2005.7
 ack−ack’通信
7月9日(土) 菊地秀行・メモリアル・コンサート 真友、心友、親友!
菊地秀行が亡くなってはや7年となる。今回、山口超禅氏のご尽力により七回忌とも云えるメモリアル・コンサートに出演できることは至上の喜びであり大いに楽しみです。二歳年上でしたが、今となってみると現在の小生より五つも若くして亡くなった訳で、当時より残念に思う気持ちは深く、今こそ、共演したいとの思いが一杯です!!!年下の 小生を何故か「お父さん」と呼び、性格も音楽するスタイルも相当違ってた筈なのですが、長〜い付き合いのなかで、大酒飲んでも喧嘩、口論の類は一度もなく、本当に尊敬し合えていたと確信できる希有な友でした。今月号の「読者のホームページ」もグッドタイミングにて、本当に楽しい一夜にしたいものです。
左 朝まで呑んで解散する。右端はベース・滝谷氏、手前は久保ちゃん。   1986年6月T日
右 ディナーショーの打上げで呑み始めたところデス。
           1970年頃?
7月24日(土) ジャズクルージング イン 静岡!
オールオブミー・クラブが主宰する「六本木ジャズクルージング」の出前版とも云える当催しも3回目となりました。5年ほど前に小生も参加した、スタッフ&お得意様の慰安旅行に始まり、一昨年の3回目からは・小淵沢、昨年・浜松と当店の出演者を帯同しての、六本木ジャズクルージング地方版として定着しました。今回は会場も徳川慶喜公の屋敷跡・懐石料理の老舗「浮月楼」でもあり、又、ひと味変わったジャズパーティーになること間違いなし、乞う期待で〜す!今回の静岡側の協賛者、小生のトリオで当店にも出演している栗田丈資氏から、既に定員一杯 SOLD OUTとの知らせもあり、嬉れしい限りです。又、次回開催も足利に確定しており、此方からも当店に出演+深夜ジャムで顔なじみの協賛者、原 正夫氏がお仲間とバス同乗から参加とのこと心強い限りです。金城さんはお店の移転問題に関わらず、年内にも実施なさると申されておりますが、果たしてどうなりますことか・・・大いに楽しみですねぇ〜?!
 左 栗田丈資氏         右 原 正夫 氏
読者のホ−ム・ページ (95)Dancing Lawyer
  鬱陶しい梅雨の時期です。来年のドイツワールドカップ予選は通過できて良かったですね。 しかし、他方ではJR西日本福知山線の様な悲惨な事故もあり、何やら複雑でやりきれない気持ちになります。外交も「靖国問題」を含め、中国・韓国等の隣国とも決して上手く行っていません。私的な問題ですが、相撲の「若・貴問題」もあります。私が思うには、最近(特にこの10数年)は日本の社会全体が大幅に変化し、世相や構造の様なものも完全に変わってしまった気がします。日本には伝統的に家族・仲間・地域・職場といった各集団や個人が、お互いに助け合う「相互扶助・連帯的」な社会の傾向がありました。場合によっては、「過干渉(大きなお世話・お節介)」の様な事もありましたが、近しい人達が「適度に」他人である各個人や家族の生活実態(プライバシー)を分かっていて、色々な場面で、お互いに助け合っていたものです(緊急の場合だけでなく、日常的にも、挨拶をしたり、子供の面倒を見たり、晩ご飯のおかずを交換したり等々・・・)。高度経済成長が成就した時期(昭和40年代前半頃)から、世相が経済成長一辺倒になって来て、日本社会の状況は変わってきました。会社は企業戦士である男(家庭では夫や父親である)の関心・興味を会社にのみ向けさせ、それに呼応してサラリーマンの夫兼父親は会社や仕事にしか目を向けられず(猛烈サラリーマン)、その妻兼母親は進学一辺倒の子育て(教育ママ)に邁進し、子供もそれを意味も分からず押しつけられるといった構図(しかも核家族)です。当然、3世代・4世代が同居する「大家族」世帯はなくなり、いわゆる「核家族化」し、地域や隣近所との交際も無くなり、否、逆に鬱陶しいものと思う様になり、日本の社会は、悪い意味での個人主義化(大きなお世話・お節介の発想)が強調され、他人はおおよそ「競争相手」と見なされる様な競争社会が進んでしまいました。そして、敗戦や西欧人への劣等感等も働き、全て、特にアメリカの考え方とか価値観等に追従し始めたのです。小泉政権は、その最たるものです。しかし、こういう時代だからこそ、もう一度、日本の良い伝統や文化を見直す時期に来ていると思います。アメリカと旧ソ連の冷戦が終わり、目下のアメリカ専制支配の様な世界状況には、イスラム・EU諸国等も含め、諸外国の反発は大きいのです。せっかく、ワールドカップに出られたり、メジャーリーグに行ったりしているのですから、今こそ日本の世界に於ける生き方・コンセプトを示す時期であると思います。そう言えば、編集長から7月9日、Little Appleで「菊地秀行・メモリアル・コンサート」をやると伺い・・・伺えなくて残念!、編集長のバンドに同氏が在籍してた時のテーマ・ミュージックが「アンソロポロジー(人類学)」だったのを、フト思い出しました。どうやら棚から捜し出し、バーボンのグラスを片手にマリアーノのアルトに浸りながら、懐かしいジャケットのエルビンを眺めていると、良き時代の日本人?お二人のステージが目前に浮かぶ様な気分となり、ついついグラスを重ねる羽目に・・・!?ウ〜ン、人類学かぁ〜!
61回   エロールあさかわ
日本の警察は、著名人や政治家を逮捕する事、並びに組織的な犯罪を挙げる事こそ、自身の権利、権益の推進と警察組織維持の為の最良策と考えているのである。2003年7月18日、警視庁は当時、若手女性議員として活躍していた辻元清美議員を詐欺事件で逮捕した。この事件に関しては実証と本人の自供もあって逮捕の正当性も納得できる。然し、問題となるのは警視庁幹部による地方公務員法違反事件の書類送検の発表を辻元清美議員逮捕と同日に発表した事である。辻元清美議員逮捕に関しては各メディアが社説、論説の形で「これ見よがしに。」に論じているが、二つの事件の関連性については一切述べられていない。此処に日本のメディアの問題意識の脆弱性が表れている。詰まるところは警視庁幹部の不祥事の発表によって警察、警視庁の組織権力維持に危険が及ばないこと。同時に世論を警察の不祥事批判をかわす事のみを目的として辻元清美議員逮捕を同日に発表したのである。ちなみに警察幹部の不祥事に関しては1999年以降だけでも7119件にも登ると云われている。しかも警察の本丸とも云うべき警視庁に於いても数多く発覚しているのである。この事態を察知した警察官僚達が何とか世論の目をはぐらし、世論の批判を眠らせ、衝撃を相殺しようとして用いた切り札がこれである。更に問題は著名人や政治家の身柄の拘束は行うが、警察幹部は身柄拘束なしの在宅扱いと云う事になる。一般に知られていない不祥事に関する処罰や処置のあり方を見ても、訓戒、厳重訓戒、一部減俸などが大部分であり、実施されたか否かは別問題である。それにしても江戸時代もしくは、それ以前から日本の警察には余程大きな権益、利権があるのだろう。従って、斯までして見え透いた猿芝居(犬芝居?)を演じなければならなかったのだ。この様に、組織化された人間社会には必ず権益、利権が生じ、そのウマミを維持し続ける為に組織ぐるみの隠蔽工作が行われる。小泉総理が唱える構造改革が果たして何処まで通じるかは全く未知数であるが、この黒い巨塔や灰色の巨塔の改革を必ずやって欲しいもの出る。だが郵政民営化の件一つにしても与党内部からさえ反発の声がある。それ程、与党内部にも何らかの利益を得ている者が居る訳で、小泉総理が如何に構造改革論をぶち上げてみても、空念仏に終わるいう懸念は拭い切れない。
「フォスターの曲到来」 新 折人 #53
 
 先日何十年ぶりかで、「ダンス・パーティ」なるものに誘われた。今どき珍しい催しだ。 我々の学生時代は、娯楽が少なかったこともあって、ダンス・パーティを企画して金儲けを企んだり、なけなしの金をはたいてダンス・ホールに行ったりしたものだ。余談だが、ダンス・ホールに来て、誘われる相手が居ずにぽつねんと壁際に座っている女の子を「壁の花」と言った。巧い表現だ。因みに、相手が居ないため、楽し気に踊っているカップルを、壁によっかかって羨ましそうに見ているだけの男の子は「壁のシミ」といった。自慢じゃないが私はこれに該当することが多かった。「壁のシミ」では自尊心が痛く傷付く。従って、孤独を隠してニヒルを装い、音楽に没頭しているふりをして、ひたすらステージ脇でバンドの演奏を聴いていた。お陰で随分と曲だけは憶えた。大胆に言えば「ビ・バップ」以前のジャズはダンス音楽であった。ジャズの前身音楽のラグタイムはそもそも踊る為の音楽として開発された。まだレコードのない時代、1885年頃からニューヨークの、後に「ティン・パン・アリー」(Tin Pan Alley)と呼ばれる様になった場所に、多数の楽譜出版社が集まったが、そこから発信された最初の大ヒット曲は、1892年に出版された、文字通り "After the Ball"[舞踏会の後に]という曲だった。1910年代には、ヴァーモンとイレーヌのカッスル夫妻が「社交ダンス」(Ballroom Dance)をポピュラーなものにして、ダンス音楽の需要を急速に高めた。アメリカでビッグ・バンドが出現したのは1913年。アート・ヒックマンというミュージシャンが、サンフランシスコの「聖フランシス・ホテル」(St.Francis Hotel)を拠点にして結成した、当初9人編成の白人ダンス・バンドであった。その後初期のデュ-ク・エリントン・バンドが、「コットン・クラブ」に専属出演した様に、大部分のビッグ・バンドの稼ぎ場所は、専ら人々を踊らせるハコであった。然ダンス・パーティを巡る恋愛ざたを歌った曲が書かれる様になった。その先鞭をつけたのが、1938年に大御所アーヴィング・バーリンが書いた "Change Partners" という曲だった。これはダンス・パーティーで「さっさと相手を変えて、俺と踊らないか・・・」と迫る男を歌った、やや道徳観に欠ける曲である。これとまぎらわしいタイトルの曲に、1953年の "Changing Partners" があるが、これは「彼と折角踊っていたのに、「相手を変えよう!」というかけ声と共に彼は行ってしまった・・」と嘆く曲である。「ワルツの女王」パテイ・ペイジのレコードが大ヒットした。この二つの曲の間、1940年に書かれた"Polka Dots and Moonbeams"は、田舎の野外ダンス・パーティで「月光の下で踊る水玉模様の服を着た娘に惚れちゃった・・」という可愛い曲だし、1947年の "Tennessee Waltz" は、「ダンス・パーティーで、友達に恋人をとられちゃった・・」という穏やかならぬ曲である。捜せばまだまだある。ところで、最近ダンス・パーティどころか、ダンス・ホールも殆ど無くなってしまった。ましてやバンドが奏でるジャズを聴きながら踊れる、いわゆる「クラブ」風の洒落た店がない。昔の雰囲気を再現しようと、銀座で再開した某クラブもあっと言う間に潰れてしまった。ノスタルジックな思いもあって、ほれぼれする様なジャズの演奏と、憎からず思う女性とのダンスを、両方同時に楽しんでみたいという強欲な我々世代にとっては、誠に寂しい限りだ。
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (20)
 私の庭、つまり近くの丘は五月の透明な空気の中、日々力強くなっていく陽光を浴び、その形を変えつつある。あらゆる色調(トーン)の緑が盛り上がり、その形はまろやかに、一回りも大きくなった。中腹まで登り、深い陰に入り、目を閉じ、全感覚を解き放つと、丘全体が更に大きく膨らんでいくのを感じる。沢山の鳥たちの囀り、虫の羽音、桑の葉の上を這うテントウ虫の飛び翔つ音、笹の葉のざわめき、藤の花房の揺れる気配。丘は息苦しくなる程の生気に湧れている。頂上から見下ろすと、麓から先は見渡す限り黄色のカーペットを敷き詰めた様だ。その黄色も様々な大きさ形で、それぞれトーンが異なる。視界の絶える処まで続く麦畑は刈り入れ間近である。数日の内には黄色の碁盤縞の中にトラクターが蠢く様になる。私は犬を伴い、いつもの様に丘の小径を辿る。径の両側の藪は、彼方此方と白と黄色の花の群生に覆われている。やがて、この花の色は全て黄色に変わってしまう。むせ返る様な甘い香りは、この花、忍冬(スイカズラ)のものだ。一つを摘み取り孫娘にその密を吸わせてみたい気がする。だが、私には娘も息子もいない。孫娘の居る筈がない。それても、何処かに一人位、ひっそりと隠れ暮らし、ある日突然、母娘で姿を現すという様なのが、居はすまいかと懸命に記憶を辿ってみる。だが、私の若かりし頃の記憶の風景は精錬、清浄、方正な暮らしの代償、否、報いと云うべきか、まるで無人島の浜辺の如く、汚れなく、清潔、衛生的なだけで、殺風景そのものだ。白い白い清浄な砂の上には、私ともう一人の誰かの足跡が行儀良く乱れる事なく並び、現在点まで続いている。それだけ?それだけ・・・。ならば、今からでもグレてやろうかという気になる。しかし、髪を撫で付けるとか、二度以上顔を剃るとか、ローションを振りかけ、下腹を引き締める下着を着け、ドレスシャツを選び、スーツかジャケット、はたまたブルゾンか等と考えたりすると、もうそれだけで息切れする様な気になって来る。この年になると、ちょいとグレてみるのも、仲なか大変な事である。で、そういう邪悪な想いとは勿論、残念とも無念とも決別し、再び清浄な心持ちへ復帰する。この回心のお陰で心は病後の様な至上の爽やかさを取り戻す。あ〜、一瞬の心の迷いであったか?私は注意深く窺い、人気のない事を確認し、何気ない風を装い花の一つを摘み取る。この辺りの男は、ほんのガキでさへ花など摘まない事になっている。一人前の男が野辺の花など摘んだりすれば、可哀想に病気になったのだと思う。ましてや、花の蜜をおちょぼ口で吸ったりすれば、それを見た者は一瞬のうちに総毛立ち青くなって家に戻り、そこらの誰かをつかまえて、耳元で囁く事になる。「あのジイサン、とうとうイケナクなっちまったワヨ。花の蜜なんぞ吸ってるんだもん。寂しさからだろうネェ。」等と云う事になる。私は鼻の頭でも痒くなった様な仕草で密を吸ってみる。雀の舌なら満足するであろうと云う程の蜜の味である。スイカズラの名は、この事に由来すると言う。別名、忍冬は寒い冬にも堪え忍び葉を落とさないからだという。犬にも花を勧めてみる。彼女は一寸鼻を近付け、碌に嗅ぎもせず、そっぽを向く。忍冬の下の藪には沢山の草イチゴが赤く熟している。透き通るような明るい赤。果実には爽やかな甘味があり、酸味は殆ど無い。摘む者も居ないから、そこら中、赤い実だらけである。 以下次号