2006.6
ack-ack’通信
5月20日(土) 第三回 破れ太鼓の会! 状況は隆則君の母上と玉雪さんのメール&写真にてご推察下さい、21年間に及ぶレッスンを経て、翌5月21日が隆則君の38才の誕生日でしたので、小生の音頭で皆さんとハッピー・バースデイ~の大合唱・・・最高でした。21年前、先生に「始めたら西川さんが亡くなるまで続きますよ。」と伺いはしましたが?継続は力なりとは申せ・・・、本当に音楽は素晴らしいの一語に尽きます。皆様のお力にて今回も大盛況、本当に有り難う御座います。また来年も開催したいと思いま~す。
母親としての感想は、まず驚き!喜び!でした。正直、以前の記憶から、隆則が叩くと皆様にご迷惑をかけるのでは?と、心配で心配で,叩く前は、私の方が緊張して落ち着きませんでした。それだけに叩き出した時の驚きと喜びは大きかったです。以前から、隆則はアンサンブルが難しいとのことで、それは自閉症という障害のため仕方ないと妙に納得していましたが、先生を始め周囲の皆様のお陰で、一つやまを越えた感じがしました。曲の終わりの時、クラリネットの鈴木さんの顔を見て合わせようとする、隆則の顔は親から見ても頼もしかったです。これからも簡単な人生ではありませんが、隆則が少しでも楽しく、しっかりと生きていけたらと願っています。最後の演奏の時の周囲の皆様の様子には本当に感謝です。見て、聞いて下さり、終わってからの大きな暖かいご声援は忘れません。「この次も楽しみにしてるからね」・・・など。先生、鈴木さん、金山さん、安久津さん、玉川さん、小倉さんを始め、皆様にもう一度、このチャンスにお礼を伝えたいと思います。只、私、大きなミスをしてがっかりしました。実は皆んなに聞いて欲しくてMDを持参し録音しました。帰りの電車で聞こうとしましたら、なんと、マイクの端子をヘッドフォンのところに入れていて、全く録音されていなくてもう大ショック!!私、よほど緊張していたんですね。もう、友人達から大馬鹿者と言われました。(笑) 又、よろしく、お願い致します。   大河内清子
大河内君の上達ぶりには目を見張りました。先生のご指導あってこそですが、思ってた以上に素晴らしく、「継続は力なり!」と、とても刺激になりました。今回は大河内さん、お母様とも沢山お話が出来ました。お母様もとても良い方で、心温まる一時が過ごせました。ルーツの他の皆様の演奏も十人十色、個性溢れる演奏を楽しませて戴きました。お弟子さん達は前回聴いた時より更に良い演奏をなされ、全然違うな~と思いました。(素人が生意気言ってご免なさい、当たり前ですよね…)。今のお弟子さんも次回の「破れ太鼓の会」では格段に上達されるのだろうなと、今から楽しみにしています。如何せん練習していないと手も足も出なくなりますので、今回はパスと申しましたが、やっぱり演奏を聴くと叩きたくなるものですね。最後のチュニジアの時には血が騒いで騒いで?飛び入りしたくなりました。(大学バンドでティンバレスを叩いた思い出が蘇り…)。60歳位になり時間が出来たらまたルーツに通いたいと思いました。先生、あと20年は続けて下さい!!お願いします。何はさておき、歌モノの時に先生のドラムが聴けて嬉しかったです。やっぱり先生のドラムが一番です!!また機会を見つけてライブにお伺いします。本当にありがとうございました!!       T.M
6月27日(火) 西川喬昭バースデイ・ライブ & 6月28日(水) 第三回 JAZZ四季会
更、バースデイでもありませんが?これも営業協力とご理解下さ~い。27日は¥5,000-フリードリンクとリーズナブルでは御座いますので、皆さんと楽しく音楽したいと存じま~す!
28日は旗揚げ以来はや4回目となりました、「JAZZ四季会」の催しです。残念ながら会員制ですので一般の方は入場出来ません・・・が、小生も運営に協力してまので、ご希望の方は小生枠が少数あります。ご予約下さい。こちらは¥7,000-フリードリンク&オードフル(25名限定)です。
ホーリー~ヒンドゥ橋の奇祭            

野嵜正興(のざき・まさおき)
1937年満州国ハイラル生まれ。早稲田大学大学院理工学研究応用物理学専攻課程修了(理学博士)。三井光学、三菱製紙で研究開発に携わる。98年から本格的に写真活動を開始。主な写真展に「技術に生きる町工場の職人達」「漆器の里」。
野嵜正興さんのインドの奇祭を撮った写真は今月抜群の迫力でした。口絵はまっ赤っかでしたが、ご本人よりその直前の状況も見せたいというリクエストがありました。モノクロでわかりにくいかも知れませんが、掲載しておきます。赤い粉が落ちてくる前は黄や緑など原色鮮やかな衣装を女性達は身にまとっています。
5月31日 遺影に招かれての葬儀参列? 作曲家・猪俣公章さんのお兄さんで、お付き合いの始まりはオールオブミークラブのカウンター。歌が上手く飄々としたムード?たまに並んで飲んでました。北里病院も自宅から近いので数回お見舞いに伺いましたが、親しくお付き合いした訳でもなく、荼毘に参席するなど思っても居ませんでした。息子さんは一度病院ですれ違いましたが、60名程の参席者に知人は一人も・・・我が業界?の人情、洒落っ気も今はないかと一瞬淋しく思いました。斎場で遺影を見て吃驚!小生が撮った写真なのです。そうです!写真が呼んだので~す。ご冥福を祈り合掌。
読者のホ-ム・ページ (105)   よっぱライフプランナー
4月28日夜11時頃、私の携帯が鳴った。兄からの電話だった。父親が病院に担ぎ込まれ、危ない状態だという。私の実家は大阪にある。兄と私は東京在住である。これから駆けつけたくとも無理である。実家の近くにいる親戚に連絡を取ってお願いし、明日朝一番で駆けつけようと、取り敢えず入浴していると電話が鳴った。再び兄からである。「今しがた亡くなった。」4月28日午前0時59分、享年80歳。81歳の誕生日を目前に控えていた。29日朝、実家に駆けつけると、微笑みを浮かべながら父親が横たわっていた。特に苦しむこともなく亡くなった様である。28日の午後から体調が悪くなり、胃の内容物を戻し、脱水症状を起こし、そこから急性腎不全になったようだ。透析生活になるという医者の話だったようであるが、最後には心肺停止となったらしい。体調が悪くなってから12時間も経たずに亡くなってしまった。前日には私と電話で普通に話していたのに。
父は年相応に身体にガタが来ていたものの、特に大きな疾患もなく、約6年前に母が脳内出血で倒れてからは、軽い後遺症と重い外反母趾に悩む母をずっと支えてきた。昔は「男子厨房に入らず」の典型のような人だったが、炊事・洗濯・掃除とほとんど全てこなし、自転車をとばして買い物に行っていた。亡くなる前日まで、そういう生活を送っていた。母から「この恩をあんたにどうやって返したらええんや?」と聞かれると、「わしに返さんでええ。誰か他の人に返したれ。それでええんや。」と、常々語っていたそうである。そういう人である。約8年前、私がライフプランナーになると決めた時、父は猛反対した。ずっと公務員だった人ですから、安定した大企業のサラリーマンを辞める等とは考えられなかったのでしょう。退職を取り下げてくれる様、前職の会社を訪問しようとした位ですから。只、ライフプランナーになった後は、いつも気に掛けてくれ、勇気づけてくれたものでした。いくら感謝しても足りません。合掌。
父は80年で人生の幕を下ろしたが、私がその歳になるまであと34年。ある人が、「時間の価値を知りたければ・・・」として、次の言葉を残している。「1年の価値を知りたければ、自由を失った囚人に聞きなさい。1ケ月の価値を知りたければ、赤ん坊を産んだばかりの母親に聞きなさい。1週間の価値を知りたければ、週刊誌の編集長に聞きなさい。1日の価値を知りたければ、夏休み最終日の小学生に聞きなさい。1時間の価値を知りたければ、死刑宣告を受けた死刑囚に聞きなさい。1分の価値を知りたければ、飛行機に乗り遅れた人に聞きなさい。1秒の価値を知りたければ、交通事故を免れた人に聞きなさい。0.1秒の価値を知りたければ、オリンピックの銀メダリストに聞きなさい。」父を見習って、あと34年を価値ある時間にしなければ。さて、1日1日を大切に、前向きに積極的に生きた父に尊敬と感謝を込めて、乾杯といきますか。今日はちょっと重い話になったので、前向きで明るくなる曲・・・曲名も今の気持ちそのまま?ホレス・シルバーが少年時代の家庭を想い出し、父に捧げて作曲し、大ヒットした「Song For My Father」で決まりです。これも価値ある時間と自分に言い聞かせつつ、乾杯!  
69回   エロールあさかわ
  尊い御仏の教えの中に「末法」という言葉があるが、現代の人間社会こそ其の「末法」の写し絵のように思える。特に現在の日本人社会は異状としか云いようがない。連日報じられる凶悪事件の多発は人々を既に慢性化させている。幼児投げ落とし殺人、児童連れ去り事件、身勝手な母親の子殺し、同居男性の首を切断した中年女、夫に灯油を掛けて焼き殺した妻、欲求不満殺人、保険金殺人等々。斯くも簡単に人を殺せるものかと茫然とするが、思考回路に異常を来した人間によって構成されているのが現代社会であると思えば納得がいく。思考回路に異状を発生させる要因は日本の敗戦と同時に急成長を遂げた合理主義思想にあると考えている。異論反論も出て来たが、この私の考え方にも一理あると認めてくれる人が文部科学省の中にいたことから、この考え方が必ずしも的はずれではなかったと自負している。それにしても多発する凶悪犯罪に対する防止策の無さにはウンザリする。つまるところ、司法、行政に携わる者自体の思考回路の異状を改善させなれれば兇悪犯罪防止案なと゜出て来る筈がない。殺人という凶悪犯罪を起こした者の内九十九・九%が「殺すつもりはなかった」と主張し、ヒューザーの小嶋社長も木村建設の社長も耐震偽装を知らなかったと言い張る。では、殺すつもりのない者が何故殺したのか。殺すつもりの有無を取り上げる前に殺したという事実を、もっと重視すべきである。凶悪であるほど罪が軽くなるような裁判は即刻中止すべきである。建築業務や建物販売に携わる専門家が耐震偽装を知らなかったなどと言い張るようでは業務遂行の資格などあってはならない。自分たちで偽装を仕組んでおいて、発覚したら知らぬ存ぜぬを通そうとする厚顔もさることながら、それを徹底的に追求できない司法も正に馬鹿集団としか云いようがない。結局の処、ヒューザーも木村建設も偽装を知らなかったために起こった詐欺容疑事件となり、罰金三百万円でチョン。殺すつもり無しの殺人事件は必ず精神鑑定に掛けられ、責任能力不在となれば、二、三年間の療養生活後に釈放される。本当に責任能力のない人間が二、三年間の療養生活で責任能力が出来ると考える者の精神鑑定こそ必要ではないか。責任能力のない人間は生涯、無責任な生き方をするとも考えられる。一度犯罪を犯した人間は再犯につながっているという事実を、どう考えるべきか。ザッツ、クエッション!。
ルパンの私書箱~from 田舎親父 (30)
   最近の私の一日を書こう。起床は七時。私の目覚ましは顔中を舐め回してくれる。それは次第に激しくなり起きるまで続く。ぐずぐずしていると鼻の頭を囓られる事になる。下着の裾で何度も仔犬を釣り上げながら山歩き用のパンツをはく。時には仔犬をぶら下げたまま中庭に出る。仔犬の朝の排便のためである。それから仔犬の食事。内容は幼犬用ドッグフードにキャベツ、人参の煮たもの、ボイルした卵、チキン、ヒーフ、チーズ等を混ぜたもの。ドッグフードの袋にはこれだけで良いと書いてあるのは当然で、商業的見地からであろう。私は、犬と個人的観点から、犬の個体差、嗜好性を考えて様々なオカズを与えて見る。嗜好はチキンからビーフへ、白身魚から赤身へ、卵に飽きてチーズへ等と次々に変化する。その変化は自然なものらしく肉体に必要なものを肉体が要求する様だ。犬は「貝原益軒」も「養生訓」も知らない筈だが、まるで知っているかの様に正確に必要栄養素を含むものを求める。必要なものを必要なときに必要な分だけ食べるようである。仔犬から幼犬、そして成犬になる迄、犬が欲しがるものを何でも与えてみる。それも十二分に与える。最初の内は過食して吐く。それを数回繰り返すうちに自分で適量を覚える。与える量も回数も、犬が選択決定できるよう、三回でも五回でもたっぷり与えて、犬に決めさせる。これは仔犬の内にやらねばならない。半年以上も飼育者の都合や間違った判断で育てられた犬は慢性の飢餓状態に陥っているので、「犬は食わせれば食わせるだけ、際限なく喰う」等と云うことになる。満足も充足も知らないと、人でもそうなるのではあるまいか。犬の命は犬のもので、私はそれを預かって居るだけである。預かっている以上は責任がある。飼い主の責任というもの。世間様に対する責任もあろうが、それは二の次にしている。世間様というものは私に責任を強く追及する割には、私に対しては大抵の場合極めて無責任である。公害等という言葉を発明して共同責任は無責任という事を実行なさる。私は、私や妻が台所で流す汚水を公害である等というほど厚かましくはない。しかし、こういうものが多勢の私の様な人間によって河をドロドロに汚染すると、何故か公害というものになり、行政の責任と言う事になる。私は公害とは多勢の身勝手な人々が生み出した害が「公」、即ち無関係な人々にまで及ぶものと解している。公害の責任は個々人にあると思っている。私は何の何某とは仲良くしたいが、国民の皆さんとか、大衆とか、一般の人々等となると、何故か卑怯者の集団と感じてしまう。若い頃に集団によって加えられた心の奥底まで達する様な深い傷がトラウマと化したせいであろうか等と考え、ことある事に苦笑し、反省している。私は今も昔も、一人の真の友は求めたかも知れぬが多勢の仲閒など必要とした事はない。良い年をして幼稚なロマンティストと笑ってくれても良いが、私は人と人との絆は鎖の一つの輪であると思っている。鎖の輪の数がどれほど多く、長さがどれほど長かろうと、一つ一つの輪の結合が脆ければ、そんなものには何の力もない。ごく小さな力によってさへ切れてしまう。「幸せなら手を繫ごう」という歌が流行したことがあった。私は「不幸せなら手を繫ごう」と心の中で絶叫していた。結果、私はそういうものの輪の一つになったのだ。       以下次号