2006.7
http:/www.ack-ack.jp nishikawa@ack-ack.jp /平18年7月号 2006#19~215  since1988
ack-ack’通信
6月24日(土) 足利市 クラブ 四 季! 当紙五月号にも書きましたように、お客様方からの「演奏は云わずもがなで、又、西川と一緒に飲みたいね」なる、お声掛かり、ご尽力により実現した、7年ぶりのライブでした。ママを始め、皆さんの盛大なる歓待を受けて、メ ンバ一一同感謝、感激、雨あられ!小生なぞはモウ、矢でも鉄砲でも持ってこい状態。2ステージ目は当店で出遭ったピアノの原正夫氏を呼び込み演奏も一段と白熱化。皆さんの乗りも最高で本当に楽しい一夜となりました。気になるのは、最後のママの一言「しかし、西川さんは男の人に好かれますねぇ~!」。六本木でも足利でも云われることは同じかぁ~と思いつつ、お声掛かりグループに女性は居な か ったと一抹の寂寥感も・・・?翌日は、原夫妻のご招待にて、名所・巨石群にほど近い、釣り堀のある茶店へ。山菜の天ぷら、枡の炭火焼き、この上なく美味なる漬け物、冷えたビールにカジカの骨酒、締めはお蕎麦と至福の一時!を過ごし無事帰京致しました。足利の皆さん、又、お呼び下さるなら、なるべくお早目にですゾ~!
6月27日(火) バースデイ・ライブ 今更、バースデイ・・・?と云いつつも、店内満杯の大盛況となり、誠に嬉しい限りです。もし、閑古鳥が鳴いたら?いえいえ、そこは備えあればで・・・?道下あずさ(vo)、小生のボーヤ(関係ない?)と6月生まれ3名の共有名義、共同正犯?としておりましたので。入りは上々!乗りは最高!狙いはバッチリでした?ご○○、ご献花の類は難くご辞退。プレゼントはオンステージあるのみと致しましたが、先ず、青森のOさん、山形のSさんらの宅急便によるプレゼントをソデに飾りまして、ヴォーカルからインストまで実に個性溢れる多士済々なプレゼントで楽しかったですねぇ~!心温まるプレゼントを沢山頂き、誠にもって恐悦至極、ただ、ただ感謝あるのみです!本当に有り難う御座います。いえ、来年の話は、鬼が・・・で~す。
6月28日(水) 第四回 JAZZ四季会  旗揚げ以来、はやくも4回目・・・光陰矢の如し(上記の如く?)にて、四季は巡り、名実共に「JAZZ四季会」となりました。次回はスタート時のサブタイトル「お月見ジャズ・ライブ」と初心に帰り、ネーミングにも悩むことなく?九月末~十月の開催が予定されてます。正に継続は力なりですね?幹事三奉行の熱意には毎回、頭が下がりますが、何よりも嬉しいことは、回を重ねるごとに会員の皆さんの輪が広がり、「次は・・・!?」と膨らむ夢を語る会話が弾むことです。フューチャーリング・ソロイストも、初回、テナー&ソプラノ・サックス。二回、クラリネット&テナー・サックス。三回、ギター。四回、ビブラホーンと変わりまして、次回はトランペット&フリューゲル・ホーンの予定です。その次は、さ~て・・・斯くして「夢は夜開く」ではない、「夢は夜膨らむ」のです。失礼しました。ハイ!お後がよろしいようで、お疲れ様でした。  
2007年航空機カレンダー 毎年定例、先輩・ショウリ田中氏との合同作業修了。同氏製作の入魂のプラモデルを修正、合成して風景の中に埋め込み?インクジェットにてプリント。それに、ショウリさんが名人芸で回転しているプロペラ、スクリュー等を描き込み再度コピーして一枚が完成!今回は海面より飛び立つ零戦、ラバウル上空を飛ぶ零戦2機、潜航中の回天と、計3枚です。零戦2種はカレンダーではセピア色(国書刊行会)、回天はカラーです(海原会)。海中、海面、眼下といずれも苦労しましたが、ショウリさんの名人芸レタッチにてどうやらサマになり、今年の定例作業は無事に修了しました。発売の際には再度ご案内致します!
 
2006.7/18 火~24 月 10:00~18:00
 於 アルバニア共和国大使館
 中央区築地6-4-8
 北国新聞ビル4F tel 03-3543-6861
 野嵜正興
6月18日参上!
富士フォトサロン

日本写真家協会会員が撮影した写真展「五彩班爛の中国」

 
6月17日参上!  パークタワーホール アトリウム
JPU会員企画展~インクジェットによる写真展プロの仕事

小平博之
昭和44年(株)スタジオアルファに入社。
昭和49年日本写真家協会会員になる。
昭和51年8月写真集「白き山と最上川」講談社より出版。
  以降、新宿区史グラビアを2回歴史博物館出版に数々携わる
建築写真を中心とした商業写真に従事。
平成14年小平博之写真事務所を設立。
平成17年中国に紅花を求めて赴く
読者のホ-ム・ページ (107)   Dancing Lawyer
 2006FIFAワールドカップサッカーは,まことに残念ながらわが日本チームは完敗でした。リアルタイムに目の前で?まざまざと実力差を見せつけられました。少し厳しい言い方にはなりますが,現在の日本の代表選手たちのレベル、実力では,何方が監督をやられても,決勝進出など到底無理なような気がします。特にフォワード陣の攻撃力が全く不足しています。往年の中山ゴン選手のような迫力のある選手が、もっと育ってこないといけないでしょう。中田英寿選手が号泣していたシーンが実に印象的でした。もっと数多くの日本選手たちが、広く海外に進出して,もっともっと、世界の荒波にもまれないといけないでしょうね。
まぁ~,しかし,どんなスポーツでも世界の一流になれると思うのは、日本人のおごりかも知れません。運も良かったのでしょうが,野球は世界一になったので、まずは良しとしましょう。しかし、サッカーは野球と比べますと、やはり「歴史」が違いますから,サッカーで日本が世界の一流になるには,あと10年くらいはかかると思っていた方が良いでしょう。しかし,ブラジル・チームはやはりすごいですね。ブラジルからサッカーを取ったら、あとに残るのはコーヒーとリオのカーニバルですかね。いや、失礼致しました。負け惜しみでした。ブラジルには世界に誇れる多くの素晴らしい音楽もありました。2010年のFIFAワールドカップは南アフリカ共和国で開催されるようですが,優秀な若手選手たちの大いなる台頭を望みたいものです。中田英寿選手や中村俊介選手を超える選手が数多く育ってこなければ望みはありませんな。ちょっと、悲観的なコメントとなりました。サッカーファンの皆様方にはお許し下さい。当然、今宵は鬱陶しい梅雨も爽やかにする、ブラジル産のボサノバで決まりです。大ヒットしてボサノバ・ブームに本格的な火を付けた名盤「ゲッツ・ジルベルト」は、いつ聴いても素晴らしい!クールで熱いテナーサックスのスタン・ゲッツ、当盤でも名作曲者ぶりを遺憾なく発揮している、アントニオ・カルロス・ジョビンp、そして、ブラジルの香りプンプンのジョアン&アストラッド・ジルベルトg&vo と来れば、もう云うこと無しですな!最近のジョアンさんはステージで寝ちゃう?なんて聞いたこともありますが、このサウンドの心地よさでは、私もバーボン片手に寝ちゃうかも・・・?  
70回   エロールあさかわ
  日本が「金銭至上主義国家」「拝金主義国家」に変貌を遂げて半世紀近くなるが、その終局的様相を呈し始めた今日である。ライブドアや村上ファンドに見る金銭コロガシ、或いはマネーゲームは額に汗して働く意欲を喪失させ、ますますニートの数を増加させている。それに並行する如く一般庶民に対する社会保障制度の崩壊が表面化してきた。この崩壊を加速させる要因の一つは社保庁税金無制限垂れ流しと使途不明金という税金横領である。税金横領、税金無駄使いの穴埋めのために使われた手段の一つに国民年金の大幅削減がある。年金額の削減だけでは、社保庁が空けた大穴は埋められない。そこで信じ難い手法が用いられていた。つまり、永年の間かけ続けてきた年数を無断で削除するという手法である。三十年以上も掛け続けてきた年金保険に対して支払われた年金額が余りにも少ないので不審に思った人がおり、早速、年金課に問い合わせたところ、年金の支払額に間違いはないとの返事であった。尚も良く調べてみると昭和三十八年から掛け続けて来た筈の年金保険が昭和六十年から掛け始めた事になっていたのである。「冗談じゃない!」と食いさがってみると、「それ以前の資料はありません!」という一方的な返事であった。更に、年金課の方からは、「六十年以前から掛けていると言われるのならば領収書を持参してください。」とのことであった。たまたま、問い合わせた人が弁護士であったので理路整然と説明を重ねた結果、昭和五十年から掛け始めたことに修正されたと言うことである。この方法で三千万人の掛け金年数を無断削除すると一体如何ほどの額になるだろうか。それだけではない。老人医療廃止、老人介護に関するあらゆる補助撤廃など、我々が気付かない間に決定してしまっている。、もし、これらが日本以外の国で執行されたら暴動さえ起こりかねない大問題である。政治家や官僚にとって日本民族ぐらい扱いやすい民族はないと思われるが、今後とも日本国民は「お上」の言いなりになって行くしかないのだろうか。日銀総裁をして「ド素人なもので・・・」。と平然と云わせる、金融社会。「金儲けが悪いのですか?」。「いえいえ、決して悪いことではありません。私の有り金をハタいて五十万円を何とか三倍にして貰えれば、其のお金をソックリお預けして、更に三倍にして頂く所存でございます。えっ一千万円以上でないと駄目ですか。一千万円以下の貯金者はクズですか。どうも、済みません」
ルパンの私書箱~from 田舎親父 (31)
   我が家には、犬猫の他、傷ついた野生鳥獣が、常に何頭か何羽かいる。数頭、数羽は二度と自然復帰が出来ない。片足を失くした狸、片翼を失くしたハトやアオサギ、その他。その様な重要な機能を失っては自然界では、数日、数時間と生存できないだろう。私の処へは個人や行政に携わる人が持ち込む。多くは狩猟鳥獣であり、有害鳥獣指定のものもある。狩猟期間中、狩猟により傷つけられた鳥獣も持ち込まれる。早々に生命を断ってやるのが功徳だと嘯く者もいる。だが、哀れにも野生動物は最後の一瞬まで生への執着を示す。生を断念する能力は備えていないらしい。私は手を尽くす。ハトでもカラスでも、蛇でも・・・。何故かと問われれば、その命が私に託されたからだとしか答え様がない。断つ事ではなく、全うする事が託されたからと・・・。保護飼育の間に私になついて来る、そういうもの達の孤独を思いやる。仲閒からも自然界からも、その関係を断たれた生物たちの孤独に思いが及ぶ時、私は彼等に取って神の如き存在なのである。そして又、彼等こそが此の世で唯一、本当に私の存在を必要としているのではないかという考えに至って愕然とする。私の犬もそうである。猟犬は飼い主以外の人間と仲良くしてはならない。他の犬と仲良くしてはならない。他人から餌をもらっても、可愛がってもらってもいけない。そういう生き方を強いられる。私が強いるのである。犬の命は犬のものであるから、生殺与奪の権利など私にはないが責任はある。私は犬の世界を全て託されている。精神、肉体の全てに関わる全世界、全宇宙は私が犬に与えうる限りのものである。小さな犬小屋に短い鎖で繫がれ、朝夕、決まり切ったコースを紐で繫がれて散歩する。餌はドグ・フードだけ等という犬を見ると、犬に生まれてこなくて良かったと心底思う。そういう飼い方をしている人間を見ると犬虐待の罪で来世はそういう犬に生まれ変わる事を祈りたくなる。
 若し、私が自由というものを与えられ、自由に生きてきたとするならば、私の不幸も苦しみも悩みも、全て自ら招いたものであろう。だが犬は自由など与えられていない。犬に責任はない。私は人の居ない所なら何処へでも犬を連れて行く。危険回避の指示も最小限度で済む。自然界に於ける様々の危険、即ち崖や深い穴、毒を持つ生物などに関する危険回避の能力は私より犬   の方が勝っている。しかし、車を始め、薬物   諸々の廃棄物等になると話は別だ。怪  我の殆どは、重大な内臓の損傷も、それらを  飲み込む事による。よって私は犬を飼って る時は片時も目が離せない。ケージの中 に閉じ込めていてさえ危険はある。プラ製   の脆い素材のケージ等、犬がその気になって噛めば、欠けたり壊れたりする。飲み込めば木片や小石の様な具合にはいかぬ。木片や小石なら胃壁を傷つける前に強烈な胃酸で表面が溶かされ滑らかになる。人工の物はそうはいかない。天然素材以上の強度を備える様に造られている物が殆どであるから当然の事ある。粘着テープは最も危険な物の一つだ。丸めて捨てられたものを飲み込んで死んだグレートデンを知っている。テープは胃の中でほどけ、腸全体に延びて腸捻転を引き起こした。バスルームに吊してあった垢すり用の薄い化繊のタオルを呑み込み、のたくり回った後、腸が切れて死亡した小型のコーギィ犬もいた。   以下次号