2005.11
10月13日(木)   「お月見ジャズ〜JAZZ四季会 vol..1」は満席状態のコージーサークルにて華々しいスタートを飾りました。大のジャズ好きI氏、W氏、K女史ら,ご三方が「インストルメンタル・ジャズをしっかり聴きたい!」なる単純明快な・・10年前なら普通すぎて意味不明?、ミュージシャンにとって願ってもない主旨にack-ack'も大共感。会名通りの年4回開催に向けて奮励努力致す所存で御座います・・・ハイ!しかし、これ程ミュージシァンと客席が熱く一体化したのも10年ぶりかなとの想いを馳せつ、気持ち良いステージだったぁ〜!人間、慣れちゃ〜いけません??THE BARでの打ち上げ後もバンド全員でテリーズへ繰り出してのアフターアワーズ・セッション。解散は4時を回ってました。嬉しいことに「ニュー・イヤーズ・ジャズ〜JAZZ四季会 vol.2」が既に決定しております。
2006年版 海軍航空機カレンダー前号で紹介した全国甲飛会カレンダーに続き、セピアの色調も豊かな国書刊行会カレンダーが発売されました。今年のお正月に招待されたショウリさんが自衛隊のヘリより撮影した木更津飛行場(左)。ヘリは拙いと!20機程を消して飛行機を配置。昭和17年に空撮された右の俯瞰写真(形状は殆ど変わってないのにびっくり?)をPC上で超拡大して検証しつつ、管制塔、格納庫などを旧式化?遠景の街並みは解体、更地化して植林?どうやらタイムカプセル通過を果たした飛行場に、降下する零戦を合成したものと、俯瞰写真にパースをかけ、三沢より飛来した一式陸攻を合成した、計2枚が収録されてます。全国の書店で販売されますが、ご希望のお方はお知らせ下さればお届けします
ライブ・スポット Cool Train オープン!
年も終わろうとする此の時期に最高に楽しいハプニングが!表紙にもありますように新しいライブ・スポットがオープンします。その上、嬉しいことに週二日のレギュラー出演まで決定致しました。勿論、喜んでばかりでは済みません。皆さんに入らして戴いてこそですから、上記JAZZ四季会の継続同様、奮励努力あるのみ・・・アッ、語彙の少なさがバレましたね。オーナーのT氏とは経営センスも一致しますし、店長は現場に関して、ツーと言えばカーの仲であるS氏のヘッドハンティング?が叶いました。只今、開店に向けて内装その他、鋭意進行中です。詳細は次号にてご案内致します。 乞うご期待!
読者のホ−ム・ページ (99) Dancing Lawyer
 
この秋の衆議院選挙では自民党が圧勝であった。しかし,この結果は予想外であっただろう。これで日本がどう変わるか?は,まだ不明であるが,私は,かなり不安材料も抱えたと考えている。郵便貯金等がどうなるのか?具体的なことは,なかなか見えてこない。国債が暴落する危険もあるし,アメリカ等の外資がハゲタカとして振る舞う可能性も否めない。おそらくこの数年間は激動の時代になるような気がする。ポスト小泉に関しても見えない。日本の抱える年金・福祉等の問題も先送り状態である。憲法改正などとマスコミは言うが,そう簡単ではないだろう。今の日本には,将来の展望が無いことは確かである。この国を一体どのような方向に持って行くのか,展望が全く見えてこない。この使命こそ本来は「政治家」の役割なのだ。官僚のみに任せていては,この国がおかしくなるのは,国民には分かっている。我々一般庶民(国民・中小企業)が景気が良くなったと感じてこそ,初めて日本全体が,「不況・・・デフレ」を脱したと言えるのである。私個人としては,もう少し「インフレ」気味になる経済・金融政策が妥当であると考えている。しかし,何だかんだと言っても,まだ日本は恵まれている。今のうちに後輩の将来にも目をかけておくべきですね。「国作り」で大切なのは,なんと言っても「人材=ヒト」なのです。これを忘れないようにしましょう。ポスト「小泉」を真剣に考えなくてはいけません。しかし、80数人にも及ぶ小泉チルドレン誕生はオーバーヒート気味でちょっと凄すぎました。クールダウンして優しい気分にと、今宵のバーボンの友に引っ張り出したアルバムはケニーバレルの“God Bless the Child”。なかでも、サド・ジョーンズの名曲“A Child is Born”(寡聞にして本人の演奏は聞いたことがない?)は堪りませんな!!でも、少子化傾向が進む世相を反映して、そのうちには“A Hundred Child is Born”な〜んて曲が登場するかも・・・ネッ、編集長?差詰め、無能、無策、無用な社会保険庁は欣喜雀躍、熱烈歓迎ですな??
 65 回   エロールあさかわ
 今年度前期でニートの数が600万人に達することが予測されている。会社勤務のサラリーマンになんか絶対なりたくないという者もいるが、その前に、雇ってくれるような資格も学歴もないというのが本音のようである。「自分だって大学を出ているんだ!」とのたまう者もいるが、入学金と諸々の寄付金、月謝を完納していれば卒業できる大学株式会社卒では就職戦線参入は論外であろう。かと云って特殊な能力も才能もないとくればブラブラしているしかない。否、働く意志があれば職場は幾らでもある筈だが、忍耐、努力、協調、思考といった社会生活に必要な最低限度の基礎がないというのがニートの現状と云える。高校を「おちこぼれ」の成績で卒業した者でも入学できる大学が多過ぎる事も将来にニートを増加させる要因である。ニートの増加は社会にとって由々しい事であるが、最も懸念されるのはニート社会に蔓延しつつある麻薬常習、売春、ギャンブル、窃盗、強盗、引ったくり殺人といった一連の事件の急増である。これらは全てに関連しており、今後も増えていく事が予想できる。ニートの増加が今後も事件の増加に直接関係していく事は明白であっても現行の司法制度では抑止力がない。再々起こるストーカー殺人事件を見ても判るように、事件が起きてから初めて警察の本格的関与が始まる。「防犯月間」等という標語を時々目にすることがあるが、決して防犯などは不可能だ。現在の警察に出来るのは、あくまでも「事後処理」であって、犯罪が起きる前に防止することは出来ないのである。むしろ最近では警察官が引き起こす事件が目立ち始めている。警察官の麻薬常習やノゾキ、痴漢の常習、飲酒運転による事故など数え上げれば切りがないが、圧巻は7000億円とも云われる全国の警察署内の税金搾取と隠匿である。北海道警と福岡県警、大阪府警だけで12億円の隠匿と使途不明金が発覚したが、これはあくまでも発覚した分だけである。警察官が起こした事件は極力、署内で消滅させる事になっているが、市民県民の訴えがあり、隠しきれなかった不祥事が年間3000件以上にも上るといわれる。こうなると警察官が引き起こした事件の隠蔽と解決に追われて、外部の事件解決は後回しになる事も考えられる。凶悪事件が発生した最中に警視庁幹部と警察署長が温泉旅館での麻雀に忙しく、所轄での事件でありながら後回しにする程度の日本警察である。
「ハリケーン 」 新 折人  #56  (2001/2〜) 
 
8月29日ニューオーリンズに襲いかかったハリケーン「カトリーナ」(Katrina)は、「ジャズの聖地」を復興不能と思わせるほどの被害を与えた。衷心からの同情を禁じえない。 「ハリケーン」の恐ろしさは、古来事あるごとに文学や映画などでも取り上げられ、人々の注意を喚起してきた。
  ニューオーリンズに関係するものとしては、1890(明治23)年来日し、松江中学の英語教師となり、士族の娘セツ(1868〜1932)をめとって日本に帰化、「怪談」[Kwaidan](1904)などの名著をものにしたラフカディオ・ハーン[小泉八雲](1850〜1904)の小説「チータ」[Chita&A Memory of Last Isle](1889)がその一つである。良く知られるようにラフカディオ・ハーンには、来日前の10年間、即ち、1877年から87年迄ニューオーリンズに住んで、町の小さな出版社「デイリー・アイテム」(Daily Item)の記者などをしていた経歴がある。その時聞き知ったのであろう、彼は1856年8月10日にニューオーリンズ一帯を襲った大ハリケーンのことを題材に取り上げた。この時のハリケーンでは、特にニューオーリンズ市内から指呼の間にある「バイユー地帯」(Bayau)の沖合い、メキシコ湾に浮かぶ「ラスト島」(Last Isle)が、ハリケーンのために引き起こされた大津波に襲われた。そして2時間もたたない内にリゾート・ホテルは崩壊し、200人以上の滞在客らが死んだ。ラフカディオ・ハーンは、この惨事を小説「チータ」の主題に据えて、ハリケーンの恐ろしさを訴えたのである。
話は変わるが、ドロシー・ラムーア(1914生)という、ニューオーリンズ出身の女優を憶えておられる方は少ないかも知れない。ビング・クロスビー、ボブ・ホープとトリオを組んで、歌と踊りのライト・コメディを売り物にした「シンガポール珍道中」[Road to Singapore](1940)、「アラスカ珍道中」[Road to Utopia](1945)、「南米珍道中」[Road to Rio](1947)、「バリ島珍道中」[Road to Bali](1952)など「珍道中シリーズ」("Road to" Series)に出演し、すっかり人気者になった女優である。彼女は長い黒髪と、切れの長いブルーの瞳、整った唇、すんなり伸びた細身の肢体を持った大変な美女で、1931年には「ミス・ニューオーリンズ」に選ばれた程であった。その彼女が、1937年に「ハリケーン」(The Hurrcaine)という映画に主演した。この映画はタヒチの近く「マヌクラ」という島を舞台にした映画だったが、話の筋はともかくとして、映画の中での「ハリケーン」のシーンは圧巻であった。石造りの教会が粉砕され、巨木は根こそぎ流され・・南海の楽園を襲う巨大ハリケーンの威力をまざまざと見せつけ、それを見た観客は思わず身をのけぞらせる程だったと言う。ところで余談だが、「ハービー・ケイ楽団」の専属歌手をつとめたほど歌もプロであったドロシー・ラムーアは、この映画の主題曲「マナクーラの月」(The Moon of Manakoora)を歌って大ヒットさせた。映画音楽の大家アルフレッド・ニューマン(1901〜1970)の作曲、ハリケーンには似合わぬ美しいメロディーの曲である。ドロシー・ラムーアの何枚かのアルバムがCD化され、その殆どに入っているので、まだの方は是非聴いてほしい。
それはともかく私は今、2月に行ってきたばかりのニューオーリンズの惨事に改めて思いを致し、物理学者で東大教授の寺田寅彦(1878〜1935)が残した「天災は忘れた頃にやって来る。」という名警句を今更ながら思い出し、緊急用物資をリュックに詰めて家とオフィスに置いておこうという真剣な気持ちになってきている。
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (24)
 無沙汰してしまい申し訳ない。長い間、貴紙の貴重な紙面を割き、私の文章を掲載して戴き心から感謝。本当に有り難う。その上、先の便りの貴兄の過分なる評。それも友情の故と真に有り難く、嬉しく思う次第です。返事を斯くも遅らせてしまった事の弁明を少しばかり・・・。貴兄への便りは最も気分の落ち着いた状態で書きたいと思っており、数ヶ月振りにその気分になったと言う事です。母の死、兄の癌手術などが重なり、そちらに生活の全てを持って行かれてしまっていたのです。慌ただしく、気の滅入るような状況下でも、貴兄の便りはいつも心にあり、仄暗い人生の後半を一人で歩く、私の手元、足元をほんのり照らし出してくれる灯りのようなものでした。この時が過ぎれば、いつかゆっくり、この灯りの下で懐かしい友人に手紙を書こうと、思う事それ自体が、過黒い陰鬱な気配に侵された日々の中で、唯一の安らかな居処でした。 自分自身の肉体的、心理的苦痛には少しは耐えられるという自負はあるものの、末期癌にある者や、これから癌の手術を受けようとする者らの苦痛や恐怖には何も為す術がない。月並みの慰めや励ましなど空々しいだけ。自分の命なら放棄する覚悟位は出来ようが、人のそれとなると、事の成り行きに任せるより術はない。雨が降れば、これが雨だと思い、風が吹けば、これが風邪だと思い、嵐が来れば、これが嵐であると思い、取り乱さず対処するより仕方がない。あらゆる出来事は、それらを大切に運命と呼ぼうと、軽く成り行きといなそうと、何らかの対処はしなくてはならない。恐れず、侮らず対処する以外にない。現代人の逆境的対処術には夢と希望というものが万能である様だが、私にはガキ共の抱く幼稚な幻想に思えてしまう。女子供や、そういう者らを相手に甘いピンクの夢とやらを語っていられる者なら、それでも構わぬが、私は女でも子供でもないし、又、私の身近には女子供は居ない。私は、いつの間にか自分の人生を暗い大海原に例える習慣を身に付けた様である。周囲を見ると豪華客船に乗り、船の上といえども水の上に在る事に気付いていない様である。戦艦や駆逐艦に乗って戦っている様な者、ヨットやプレジャーボートで遊んでいる様な者、漁船、手漕ぎの釣り船・・・様々である。だが、この人生、運命という大海は船の大小など歯牙にもかけない。私の人生など救命ブイの穴からやっと首だけ出して浮き、今日まで流れ漂って居る様なものだが、それでも、まだ浮いている。浮いていなくてはならないものなら浮いていよう。沈まねばならないなら、それも仕方あるまいと思っている。こういう暮らしは、或いは夢や希望無しには生きられないという人々には死んだも同然であるかも知れない。しかし、それは、そういう人達にとってであり、浮き輪の穴から首を巡らす事が出来るというだけの生活にも、慰め程のものはあると思っている。で、そういうペッミスティクと言えば言えなくもない、逆にオプティミスティクと言えば、そうも言えそうな男は、見舞いやら介護やら看病やら、葬儀の支度やらの間、何をしていたかというと、腰に携帯電話をぶら下げて非常呼び出しに備えつつ、庭いじりに励んでいた。二つの病院からいつ報せがあるやも知れず、常に待機していなくてはならなかったからだ。 以下、その間の私生活を書きます。