげています。時に、私は自分が食するものばかりか、犬の喰い物の事まで書くけれど、私の想像する貴兄は演奏の合間に少しばかり、スコッチなどをすするだけで、外は何も口にしない。それでは身体に悪いから、此の暑い季節、さっぱりしたものばかりでなく、体力、精力の付くものも食されたい・・・。何故か貴兄については体の健康以外のことは余り気にならず、全て大丈夫という気しかしない。これって、当たりだろうか。私は年齢不相応に激しい肉体労働が多いから、それ相応の食事となり、週に一、二回は二枚重ねのステーキを喰う始末。勿論、一番安くて、硬いオージービーフ。それでも、全身、脂肪らしきものは殆どなく、腕も肩も胸も筋肉が型を保っているし、四、五時間はぶっ通しで山を歩くことも出来ます。問題の心と精神は田舎親父が伝える通り、病んでいるとまでは云わないまでも、多少、その機能に奇妙なところがあるという程度でありましょうか。
 何時も忘れずメールを送ってくれて有り難う。重ねて、健康に気をつけて、
今後のますますの活躍を祈っております。      敬 具
  
田舎親父
 平成十八年七月二十日
拝復 田舎親父 殿
小生の体の健康をご案じ頂き感謝!嬉しい事に脳天気状態の元気過ぎ?回りが辟易の感すらある次第。3年前に左腕骨折の際も車を運転して帰宅。驚異の車庫入れ(超狭?)後、左肘脱臼かなぁ~と、思いつつ上着を脱いで見ると、折れた骨片が上腕部の真ん中近くに盛り上がり、骨折確認!仕様がねぇ~なと、深夜4時頃に徒歩3分の北里病院へ!レントゲン撮影後「朝いらして下さい」に、「三角巾くらい巻いてよ」で帰宅。4時間後入院。10日間は入院にて不可能?でしたが、担当医に飛び出ると二次感染の恐れがあるから2ヶ月は絶対叩くなと云われるも、肱の皮膚を通して透けて見える焼き鳥の串状の15㎝程の2本の金属ステーの末端をグイッと押し込みながらのドラミングで担当医も吃驚のバッチリ・リハビリ!一年後の完璧抜糸ならぬ抜棒にて一件落着?貴兄も今号に書いてますが、食べたい物・・・肉も食べてるよ、を食べたい時に食べたいだけ、食べ!眠むたい時は寝て、眠れないと焦る暇など無し!縁台将棋同様、下手な考え休みに似たりにて、全て体が教えてくれる!教えて貰えない時は天命だ?因みに、貴兄の回りにも会うやいなや「あぁ~、眠たい」と「あぁ~、腹減った」しか云わない奴が居るでしょ?まぁ~、お互い体が教えてくれる侭に生きましょう。毎号の私書箱投函有り難う。 追伸 アスファルト補導を革靴で2時間位は平気だよ?  ルパン