2005.10
9月29日(木) スリーグレイセス・ライブ at コージーサークル! 過日、つづきスタジオで行われた大橋節夫リサイタルのリハーサルを終えての帰り路。後日の伴奏予定が入っていたack-ack'3の面々との顔合わせのためコージーサークルへ立ち寄り、リハがてらに2曲程・・・が、運の尽き・・・運の付き?・・・、どちらがついたか、つきたか・・・で当ライブが実現してしまったのです。勿論、チケットは即日完売!1ステージで帰らねばならない方、2ステージ目にしか間に合わない方のバランスが良くて?酸欠にはならずに済みましたが、1ステージはマイクの調整が悪くて、お姉様方に多大なるご迷惑をお掛けしましたが、怒り心頭をこらえつつ?笑顔でトークを交えての進行は流石で御座いました。2ステージ目は客席とステージの一体感が一段と増幅され最高の盛り上がりでした。一瞬、笈田さんとの三崎ライブでのシーンが目蓋にダブリました。偶然にもボスの三回忌と同月とは不思議・・・、もしやオンステージなさってたのでは・・・?!
2006海軍航空機CALENDER き(全国甲飛会) 来年の手帳やカレンダーが出揃う時節となりました。毎年、田中ショウリ氏のカレンダー制作に参加しての合成写真作成は本当に楽しい作業です。今回の甲飛会版はデジカメで撮影した、回天二基搭載の一号輸送艦(20cm程の水上モデル)が白波蹴立てて驀進する様を再現すべく、あれやこれやと未熟な技を駆使。左記の写真完成となりました。国書刊行会版は次号にご案内致しますが、木更津飛行場上空を飛ぶ一式陸攻と同飛行場に着陸する零戦を合成させました。セピアの色調も良く・・・乞うご期待デスよ!
9月24日(木) ピンキー&ポッキー〜ゲイ能活動感謝祭! 常々、お世話になっているOさんのお招きにより1年程前、ピンキー&ポッキー姉妹・・・兄弟?のお店に伺って以来のお付き合いですが、みんな明るく、ショータイムも楽しく、会話も弾み最高です。先月号より広告掲載のお申し出を請け、どうしたものかとインターネットで業界サイト?をあっちこっちウォッチングしての版下作成でした。しかし、下記イベントは盛大且つ大盛況。満杯のビューホテル・飛翔の間に地響くサウンド、カラフルなライティングに立ち込めるスモーク、飛び交うレザー光線・・・、いえいえ、我らack-ack'4Special はウェルカム&ディナーミュージックを到って上品に・・・。送り出しはA列車〜にて無事お勤め終了と相成りました!
読者のホ−ム・ページ (98) よっぱライフプランナー
  
先月、ちょっと遅い夏休みをとって、バリ島に行ってきました。成田から7時間ちょつと、機内でビールとバーボンでいい気持ちになっていると、もうジンバランのングラ・ライ国際空港に到着。現地に降り立つと、一寸ムッとする暑さではあるが、日本の夏よりは湿度が低い様な気がする。空港には、胸にPORTERと付けた人が沢山。スーツケースを奪う様に運ぼうとする。旅行会社からの事前情報によると、チップを要求されるので、スーツケースは手から離さずに自分で運ぶ様にとの事。現地ガイドさんの指示でワゴン車に乗り込み、20分程のジンバラン地区のホテル「インターコンチネンタル・リゾート・バリ」へと向かう。ホテルに着くと、夜中でもあり、火やライトで非常に幻想的な雰囲気が漂う。明日を楽しみにしつつ、この日は就寝。翌日、ホテル内を散策してその素晴らしさに感嘆した。目の前に500mに渡るプライベートビーチが広がり、海まで続く様な広いプール。緑に囲まれた広大な敷地。リゾート気分を満喫するには最適の環境であろう。私は3日間、海とプールで泳ぎ、プールサイドで寝そべり、読書し、存分にリゾートを楽しんだ。食事は、ナシ・ゴレン、ミー・ゴレン、サテ等の伝統的バリ料理をホテル内で味わい、夜はバリ舞踊を鑑賞。外に出たのは、デューティー・フリー・ショップに出掛けた位で、殆どをホテル内で過ごした。都会の喧噪を離れ、久々にゆったりと時間を過ごす事ができた。
バリの歴史を紐解くと、約1万年前には人が住んでいたものと考えられており、その後、1~2世紀にかけてインドネシアとインドの交流が始まり、それと共にインド文化がバリ島にも流入。16世紀半ば以降にヒンドゥー王朝、ゲルゲル王朝が建国。16世紀に入ると、ヨーロッパ諸国がアジアへ進出。1846~49年にかけて、バリ島とオランダとの間でバリ戦争が始まり、この結果、1969年バリ島はオランダの植民地として支配される。その後、太平洋戦争が始まると、1942年には日本軍がオランダに代わってバリ島を支配。そして1945年スカルノ(後の初代大統領)がインドネシアの独立を宣言。1949年インドネシア連邦共和国が成立し、1956年にバリ島はインドネシア共和国の州として承認されるのである。スカルノ大統領と言えば、日本では、デヴィ夫人が有名であろう。赤坂の高級クラブのホステスから、スカルノ大統領の第3夫人となり、スカルノ死去後はパリの社交界等で活躍。近年は日本のバラエティ番組等で活躍している。  バリでの思い出に浸っていると、もうこんな時間!バリはリピーターが多いと聞く。私もバリの魅力にはまってしまった様だ。また来年も行ける事を願いつつ、バリでは飲まなかったバーボンで乾杯。バリのリゾート気分にはボサノバではあるが、美しいサンセットが脳裏に浮かび上がり恋しい気分にさせられる、ゲッツ/ジルベルトの“O Grange Amor”がぴったり合うんだなあ~。 *編集後記 自爆テロにあうことなく無事のご帰国、何よりでした。
 64 回   エロールあさかわ
 文今回の衆院選は自民党の圧勝で終わった。自民党の圧勝と云うより、小泉純一郎の大勝利といった方が正しいかも知れない。各野党の代表者の演説を聴いてガッカリしたのは、党の政策をアピールするというものではなく、小泉純一郎個人を攻撃することに終始していた。小泉内閣の無能、無茶、独裁を批判しているつもりであったろうが、長期に渡って政権を維持する小泉内閣に対するヤキモチ、恨み辛みを投げつけているように見えた。それは、ある種の嫉妬とも受け取れるものだった。流石におとなしい日本国民もヒステリックに小泉総理攻撃を続ける野党代表の演説にウンザリしてしまった。野党代表全員が田中真紀子症候群に感染したかの如くに小泉総理を罵ってきた。二大政党の一方の旗頭を辞任する民主党代表・岡田氏と小泉総理の演説を江戸川区平井商店街・理事の言葉を借りると「幼稚園と大学生位の差が感じられた。」ということであった。小泉氏は総理になる以前から構造改革を訴え続けており、郵政民営化はその一環に過ぎないと云っている。今回の衆議院解散を聞いた時、終戦後の間もない時期に総理大臣になった吉田 茂の事を思い出した。ワンマン総理と云われ、当時の野党から猛攻撃を受けながらも自党の政策を強引に推進した人物である。戦後半世紀以上を経過した今日、日本にも民主主義思想の定着を見たようだが国の大事を成すにはある程度の強引さは必要である。協調と対話ばかりを唱えていては何事も成就した試しがない。小泉総理の衆院解散を聞いた元総理の森氏は小泉総理に思い止まるように説得したことになっているが、実のところは森氏がケシ掛けたと云うことである。斯うして自民党圧勝の結果、森派は最大派閥となったのである。今後とも小泉純一郎と森氏とは表面的に距離を岡ながら、ガッチリと手を組んで行くことになると思われる。ただし自民党圧勝後には国民の過大な期待が掛かってくることになる。郵政民営化も重要課題であろうが、国内の治安の悪化を考えて司法制度の早期見直しをするべきである。連日の如く報じられる殺人事件や年少者、未成年者による凶悪犯罪の急増を見るとき、司法制度の甘さや株式会社化した警察組織の大改革の急務を痛切に感じる。時代を担うべき未成年者を凶悪犯罪に走らせるのは司法制度の甘さと無能警察組織の責任であることは明白である。
「枯葉 」という曲 新 折人  #56  (2001/2〜) 
 
この夏、我が国の政治・経済・社会の混乱を見て、つくづく考えた・・・といっても、改めて「ジャズ」に思いをいたしたのである。「ジャズ」が音楽のジャンルとして成立したのは、二十世紀初頭のことである。この音楽は僅か一世紀足らずという短期間で、世界の隅々まで行き渡るほど国際化した。その点では真に希有な芸術文化である。ジャズは、その決して長くはない歴史の中で、単にアメリカに止まる事なく、絶えず世界各国に流出し、あらゆる場所でしたたかに根をおろして定着した。今、世界中何処に行ってもジャズは人々に愛され、その生活にとけ込んでいる。誕生から一世紀を経ずして、この様に完全に国際化し、評価された芸術文化はジャズを置いて他にない。ジャズの音楽性とか芸術性といった高邁な議論はさておき、急速かつ完全な国際化に至った要因は何であったのだろうか。それは、第一にジャズにおける伝統にとらわれない、形式・スタイルの柔軟性、第二に世界に通用する個性豊かなミュージシャンの登場、第三に他文化に対する許容性、第四に普及のためのマスメディアを始めとする先端技術の積極的活用、第五に演奏における個性の尊重、第六に聴衆との一体感の形成・・等を挙げる事が出来よう。現在の日本は国際化の波の中で、規制緩和、構造改革に右往左往している。外交面でも手詰まり状態だ。信じられないような凶悪犯罪も後をたたない。突飛で大胆な意見かもしれぬが、日本の将来の行き方について考える時、ジャズが国際化した要因を参考にする事は、それなりの役にたつ様に思われる。
このことは、事業の経営のあり方についても同様である。私は、かねて経営において「クラシック型」から「ジャズ型」への転換を主張してきた。ここで両者の芸術的な比較と言った不毛な議論をするつもりはない。但し比較の一旦を見てみたい。第一に演奏形式において、クラシックはあくまでも譜面に書かれた作曲者の意図を忠実に再現することを主眼とする。我が国を代表する世界的指揮者の某氏は、その著書の中でメンデンベルグが「田園」のスコアーに自分の解釈で軽微な変更を加えて演奏したことを指して、「クラシックの演奏は絶対に作曲者の意図に忠実でなければならず、これは作曲者への冒涜だ。」と述べている程である。これに対してジャズは全く異なる行き方をする。楽譜はおおまかな道標に過ぎない。演奏者の各人はリーダーの基本的なコンセプトだけを受けて、後は自分の個性を生かしてメロディやアクセントを変えて自由闊達に「インプロヴィゼーション」(即興)で演奏する。にもかかわらず、仲間同士の協調精神ゆえに、全体の演奏は物の見事に調和する。第二に、クラシックでは、観客は演奏をかしこまって聞かせて戴かなければならない。曲の合間に拍手するなどは言語道断。その代り終ったら、例え下手な演奏でも盛大に拍手せねばならない。これに対して、ジャズは観客との一体感で演奏を成立させる。大規模なコンサートを除けば、多くの場合、観客は好みに応じて演奏曲目でさえリクエスト出来、演奏が下手なら構わずブーイングしてもよい。興に乗れば踊り出しても一向に構わない。今、我が国のあらゆる事業は「クラシック型」から「ジャズ型」への転換を迫られている。従来のように経営者と言う指揮者のタクトに合わせて一糸乱れず働き、顧客に一方的に製品やサービスを供給するのではなく、社員の個性と自由な発想を尊重し、真に顧客の求めるものを創造し,提供せねばならない。
 ack-ack'誌の愛読者の方々には、なんらかの事業に携わっておられる方も多い。是非ジャズのように従業員の発想と顧客の要望を大切にし、万人から愛され、発展する経営を目指して頂きたいと願っている。
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (23)
 男共はオッカアやカカアのそういう状況を目のあたりにしても慌てもしなければ苛立ちもしない。夕食時、カカアが汁の椀を持つ手をわななかせ、椀ごと取り落とし、奥の部屋に駆け込む様な事態に決しても動じない。黙って飯を食い続け、自分で汁をお代わりし、茶を注ぎ、そいつを音を立てて美味そうに飲んだ後、ウッー、アハーと漏らし、ゲップの一つもするかも知れない。だが、それ以外は何も言わない。何も聞かない。只、自分の股の辺りをまさぐって、オイラは大丈夫かな?といった仕草位はするかも知れない。私は、ここらの男共、このムクツケキ男共も女達の羞恥の幾分かは理解するのであろうと感服し、私自らそういう場面に出くわしても、おとなしく目を伏せ、通常と何ら変わらぬ様子で「明日も天気が良さそうですワな」等とは云っても、他には何も言わなかった。「一体どうしたってんですか?何処か具合でも悪いんじゃ?」とは決して言わなかったものである。ダニに喰われるのは故草イチゴ摘みの必然の結果なのである。しかし、それでも女達には皆、この季節になると草イチゴを摘んだものである。そして、オッカサンは果実を綺麗に水洗いし水気を切る。カカアは、そいつを壺に、甕に、広口壜に容れ、砂糖をしこたま加えて密封する。砂糖と果実は闇の中で静かに溶け合い、ふつふつと発酵を始める。数日後には封を解いた途端、くらくらっと目眩のする程の甘い香りを放つ赤いとろりとしたゼリー状のものに変わっている。女や子供達は、この段階のものが大好きである。その侭、スプーンですくって、或いは、オモチだのオダンゴ等にくっつけて食する。男共は、それを見て、「ケッ、こいつら何ちゅうもんを喰いやがるんだ。」と言う。「そういうもんを、余り喰うもんじゃねぇ。」等とも言う。やはり、そこらの誰にでも聞こえる様な独り言風にである。そういう事であるから、オッカアもカカアもほんの一壜か、小さな壺の一個分だけを取って、後のものには手をつけない。オッカアやカカアは子供や孫達の為に取ったものを大切に搾り、搾り汁を濾し、火にかけて発酵を止める。ジュースだかネクターといったものを作る。残された大部分は何度の奥や小屋の隅、床下などに仕舞い込まれ、半年以上も忘れ去られる。そして、そろそろ寒くなり炬燵でも出そうかと云う頃になると、何故かオヤジが決まって、偶然そういうものを発見する。オヤジは、それが何であったかすっかり忘れてしまったといった風情で、今、初めて目にしたと言う様に首をかしげたりしながら蓋を取り、密封した紙を硬ジュースのい爪の先で突き破る。そっと穴に鼻を近付け、深く深く吸い込んで云う。「何だオイ!来て見ろ、すっかり酒になっちまってるじゃネェか!捨てちまう訳にもいくまいて〜。」草イチゴは誰も知らぬ間に勝手に酒になっちまっていたのである。オッカサンや女房がジュースにし損ねて、その結果が此の始末である。酒になってしまった。これは、オッカアと女房の不始末なのである。かくの如く、ここらでは草イチゴの他にもスモモだの梅だの、ヤマモモ、杏などがジュースになり損ねるという失敗や事故によって、全く意図しないのに勝手に酒になってしまうという事が、あっちこっちで起こったものである。当時、この辺りの知人を訪ねると出て来るのが、この種のジュースの失敗作であった。