2004.2
 ack−ack’通信欄
  今号の当欄は前回のグラフィック満載となりました?個性豊かな方々ばかりなのですが、各回とも皆さん実にリラックスなされて、暖かい雰囲気満杯の楽しい会の連続となりました。破茶目茶ジャムは皆さんの親密度が過去最高?見事な破茶目茶振りが大いに楽しめました。コージーエル・ジャズ新年会はインスト部門(破れ太鼓の会)とヴォーカル部門(マンデイ・セッションG)が、とてもバランス良く融合して進行もスムーズに・・・よく飲みよく食べ、誠にお正月らしいセッションでした。個性と申せば、小生のドラム塾こそ個性の宝庫そのもの?!?グラフィック満載ついでと申しましては甚だ失礼ながらドサクサ紛れにご紹介致しましょう。まだまだいらっしゃいますので順次・・・です。!
2003年12月28日
リラキシン
破茶目茶ジャムセッション
vol.18

皆様の勇姿はホームページwww.ack-ack.jpにてもご覧になれます。昨年8月の写真は遂に当紙掲載ならず?ホームページのみとなってしまいましたが、こちらもご覧になって下さいね!申し訳なしデ〜ス!
2004年1月3日
コージー・エル
ジャズ新年会
破れ太鼓の会 vol.3

コージー・エルと「破れ太鼓の会」共催によるジャズ新年会の参加者名鑑?です。こちらも既に3回目!初回こそ「破れ太鼓の会」として発足したのですが、2回目からは、コージー・エルのお客様多数のご参加により、上記タイトルとなりました。初回よりホームページにてご紹介致してますので、アクセスして見て下さい。
読者のホ−ム・ページ (78)  よっぱライフプランナー
  世の中が忘年会シーズンに突入した平成12年12月初めの金曜日の夜、初老の女性が自転車で走っていた際に、後ろから走ってきた乗用車に引っ掛けられて転倒した。私の義母である。ベッドに入り深い眠りにつこうとしていた私は、義弟からの電話で起こされた。寝ぼけていた私は直ぐには事態が呑み込めなかった。タクシーで病院に駆けつけると、あのしゃきしゃきとした義母とは思えない姿がそこにあった。脳挫傷とくも膜下出血で重態である。意識が朦朧とし、訳の解らない言葉を発し、苦痛を訴える義母。予断を許さない状態が続き、医者からも最悪を覚悟して下さいとの言葉も出た程である。翌日、硬膜下にできた血腫を取り除く手術をし、何とか成功。奇跡的に一命を取り留めたのである。運転していた加害者は、あるパーティーでウィスキーをしこたま飲み、帰りにラーメン屋で更にビールを飲んだ後、帰宅する途中だった。泥酔状態で記憶が定かでないとのことであった。クリスマスを病院のベッドで過ごした義母は、正月まで病院で迎えたくないと一ヶ月程で無理やり退院し、自宅療養となった。しかしながら、頭へのダメージは大きく、通常の家事ができるようになるまでにはかなりの時間が必要だった。パートで体を動かす仕事をしていたがそれも出来なくなり、既に夫を亡くしている彼女は生きる張り合いを失っているように思われた。最近になって、ようやく以前と同じような喋り方になってきたようである。同居している義弟の心配や負担は想像以上のものがあったのではないだろうか。加害者は刑事裁判で執行猶予なしの有罪となり、控訴したものの棄却され、務めを終えて現在は保護監察員の指導のもと生活を送っているようである。ある会社の役員をしていた加害者は、解雇されずに現在は平社員として雇用されている様である。事故以来3年が経って、つい最近ようやく加害者本人が義母の家に謝罪に訪れた。しかも、事故以来再三こちらから要望しているのにもかかわらず、やっとである。その姿にあまり誠意は感じられなかった、とは義弟の話である。近々、私も入って損害保険会社と損害賠償の示談交渉を進めることになっている。事故から2年半程経った平成14年6月、道路交通法が改正になり、酒酔い運転に対して3年以下の懲役または50万以下の罰金と厳しくなった。平成11年11月からは運転中の携帯電話の使用禁止についても強化された。酒酔いにしろ携帯電話にしろ、「一寸だけなら」「多分、大丈夫」との甘い認識が悲劇を生む。被害者および被害者の家族の思いはその立場にならないと解らない。電話口で聞いた義弟の言葉が忘れられない。「いくら謝って貰っても、一生あの事故の事は頭から消えることはない」。馬車で走っていた時代はと申しましても、子供時代に見た西部劇では良くヒックリ返ってましたが?マイルスの名演「飾りの付いた四輪馬車」でも聞いて重い気持ちを吹き飛ばし、交通事故被害者の方とそのご家族のことを思いつつ、バーボンをちびり・・・!
45    エロールあさかわ
 ジェダーフリーと云う言葉が使われる様にになって久しいが、元来は北欧諸国で発生発展した思想で、男女共同参画を意味するものである。ところが日では男女同権、男女平等と云う考え方に拍車を掛ける結果となり、最近では女性の権利主張の声が大きくなって来た。従来は男性の仕事と考えられてきた建設現場やガードマン、長距離ドライバー等、体力を必要する職場への進出も目覚ましい。このような現象に対して私は異論を唱えるつもりはない。ただし男性と同等の能力を備えていればの事である。大手の企業や自衛隊、警察官、政界への進出も著しいものがあるが、女性なりに頑張っているという見方をするものが居ることも否めない。先日、知識人と呼ばれる女性大学教授や衆議院議員がテレビ番組で日本には男女の差別が多方面にあり、男女同権や男女平等と云う基本的人権が守られていないことを熱っぽく語った。彼女たちに云わせると幼児期から男女の差別が始まって居るというのである。「あなたは女の子なんだから」とか、「男の子なんだから男らしくしなさい」と云うこと自体が差別の始まりと主張する。名前や衣服にも男女の差別があり、女の子には赤やピンクを基調とした服を着せようとする親たちが既に差別を始めてい事になるのだ。男の子は幼児期から将来の過程計画を考え、女房や子供達を養っていくための努力をしようとするが、そのこと自体も差別であるノタまう。女性であると云うことで家庭に縛り付けたり、女性は家の中に専念すればよいと云う考え方がある限り男女の差別は無くならないと云う。家事も育児も共同で行うべきであり、女性も社会に出て活躍して良いはずである。理屈はともかく、このような考え方が増えると同時に離婚率が急増していることも事実である。夫婦共稼ぎで収入は増大するであろうが、一つの家庭に二つの核が存在することになり、二つの核は互いに主義主張を唱えることになる。夫婦和合し一体となって家庭を形成するという日本古来の思想は存在の意味をなくしつつある。私は彼女たちの意見を聞いている内に「差別と区別」を混同しているのではないかと思う。女性は女性としての魅力があり、男性は男性としての価値を発揮する。男らしく、女らしくは差別ではなく、体の構造が異なるよう区別があるのは当然であると思う。ジェダーフリー思想にも一考するべし。
「夢」(Dream)  新 折人   #36
  仏教の教えでは「夢」は物欲、色欲など「煩悩」を充足するものであり、従って「涅槃」に入って、煩悩が消滅した「仏」は夢を見ないとされる。勿論「煩悩」多き私が良く夢をみるのは当然だとしても、私にとっては、願望や煩悩が充足されない、文字通り「見果てぬ」のが「夢」である。従って「夢」ないし“dream"という言葉を、「将来実現したい願いや理想」といった、良い意味に使うのは何かおかしいのではないか、・・と前から思っていた。思っていたがこんな事を真面目くさって人には言えない。皆さん、今年の「初夢」は如何でしたか?この初夢で思い出したが、アメリカの曲には、“Dream"という言葉が、“Dream comes true"とか“Dreams come true"といったフレーズで実に沢山出てくる。私が集めたアメリカのジャズ/ポップスの数百曲に上る歌詞ファイルで、“dream"ないし“dreams"と言う言葉が入っている曲を検索すると、全体の三割もの曲で使われている。この場合の「夢」は、「夢を実現する」とか「・・が私の夢だ」とか、好い事を期待する意味で使われる。カナダの先住インディアンなどは、この「夢」をなんとか捕らえようとして、バックスキンで巻いた鉄の輪にネットを張り、ビーズと鳥の羽根の飾りをぶらさげた仕掛け「夢捕獲器」(Dream Catcher)を作り、木に吊るした。
スタンダード・ジャズに「水玉模様と月の光」[Polka Dots and Moonbeams](1940)という佳曲がある。「ポルカ・ダッツ」とは、水玉模様のことであり、田舎の野外ダンス・パーティで、月の光をあびて踊っている水玉模様の服を着た女の子にホレてしまう、・・という微笑ましい曲だが、この中の歌詞に、“Pug?nosed dream"なるフレーズが出て来る。「パグ」とは中国原産の愛玩用小型犬のことだが、その鼻がちょっぴり上を向いた子供の鼻のような形をしている。従って“Pug?nosed dream"は「子供の頃の夢」という意味になる。子供の頃見る夢は、空を飛べた、・・など願望が満たされることが有る。赤ん坊の時、親が手を持ってぐるぐるまわしてくれた潜在意識が残っているからだそうだ。 ところが、大人になると、夢の中ではろくなことが起らなくなる。
正直に言うと、私の場合は財布を落すとか、試験に落ちたとか、約束に間に合わないとか、女性を口説いてみても良いところで目が覚めるとか?・・大部分「悪夢」とは言わない迄も、愉快な夢ではない。が私だけに特有の現象だとすれば、「夢」の大家フロイトに診断してもらうべきだった。或いは、奈良の法隆寺には、「夢違(ゆめちがい)観音」があり、悪夢を良い夢に変える功徳があるそうだが、一度拝みに行かねばならぬ。
有機科学畑で「ベンゼン環」を発見したドイツの化学者オウガスト・ケクレ(1829?1896)は、「原子達がさまざまなダンスを踊り、長い列になって蛇のようになり、自分の尾をくわえた夢をみて、六個の炭素が一つの環を形成するのを直感した。」のが大発見のきっかけになった・・と言った。天才にはそんなこともあるのかも知れぬが、後付けか希有な例であろう。まして我々凡人には及びもつかない。 どう考えても、私にとって“Dream"という言葉は、「はかない」、「夢幻」といった意味にしかならない。ジャズの名曲、文字通り「ドリーム」[Dream](1944)という曲では、「ゆうつな時、夢を見ると実現できるよ」と歌っているが、「マジ?」と思わざるを得ない。「夢で逢いましょう」[I'll see you in my dream](1924)もあるが、夢で逢ってどうなるのか。悲劇に終るだけではないのか。多くの疑問を呈せざるをえない。やや虚無的かつ悲観的だが、私自身が良い夢を見れるのは絶望的だと思われるので、今年はせめてサッチモとエラのデュエットで有名な、「私の夢を見ておくれ」[Dream a little dream of me](1931)という曲を練習して、どこかの美女が夢の中で私のことを想ってくれることを祈るしかない。
E・メール名作選-41 
 編集長、今日は、僕 otibi むさしくん....改め、むさしくんからの報告です。みなさんのおかげで、僕の人生、一年半....立派な?大人です。...でもね、ちょっと、近頃、悩んでます。あのね...こう見えて、神経質体質なの。アレルギ−体質なの。でね、つい最近も、又アレルギ−出て、行きたくもない獣医さんに連れて行かれて...。何が悲しいって...、体重測りましょう!が、出ちゃった!!そしたら、なんと5.6kgでした。立派でしょ。でもね、飼い主は嘆いてるの。どうも、ネコの平均体重は3kgなんだって、どっかで聞きつけて来たらしい....。かなり、大幅に、魅力的にover....してる、僕に感動....を越えて、悩んでる模様。飼い主的には5kg未満で、収めたかったらしいのね。でも、知らず知らずのうちに、どうも越えちゃったみたい...。 編集長、これって僕のせいじゃありませんよね。遺伝子ってヤツですよね。でも、双子の相棒さよりちゃんは、出来過ぎくらい、上手にコンパクトなのは、なぜなんだろ僕って、飛び切りかわいいんだって!!近頃、珍しい程、かわいいんだって!!ここんところ、みんなに言いふらして!!子供顔で、小顔で、女の子みたいなんだって。だけど、体型がオヤジ??なんだって!なんとか、スリムに戻って、ジャニ-ズ系で...。8等身どころか、10等身楽勝でいけます。しかもイケメン?・??....でも、ちょっと、しょんぼり....。身体がodebuじゃなくなったら、僕って、3等身なのかなあ?それも、なんだかイヤな感じだし....。あさりちゃんとさよりちゃんと、女の子は、そんな僕の悩みも知らずに、お昼寝してます。編集長、男は、ホントつらいよね。                      from...男同士の会話....むさしくん..
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (4)
 日曜日は何処の釣クラブでも月例会といったものをやることが多く、あちこちの釣り場で見かけます。医者ばかりの妙な釣クラブもあり、その会は遠から見ても判ります。狭い農業用道路にベンツだのBMW、グランド・チェロキーだのといった車が20台以上も並びます。その対岸をジムニーで軽々と走りつつ水面を眺めると、そこには釣具店10軒分もの高級釣具が並び、その端っこには偉そうな顔をした馬鹿面がズラリと並んでいます。医者と言いながら、暴力団御用達、○×組指定車の様な車を並べ、人相、風体まで紛らわしくていけません。しかし、まぁ、田舎ですネェ・・・こういうところが!アンタが大将って歌があったけど・・・? 現在の私は実社会からは引退したも同然の暮らしです。4年程前迄は此の地に県支部を置く或る政治結社に関わっていました。日の丸を掲げ、旧予科練の五省の額を壁に掛ける団体と言えば大凡の見当はつかれると思います。私が此の地に住居を移したのも、その支部があったからです。支部長の銃や車の点検、掃除、修理。買い物の同伴担当、活動計画作成とかが私の役目でした。しかし、4年前に支部長が亡くなり、葬儀で弔辞を読むと同時に党での役目を終了。以降、隠居生活といったところです。党は純然たる政治結社で暴力団とは何ら関係がありません。幹部は殆どが海軍兵学校、予科練出身者であり、全国組織ですが殆ど表に出ることはありません。只、左翼、警察関係者にはよく知られていまして、朝日系の支社の記者などは訊いただけで近寄りません。銭金に関係なく、事と次第では九〇才まで大変危険な連中と思われているそうです。勿論、私は昔も今も全く安全で、危険にはまるで縁のない存在です。殊に支部長亡き今となっては、もう何もする事がありません。本当に田舎親父という筆名がぴったりとなりました。釣、猟、犬、そして時々、狂った様に車で走る事でしょうか。車は釣、猟用のジムニーの他に暴走用のインプレッサWRXがあり、2000ccながら280馬力もあって、山径をジェットコースターの様に走りまくると、命が縮む思いと裏腹に若返った様な気がするのは何故でしょう?真夜中に若い連中をあちこちに配置し、出入りの車や取り締まりを見張らせておいて、ひとしきり爆走すると、まだ何処かに生命が残っている気がします。林道の下り坂を四速全開で滑り落ち、クラッチペダルを連続して蹴り込み、右足はヒール&トゥでブレーキ&アクセルペダルを煽り続ける。方向はモーターボートで急旋回する様な具合に尻を振って変える。フルカウンターで向きを修正し、2、3、4速とシフト・アップを終え、クラッチペダルを離す時、膝の関節がガクガクッと震え、脇の下からは冷や汗が流れ落ちる。30分程の疾走後、車を降りても膝が真っ直ぐに延びてくれない。それでも暫くは61才という年齢、赤い帽子やチャンチャンコ、抜けた歯も忘れていられると云うことです。こういう時は何故か、家で女房が細心の注意を払って入れたコーヒーを勿体振って飲むより、自販機の傍に車を止め、灼けたタイヤとエンジンオイルの匂いの中に立ち、取り出した硬貨を放り込み、ガッコーンと出した缶コーヒーを飲む方が若者らしい気分になれるのは、どうしてでしょうか?猟の場合も殆ど同じです。殊に猪の単独猟が良い。私は猪猟は誰とも共猟しません。大勢の人間と沢山の犬を使って、たった一頭の猪を撃ち殺す事を猟と思いたくない。又、数頭の犬を使ってやる猟も今ではやりたくない。犬の犠牲が避けられないからです。犬など消耗品と考えている様な者を猟師とかハンターと思いたくない。嘗ては、私もそういう者の仲間だったけれども後悔しています。現在では二十番口径の銃と自分だけで猪を追っています。猟果はイマイチだが皆無ではない。数日、数週間も餌場、ヌタ場(泥浴び)を捜し、ウジ(獣道)を辿り、足跡を求め、寝屋を突き止めるのに費やします。猪は住所不定、好きな様に動き回る。しかし、好みというものはあって、一週間を追い続けると行動のパターンが掴めて来る。仲々、どいつも個性的で面白いものです。追う者の気配に気がつくと、一定の間隔を置いて逃げ続ける奴、直ぐ近くまで引きつけておいて一気に数キロも走る奴、おなじ道を辿り、いつの間にか後ろに廻り込んでいる奴等々・・・。共通しているのは朝夕は大胆に動き回り、人家近くの田畑、山道のド真ん中はおろか舗装道路に迄出てくる。しかし、この時刻は銃猟禁止の時刻帯であるから撃てない。特に私は鳥獣保護委員であるから狩猟法違反などは出来ない。      以下次号