2006.1
ack−ack’通信
12月11日 原 正夫デイナーショー!  足利市・蓮台館でのショーは予定を大幅に上回る大入り満員、大盛況!演奏も大受けにて、打上は実に気持ち良く酔いしれました。翌朝、原ちゃん、H氏、E氏のお迎えを得てメンバーと車3台に分乗。「名草巨石群」近くの蕎麦屋・・・釣り堀?まで遠出。まずは、備長炭で焼きも上々の虹鱒を肴に「生ビール」、「鰍酒」、「ドプロク?」を・・・。後の蕎麦が一段と美味でした。土産に買った地元産の生姜の酢漬けも大当たり。帰路、E氏のナビゲーションで、2度と到達不可能な地点にある?ログハウスの「カフェ・ブロッサム」へ。外観、室内、調度まで実にアンティーク!火の入った暖炉の前で珈琲タイムと洒落込みました。しかし、今年は、7月24日浮月楼での六本木ジャズ・クルージング・イン・静岡の栗田丈資静岡&原 正夫足利、両氏の飛躍振りを裏付ける素晴らしい成果に脱帽しました。小生に取りましても最高の喜びであり誇りとなりました。来年も共に頑張りやしょう!
前号三題噺〜続編  12月12日に開店しましたCoolTrain!お客様から演奏者まで雰囲気が良い、響きが良い、演奏し易いと大好評!素敵なスポットだと皆さんに気に入って頂いて嬉しい限りです。美人バーテン・内藤さんに加えて、イケメン・シェフ・田中さんも入りまして、いよいよ支配人・斎藤氏の腕の見せ処?分かってますよ・・ハイ。私の腕の聴かせ処?でもあります! 是非とも近いお運びを・・・お待ちしてま〜す。
12月17日      20日をもって閉店する夢ロマンへ、Iさん親子3人、山形からのSさんと総勢6名にて激励に参上。もっと早くお知らせを出せば良かったのにと冗談が出る程の入りで何よりでした。Mさん熱唱のモリタートを始め数曲でドラムを叩きつつ、20年程前、リクエストの多い曲を小生が聞き取りコピー。即、カラオケに合わせて実践レッスンした事などを思い出して感無量でした。後日、プロイセンにいらして、昔話に華を咲かせる楽しい時間も持てました。意気軒昂なのですから、今後も大いに期待してますよ〜、ムラさん!
12月15日&24日  ボス・笈田敏夫亡き後もトリオのみで継続してました第3木曜日
ライブ最終回の12月15日。最初にして最後となる共演ヴォーカリスト、石田一美がヨーコ・サイスクスの弟子でしたとは・・・?(ヨーコはボスの唯一の弟子)。孫弟子がラストを飾り、ボスもきっと喜んでいたのでは?All of Me Clubクロージング・セッション3夜も金城さんの口から「実は移転は嘘で〜す!」なんてジョークが飛び出るほどの賑わい振りでした。新しいお店も筋向かいにあるコンビニ、ファミリーマートの2階に決定。3月オープンに向けて着々と進行中です。先日、設計図も見せて貰いましたが、表通りに面してスペースも一回り広くなり、ゆったり出来るデザインなので、金城さんの持ち味を生かしたナイスなスポットが誕生することでしょう。大いに楽しみですね。
読者のホ−ム・ページ (101) Dancing Lawyer
     「詐欺」というのは,「俺々詐欺」・「振り込め詐欺」もそうですが,最も被害甚大なのは構造計算書に虚偽を記載した「欠陥マンションの売買」事件です。実は他にも同じ様な事件はいくらでもあると推測されます。いわゆる「手抜き工事」は施工業者の常套手段だからです。いくらデザイン設計や構造計算等の構造設計がしっかりしていても,「施工」の段階で何らかの手抜きが行われているのが大半です。新幹線でも,JR西日本の一部では高架橋等のコンクリートの劣化が進んでいて,いつ又,コンクリートの塊が落下して重大事故になるかも知れません。1999年に発刊された「コンクリートが危ない」(小林一輔著・岩波新書)にも既に指摘されていました。簡単に言えば東京オリンピック以降のコンクリート建築物は塩を多く含んだ砂などが使用されていて,材質的に劣悪な物が使用され,コンクリートの劣化が激しく進んでいるのです。しかも,これらの施工に関しては新幹線だけでなく,プロの施工業者であれば、マンションであっても、一戸建てであっても,殆ど「手抜き」か否かは分かるそうです。
従って,今回の姉歯建築士の行ったことが異常であるのは通常の建築士や施工業者でも,普通であれば分かることであります。それ故,私が「詐欺」だと言う次第であります。この事件が今後、どう進展するかは目下不明ですが,マンションを人生一度切りの買い物として、必死の思いで購入されたユーザーの気持ちに立って取り組むべきでしょう。他人事ではないのです。明日は我が身です。従って急務なのは施工の途上で,建築士とか第三者機関が何回も施工状況をチエックすることが大切なのです。その様なことが実施されると「手抜き工事」はなされないからです。みんなで考えましょう。こういうことは今でも出来るのです。建築士がしっかりと「監理」作業を行えば良いんです。しかし,実態は困難ですね。建築士も多忙だからです。
  今年は良い年になって欲しいものです。ドイツでワールドカップもありますからね。 少しずつ景気も回復して来た様です。下々の人間には実感がありませんが,今年こそは実感を持ちたいものです。
 さて、詐欺といえば、詐欺は詐欺でも、カモがカモをカモにする?最上質のスリルとエンターテインメントに溢れた名画「スティング」を想い出しますなぁ〜!全編バックに流れるラグタイム・ピアノとガンサー・シュラーによるオーケストレーション・ラグが素晴らしかったこと!勿論、今宵のバーボンの友はタイトル・バックを飾り、空前のリバイバル・ヒットともなった、スコット・ジョプリンの名曲「エンタティナー」で決まりですな!モンティー・アレキサンダーのもありますが、サントラ盤にしましょう。
66回   エロールあさかわ
「ここが変だよ日本人」という本がある。著者は外国人ジャーナリストで永年に渡って日本で生活している。内容は几帳面な日本人を斜めから見たものであるが、マニュアルソフトが組み込まれてロボット化した日本人を皮肉ったものでもある。人も車の往来も疎らになった夜更けの赤信号で立ちつくす日本人。赤の信号は止まれ!であり、青は進め!である。几帳面な日本人は忠実にこの決まりを守っているのだが、信号機が如何なる理由で造られたかについては深く考えていないようだ。この様子などは微笑ましくて良いと思うが、司法や行政に携わる人間のロボット化は困ったものである。最近の話題のひとつに「ゴミ屋敷」がある。永年の間に溜め込んだゴミの中には腐敗する生ゴミや蚊やハエ、ゴキブリの温床となるものも多い。周辺の住民の訴えで保健所の職員が何度となく注意をしても、屋敷の主人は私有財産であると主張して一向に処分しようとしない。行政側からすれば個人の財産保護条例があるので強制撤去は出来ないという。ならば周辺の住民の精神面や健康面の保持権利は唸るのか。保健所と警察とが永い時間を掛け、あるいは協調と対話路線に従って、お願い申し上げ続けてきた結果、どうにか主人の承諾を得るに到った。その間の十数年間は周辺の住民たちに取って地獄の苦しみであった。民主主義思想の根幹を成す個人の人権や尊厳、財産の保護は大切なことに違いないが、臨機応変が生かされてこそ、人間社会は円滑に稼働するものであることを忘れてはいけない。先頃、大阪で若い姉妹の刺殺事件があった。十八才の未成年男子が犯人として緊急逮捕された。調べていく内に実母も殺害していたことが判明した。しかし精神鑑定の結果、刑事責任が問えないと云うことで少年院付属の精神病院で治療を受けることになった。三年間の治療を終えて現在は既に社会復帰している。このケースなどは何う考えても納得がいかない。殺された姉妹の人権はどうなるのか。実母を殺したことが精神鑑定の決め手となったらしいが、現代社会で頻発する未成年者による凶悪事件や猟奇事件に関しては大部分が精神鑑定の対象となり、精神治療が施された後に短期間で釈放されてしまう。この様な現象はマニュアル化した現在の司法制度と、ロボット化した裁判官のあり方に問題がある。未成年者、成人にかかわらず犯罪に応じた刑罰があってしかるべし。
 
 「ジャズ蔵出し直前の一世紀前」 新 折人 #58
 皆様明けましておめでとうございます。 今年は暦によれば「丙戌(ひのえいぬ)」の年に あたるが、昨年のように不幸な天災や事件が続発しない、平穏な年であるよう祈りたい。 「戌(いぬ)年」といえば、ポップスの世界で犬を歌った "Doggie in the Window"(ワンワン・ワルツ)を懐かしく思い出す。〈How much is that doggie in the window? arf! arf!・・〉と歌うこの曲は、パティ・ページが1953年に大ヒットさせた。パティ・ページは本名をクララ・アン・ファウラーというが、若い頃、タルサ放送局の「ページ牛乳」提供の番組で、パティという歌手の代役をやり、その時スタッフの一人が、間違えてつい彼女を「パティ!」と呼んだので、スポンサーの名前とつなげてこのステージ・ネームにしたという。彼女はバンド歌手として出発し、本来ジャージーな歌を唄う歌手だったが、1950年多重録音による "Tennessee Waltz"(1948)を大ヒットさせ、以降、1952年には "I went to your wedding"[涙のワルツ](1953)、1954年には"Changing Partners"[君慕うワルツ](1953)などを次々に放ち「ワルツの女王」と言われた。そうした一連の歌の一つがこの「ワンワン・ワルツ」であった。
ところで、不思議なことに年の始めの1月(January)を歌ったジャズ・ポップスは殆ど見当たらない。アメリカ人はクリスマスで浮かれ過ぎて、1月の曲など書く暇が無かったのだと思わざるを得ない。タイトルに "January" を入れた曲で私が知っているのは、かろうじて"June In January"という曲ぐらいだ。1934年のパラマウント映画 "Here Is My Heart"(邦題「我が胸は高鳴る」)の主題歌で、主演のビング・クロスビーが歌い、また同年契約したばかりの「デッカ」でレコーディングしてヒットさせた。「一月の六月」とは奇妙な題だが、大意「夜は寒く木々は凍えている一月も、恋をしている僕にとってはバラの花の香りを感じる六月のようだ・・」という、まことにノー天気?な歌である。
古くアメリカが独立戦争(1775〜1783)でイギリスに勝利した後、暫くたってアメリカとイギリスは再び衝突した。いわゆる「米英戦争」(1812〜1814)である。この戦争が正式に終結した直後、ジャズの聖地「ニューオーリンズ」で小競り合いが起こった。即ちジャマイカの基地を出発した英軍の将軍エドワード・パケナム卿が、英兵約8,000人を率いてニュオーリンズ上陸作戦を敢行。これに対して米軍のアンドリュー・ジャクソン将軍[後に弟七代米国大統領]は、開拓者の鉄砲打ち、素人同然の騎兵隊員5,000人を率い、二時間もかからずして英軍を圧倒、アメリカに勝利を導いた。その日は1815年1月8日であった。これを記念して 文字通り "The Eighth of January"(1月8日)という古いフォーク・ソングが出来た。タイトルに "January"が入ったこの曲は、今ではすっかり忘れ去られているが、後世名カントリー歌手のジョニー・ホートンが、この歌を元歌にして焼き直した "TheBattleofNewOrleans" (ニューオーリンズの戦い)を歌い、1955年に大ヒットさせている。
数少ない一月の歌のことはともかくとして、今年こそ争いのない真に平和な世界になることを祈って、皆で "The world is waiting for sunrise"[世界は日の出を待っている](1919)でも口ずさもうではありませんか。
2007年1月21日。「ローズルーム新年会」として、過去19回を重ねたローズルームで取り上げた曲、約500曲の中から選りすぐった名曲をお送りする予定です。場所未定。金城さんが探しています。
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (26)
   こういった完全管理の植物エステから出て来るものだから、苗も親株も花も実も、乙姫様のように美しく、そして弱々しい。近頃、ガーデニングに目覚め、一戸建ての家を建てたばかりの奥様達は、こういう苗や鉢花をせっせと買い漁り、玄関やらベランダ、花壇などに並び立てる。しかし、美しいのは、まぁ〜,一週間であろう。早いものは、既に園芸店で瀕死の状態なのである。よって、私は少しでも強く逞しく生きて欲しいとの気持ちから、多少辛い思いをさせてでも別の育て方を選ぶ。我が家の厳しい環境でも芽吹く、強く逞しく、けなげな苗を望むのである。だが、元々、種子自体が姫様育ちなのである。そこらの畑の野菜の種子と同じ扱いでは、一粒でも芽吹くことはない。それなりの細心の注意が要求される。温度、湿度、日照、水やりなど、犬や猫、小鳥や魚などを飼うより遙かに細心の扱いが必要である。種子や萌え出たばかりの二葉に対しては、実際に荒い呼吸も控えなくてはならない。先述のポピー、ピエロの出たばかりの芽の茎は実際、髪の毛の二倍ほどの太さしかなく、私の鼻の穴から出る押し殺した息でさえも、辛そうにそよいで見せるのである。クシャミや咳などはもってのほか、猫のクシャミによってさえ、縮れた糸のように、くたっと倒れてしまう。従って、殆ど無風状態に保たねばならない。かといって、全くの無風でもいけない。時々は煙草の煙が流れる程度の空気の流れはなくてはならない。でないと、蒸れるというのである。蒸れる! 私など酷暑の真夏に窓も碌に開かないような狭い六畳一間で家族五人が暮らしたことがある。そこでは誰もが蒸れただろう。そうに違いない。だが、私は蒸れて死ぬ事だけはなかろうと自信を持っていられる。では、水やりはどうするか?これはスポイトか霧吹きで行わねばならない。種類によっては葉に水がかかってはならず、また別の種類では葉を洗浄してやらねばならない。人間の子育てが大変だ。亭主が手伝わないのなら育児ノイローゼになってやるなどと言い立てている若い母親などには到底出来ない育苗と言うものである。私はここ数ヶ月間、これを行ってきた。まるきり忍耐力強化訓練のようなものである。植物の良いところは静かであることである。だが、この寡黙、この静謐も育てるとなると、なかなか厄介なのである。腹が減ったと言いもせず、水が飲みたいとも言わない。痛いとも痒いとも暑いとも寒いとも言わない。呟きすらしない。ひたすら寡黙、静謐を守る。その癖、やはり腹も減り、喉も渇き、傷みも痒みもあるらしいのだ。それをいち早く感じ取り、対処してやらないと、ほんの数時間、数分で病気になったり、死んで見せたりするのである。泣きも喚きもせず、悲鳴もすすり泣きも、吐息さへ漏らすことなく、死んでしまう。植物もなかなか繊細に生きているようである。植物も語ることが少しばかり解り掛けてきた様な気がする。彼等は音を用いないだけだ。色や姿態や僅かな輝きや翳り語るのだ。          以下次号