2005.9
http://www.ack-ack.jp   nishikawa@ack-ack.jp  平成17年9月号  2005#18-9  since1988 
 8月27日(土) 破茶目茶ジャムセッション vol.21! リラキシン開店11周年記念〜千秋楽恒例のジャムセッションも回を重ねる事、21回!まったく光陰矢の如しですね。残念ながら今迄で一番参加者が少なかったのですが・・・ドラマーだけは5人も?、その分、親密度深まる楽しいジャムとなりました。山形のSさんの8月2度目のご上京に感激。大久方ぶりで良いビートを聴かせてくれたO君、打楽器の至芸も披露されたU先生、紅一点・Hさん・・・モウ一点?いらしたのですが残念ながら写真が・・・。小倉からの後輩・Y君、司会兼務・T君、山ちゃんらは深夜のオールオブミークラブへも帯同して、2部に突入?終了後は居酒屋にて打上げ?解散はあらかた6時頃と相成りました!皆さんタフですね。しかし、考えまするにジャムセッションだらけ・・・小生だけでも毎月6回ほど?、の昨今、集客には相当なる努力をしないと、今後は厳しいなと考えさせられます。一方の純粋なリスナーの皆さんの声にも応えられるステージ構成を工夫しないと・・・、こりゃあ〜大変な問題だ。寝ずに塾考しなくては・・・??皆様、お疲れ様でした。 感謝!
8月28日(日) サマージャズ  日比谷公会堂    実に何十年ぶりかの会場でしたので、目前に立ちはだかる3F迄の階段を忘れてましたねぇ〜・・・楽器を人力で運び上げる?!力持ちのボーヤがついてますので、ギックリ腰にはならずに済みました。大勢の諸先輩とお会いできた楽しい機会でありますが、亡くなられた諸先輩を思い出す、淋しい時間でもありました。勿論、満杯の会場、スリグレとのステージは最高に楽しかったですよ。今月29日は是非、ご確認にいらして下さい!?
読者のホ−ム・ページ (97) Dancing Lawyer
 
 今夏も連日の猛暑続きで嫌になりますね。衆議院選挙の真っ最中です。
小泉首相の強引なる解散によって、今回の選挙戦のテーマは「郵政民営化、是か、非か!」であるそうです。しかし、このテーマに対する国民の関心は非常に低いものです。そして、何が問題かもよく分かりません。マスコミの報道も全く不十分です。
 私は、今、郵政を民営化する必要は無いと思います。それよりも先にやらなければいけないことが山積しているからです。民営化を実施するにしても、あわてて行うことではありません。国のインフラにかかわる重要な問題ですから、西欧諸国でも試行錯誤の繰り返しであり、改正してから、また元に戻すといった状態なのです。アメリカなど、まだ、郵便事業は国家事業です。もちろん、特殊法人の改革・リストラ・天下りの禁止などの改革は必要ですし、特定郵便局制度の見直しも必要です。
 私が、一番恐れることは、300兆円以上もの郵便貯金等の資産が、もし金融市場に流れ出たら、インフレ・バブル・国債の暴落等が発生し、これらの資金(国民が汗水垂らして貯蓄したお金)をアメリカを中心とする「ハゲタカファンド」に、いい様に利用され、彼らを潤すだけになるのではないか?ということです。アメリカが過去からずっと、郵政民営化を日本に要求してきたことも、ここに狙いがあるのです。
 結局、アメリカは日本を極東の軍事拠点にし、軍事・経済の両面で、日本を隷属化させる戦略を、戦後一貫して取っているのです。私は、決して、アメリカと敵対せよと言っているのではありません。そろそろ、日本もアメリカと対等に近い立場で国家戦略を立てるべしと思っているだけです。さあ、選挙です。どのような結果になっても、戦後日本の大きな岐路になりましょう。そうそう、先日、バーボンをグラスに満たしつつ何気なくTVを眺めてましたら、「手紙やハガキなどは、あっという間になくなりますよ!」と息巻いてる元、郵政官僚?が居ましたね〜。賛成、反対は兎も角、確かにそうかも知れませんが、一抹の寂しさも感じますな。何年後かには笈田敏夫さんも良く唄っていらした、一番曲名が長いのでも有名な?スタンダードの名曲「手紙でも書こう(I'm Gonna Sit Right Down And Wright Myself A Letter)」・・・自分で自分宛の手紙を書いて、彼氏から来た手紙と思おうといった可愛い内容の詞・・・を聞いた若者に、「手紙って何?」などと問われる時代が来るのでしょうかね。
 63 回   エロールあさかわ
 文部科学省の肝いりで「ゆとり教育」が実施されて10年を経た今日。日本の小、中学生の学力低下が進み、世界の平均レベルを著しく下回ったとの報道があった。そのため、学校によっては夏休みを短縮して受験に備える所も出て来た。この事実に憂慮した文部科学省では、「ゆとり教育」の見直しを検討中ということである。だが私的には継続すべきであると考える。ただし「ゆとり教育」に対する解釈が問題である。文部科学省が「ゆとり教育」の実施に踏み切った理由の一つには戦後の合理主義社会適応型人間育成のために始められた「詰め込み式教育」が、大脳の成長期にある小、中学生にストレスを蓄積させ、ひいては飛行や凶悪犯罪を引き起こす要因になっていると考えたからである。確かにその問題もある。しかし学校での勉強時間を減らすことが「ゆとり教育」になっているとは考えられない。学校での勉強時間が短縮されたとしても進学を目標とする子供達は塾通いや家庭教師について勉強する時間が増える結果となる。私が考える「ゆとり教育」とは、勉強で酷使した大脳にゆとりを与え、左右両脳のバランスを取らせることである。つまり勉強を長時間続けると論理思考受諾を司る左脳に多大の疲労が生じ、疲労の放置はストレスの蓄積へと進行する。この左脳の疲労を癒し、極度のストレスから解放する教育こそ真の「ゆとり教育」である。左右両脳のバランスが保たれる子供は決して非行に走ったり、思考回路に異常をきたすことはない。もう一つ。子供達が非行に走ったり、凶悪犯罪を引き起こす要因と考えられるのは過保護と甘やかしである。我々の子供時代には未成年者や年少者の凶悪な犯罪など皆無といって良かった。「愛の鞭」という体罰があったからだ。もちろん「愛の鞭」を与える教師にも両親にも子供の将来を思う愛情があり、ビンタやゲンコツを喰わされる子供の側にも「悪いことをした。」という自覚があり、「愛の鞭」を受諾する覚悟があった。現在のアメリカやヨーロッパの一流校、名門校では体罰は校紀として厳然と生きている。人間の子供達も肉体的、精神的な成長期にある時はペットの躾と同様に「愛の鞭」を振る側の人格形成が最も重要である。人権尊重や未成年者保護を唱える前に人としての尊厳を得る資格を育てることが肝要である。
ジャズ型経営の勧め 折人 #55       (2001/2〜) 
 
この夏、我が国の政治・経済・社会の混乱を見て、つくづく考えた・・・といっても、改めて「ジャズ」に思いをいたしたのである。「ジャズ」が音楽のジャンルとして成立したのは、二十世紀初頭のことである。この音楽は僅か一世紀足らずという短期間で、世界の隅々まで行き渡るほど国際化した。その点では真に希有な芸術文化である。ジャズは、その決して長くはない歴史の中で、単にアメリカに止まる事なく、絶えず世界各国に流出し、あらゆる場所でしたたかに根をおろして定着した。今、世界中何処に行ってもジャズは人々に愛され、その生活にとけ込んでいる。誕生から一世紀を経ずして、この様に完全に国際化し、評価された芸術文化はジャズを置いて他にない。ジャズの音楽性とか芸術性といった高邁な議論はさておき、急速かつ完全な国際化に至った要因は何であったのだろうか。それは、第一にジャズにおける伝統にとらわれない、形式・スタイルの柔軟性、第二に世界に通用する個性豊かなミュージシャンの登場、第三に他文化に対する許容性、第四に普及のためのマスメディアを始めとする先端技術の積極的活用、第五に演奏における個性の尊重、第六に聴衆との一体感の形成・・等を挙げる事が出来よう。現在の日本は国際化の波の中で、規制緩和、構造改革に右往左往している。外交面でも手詰まり状態だ。信じられないような凶悪犯罪も後をたたない。突飛で大胆な意見かもしれぬが、日本の将来の行き方について考える時、ジャズが国際化した要因を参考にする事は、それなりの役にたつ様に思われる。
このことは、事業の経営のあり方についても同様である。私は、かねて経営において「クラシック型」から「ジャズ型」への転換を主張してきた。ここで両者の芸術的な比較と言った不毛な議論をするつもりはない。但し比較の一旦を見てみたい。第一に演奏形式において、クラシックはあくまでも譜面に書かれた作曲者の意図を忠実に再現することを主眼とする。我が国を代表する世界的指揮者の某氏は、その著書の中でメンデンベルグが「田園」のスコアーに自分の解釈で軽微な変更を加えて演奏したことを指して、「クラシックの演奏は絶対に作曲者の意図に忠実でなければならず、これは作曲者への冒涜だ。」と述べている程である。これに対してジャズは全く異なる行き方をする。楽譜はおおまかな道標に過ぎない。演奏者の各人はリーダーの基本的なコンセプトだけを受けて、後は自分の個性を生かしてメロディやアクセントを変えて自由闊達に「インプロヴィゼーション」(即興)で演奏する。にもかかわらず、仲間同士の協調精神ゆえに、全体の演奏は物の見事に調和する。第二に、クラシックでは、観客は演奏をかしこまって聞かせて戴かなければならない。曲の合間に拍手するなどは言語道断。その代り終ったら、例え下手な演奏でも盛大に拍手せねばならない。これに対して、ジャズは観客との一体感で演奏を成立させる。大規模なコンサートを除けば、多くの場合、観客は好みに応じて演奏曲目でさえリクエスト出来、演奏が下手なら構わずブーイングしてもよい。興に乗れば踊り出しても一向に構わない。今、我が国のあらゆる事業は「クラシック型」から「ジャズ型」への転換を迫られている。従来のように経営者と言う指揮者のタクトに合わせて一糸乱れず働き、顧客に一方的に製品やサービスを供給するのではなく、社員の個性と自由な発想を尊重し、真に顧客の求めるものを創造し,提供せねばならない。
 ack-ack'誌の愛読者の方々には、なんらかの事業に携わっておられる方も多い。是非ジャズのように従業員の発想と顧客の要望を大切にし、万人から愛され、発展する経営を目指して頂きたいと願っている。
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (22)
 ここらの女子供は身は奴隷にやつしても魂までは売るものか・・・等とは考えていなかっただろうけれども、兎に角、女共はたちまち、男共の独り言の意味を理解する。今晩やるべき事は、大きな広口瓶、壺、甕などをきれいに洗い、熱湯で拭き上げる。砂糖・・・白砂糖、氷砂糖をありったけ準備する。それが、即刻やる事、やるべき事である。翌日、女共は子供から老婆まで、花籠を抱いて山径を辿り、藪の中に腕や顔を突っ込み、草イチゴを摘んで戻る。藪にはブヨやダニが居る。ブヨは刺した瞬間に痛みを与え、強烈な痒みを残す。刺された所はプッツリと粟粒ほどの血がふくれて出て来る。痛みは激しく暫く続き、大きく晴れ上がり固いシコリとなる。顔などを数ケ所も刺されると形相が変わる。腫れも痛みも半月程は続く。ダニ、真ダニは更に厄介だ。格好は蜘蛛を極限まで平たくした様なもので、大きさは罌粟粒から大豆くらいが普通である。大きなものだと山芋の実(ムカゴ)程のものもいる。そして、こいつらは、花粉の一粒ほどの小さな奴でも立派なダニ根性を供えたシッカリ者ばかりである。普段は木の葉、羊歯の葉、草の葉の裏などに隠れ、日がな一日、夜も昼も、数日間、数週間、数ヶ月も、温かい血を持つ動物がやって来るのをじっと待ち続けている。いつ来るやも知れぬ相手を、ひたすら待つ。待った侭、一生を終えるのも沢山いるだろう。動物に取り付く迄は空腹の極みにあるだろう。それこそ、腹の皮と背中の皮がくっつく程であろう。その身体は薄紙の様であり、色も淡く、肌の色と大差ない。喰らいついても、直ちに痒みを与える訳ではない。少しばかり血を吸った位では、いつの間にか色の薄いホクロかシミが浮いた様にしか見えない。その上、ピッタリ密着し、喰らいついているので、多少強く擦った位では剥がれない。ダニに喰らい付かれた者は、人でも動物でも暫くは、それと気がつかない。ダニは数日間もしがみつき、ゆっくり、たっぷりと血を吸って成長する。一回り大きくなり、プックリと太り、満腹する。そこで、やっと熟し切った果実が落ちる様に自ら落ちる。人についたものは大体、黒ゴマより一回り大きくなった処で落ちるが、犬などになると小豆から大豆の大きさまで生長する。猪や兎、狸、狐などは、それ以上の大きさのものが、首筋から背にかけ、灰色の皮の下に赤黒い血の塊が透けて見える大小のダニが、ゴマと小豆、大豆を混ぜて振りかけた様についている。殊に猪はひどい。猪は人の身の丈ほどの羊歯が密生する山腹のタルミを寝屋にする。ダニも羊歯か大好きである。猪は羊歯を噛み切り、山の様に積み上げ、その中に潜り込んで寝て、ダニにたっぷり貢血する事になる。山中ばかりでなく都会にも、そういう手合いが居ると話に聞いたことがあるが?草イチゴを沢山摘んで、戻った女達は、その後暫くの間は、男共の目の届かぬ処を好む様になる。話をしている途中、仕事の最中、食事中でさえも、突然、顔色を変え、さっと立ち上がるや、姿を消してしまうといった事が起こり始める。笑っている最中、泣いている最中でも、笑いや泣き声がヒタッと止んだかと思うと、突然何か耐え難い様な、思い詰めた様な、悩ましげな目をしたかと思うと、さっと姿をくらますという現象が、女達の間に見られる様になる。