2006.10
http:/www.ack-ack.jp nishikawa@ack-ack.jp /平18年10月号 2006 #19〜219  since 1988
8月25日(金)  山田君上京7月1日に現在も長崎で精力的に活動する最初のバンマス松ちゃん・・・表紙にあるパーティーの一部で歌うカラオケ指導の生徒だけでもコーラスを含めてナント200名近く!!・・・の久方ぶりの再開に続き、小倉より後輩の山田君が上京。クールトレインに甥っ子さんと顔を見せてくれ、先ずは一杯!此方も現役として活躍していて嬉しい限りです!当夜の江草啓介さん(p)は小生が20才で上京し、郷土の先輩・飯田国雄さん(vib)をTBSに訪ねた時、同じく藤家虹二クインテットに在籍されてたのもあり、山田君が演奏するステージを見てると当時が懐かしく思い出されました。飯田先輩はお元気なのかなぁ〜?今度、江草さんに聞いてみよっと!福井君が消息を訪ねたピアニストが山田君と一緒に活動しており、携帯で直ぐ話せたのも吃驚でした!世の中狭い・・・悪いこと出来ない?


編集室雑感!
当誌出版の編集室も見渡すとだいぶ様変わりしました。消え去ったPC5(W3台/M2台)、モニター3、プリンター3等々、数知れず?既に4年を経過したDELLもメモリ、USB2&1394PCカード、HD(120G×2内+外250G+120G+80G)等、交換、増設。結果、電源部もやむなくパワーアップ。まぁ〜良く動いてます?来年のOSバージョンアップ時が買い換え時ですかね?最上段に並ぶ3台のA3ノビ・プリンターが見るからに異様ですな? 下は昔々の秘蔵ビデオ映像?のダビングを頼まれるも最終的にはトラッキング調整の困難さに音を上げ、渋々、DVD化に取り組む為、修理調整してバッチリ動いている4台重ねのビデオデッキ(BETA×2/VHS×2)群なのです。こちらの壁面を見るとまるで映像編集室?既に相当数の秘蔵ビデオをデジタル化しました!7G程度の映像も最終的にはCDにまで圧縮しちゃってま〜す。

読者のホ−ム・ページ (110)    よっぱライフプランナー
  相先日、「志高く生きる」~松下幸之助に学ぶ~という講演を聴く機会に恵まれた。講師は、上甲晃氏。氏の略歴を紹介すると、1965年松下電器産業に入社、1981年松下政経塾に転勤し、1995年10月まで同塾塾頭、常任理事・副塾頭を努める。1996年4月松下電器産業を退社後、(有)志ネットワーク社設立。「志の高い国づくり」は日本人一人ひとりが志の高い生き方をする事から始まるとの考えに立ち、1997年「青年塾」を創設、現在に至っている。氏は、「志」の三つの条件を挙げておられる。一に人生のテーマをもつ事。仕事のテーマは仕事を辞めたら終わってしまうので、それ以外のテーマをもつ事だと言われる。二に生きる原理・原則をもつ事。心の背骨をもち、生き様を残す事だと言われる。三に言行一致である事。又、講演の中で人生のヒントになる言葉を色々教えて下さった。例えば人は「条件が整ったら決断しよう」とよく考えるが、そうではなく、「決断が条件を整える」という。又、「金を使うな、心を使え。心は無限の経営資源である」という。例として、ザ・リッツ・カールトン・ホテルの話をしておられる。このホテルでは全従業員が「感謝のサービス」ではなく「感動のサービス」を心がけている。「そこまでやるか!」とお客様が感動するのである。私も以前、このホテルの日本支社長である高野登氏の著書「リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間」を読んで感動した事がある。上甲氏が高野氏から「Yesterday is history.Tomorrow is mystery. Today is present.」という言葉を教わったそうである。昨日はもう終わった事、明日はどうなるか判らない。今この瞬間は与えられたものなのだから、今日に全力を尽くそうという事であろう。又、上甲氏は「全ての滅びの原因は自分の中にあり」と言って、吉本興業の例を挙げておられる。年収100万円という芸人が沢山いるが、売れる様になっても壁になる年収があるというのである。それは1千万円。更にその上に行くのはごく限られ、大半はそこで終わるらしい。「小成功病」にかかるかららしい。態度が大きくなり、本業に身が入らなくなる。対して、周りの困っている人の為に惜 し気もなくお金を使い、番組が終わった 時も裏方の人に頭を下げる事ができる、 そういう人は大成功者になる様である。
   講演を聴き終わって、自分の人生の    テーマは何だろうかと考えてみた。又、    自分の生きる原理・原則は何だろう    か。しかし、すぐに明確に言葉が浮かんでこないものである。人生のテーマはJAZZとお酒。おっと、これは編集長のテーマでしたか?こういう難しい問題は明日に廻そう。Tomorrow is mystery.氏も言っておられた。今この瞬間に全力を尽くそうと。私の今この瞬間は、やはり一杯のバーボン。Tomorrow Afternoonって曲も入ってる事だし、編集長若き日の愛聴盤・・・今もかな?若き日のトニー・ウィリアムスのスリリングなドラミングが堪らない 「Life Time」でも聴きつつ、「志」について考えますか~
73 回   エロールあさかわ
  人間には持って生まれた「資質」と言うものがある。一般的には「癖」「習慣」と類似しており混同され易いが、両者には基本的な相違がある。「癖」「習慣」は生後の生活環境の中で発生するものであり、其の「癖」が悪いものであるという自覚があれば努力と訓練で解決することも可能である。だが「資質」というものはDNAの中に組み込まれて来るもので、言葉を変えれば、人間が背負って来る「業」「カルマ」に匹敵する。「盗癖」「万引き癖」「虚言癖」「痴漢癖」「暴行癖」「放火癖」「殺人癖」「虐待癖」など、「癖」にも多種多様ある。しかし、これらは「癖」と言うより「資質」と言うのが正しい。連続放火、連続殺人、連続暴行傷害などの凶悪犯罪の根底を探ると、人間が持って生まれた快楽快感追求という資質が表面化したものであることが判る。罪を犯して刑務所に入っても釈放された途端に同様な犯罪を再発してしまう。つまり、刑務所での教育や訓練では「資質矯正」が出来なかったことを示している。金銭に不自由でもない主婦の「万引き」や連続放火事件を起こして逮捕された「クマエリ嬢」。手鏡スカート覗きで逮捕された植草一秀教授は痴漢行為で再逮捕された。頭が良くてハンサムな植草教授であれば、この様なことをしなくてもモテモテの筈なのに残念である。つまり覗くことの快感、ものを盗むことへの快感、家に火を付けることへの快感、人を虐待する時の快感、人を殺す時の快感等々。人間は多種多様の「資質」を持って生まれて来るが、「資質」の善悪は別として一度表面化した「資質」は少々の教育や矯正で抑制することは出来ない。勿論、善なるものは其れを伸ばせばよいが、社会秩序を乱すような「犯罪的資質」を如何にすべきか。「資質」に基づく犯罪の矯正や抑制が不可能に近いとすれば「犯罪的資質」を表面化させないことである。「三つ児の魂、百まで」と云う諺があるが幼児教育、年少者教育の段階で徹底的な「犯罪的資質」の抑制教育を行うことである。私の幼年、少年時代には未成年者や年少者による凶悪犯罪は皆無に等しかった。小学校時代の恩師による「ビンタ教育」の賜物であると感謝している。他人に迷惑を掛けるような行為をしたら「痛い」ことになるという思いが、「資質」の中で核質化して「犯罪的資質」への抑止力として備わるからだ。子供たちの健全なる成長を考える時、「ビンタ教育」は必要である。
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (34)
   私鶏肉となると野生の雉子、ヤマドリ、鴨、バン、タシギ、キジバトなどの他は、そこらで飼われている卵肉兼用の古鶏やら闘鶏の軍鶏などである。中でも軍鶏は私の好みに合う。友人の兄貴分というのが何処か薄暗い様なところで軍鶏をけしかけて楽しんでいるらしい。闘いで瀕死の重傷を負ったり心理的ダメージ等で闘争心を失ったりで、軍鶏として役に立たなくなったものが、首をはねられ羽毛を抜かれて私の処にやってくる。それを物置に吊して充分に熟成させる。後は大鍋に丸ごと入れて煮るだけだ。一つは酒とザラメの砂糖をたっぷり振りかけて煮る。鶏からは水分が沢山出て来るから水など入れない。煮詰まりかけたところで唐辛子、シナモン、ローリエ、ニンニク等で香りを付け、ワインと醤油で味付けして出来上がり。赤褐色の照りの出た皮とふっくらとした肉を手でむしって喰う。出来上がるのに5時間と、少々時間が掛かるのが難点であるが、わが国には練炭というものが存在し、練炭火鉢というものもある。これは優れもので一度火を点じると同じ温度を保って12時間は燃え続ける。二酸化だろうと一酸化だろうと炭素化合物がドンドン出るので中庭に置いたままで永年使用している。犬用の鳥の丸煮、大鯉の輪切りを甘煮、スジ肉等を煮るのに重宝している。私が世をはかなんだ時にも室内に持ち込むだけで、その機能を発揮して便利である?私らの食い物というと何でも、先ず猟がたっぷりある、原型から余り遠くならない、味が複雑微妙にならないことが条件のようである。コガモ、ウズラ、キジバトの唐揚げを食うと云えば20羽づつ程、大皿の上に並ばねばならない。付け野菜もトマト、サラダ奈、ワサビ菜、セロリなどが丸の侭、(株)から剥ぎちー獲ったまま、籠に山盛りで八百屋・・・デパチカのベジタブル・コーナーではない・・・の店先のようになる。当然のことだが、何時もそういう物を食している訳ではない。何かを喰うぞと意図した場合の事である。大皿三枚に山積みにしたナマズのフライを五人で食するのは、美味であるとか、喰いたいとか、誰かが言い出し、では喰うか!となった時である。釣り、網、池を干す等、ナマズの捕獲作戦が細かく練られる。大鍋、ブロックや煉瓦が準備され、油、塩、ビールや酒が整えられる。その間、誰も余り食事はしない。体調、気分を整え、テンションを高めてナマズのフライに襲いかかるのである。我が田舎の男共はオオカミの様に痩せたボクサー・タイプの体つきが多い。寒気に晒され、暑さに干し上げられた様なのが多い。ものを喰うのもその様に喰う。酒を飲むのもそうだ。時々しか飲まないが飲むとなればぶっ倒れるまで・・・。釣りと猟の友で、その道では後輩である、Nというオッサンはウィスキーをビールジョッキで飲む。猟の打ち合わせの席でウィスキーのボトルを両手で囲い、俺のものだから俺一人で飲むといった様子で飲んで居る。この様子じゃ明日の猟は出て 来られないだろうと誰もが思って碌に話も掛けない。すると、オッサンが「私の待ち場は何処ですかいな?何処に入りや良いんですかな?」と言う。口の悪いのが、「そんなに飲んでて、明日は早いんだゼ。マチもイナカもあるかよ。猪は鼻が利くんだ。酒臭い息吐いてる者の処へ寄ってくるかよ」。酔っていても頭の中はアルコールの浸透しない体質らしい。或いは、私と同じ性なのかも知れない。私は臆病で、何事であれ熱中している最中に、その事に気がつくと途端に自動制御装置が働いて一瞬の内に覚醒する。ひどくしらけた気分となり、時には自己嫌悪に陥る。私はハンターで獲物の隙を狙う。獲物が何かに熱中して周囲の事象に鈍感になっているか満足し切っている時ネ、雌を追っている、雄同士が争っている、満腹して眠りこけている時などである。私は誰の獲物にもなりたくない。