2004.3
 ack−ack’通信
   2月17日 世良 譲氏ご逝去(享年 71歳)    笈田さんの告別式で意気軒昂に振る舞われていらしたのに・・・!果たして私は何人のバンマスにお世話になったのかと?思い起こす良き機会なので、敬愛と感謝、追悼の意を込めて懐古して見ます!松本文男氏、永沢金衛氏、沢田駿吾氏、松本英彦氏、鈴木章冶氏、世良 譲氏、笈田敏夫氏、与田輝雄氏。金衛さんは暫く会ってませんが、沢田さんは小生がドラム科を担当するルーツ音楽院長として頗るお元気!与田さんもご健在にて嬉しい限りですので、先ずは、章冶さん(1995.9/10 享年63才)から・・・早過ぎの一語です。旅先での軽く一杯!?に良くお付き合いしましたが、話題は音楽のみで延々2〜3時間・・・たま〜にカメラとオーディオの話。大矢江美さんのサントリーホール・コンサート時(1955.6/20)、既に体調は良くなかったのに快くゲスト出演。専用の楽屋があるのに同じ楽屋で「コンサートは楽しいね!」と最後迄ニコニコ。根っからの音楽好きなんだと感服したのが昨日の事の様・・・。チケット・セールスにも気を遣い、章冶さん「僕、ギャラいらない」、Lちゃん「お恥ずかしい限りのお車代ですから〜」とお渡しするのに一苦労したり。亡くなる一週間程前、楽しみにされてた当日のライブCDをお届け出来たのがせめてもの慰めでした。松本さん(2000.2/29 享年73才)はMrCool(お酒を呑み過ぎてない時?)で、リズムエースへの参加は池袋のウエストパーク出演時にカウンターで呑みながら〜章冶さん「今度のコンサート、良いタイコが居なくて・・・」、松本さん「西川君に頼めばイ〜じゃない」、章冶さん「まっツンに悪いよ・・・」、まっツン「イ〜よ、イ〜よ。この人何でも出来るよ」、章冶さん「本当にイ〜の、まっツン?悪いよ〜!」、まっツン「イ〜よ、い〜よ」で、小生何ら関する事なく、到底考えられない「棚からボタ餅」風な、栄ある両グループ在籍決定・・・二人が親友だったからこそ!松本さん語録〜「酔っ払ってリズムが狂うんなら、呑んでから練習してみれば?」。冬、野外の演奏時「寒くて指が動かない?冬も表で練習してたから平気。たまにやるとイ〜ヨ!」・・・全て体験に基づいてたと思われます?そんな問答の都度、妙に納得させられたり、腹を抱えて笑ったり!反面、小生がドラムレッスンのやり繰りがつかず、代行を買って出て、翌日のラブリー・ミュージック・スクール院長のご託宣として「あんな理屈っぽい奴は教えなくてイイ・・・失敬な奴」(ちなみに同君は以降2年間も全く我感せずで・・・?)。この感情の落差こそ?松本さんの天才足る由縁と如実に感じました。さて、世良さんと思いましたら、ウ〜ンと早過ぎたキーさん・木村新弥氏(1976.6/7 享年42才)が記憶の底から蘇って参りました。当時の松本カルテットでマネージャー的存在で、クラブ出演時に松本さんと口論・・・仲裁役が菊地の秀ちゃんなのも笑えますが?酔い損なってるキーサン「モー帰る!浜松グランドホテル、遅れるなよ」、出来上がってる松本さん「行かないもん」、キーさん「勝手にして」。翌朝、東京駅で松本さん「ほ〜ら、キーやん又、遅れるよ。酔っ払うと何時もこうなんだから、仕様がないよなぁ〜」?!?(仲良しは決して同時には酔っ払えない?)毎回攻守処を変えてましたが?TBS・TVの音楽番組「サウンド・イン・エス」スタート時も「世良チンとトリオでやるけど、どうだ?」と声を掛けてくれ、世良 譲トリオにセミレギュラーで参加する事となり、バードランドに3バンドで週3日出演!バンド変われど(リズムエース、松本カルテット、世良トリオ)ドラマー変わらず(3回連続)ポスター出現?(東海労音)等の根源であり、バンマス的存在でした。さて、改めて・・・世良さん(2004.2/17 享年71才)は小生を良く「お兄ちゃん」と呼んでくれました(弟もドラマーだったから?)。小生が九州出身なので関連した仕事が増え、月に5日間以上も博多にいる状況となり、いっそ部屋でもと思うほど楽しかった福岡・全日空ホテルの毎月出演!バーラウンジでの演奏は勿論、タキシード着用・・・ゴルフで大遅刻の御大はグリーンの半袖ポロシャツ・・・?ホテルのフロントに「チェックアウトなさってます」と云わせて寝てる確信犯的遅刻常習犯(絶対的アウトは滅多になかった)。我々が離陸間近い機内で気を揉んでると「恐れ入りますが手違いがありまして、キャンセル待ちご搭乗のお一人様に次便へのご変更をお願いします」。降りる人(それなりのサービスあり)とすれ違いに・・・!?逆に、オヤジ達が他所から入る時、小生とマネージャーのみで「オヤジが居ないと楽だね」なんて話も弾み、ゲート・インしてバス搭乗口間近にいながら、なんと?乗り損なった!(アナウンスも聞こえぬほど話題に事欠かず・・・?)一便遅れで現地到着したが、オヤジ「俺、一便勘違いしてたよ」で大らかなものでした。話し出せば切りなく、可笑しく、面白く、楽しい想い出を一杯与えてくれたバンマスご一同でした。2月21日には懐古させる発端となりました?笈田さん(2003.9/2 享年78才)のコンサート・フィルム(一昨年同日、日本青年館で小生がバンマス?を努めた)を大スクリーンに映し、それを酒の肴に〜なる趣旨の会がJZ Bratで催され、コンサート同様一〜二部に分けて上映されたのですが、肴にする処か、皆さん声は掛けるワ、拍手は盛大だワ、私にとっては幽体離脱状況下?タイムマシーンに乗って当日に戻った様な気分になりました。
今となっては貴重な共演作品です。
鈴懸の径コンサート
鈴木章冶
The First By Sleepy
松本英彦
Forever
笈田敏夫
Moonglow
 世良 譲
追 伸  只今、笈田さんが遺されたパート譜(約200曲、フル80曲程)を少しでも後進のお役に立てたいとの奥様の希望を受けましてリスト化しております。間もなく完成致しますので、大いにご利用下さい。
読者のホ−ム・ページ (79)  Dancing Lawyer
  世今年も春の声を聞く季節です。最近私が読んだ本(新書)から、2人の著者を紹介しましょう。好きか、嫌いかは別ですよ。まず、初めは「養老孟史(猛)」さんです。「馬鹿の壁」が昨年大ヒットし、今や出版界の寵児です。書く本が殆どベストセラーで、養老氏の印税収入を知りたい位です。養老先生の本は、文章がうまくあっさり読めるので、お読みになった方も多いでしょう。批判も多いでしょうが、私は、基本的には、彼の考え方がおかしいとは思いません。養老先生は東大医学部出身のスーパーエリートですが、東大医学部で教授をされた頃は、本音では居心地が悪かったようです。解剖学・脳科学の先端にいた割には、「権威」なるものに反対し、「原理主義(一種の絶対的な教条的論理への信頼)」的な発想には、徹底的に反対されています。ここが、養老さんのスーパーエリートの出自からは、意外だと思います。しかし、養老さんは、フリーな発想をされ、我々が毒された常識なる諸々の「壁」に対する養老さんの指摘は鋭く、我々も反省させられます。敢えて言えば、養老先生には、もっと腰を落ちつけて、重厚な本を書いて欲しいと思います。
 次は、若干マイナーですが、「竹田青嗣(たけだせいじ)」と言う哲学者 (明治学院大学教授)の紹介です。この人は、いわゆる「在日」の出自です。竹田先生は、フッサールの「現象学」の研究者でNHK出版からも「現象学入門」という本を出版していますし、最近は、ちくま新書から「現象学は<思考の原理>である」という本を書いています。簡単に言えば、哲学の最も難問の一つである「主観(精神)」と「客観(物質)」の関係について、「現象学」を新たに解釈して、分析しています。しかし、普通の哲学書から、比べると、わかりやすい文章で、ある意味では哲学の入門書としても最適です。但し、内容は相当高度です。でも、私はいつも、この竹田先生の本を読むと、頭がすっきりします。特に「言語」の分析が素晴らしいからです。竹田先生は、大変バランスが取れていて、養老先生の言う「原理主義」は良くないが、しかし人間には、「普遍性」とも言うべき「真理・真実」を求める傾向があり、この「メカニズム」をいかに分析すべきかを的確に分析されています。興味のある方には、お勧め本です。こういう亊を考えたり、興味を持つ人は少ないでしょう。でも、せっかくの人生だから、我々が、いかに適当に、「主観的」とか「客観的」とか「事実」とか「真実」とかの大切な言葉を、余り分析もしないで、いい加減に「言語」を使用している姿勢には、反省させられますよ。私も「法律家」故、おおいに反省させられます。だからといって、「唇寒し」となっては、それこそ、「本末転倒」です。この基本は最も大切です。言 論・表現の自由は、やはり大切ですから、今宵はジャックのドラム、ジョーヘンのテナーも冴えてる、ヴィトウスの名演“Freedom Jazz Danc”で決まりです。ペンネーム通り、私はひたすら踊り狂うるのみとなります。勿論、バーボンを呑みながら・・・??
46    エロールあさかわ
 昔から「成功者」「出世者」と称される人物は大勢いるが、此の様な人物も日本敗戦前と後では大きく変化してしまった。現代社会に於ける「成功者」「出世者」とは果たして如何なる人物を指すのだろうか。端的に云うと大金を手にした者のことを指している様である。遊び盛りの幼年期から過酷な塾通いや英才教育が施され、少しでも「良い学校」へ進学させようとする親も多いが、名門校を卒業することによって労働条件の整った一流会社や一流企業への就職の道が開かれるからである。一流会社や一流企業への就職が可能であれば、高収入と安定した生活を得ることになる。一流会社や企業に就職して、部長、常務、専務、社長へと昇格して行くことがサラリーマン世界での「出世者」と云うことになる。昇進昇格に伴い収入も増えて行くわけだが、収入が増え蓄財が出来ると、豪邸を建てたり別荘を持ったり、高級車を乗り回すことも可能となり、更に快適な暮らしや快楽を欲しいままに出来る訳である。現代社会では金さえあれば何でも出来ると云うことから、「金銭至上主義」「拝金至上主義」が定着してしまっている。此の様な思想に対して反論を唱えるつもりはないが、「金銭至上主義思想」の根底には「合理至上主義」が推進力となって定着しており、又「合理主義思想」の推進力となっているのが、幼児期から始められる「左脳偏重型教育」である。人間の頭脳発達時期に不可欠なのは左右両脳にバランスの良い刺激を与えることであるが、現代の学校教育の内容を見ると読み書きや計算、企画構成などの論理的思考を司る左脳の教育に重点が置かれていることが判る。喜怒哀楽など情操面の教育がおろそかになっている為に、現代の子供達は幼児期から既に両脳のバランスが崩れている。正しい物の見方、判断力、抑制力などは両脳のバランスの上に発揮されるものであるが、現代の左脳偏重型教育の結果、14〜5才になると「脳パニック」症状に陥り、プッツン少年少女を産み出している。年少者による凶悪犯罪急増の原因も左脳偏重型教育の弊害と云えるのではないだろうか。従って現代社会の様子を横から見ると、左脳偏重型現代社会であり、将来は脳障害、脳バランス崩壊人間達が社会を構成することになるのではないだろうか。そうなると「成功者」「出世者」とは一体どの様な人物がなるのか興味深くもあり、空恐ろしくもなる。
「ルート 66」  新 折人   #37
 私事にわたって恐縮だが、私は戸籍によれば1938(昭和13)年2月24日に生まれたらしい。これが正しければ、つい先頃、なんと66歳になってしまったことになる。昔なら腰の曲がったジジーの年令である。66歳になったとたんに単純にも数字だけの連想で、耳に慣れ親しんできたルート66(Route66)という曲が、あらためて頭によぎった。この軽快な曲は、私が小学校3年生の餓鬼の頃、つまりあの忌わしい「大平洋戦争」が終った翌年の1946(昭和21)年、歌姫ジュリー・ロンドンの夫君のボビー・トゥループによって作詞・作曲された。同年ナット・キング・コールがレコーディングして大ヒットし、以来彼の代表的な持ち歌の一つになったことは周知の通りである。
 ルート66は、かっての「西部開拓時代」の幌馬車の轍(わだち)を辿って建設され、1926年に国道として誕生した。それは東部の「シカゴ」と西部の「ロスアンジェルス」を結び、八つの州を串刺しにし、2,448マイル(3,940q)の長さを持つ、アメリカ初の「大陸間横断ハイウエイ」であった。1934年から数年に渡って襲った。大砂塵の害に喘ぐオクラホマ農民は、新天地カルフォルニアを求めてこの道を辿った。1939年には、ジョン・スタインベックが名著「怒りの葡萄」でこの道をとりあげ、「母なる道」と称した。1940年にはジョン・フォード監督が「怒りの葡萄」を映画化し、アカデミー監督賞を受賞、ルート66の存在を一層有名にした。第二次世界大戦を挟む時期には、この道は物資輸送ルートとして重要な役割りを果たした。そして戦争が終って帰還した東部出身の兵士はルート66を辿り、かって兵士として訓練を受けた気候温暖なカルフォルニアを目指す旅をして、自由と感傷を噛みしめた。
 そうした背景のもとで、「もし西部に旅をするなら、2,000マイル以上あるルート66をすっ飛ばすのがお勧めだ・・」、という前置きで、〈♪ 「セントルイス」(SaintLouey)を通過して、ミズーリの「ジョプリン」(Joplin)。「オクラホマ・シティ」(OklahomaCity)はとても綺麗。「アマリロ」(Amarillo)を見て、ニュー・メキシコの「ギャラップ」(Gallup)、アリゾナの「フラッグスタッフ」(Flagstaff)。おっと「ワイノナ」(Winona)を忘れちゃいけない。「キングマン」(Kingman)、「バーストウ」(Berstow)、「サン・バーナディノ」(SanBernardino)も・・〉と、途中の地名を次々に読み込んだルート66が大ヒットした。珍しく恋だの愛だのが歌詞の中に入っていない、言ってみれば純粋観光推奨の歌である。1960年には、CBSが、このタイトルと主題歌をイタだいて、トッドとバズという二人の若者がスポーツ・カー(シボレー・コルベット)に乗ってルート66を旅し、さまざまな事件に出会うシリーズ物のテレビ番組を制作、金曜夜のゴールデン・タイムに放映し始めた。この番組は1964年まで続き、日本でも放映され、お茶の間の人気番組となった。 
 しかしながら、この番組が放映されている頃、アメリカでは物流の合理化と環境問題への対応のため、市街地を避けて通る新しい「インター・ステイト・ハイウエイ」(InterStateHighway)の建設計画が着実に進み始めていた。その計画によってルート66は、あちこちで分断され、最終的に〈I-55,I-44,I-40,I-15,I-10〉といった五つの「インター・ステイト・ハイウエイ」によって上描き代替され、1985年以降ルート66の名は地図から抹消された。「ルート」は、今や「伝説の道」となってしまったのである。しかし、ルート66という曲そのものは不滅である。 私は今、66歳から後の人生を、どういうルートを辿って歩もうかと、しみじみ考えている。
E・メール名作選-42 
 編編集長、もう、春なんでしょうか?・・・と、すれば、冬がないまま、もう春なんでしょうか?多分、もう春なんだろう・・・。だって家の飼い主、花粉症だもん!!!もう、おちおち寝てられない。だって、僕達、飼い主に貼りついて、寝てるでしょ。なのに、飼い主ハックショぉ〜ン・・・って、言う。ハックショぉ~ン・・・って、言うだけじゃなく、なんだか、その度に跳ねるの。だから、夜はおちおち寝てられない。じゃ、昼間はノンビリ寝ていられるか?って言うと・・・。これが、又怪しい・・・。家の飼い主、まるで、銀行強盗・・・今すぐ出来ます!の出で立ちで、お出かけ???逮捕されたら、どうしよう?・・・.そこまで怪しい・・・カンジ。この時期、こんな人、一杯いるから、大丈夫!と飼い主は言ってるけど・・。なんだかなあ???去年、飼い主は甜茶、試したけど、だめ~・・・で、今年はグァバ茶にトライしてます。ほんとに効くのかどうかは、怪しいけど・・・.効いた気に・・・ここは是非ひとつ、なって頂きたいものです。編集長、これから、まんまと、飼い主お出かけ!!!・・・これから、僕達、ノンビリお昼寝・・・出来ます。飼い主が、お出かけしてる間に、爆睡しとかないと・・・、こっちが身が持たないものね。
ところで、編集長、僕達は、花粉症なんて、どこ吹く風??まるで、関係なく、そんな僕達を見て、飼い主は、なんで、ネコは花粉症にならないのだろう?・・・.と考え込んでいます。ほんと、なんでなのでしょう?そもそも、人間は、なぜ花粉症なんてものになったのでしょう?僕達は、その方が不思議です。どっちにしても、春になって来た模様。。。。なんだか、ウキウキ。。。ルンルン。。。窓の外を、眺めるのが、楽しみな今日この頃・・・。            --                                       (=^_^=)Writen byAYA with★ Musashi& Asari<Otibi>-Musashi &Sayori(^*^)
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (5)
 私は鳥獣保護委員であるから狩猟違反は出来ない。県猟友会の推薦により県知事に任命された県の臨時職員であり、任務は傷病野生鳥獣の保護であり、保護区、禁猟区、銃猟禁止区域・・・等、区分地域の管理と狩猟法、銃刀法違反等の取り締まりに当たる。この最後の任務のお陰で他のハンター全員の監視にさらされる憎まれ者になり果てているのです。その上、警察の生活安全課にも以前一悶着あって好感を抱かれていない。しかし、警備課は訪れると珈琲位は黙って出て来る。私の所属していた党が或る意味では二足のワラジを履く団体であるからそうなるので、スピード違反でもオヤジ(支部長)に電話があるから、全てについて品行方正でなくてはならない。生前、オヤジが「おかしな事になっちまったよ。いつの間にか品行方正にしなくてはならん様になっちまった。特攻隊のなれの果て、愚連隊から丸暴、いつの間にか支部長。若い者に間違った事をするな等と云ってるんだからなァ」。「世間は、私達の事を間違っていると云ってます。南京大虐殺、従軍慰安婦?そんなものはなかったとか、靖国神社には全国民が参拝すべきだ等と言い張ってるのは、私達だけですから、心配する事等ないのでは・・・」。「そうだな〜、おい、奥にラムネがあるから飲もうや。飲みもんはやっぱり、ラムネかサイダーだ。ポカリ何とかっちゅうのは気持ち悪いナ」。支部長は私の臆病な処が気に入ってた様です。臆病者は警戒心旺盛だからしょう。兎に角、私は危険は犯さない。猟に於いても共猟は危ない。狩猟事故の殆どが共猟者によるものであり、手負猪より危険だからである。私は人を信用しない悪い癖を持っており、これが猟では大いに役立つのです。「人の背後からは決して撃たない」等と云ってる奴が、目の前に雉子でも出ると、いきなり人の頭越しにドカンとやる。此方は首から上が吹っ飛んだかと思ってしまう。暫くは何も聞こえず、目の前が真っ白になってる。「スマン、スマン、いきなり出たもんで、つい・・・」。嫌でも冷たくなった目つきで見据えると、言いやがる。「イャ〜、普段は決してこんな・・・スミマセン」。「何を撃ったんか?」「あの〜、雉子を・・・」。「雉子?何処に落ちてるかね」。「いや〜、当たらなくて・・・」。「私の頭を狙ったんじゃないのかネ。暫くは身体だけで立ってる気がしたがネ。撃つ時はキチッと狙って外さない。自信がなければ撃たない。頭越しに狙ったり、獲物越しに頭を狙う様な事もしない。私はそうしている」。「スミマセン、勘弁して下さい」。「するさ、仕様がないだろ。私は小さくて軽いが、それでも頭落とし、臓腑抜きでも四十キロはあるぞ。それとも穴掘って埋めるか、カラスの餌にでもするか?」。「許すも許さないもない。只、その癖がある内は猟は一人でするこったネ」。彼の人柄は許しているのだが・・・猟は独りが良い。独りで猪を追い続ける。犬もなし。現在の犬は鳥猟犬のポインターであるから、私のベッドで寝ているが良い。数日後には軋み始める骨と筋肉痛に呻きながら床を這い出し、年は取りたくネェもんだなぁ〜と実感しながら、銃を引きずって歩き続ける。猪が、あの阿保、また同じ径を、同時刻に、同方向からヨボヨボ、呻きながら来やがった・・・と思い込むまで、そいつを続けます。猪の方は慣れっこになって(デカイ奴ほどそうなる)、私の行動を学習し、私に併せて餌をとり、昼寝をし、雌を追いかけたり、おしっこしたりする様になる。しかし私がヨボヨボ・ジジイなのも、そこ迄です。冬には珍しく強い雨が降りしきる様な時、まさか、あのヨボヨボ・ジジイは来ないであろうと思う様な時、私はいつもの様では無くなります。ヨボヨボ・ジジイは、幻となって猪の期待と予定の中をやって来る。ジジイの来る方向を窺っている猪の背後から迫る。猪は停車する音を聞いた・・・足音も咳払いも、煙草、ヘアトニックの匂いも嗅いだ・・・もうすぐジジイの姿が見える頃だ、が、今日はやけに遅いな、ジジイ、雨に手こずってるな等と思っているかも知れない。それにしても遅すぎる、怪しい、危ない、引き返そうと思っているかも知れない・・・多分そうでしょう。退路から接近し、木化け、石化けして待つ私の方へ引き返してくる。猪は通る径の変化には敏感で僅かの変化にも気がつくので、通い慣れた径に細工を施す。小石を返しておくだけで、奴は異変に気づき別の途を取る。それを予想して奴が一度も辿った事のない方向へと誘導する。猪は暗い方、暗い方へと逃げる習性、本能がある。私はそこで待つ。勿論、風下になる様、私に掛かる雨音や雫が猪に異変を察知させぬ様、位置を決めて待つ。   以下次号