2004.6
5月16日 Jazz Cruising in Hamamatu 前日・・・当日?ミッドナイト・ジャムを終え5時帰宅。寝酒に軽く一杯が効いた?10時半出発予定の・・・毎回軽〜く1時間遅延?バスにちゃんと乗るも、賑やかなこと此の上ない後部サロンシートと背中合わせの席で、iPod から流れる心地良いサウンドにスッポリと包まれ・・・!途中のレストタイムで目覚めてる車に戻れば症状再発の繰り返し?で、浜松に着いちゃいました。そうそう、久方ぶりの「縁は異なもの」?前夜オール・オブ・ミーで暫くぶりにお会いしたM氏が、「演奏前に残念だけど、今夜はこれで・・・」と帰られたのに3時半頃、「歌う女の子を連れて戻るから・・」と電話があり、次の店で初対面なのにジャズ談義に華でも咲きましたかで、同伴出戻りのお相手の?千里嬢にステージ終了後、浜松の話しをしますと、なんと浜松から歌いに来ていて、これから帰るのだとのこと!?「ピアノの栗田さんも知ってます」と来ては、参加するしかないでしょ!と、話しが弾み、本当に駆け付けてくれました。偶然とはいえ縁は異なものでした!!
デモCD制作顛末記 縁あって、石田一美嬢のデモCD制作に携わり、昨年10月8日に関根敏行(p)、福井五十雄(b)からなるトリオにて2時間半で7曲の収録を済ませたのですが、彼女の多忙さ・・・彼女曰く、エンジニアさんが忙しくて・・・、エンジニアからは逆の?と、凝り性から・・・「楽しくて病みつきになりそう!」と云ってましたゆえ?か、マスターが届いたのが、今年の4月2日。即、コピーする傍ら、デモ本来の白ラベル程度のジャケでは面白くないな〜と、軽〜い乗りでデザイン!HPにアップロードして見せますと、乗り良く、「是非この線で・・・」!以後、カラー変更・・・モニターでの確認は至難の業、写真差し替え・・・重ねる写真も違う2枚に・・・、スタンパも写真変更・・・等々、凝り性同士化状態?浜松からの帰路に色見本受け取りにて、あっけなく一件落着!?帰宅後、35枚のカラジャケとスタンパをプリント、断裁。一夜で仕上げて翌日納品!?かくして、半年掛かりのデモCD制作が目出度く完了。仕上がった音を楽しみながら、また、Adobeの練度が上がったかなぁ〜などと自己満足しつつ・・・お疲れ様でした。
5月16日 Mrキラー・ジョー!?
小生のライブにいらした際に、「ソプラノサックスを吹かれるんですよ。」と紹介されましたK氏(某社・社長)より、自らが主宰なさるジャム・セッションへ最初に招かれましたのは三月!その見事な腕前と幅広いレパートリー、オープニング・テーマはキラー・ジョーで、ドラマーが副社長・・・と実に決まってまして、以降3回も競演(前2回は激励で伺ってたつもり?)を重ねました。先月など小生関係の参加者も現れる状況と相成りましたので、今月からスケジュール欄に掲載することに致しました。写真左端より、Y・K社長、氏の師匠・梅林プロ、大森プロ、Y・K副社長。お二人は同級生でイニシァルも全く同じ。小生より一回りお若い午年??二回目など、乗り乗り状態の侭の11人でオール・オブ・ミー・クラブの深夜ジャムへステージ・ジャックに乗り込みました。お二人以外は全員プロなのがスピード上達の一大要因!?今後がますます楽しみで〜す。
6月19日 Rose Room Series/That's Entertaimment at All of Me Club!
 この企画のスタートは小生にとりましても、本当に嬉しい限りです。新 折人氏の当誌登場は、「お気付きの点など・・・」と、私家版「ジャズとその国際化の軌跡」を贈呈され、その248ページにも及ぶ著書に挿入された、インテリジェンスとユーモア溢れる数々の小話?(故・植草甚一さんを偲ばせる?)これは、是非皆さんにも読ませたいと、氏に願い出て始まったのです。しかし、つくづく、凄いな〜と思いますのは、著書からの分が終了する頃を見計らうかの様に、「続きを書いて見ましょうか?」と申されて、今や40話!(先月は敬意を込めて企画のお知らせに)一年後に届けられた改訂版は「ジャズと社会の万華鏡」とあり、ますます痺れました。「いゃ〜、編集長の博識には敬服します。」と、何度嬉しい誤解を頂きましたことか?未だにそう思ってる方が大勢いると思いますので,改めて此処に告知?致します。又、氏はジャズ・ヴォーカルも「好きこそ者の横好き」として大活躍!分厚い歌詞BOOK?も編纂されており、All of Me Club のステージ同様、果たして何人の方が六本木の夜道、いえ、夜店でナビされ、救われていることか? 先日、当シリーズの今後のご予定を伺いましたら、「まぁ〜、一年位は!」。いゃ〜、参りました。何時寝ておられるのでしょうかね・・・一部上場企業の社長様なのに?人のことは・・・???2部担当でもありますし、可能な限りは受講致さねばと・・・。皆様も是非とも・・・で〜す。
     2000.12/31    新 折人 氏            2002.2/24
読者のホ−ム・ページ (82) よっぱライフプランナー
 世の中、国民年金未納問題で揺れている。事の発端は、女優江角マキコの国民年金未加入事件だったろうか。彼女が社会保険庁の広告に出演し国民年金保険料の納入を訴えたのにも拘らず、当の本人が国民年金未加入だった事が判明したのである。それからは、出るわ出るわで多くの国会議員や知事の年金未納が次々と明らかになってきた。殆どの人は、「知らなかった。」「納付しているものだと思っていた。」と弁明し、年金制度の複雑さを理由にしている様である。参院選での年金改革関連法案の審議が大詰めを迎えている。与党は5月31日に地方公聴会を開き、6月3日に厚生労働委員会で採決し、4日の本会議で成立を目指している。しかし、これ迄いったいどんな審議が行われたのか。多くの時間は国会議員の未納問題に費やされ、法案の中身については殆ど審議されなかったのではないか。このまま採決が強行されることになれば、年金制度の抜本改革を求めている国民の意思に反する。国会議員でさえ制度を十分に理解しておらず、多くの年金未納者を出したというのに、彼らが審議する対応策が果たしてどれ程のものか。 厚生労働省は、これまで年金財政の危機について、「不況による運用実績の低下と少子高齢化の進行が原因」と説明してきた。だが実際には、厚生労働省とその天下り組織「年金資金運用基金」が、国民の年金保険料をリゾート開発につぎ込んで失敗したり、株価対策に回してきた為に、いつの間にか無くなってしまったというのが真相の様である。その為に昨年、年金制度の「物価スライド制」を実施するとの理由で「受給額カット」に走り、ボーナスからも保険料を徴収する「総報酬制」に変えてしまったのである。 当の政治家達は、国民年金保険料を払うなど訳も無いのだが、そもそも個人的には国民年金に関心がないのであろう。何故なら、彼らは「国会議員互助年金」で特権と役得を得ているのだから。議員年金は在職10年で受給資格ができる。受給額は在職10年なら年間412万円、最高は741万円になる。国民年金の基準の約20倍である。小泉首相の場合、次の総選挙で落選しても毎年約576万円が終身支給されるという。 国民年金保険料の運用失敗を棚に上げ、議員年金の見直しもせず、国民の声を無視して年金改革関連法案を急いで採決しようとしているのである。これで納得できる国民はまずいないのではないか。国会議員の年金が、厚生年金と国民年金だけだったらどうだろう。もっと真剣に運用方法を検討し、抜本改革にも本気になるのではないだろうか。何故なら自分の身に降りかかってくることだから。 一寸堅い話になってしまった。どうも年金問題のニュースを見ていると、無責任な政治家が、国民と違う目線で審議している様に思えてならないのである。余り考えても腹立たしくなってくるので、ピーターソンの“Quiet Niight of Quiet Stars 〜静かな夜の静かな星"・・・でも聞いて気持ちを静め、一杯のバーボンで優しさを取り戻し・・・。どうか、年とっても毎日これを飲めるような年金がもらえます様に!
49回   エロールあさかわ
全国の大学病院や大手総合病院での医療ミス、手術ミスが頻発している。日本の医療技術は此の20年間で驚異的な進歩を遂げてはいるものの、その進歩の速度に医師達の知識と技術が追いつけないことが原因の一つと考えられる。特に心臓や癌の手術の場合には患者の体力を考え、切開部の縮小と手術時間の短縮を目的としてモニターを見ながら内視鏡による手術が主流となってきた。しかし、この手術を実施するに当たっては高度の知識と技術を必要とする。ボストンのハーバード大学では医学部を卒業するまでにベテランの教授、助教授について50症例以上の臨床体験をすると同時に、患者とのコミュニケーション術などを体得する。これらの期間に6年から7年間は要すると云われているが、このような体験と経験を得て初めて一人前の医師として認められるのである。ところが日本の医学生達は20症例の臨床体験に立ち会えば良いことになっており、それらにしても教授を囲んで、その様子を垣間見る程度である。手術を実施するに際して患者やその家族とのコミュニケーションを図ることは殆どない。先頃発生した某大学病院での心臓手術の失敗は起こるべくして起こったものであり、生体実験と言っても過言ではあるまい。3人の医師によって行われたが、この医師達は内視鏡手術の経験は全くなくて、マニュアル片手に手術を行ったと云うのだ。一般的に心臓手術完了までに要する時間はマキシム5時間とされているが、内視鏡手術に関して全く素人であった3人の医師達は11時間もの時間を掛けた上、通常の輸血量の20倍もの輸血を行った末に患者を死亡させてしまった。内視鏡手術は担当教授の立ち会いの下に行われるのが普通であるが、「我々だけで成功させなければ意味がない・・・。」と話し合って未経験の手術を行ったのである。これは医療ミスなどというものではなく完全に犯罪である。3人の医師達に責任があることは当然だが、この様な日本の大学病院、大手病院の体質改善がなさなければなるまい。公的に医療ミスと認められたものだけでも年間3万件以上に上るといわれているが、実際には公表の5倍以上はあるものと考えられる。「白い巨塔」の白壁の中に塗り込められた過去の医療ミスと、何も知らされないままで死んでいった患者や家族の為にも徹底した改革改善を行うべきである。ミスを犯した医師達に対する罰則の甘さも問題である。 
「煙草とジャズ」 新 折人 #40 
1920年にアメリカで世界初の本格的商業ラジオ放送局が開設して以来、ラジオがジャズの普及に果たした役割りは計りしれないものがある。同時に、かつて「煙草産業」は、ラジオのジャズ番組の有力なスポンサーであり、「煙草」はスタンダード曲の歌詞を彩るテーマの一つでもあった。
煙草はもともと西インド諸島に自生していた植物で、古くから喫煙の風習を知っていたのはインディオのみであった。この鼻と口から煙を吹き出す奇妙な風習は、十五世紀末のコロンブスのアメリカ到着以降、たちまち世界中に伝播した。初めの頃煙草は、今とは逆にその薬効が喧伝された。1636年にオランダでコレラが流行し、1665年にイギリスでペストが猛威をふるった時、感染を防ぐ手段として煙草が盛んに用いられた。次いで煙草は社会生活での肉体的、精神的ストレスを解消する為の貴重な小道具として重用される様になった。時を経て1920年代以降の大規模な広告宣伝と、女性の喫煙習慣の定着により、アメリカの煙草産業は隆盛を極めた。そして高収益を謳歌したアメリカの煙草会社は、惜し気も無く予算を支出して、ジャズ番組のスポンサーになった。
例えば、1934年から煙草の「キャメル」が番組「レッツ・ダンス」を、また1935年には同じく煙草の「ラッキイ・ストライク」が番組「ユア・ヒット・パレード」をラジオで提供し始め、スタンダード曲を盛んに流し始めた。
また、これらの番組で使われた曲には、煙草や煙草の煙りが歌詞に入っているものも少なくなかった。"Smoke gets in your eyes"(1933)等は、煙草礼讃の歌としか思えない。"These foolish things remind me of you"(1935)では〈♪ A cigarette that bears a lipstick's traces・・〉と口紅のついた煙草の色っぽい様が歌われた。"Dream"(1944)は、そもそも「ユア・ヒット・パレード」の為に作られた曲だと記憶している。この曲に "Cigarette" という言葉は直接使われていないが、〈♪ Just watch the smoke-rings rise in the air・・〉というフレーズでは、煙草の煙で出来る環が漂う。 "Black Coffee"(1948)には、〈♪ I'm mooning all the morning, and mourning all the night, and in between it's nicotine ・・〉(♪ 朝にぼんやりし、夜にうめき、その間にニコチン・・)というフレーズがあり、mooningとmorningとmourningとをかけた洒落た言い回しと共に、煙草に含有されるアルカロイドの一種で猛毒成分の「ニコチン」中毒になりそうな様子が出てくる。 "Satin Doll"(1953、詩は1958)では、〈♪ Cigarette holder which wigs me・・〉と煙草のキセルが気をそそる。しかし、1950年代あたりから、次第に喫煙と肺癌の関係が指摘されるようになった。医者はもとより煙草屋ではないし、慎重サイドで物申すのが商売だから、患者に対し二言目には「煙草を止めろ!」というようになった。「野球と音楽と煙草」が大好きだといっていたナット・キング・コールは1965年、その類い稀な声が出なくなったわずか二週間後に47才の若さで、肺癌の為に天に召された。一日二箱も三箱もの煙草をすっていた西部劇俳優ジョン・ウエインは、最後に出演した映画、「ラスト・シューティスト」(1976)で、皮肉にも「癌を病むガンマン」を演じたあげく、1979年に72才で肺癌の為この世を去った。
禁煙運動の高まりで、煙草会社は訴訟の対応に追われ、窮地に陥りジャズ番組のスポンサーどころではなくなった。それどころか、1971年初、アメリカで煙草のコマーシャルをラジオやテレビで流すことを禁止する法律が発効し、煙草会社とジャズ普及との蜜月関係は消滅した。又、歌詞に煙草を読み込んだ曲も殆ど作られなくなった。1978年に出来た曲 "I was a fool to let you go" の冒頭歌詞に〈♪ After I've had my last cigarette・・等と出て来るのは、極めて稀なケースになった。
、喫煙は、多くの人々から文字どおり煙たがられている。愛煙家の居る場所はどんどんせばまり、もはや天国に行くしかないのかも知れない。しかし、「ジャズ・ライブ」では、七色のスポット・ライトを横切って紫煙がくねる雰囲気も、依然捨て難いものがある。嗚呼、愛煙家の悩みはつきない。
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (8)
 私は今、妻や犬や猫たちが眠ってしまい、虫の音とペンが紙を引っ掻く音のみの聞こえる静寂の中で、これを書いている。それでも、頭の中では貴兄の奏するドラムの音、ブラシの音が聞こえる。不思議な事に、仄暗い空想の中、只一人でのドラム・ソロ。共演者は誰一人居ず、聴く者も私ただ一人。貴兄の生活について殆ど何も知らない故、そうなってしまうのか・・・。ack-ack'誌で知る限りでは殺人的スケジュールに圧倒されるばかり、私の想像の限界を超えており、何も思い浮かばない。九州の片田舎・・・東京、文化果つる処・・・日本の中心、功成り名を遂げた人・・・隠退者、かくも隔たった境遇になり至って居ながら、何の躊躇も拘りもなく、こうして思いつく侭を書き連ねて居られるのは、昔のよしみという言葉に甘えていられるから・・・、図々しいだけなのかも。しかし、誰にでもこうではない。偏屈な性向は数十年を経て磨きが掛かったものか、貴兄を除いては寧ろ、同期生については誰とも会いたくない、必要すら認めないというのが本音です。私は自分を世捨て人、世に捨てられ、自らも世を捨てた者と思って数十年を生きて来た。貴兄は私の青春時代の唯一の遺産に等しいと思っている。同期会の案内に添付された消息通知欄で貴兄の消息を知ることが出来たのは、私に取って本当に思いがけぬ幸運というものです。私についてのみ正直な処を語るならば、青春などは謳歌したり賛美出来る様なものではなく、思い返すもおぞましいもので、出来ることなら全て忘却の闇の中に葬ってしまうか、自らをも含めて、何奴にも此奴にも復讐を計るしかない様な代物。勿論、貴兄のことのみを除いては・・・。逆説的に云うならば今だに、あの屈辱的な自己嫌悪と欺瞞と敗北感に塗りたくられた青春、喪失してしまったプライドを取り戻す為に生きているのかも知れない。其のせいで此の年になっても、まだ陽向で眠りこける蜥蜴のくせに“一滴のワニ"のつもりで夢見る処があり、“何の罪もない一般市民"とか“何の罪もない人々"等と平気で口にする、善良そのものを気取る手合いに出会うと、忽ち心の中に別の自分、即ち犯罪者、テロリスト、殺人者などが目覚めてしまう。善良な市民の敵が目覚める訳です。つい先頃まで周囲には、どう誤魔化しても善良な市民を気取ることなど出来ない手合いばかりでした。20年以上、オヤジこと、党の県支部長の下でそういう連中に、日の丸の鉢巻きをさせ、其の精神に越中褌をはかせる役をして来ました。中、高卒と同時に社会から逸脱した様な連中です。しかし、連中も死ぬ迄は息もしなくてはならず、たまには飯も喰ねばならない。放っておけば、詫間 守に成長するかも知れず、ガソリン満タンのポリ容器を抱えて、自分を冷遇し侮辱した上司の会社に乗り込み、会長以下幹部社員の全てを呼び集め、会社の現金、株券、債券などをテーブルの上に積み上げさせ、爆燃を試みるかも知れない。そこで、オヤジはかって予科練、軍隊上がり若者やテキヤ、博徒の類を集めて統率した様に、非行青少年の再起指導に力を注いだ訳です。先ず、仕事に就かせる。職場は党幹部が頻繁に出入りする所で、中小建設会社、GS、飲食店、ETC・・・。筋金入りの幹部連中は、若者らの前後に壁の様に立ちはだかり微動だにしない連中であるから、サボったり逃亡を図るなど考えられない。夜は夜で、支部長宅の学習会に参加させられ、歴史やら道徳、法律、刑罰、宗教、社会学などを、私の様な者達に叩き込まれる。当番の強面数名が周囲を巡っているので、居眠りも出来ない。そうして3年も経つと殆どがシャンとして来る。手に職を持ち、独立して事業を始めたりもする。左官、大工、コック等ではあるけれども、学校や家庭と異なるところは、「自分にあった好きなことを見つけなさい。」とは決して云わない。そもそも世の中なんてお前らの為にあるもんじゃない、好き嫌いなどフヤケた事を抜かしてるから、そういう事になる。好きでも嫌いでも構わん。向きも不向きも関係ない。先ず、息をして飯を喰え、後はそれから!!と至って簡単。勤め先の決定も百数十パーセントが一方的。戦闘地域に送り込まれる一兵卒と何ら変わりない。茶髪などアッと云う間に刈り込まれ、ピアスなど耳朶ごと千切られる。親も親で「どうにかなるのなら、腕や足の一本位は我慢します。宜しくお願いします。」と宣誓するのが殆どです。本人達ときては、他人の云う事は勿論、自分の云う事すら聞けないのばかり、自分が自分の犠牲になってしまっている連中です。しかし、そういうのが何とかなって来る。蛇の道は蛇、餅は餅屋、その道のベテラン、屈強な先輩が揃って鉄壁の如く立ち塞がり教育に当たる。私のようなヤワには教育というより、強制訓練、人間改造に見えて恐ろしい位だ。何も知らない親など大して考える事もなく「根情を叩き直して下さい。」等と云って帰るが、聴いた方は言葉通り、忠実に実行する。文字通り、叩いて直す。“体罰は絶対いけない。"等とは何処の世界の話しかと思わせる。教官達は云う。「悪い事をすれば、罰は当然。」先ず、それから身につける。 以下次号