2006.11
http:/www.ack-ack.jp nishikawa@ack-ack.jp /平18年11月号 2006 #19〜220  since1988
10月7日(土) JAZZ四季会 vol.5
早いもので当会も四季一巡!回を重ねるごとにヒートアップ、参加者も増える一方にて誠に前途洋々!ミュージシァンへの気配りも実に細やかで出演者にも大好評!幹事ご一同は早くも新年の例会に向けて盛り上がっているご様子で、公式ホームページも間もなく公開予定と云うこ無しで、今後の発展がますます楽しみで〜す。 JAZZ四季会万歳!
10月8日(日) マツモト音楽教室主催 第4回 オータムパーティー!
前日のJAZZ四季会が8時終了。12時間後、快晴で気持ち良き飛行日和にて長崎へ。午前11時スタートの会は4回目ともなるとソロ67名コーラス8組の計200名程のカラオケの生徒さんも何の乱れもなくオンステージ中!ベースのヤッちゃん(倉富 康氏)に声を掛けるも当方の茶髪の精?でかキョトン!マッちゃん(松本敏美氏)の「西川君だよ」でようやく・・・。出番は5時なので松本英彦4で訪れて以来の街へ。長崎くんちでごった返してると思いきや、通りはそれ程でもなく、ヨシッ、久方ぶりに本場のチャンポンをと思いつくも丁度昼食時。中華街まで脚を伸ばし30軒以上回るも人、人、人。結局ホテルに戻り和定食、ガックリ! 40年の時を経ての3人共演は正に感無量でした!思案橋の寿司やへ梯子後も昔話に華が咲き続きました。ネタが新鮮なので当然ながら、ゲソの塩焼きのまぁ〜美味だったこと! 笈田さんご免なさい。
読者のホ−ム・ページ (111)    Dancing Lawyer
 
 私の担当した刑事事件の痴漢無罪事件をモデルにした映画が周防正行監督によって完成しました。確定した題名は仮題と同じく「それでもボクはやってない」です。平成19年1月20日に公開されます。公式のホームページもできました。(www.soreboku.jp )ご覧になって下さい。上映時間は2時間24分にも及びます。私も関係者の試写会に行ってきましたが、刑事裁判のリアルな実態がよく描かれています。主演の加瀬亮の演技には感動しました。瀬戸朝香や役所広司等の出演俳優の皆さんも立派な演技でした。さて,話は変わりますが,北朝鮮の核実験の報道には衝撃を受けました。今後も何回か実験する可能性もあるようですが、狂気としか言いようがありません。北朝鮮が過去崩壊した旧共産国家と違うのは,国民に対する幼少の頃からの洗脳が凄まじいこと、食料もなく国民に現政権に対し反抗するエネルギーもないこと、海外の情報が過度に規制されていること等にあるのではないでしょうか?しかし、何が起こるか分かりません。既に北朝鮮は自暴自棄状態にあるという人もいます。だからと言って簡単に,日本も核武装すべしということも危険です。但し、この様な議論(核武装論の主張等)を封殺するのも可笑しいでしょう。色々な対策を皆が議論して対抗策を練るしかありません。国際関係の常識を無視した狂気の国を相手にするのですから、極めて困難な課題ですが、関係国とも協力しあって進めるしかないと思います。
今年もあと僅かで終わりです。一部では景気が回復したと言う人もいますが、一般庶民はそんな実感はないのでは?私は「格差社会」になっているとの意見に賛成します。相変わらず消費者破産の件数も増えています。 いつからこんな国になってしまったのか、結局はアメリカ合衆国の言いなりになってきた,この数年間の小泉政権(また その前の政権)の責任は重いと感じます。 日本人にとって特に戦後は、ある程度 「平等」という理念を大切にしてきた歴史があります。拝金主義的な発想がはびこると、真面目に生きている者が馬鹿を見る「ギャンブル社会」になってしまう事を恐れます。ギャンブルといえばギャンブラーのフランク・シナトラとマーロン・ブランド、当時人気絶頂だった女優ジーン・シモンズを加えたミュージカル映画「野郎どもと女たち」のハバナでのシーンで、ブランドにシモンズが歌いかける「イフ・アイ・ワー・ベル」が懐かしく思い出されますな。今宵は同映画のDVDを見ながら・・・酒はラム・コーク(キューバ・リバー)と行きたいところですが、甘いので、やはりバーボンにしておきましょう。
74 回   エロールあさかわ
  
代理妻、代理出産に関する問題が多発している。幸せを夢見て結婚した物の子供に恵まれない夫婦は大勢いる。その様な夫婦の内の六〇%近くは天命であるとして諦めている。或いは夫婦の内のどちらかに不妊の原因があるかを検査して貰い、原因有りと診断された方が治療を続けて結婚後十八年経って子宝に恵まれた夫婦もいる。この例などは祝福に値すると思うしね夫婦の喜びも一入だったことが想像できる不妊の原因の調査結果を見ると、夫に原因がある場合が二十%、妻に原因があると診断されたものが六十%、後の二十%は子宮筋腫や子宮癌が原因で最初から妊娠できない身体である場合である。代理妻や代理出産を利用してでも子供が欲しいと思うのは、この様な後の二十%の夫婦の場合が多い。ただし代理出産や代理妻を認可しているのは米国と韓国のみである。ヨーロッパ諸国では認可されてはいない。認可しない理由のひとつは前回の摂理に反するという宗教的なものがある。妊娠出来ない女性に子供を産むべきではないという自然界からの啓示であり、それを何としても子供が欲しいという願望で無理にでも子供を得ようとするならば、其れなりのリスクを覚悟しなければならない。代理出産や代理妻を利用して得た子供が虚弱体質であったり、心臓や腎臓に欠陥があったり、あるいは精神薄弱兒である場合もあるのだ。代理出産を依頼した夫婦が此の様な障害児が生まれても自分たちの子供として育てて行く覚悟があるか否か。勿論、代理出産を引き受けた女性の健康状態は事前に調査してあり、身上調査も行われての出産であるから、出産した女性に問題はない筈だが、依頼した夫婦は健康で五体満足な子供が欲しいわけであるから、欠陥時や障害児を受け取るつもりはないのだ。たとえ五体満足な子供を授かったとしても、依頼した夫婦が望むような子供に成長するという保障はないのである。考えたくはないことだが代理出産で得た子供が成長するにつれて非行に走ったら凶悪犯罪を引き起こす可能性もある。此の様な場合、代理出産を依頼した夫婦の殆どが代理出産した女性の責任として訴訟を起こすのだ。夫婦の子育てに問題があったことは棚上げして代理出産した女性の血を引いた精にしたがるものである。今回、マスコミを賑わした様に代理出産したのが結婚した娘の母親の場合はどうだろうか。果たして将来に問題が起こらないという保障があるのか。
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (35)
   狩猟では大胆な犬は先ず、真っ先に切られ死にする。そういう犬にも人間にもなりたくない。世間で云う一寸異なる社会で生きていると言われている者達との接触が多いと、、肝っ玉が大きいと、胆が据わっているとの違いは嫌でも分かってくる。胆が据わっているのは良いが、大きいだけなのは大変気の毒な事になる。そういうものを度々見て次第に臆病の度合いが強くなった。野生の世界は弱者優先ではない。どんな時でも強者が先である。この強弱とは同種間の事を云っている。雄は雌より大きく強く、全てに優先する。外敵と戦い、死ぬのも雄が先である。雌は雄より臆病で警戒心も強い。お陰で生き延びる。しかし、たまに見かけるガキ共や女共は実に大胆で恐怖心というものが欠如しているのではと思う時がある。私は歩行の際は常に車優先で車を先に通す。私も車を運転するから、車を運転する人間の技術や注意力、集中力、反射神経等が完全であるとは信じられない。アイルトン・セナでも死ぬ。車が通過した後で交差点を渡る。私は歩行者、老人、人間であるから、車に比べれば交通弱者である。私は交通弱者の権利をではなく、弱者の生命が大切であると思うから、車に対しては生命を守る事を優先させる。こちらは車の数も大都会ほど多くない。車と車の間も最前線の戦闘中に塹壕から決死の覚悟で跳び出せば間を抜けられそうな位は空いている。その上、歩行者、老人、子供、自転車など、即ち交通弱者優先というのである。子供や老人は手を上げたり上げなかったりして、どんどん車の間に入り込んで来る。自転車は魔法の様に車の直前に湧いてくる。道路では人の命は車を運転する者らが守ってくれると信じ込まなければ出来ない様な事である。私は、私の猟友達の猟技も射技もモラルも信じている。注意力も思いやりも信じている。だが、彼等が銃を手にしている時は猟野であろうと射撃場であろうと、銃の手入れの間であろうと、決して銃口の向いた方には立たない。事故は人の力の及ばぬ所で起こる。だから事故という。事故と犯罪の区別がつかない様な者も世の中には大勢いる。全てを悪意に基づくものと決めつけ、事故を起こした者を厳しく罰すれば事は解決すると思い込んでいる様な者達である。しかし、悪意とモラル、技能を超える災難は起こり得ない。事故の真の原因追及をするよりも関係者の誰かを捕まえて責任を追及し罰する方が、その場凌ぎには簡単であろう。だが、それでは本当の原因の究明には至らない。責任の追及も大切ではあろう。しかし、其れは責任のある者の能力が100%以上の場合である。帰任能力以上の責任は取り様がないではないか。責任の追及と同じ様に原因の究明も成されるのが当然であろう。この事は、現在の日本の隅々にまで浸透している思潮の特徴ではないかと日本の隅の隅に住むオヤジは感じるのである。私は生後ヶ 月の猟犬の様に何にでも鼻を突っ込み嗅ぎ回 らねばならない好奇心の強い性なので、新聞 記事にも鼻を突っ込み、政治の匂いも嗅ぐ程 度の事はする。私の様な者に政界、財界が無 関心なのは百も承知である。相手が此方に無関心だから、こちらも無関心で良いとはならない。嵐や洪水が地震が我々に無関心であるから、我々も其れを無視して良いと言う様なものである。対抗策などある筈もなく、あるのは逃げの一手だけ。逃げるにも相手を知る必要はある。仮令、逃げおおせられなくとも、逃げ惑う位はすべきであろう。逃げるのも生き様とする意志の一つではあるからだ。股旅ものの歌謡曲の歌詞「拗ねてなったか性分なのか」でもないが、常に周囲に容易に馴染めず、衝突、反発、反抗を繰り返し、拗ね者と云われて育った。素直になろう、性格を変え様と努力するも20才で自己嫌悪に陥り、ノイローゼ状態の2〜3年を経て25才で覚醒・・・??いつの間にか、かっての級友のなれの果てを露呈し掛かっている様なので、破って屑籠にでも放り込んで下され。次回は心して!