2005.9 | ||
---|---|---|
![]() |
||
http://www.ack-ack.jp nishikawa@ack-ack.jp 平成17年9月号 2005#18-9 since1988 | ||
8月27日(土) 破茶目茶ジャムセッション vol.21! リラキシン開店11周年記念〜千秋楽恒例のジャムセッションも回を重ねる事、21回!まったく光陰矢の如しですね。残念ながら今迄で一番参加者が少なかったのですが・・・ドラマーだけは5人も?、その分、親密度深まる楽しいジャムとなりました。山形のSさんの8月2度目のご上京に感激。大久方ぶりで良いビートを聴かせてくれたO君、打楽器の至芸も披露されたU先生、紅一点・Hさん・・・モウ一点?いらしたのですが残念ながら写真が・・・。小倉からの後輩・Y君、司会兼務・T君、山ちゃんらは深夜のオールオブミークラブへも帯同して、2部に突入?終了後は居酒屋にて打上げ?解散はあらかた6時頃と相成りました!皆さんタフですね。しかし、考えまするにジャムセッションだらけ・・・小生だけでも毎月6回ほど?、の昨今、集客には相当なる努力をしないと、今後は厳しいな![]() |
||
![]() |
||
読者のホ−ム・ページ (97) Dancing Lawyer![]() 小泉首相の強引なる解散によって、今回の選挙戦のテーマは「郵政民営化、是か、非か!」であるそうです。しかし、このテーマに対する国民の関心は非常に低いものです。そして、何が問題かもよく分かりません。マスコミの報道も全く不十分です。 私は、今、郵政を民営化する必要は無いと思います。それよりも先にやらなければいけないことが山積しているからです。民営化を実施するにしても、あわてて行うことではありません。国のインフラにかかわる重要な問題ですから、西欧諸国でも試行錯誤の繰り返しであり、改正してから、また元に戻すといった状態なのです。アメリカなど、まだ、郵便事業は国家事業です。もちろん、特殊法人の改革・リストラ・天下りの禁止などの改革は必要ですし、特定郵便局制度の見直しも必要です。 私が、一番恐れることは、300兆円以上もの郵便貯金等の資産が、もし金融市場に流れ出たら、インフレ・バブル・国債の暴落等が発生し、これらの資金(国民が汗水垂らして貯蓄したお金)をアメリカを中心とする「ハゲタカファンド」に、いい様に利用され、彼らを潤すだけになるのではないか?ということです。アメリカが過去からずっと、郵政民営化を日本に要求してきたことも、ここに狙いがあるのです。 結局、アメリカは日本を極東の軍事拠点にし、軍事・経済の両面で、日本を隷属化させる戦略を、戦後一貫して取っているのです。私は、決して、アメリカと敵対せよと言っているのではありません。そろそろ、日本もアメリカと対等に近い立場で国家戦略を立てるべしと思っているだけです。さあ、選挙です。どのような結果になっても、戦後日本の大きな岐路になりましょう。そうそう、先日、バーボンをグラスに満たしつつ何気なくTVを眺めてましたら、「手紙やハガキなどは、あっという間になくなりますよ!」と息巻いてる元、郵政官僚?が居ましたね〜。賛成、反対は兎も角、確かにそうかも知れませんが、一抹の寂しさも感じますな。何年後かには笈田敏夫さんも良く唄っていらした、一番曲名が長いのでも有名な?スタンダードの名曲「手紙でも書こう(I'm Gonna Sit Right Down And Wright Myself A Letter)」・・・自分で自分宛の手紙を書いて、彼氏から来た手紙と思おうといった可愛い内容の詞・・・を聞いた若者に、「手紙って何?」などと問われる時代が来るのでしょうかね。 |
||
やぶにらみ 第 63 回 エロールあさかわ 文部科学省の肝いりで「ゆとり教育」が実施されて10年を経た今日。日本の小、中学生の学力低下が進み、世界の平均レベルを著しく下回ったとの報道があった。そのため、学校によっては夏休みを短縮して受験に備える所も出て来た。この事実に憂慮した文部科学省では、「ゆとり教育」の見直しを検討中ということである。だが私的には継続すべきであると考える。ただし「ゆとり教育」に対する解釈が問題である。文部科学省が「ゆとり教育」の実施に踏み切った理由の一つには戦後の合理主義社会適応型人間育成のために始められた「詰め込み式教育」が、大脳の成長期にある小、中学生にストレスを蓄積させ、ひいては飛行や凶悪犯罪を引き起こす要因になっていると考えたからである。確かにその問題もある。しかし学校での勉強時間を減らすことが「ゆとり教育」になっているとは考えられない。学校での勉強時間が短縮されたとしても進学を目標とする子供達は塾通いや家庭教師について勉強する時間が増える結果となる。私が考える「ゆとり教育」とは、勉強で酷使した大脳にゆとりを与え、左右両脳のバランスを取らせることである。つまり勉強を長時間続けると論理思考受諾を司る左脳に多大の疲労が生じ、疲労の放置はストレスの蓄積へと進行する。この左脳の疲労を癒し、極度のストレスから解放する教育こそ真の「ゆとり教育」である。左右両脳のバランスが保たれる子供は決して非行に走ったり、思考回路に異常をきたすことはない。もう一つ。子供達が非行に走ったり、凶悪犯罪を引き起こす要因と考えられるのは過保護と甘やかしである。我々の子供時代には未成年者や年少者の凶悪な犯罪など皆無といって良かった。「愛の鞭」という体罰があったからだ。もちろん「愛の鞭」を与える教師にも両親にも子供の将来を思う愛情があり、ビンタやゲンコツを喰わされる子供の側にも「悪いことをした。」という自覚があり、「愛の鞭」を受諾する覚悟があった。現在のアメリカやヨーロッパの一流校、名門校では体罰は校紀として厳然と生きている。人間の子供達も肉体的、精神的な成長期にある時はペットの躾と同様に「愛の鞭」を振る側の人格形成が最も重要である。人権尊重や未成年者保護を唱える前に人としての尊厳を得る資格を育てることが肝要である。 |
||
「夏ジャズ型経営の勧め」 折人 #55 (2001/2〜) ![]() このことは、事業の経営のあり方についても同様である。私は、かねて経営において「クラシック型」から「ジャズ型」への転換を主張してきた。ここで両者の芸術的な比較と言った不毛な議論をするつもりはない。但し比較の一旦を見てみたい。第一に演奏形式において、クラシックはあくまでも譜面に書かれた作曲者の意図を忠実に再現することを主眼とする。我が国を代表する世界的指揮者の某氏は、その著書の中でメンデンベルグが「田園」のスコアーに自分の解釈で軽微な変更を加えて演奏したことを指して、「クラシックの演奏は絶対に作曲者の意図に忠実でなければならず、これは作曲者への冒涜だ。」と述べている程である。これに対してジャズは全く異なる行き方をする。楽譜はおおまかな道標に過ぎない。演奏者の各人はリーダーの基本的なコンセプトだけを受けて、後は自分の個性を生かしてメロディやアクセントを変えて自由闊達に「インプロヴィゼーション」(即興)で演奏する。にもかかわらず、仲間同士の協調精神ゆえに、全体の演奏は物の見事に調和する。第二に、クラシックでは、観客は演奏をかしこまって聞かせて戴かなければならない。曲の合間に拍手するなどは言語道断。その代り終ったら、例え下手な演奏でも盛大に拍手せねばならない。これに対して、ジャズは観客との一体感で演奏を成立させる。大規模なコンサートを除けば、多くの場合、観客は好みに応じて演奏曲目でさえリクエスト出来、演奏が下手なら構わずブーイングしてもよい。興に乗れば踊り出しても一向に構わない。今、我が国のあらゆる事業は「クラシック型」から「ジャズ型」への転換を迫られている。従来のように経営者と言う指揮者のタクトに合わせて一糸乱れず働き、顧客に一方的に製品やサービスを供給するのではなく、社員の個性と自由な発想を尊重し、真に顧客の求めるものを創造し,提供せねばならない。 ack-ack'誌の愛読者の方々には、なんらかの事業に携わっておられる方も多い。是非ジャズのように従業員の発想と顧客の要望を大切にし、万人から愛され、発展する経営を目指して頂きたいと願っている。 |
||
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (22)![]() |