2004.11
 ack−ack’通信
1027日(水)ジャズ・クルージングROPPONGI Clean Campaign Special Live!
 
第10回・六本木ジャズ・クルージング二日目!六本木ヒルズ・アリーナに面したテレビ朝日のガラス張りイベントホール・・・広いスペースでの演奏は誠に心地良く(昔は労音、民音など、殆ど市民会館クラスでしたが?)、25日に開催された六本木ジャズ・クルージング前夜祭の盛況に比べて一寸寂しいオーディエンス・・・チケットをお買い上げ下された8名も欠席?等々・・・?ではありましたが、インストルメンツ演奏をこよなく愛する仲間の拍手に応えて、All of Me Clubのミッドナイト・ジャムで出合えた俊才、かわ島崇文(ts)、南野陽征(p&tp)が力のこもった熱演を展開・・・福井五十雄(b)と編集長は縁の下に専念?2部での3菅編成・・・瞬間4菅?でのグルーブ感はタイコを叩きながらゾクゾクするほど爽快でした。2部に飛び入り出演したベスト・アマお二人!ソプラノ・サックスの小島裕二郎氏(マークアイ社長)は多忙な社長業の傍ら・・・程度のレベルではありません。ファイトの固まりでもあり、毎月主宰なさるセッションへ招かれて競演を続けてます。8月には多摩センターでの「松本英彦メモリアル・サマーコンサート」にクインテットを率いて出演。大観衆の前で何ら臆することなく見事なプレイを披露してました。又、トランペットの石井 真君(IBM勤務)は父上が編集長のドラムの生徒でしたので、産まれて最初に抱き上げられたドラマーを信頼してか?素晴らしい音色で、目一杯ドライブしてました。今月21日の挙式決定には当方感無量!嬉しい限りです
読者のホ−ム・ページ (87) Dancing Lawyer
 もう11月です。今年の夏以降の気象は、どう見ても異常です。集中豪雨や台風の多さと言い、新潟中越地震と言い、特に新潟県など北陸地方の被害は甚大です。先日の地震では多くの人が避難生活を強いられ、神戸・淡路地震と同様に苦労されています。この状況も相当長期間続くそうです。避難生活をされている皆さんのストレスを少しでも少なくしたいものです。何とか行政(自衛隊等)やボランチアの皆さんが避難された方々の支援をしていますが、物も人も不足の様です。一般の人も支援したいのですが、やたらと勝手に物資を寄付しても、効率が悪く偏ったり、せっかく送った物が台無しになる事が多く、うまい仕組みを作り、システム化することが重要であると言われています。しかし、日本は緊急の場合のシステム化等が苦手で、なかなか迅速に処理されない傾向があります。もっと、天災や事故等のリスク管理の実効性の確保の方法・実践を培う必要があります。この点は欧米諸国に見習う点が多くあります。日本の「平和ボケ」の一つなのでしょう。新潟中越地震の際、私は東京赤坂の事務所ビルに居ましたが、一瞬「あ〜、いよいよ関東大震災級が来たな」と思いました。オーバーですが、「死ぬ」かも知れないとの気持ちになりました。地震の怖さは「いつ来るかわからない、程度・規模がわからない」という「重大な不安」に根ざしています。我々人間は「予測・予想」をできるものには、例え、それが相当大きなリスクであっても(例えば台風)、何とか対処しようとしますし、その努力もします。しかし「地震」については、予知の科学は台風情報等に比べれば、まだまだ不十分で対応し難いのです。ここが、我々人間に及ぼす「地震」の最も恐ろしい不気味な所です。恐らく、遠からず「第二関東大震災」は来ましょう。では、この巨大化・複雑化したメガロポリスのTOKYOで、この地震被害の十分な回避はできますか?政府や東京都に十分な対策の期待はできますか?と言うと、はっきり言って何の期待もできないというのが、大半の都民の気持ちでしょう。他力本願ばかりではいけませんが、我国の行政等の地震対策のお粗末さは、皆さんも判っていましょう。だって、地震が起きる度に地震学者が「空白地域」とか言って、「以前から警告していた」とのコメントを言います。そんな警告は我々庶民は聞いていないけど、どこで発表したの?と言いたい所です。マスコミの責任も大です。ですから、極端ですが、「人間は、いつでも死ぬ覚悟をすべきである」というのが、私の意見・結論です。簡単に言えば「一寸先は闇」なのです。そう言う達観した気持ちは、現在の私は持っていませんが、いずれ持ちたいと思う昨今です。でも、恐いよね〜。余りに悲観的に聞こえるのですが、人間の死など、いつ来るかわからないから不安なのです。ドイツの哲学者ハイデガーが言った通り、これは究極の不安です。怖いものとしては昔より「地震、雷、火事、親父」と称されますが・・・?今宵は一刻も早い現地の復興を心より願い、四番目に位置する親父?に敬意を表して、ホレス・シルバーのSong For My Fatherを聴きつつ・・・先ずはバーボンで献杯と参りますか。
54回   エロールあさかわ
 インターネットで自殺願望者を募った34才の主婦が居た。その日の内に男女6名の自殺願望者が応募して来て、レンタカーのワゴン車の中で7名全員が死亡した。自殺願望者を募った主婦には以前にもこの様な経験があり、その時には4名の若い女性が死亡したが幸か不幸か、この主婦だけは一命を取り止めたのである。当然の事ながら、夫や二人の子供達から自殺行為に走った事への叱責もあり、二度と其の様な行為をしないように懇願もあったと思われる。しかし、自殺願望に取りつかれた主婦は再び自殺を図り思いを遂げてしまった。ご主人の話では自殺をしなければならない程の理由など思い当たらないという。今回、集団自殺を図った他の6名は20代の若い男女であった。日本全国には推定で総人口の7%近くの自殺願望者や予備軍と思われる人間が居ると言われているが、死ぬ勇気がなかったり、一人で死ぬのが淋しい等の理由で思い止まっているのが現状である。自殺願望の理由は様々であり、会社の経営に行き詰まり多額の借金を抱え、債権者への責任を感じて死を選ぶ者。職場での業務や人間関係が上手くいかずノイローゼになって自殺する者。恋愛関係のこじれから相手に対する当てつけで自殺する者。医者から末期癌であることを告げられ家族の者に迷惑を掛けたくないとの思いから自殺する者など、昔から自殺の理由には共通したものがある。しかし、どの理由をとっても見ても後から考えてみれば解決案はあるものである。只、追い込まれた者にとってみれば一呼吸おいて、他の方法など考える余裕は無かったのであろう。青木ヶ原樹海の入り口など自殺の名所と言われる場所には監視人が常時待機しており、自殺願望らしき人を見付けると「最後の会話」という呼び掛けで話しかけ、命の大切さや当人が抱えている悩みなどを聞き出して自殺を思い止まらせ様と努力している人達がいる。一銭にもならないのに人の命を救うために努力をしている人達には心から尊敬の念を抱くが、自分一人で死にたくないから他人を誘って道連れにしようとすることには反感を覚える。或る意味では重大な犯罪ではないか。それ程死にたいのであれば他人に迷惑を掛けず、子供を道連れにすることなく、一人で潔く死ねば・・・と言いたい。インターネットの自殺願望者募集広告に応募する者達を責めても仕方のないことかも知れないが、ノリで応募する者も居ないとは言い切れない。
「ジャズ・ファンの寂寥感」        新 折人 #45
 前 年、めずらしくジャズを扱った邦画を二本観た。二月に観た松竹配給の「この世の外へ〜クラブ進駐軍」と、九月末に観た東宝配給の「スイングガールズ」である。前者は、「大平洋戦争」敗戦直後の、1950(昭和25)年前後、五人の若者ジャズ・ミュージシャンが、「特別調達廳」の「格付け審査」を受け、「幌付きトラック」で送り届けられた「進駐軍クラブ」で演奏活動に励みながら、米兵との確執と心の通いあいを体験する・・といったストーリー。当時の「闇市」、「パンパン」、「傷痍軍人」、「浮浪児」、「地下道」、「ヒロポン」、「朝鮮戦争」、「赤狩り」などのキイワードで代表される世相もバックに入れた。この種テーマを取り上げた映画が、当時から半世紀以上経って制作された。今まで無かったのが不思議な位だ。おまけにこれは、私のように戦後体験のある世代がノスタルジックに作ったのではない。戦後生まれ世代の若者が撮った。脚本は1957年生まれの椎井友紀子が書き、メガホンは1958年生まれの坂本順治が持った。役柄からメインの出演者は当然若手だが、萩原聖人(1971生)、松岡俊介(1972生)、村上淳(1973生)、オダギリジョー(1976生)や、プロのトランペッターのMITCH(1974生)らが主演し、好演した。劇中には、当時流行した「ダニー・ボーイ」、「センティメンタル・ジャーニイ」、「トゥ・イーチ・ヒズ・オウン」などが流れた。そして、ディジィ・ガレスピィ、チャーリー・パーカー等が、バップ演奏の素材として盛んに取り上げていた曲、「君は我がすべて〜All the things you are](1939)が出て来る。この曲は、作曲者のジェローッム・カーン自身が、「大衆的には一寸難しいだろう。」と述べた複雑なコード進行の曲で、当時のバンドは是非マスターしたいと思っていた曲だ。映画では若者ミュージシャンが、米兵からこの曲の譜面をもらって狂喜する。それなりの考証の結果だろう。
後者は、矢口史靖(1967年生)の脚本・監督作品。東北のオカッパ頭の16人の女子高校生と一人の気の弱い男子生徒が、ひょんなことからスイング・バンドを結成し、紆余曲折を経て立派なビッグ・バンドに仕上げるというもの。東北弁丸出しで、落ちこぼれ女子高生が演じるドタバタも含めたコメディ・タッチだが、最後にコンテストに応募し、セーラー服に身をつつんで演奏を大成功させるくだりは、感動的ですらあった。主演者達は1,000人の中からオーディションで選ばれた、1980年代生まれの、ジャズもろくに知らなかったような素人集団。しかし、4ヶ月の特訓で「A列車で行こう」や「シング・シング・シング」など難曲の演奏を、立派なことに吹き替えなしで実際にやってのける。現実と映画が一緒になっているのである。
この二つの映画を比べてみると、前者は戦後ジャズの黎明期を、社会派的側面もとらえた記録的映画として貴重だし、後者は年寄りが馬鹿にしがちな若いギャルが、高度な演奏技術をマスターしてしまうという点で啓蒙的ですらある。要するに両方ともそれなりに力作だ。ところが、驚いたのは、二作とも日曜日に観たが、「この世の外へ」の方は観客がガラガラで、予定よりはるかに早く上演が打ち切られてしまった。他方「スイングガールズ」の方は、TVのワイド・ショーでも取り上げた程の話題性のせいか超満員。これを私なりに分析すると、前者は筋書きの中でジャズを主題に据えたが、後者ではジャズそのものはストーリー展開上の道具に過ぎなかったということだろう。後者では、スイング・バンドでなくても、フラメンコ集団でもアクロバット集団でも良かったということ。
 つまり、悲しいかな、今の多くの観客層にとって、ジャズはどうでも良いのだと解釈せざるを得ない。二本の作品の比較が私にもたらしたものは、そこはかとない寂寥感であった。
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (13)
  数秒も続かない静寂。この静寂、自意識の空白に入り込んだ瞬間、犬が雉子に襲いかかる。間一髪、犬の牙をかわした雉子は走る。これから飛び翔ちまでの間合いが、本当のスリルである。この間が取れれば射撃は完成する。雉子の飛び翔ちの羽音を、通常の羽音しか知らぬ人に伝えるのは難しい。バタバタとかバサバサ等という擬音表現とはほど遠く、寧ろドドッと表現する方が近い。初心者はこの音にも度肝を抜かれ失中する。音と同時に黒い塊りが地上から垂直に噴き上げる。銃口は黒い塊の中心にある。今は赤い頬を見せ、猛々しい雄雉子の姿となって水平飛行に移ろうとしている鳥の姿が見える。脚を下腹の柔らかい羽毛の下に引きつけ、嘴の指す一点に向かって突進する雄雉子の姿は、憤怒のオーラを撒き散らしている。銃口が下腹を掠め、照星が追いすがる。私は無意識のうちに安全装置のボタンを押し、引鉄を落としている。私は微かに肩に衝撃を覚え、銃声を遠く夢の中のもののように聞く。我に返るのは、ドサッと雉子が地面に落下する音でである。目の奥に、空中の見えない壁に激突したかのように姿を崩し、落下した雉子の姿が残っている。私は清澄な大気の中に漂う微かな火薬の匂いを感じながら、遊底からはじき出された空ケースを拾い上げる。この薬莢は、やがて犬が咥えてくる雉子の剥製の台の上に接着剤で貼り付けられ、台には、1995.November.mkna.first year などと記されることになる。私は犬が運んできた雉子を腰をかがめて受け取る。血糊にまみれ、欠けた嘴が無惨である。真紅の頬の鮮やかさが見る間に深紅に沈んでいく。胸の緑の鮮明さも、いま死んだばかりの人の顔から血の気が失せるように輝きを失っていく。未だ動いていた足の指が少しづつすぼめられ、脚は強ばって縮められる。こうして、私の手の中で生命の一つが消える。しかし、この生命は奪いたいと願ったものではなく、憎んだ相手でもない。その逆である。今の私には獲物を得たという雀躍する様な歓びなどはない。胸塞ぎ悲しいばかりだ。私の剥製はこうして出来上がる。本棚の上から幾つもの雉子やヤマドリの亡霊が私を見下ろしている。私は、先に輝ける瞬間掻いたようだが、胸のつかえる辺りから呪わるべき瞬間という呟きが聞こえてきそうもある。仰向けに大の字に寝そべって剥製たちに見つめられているうちに時刻は五時をとうに回ってしまった。愈々である。今日からまた、私の過酷な日々が始まる。何事があろうと私は銃を持ち犬を伴ったハンターである。犬たちが私の腕の中で最後の息を引き取るまで、猟犬であった様に、私は彼等の主でありたいと思っている。40年近い猟生活を支えてくれた犬たちは、たった一頭、私よりも既に老いたモーナを残して、皆、私の庭に眠っている。メドール、バーク、アニー、ラン・・・彼等は在りし日常に私を見つめていたように、今は小さな丸い石となって庭の隅から私を見つめている。私は二十になるやならずで人間関係を逸脱し、社会から脱落した男である。世を受け入れず、世もまた当然、私を受け入れなかった。誰も恨む気は無く、そういう人生で、そういう世であっただけである。だが、私を支えてきたのが、あの犬たち、鳥たち、しかや猪たち、そして銃であったのは事実である。三途の河を渡りきった途端、私の人生を支える為、脆弱な自我を全うする為に犠牲にしてきた彼等に突き回され、蹴り殺されたとしても文句など言うつもりはない。

追伸 時々、貴兄が全精魂を使い尽くす演奏を終えて、マンションの階段に辿り着く姿を思い浮かべます。その日、その日、燃え尽きて棲み家に辿り着く男の姿を思い浮かべます。夜気に冷え、夜霧に濡れた階段のタイルを踏み、鉄の手摺りの冷たさを感じながら都会の夜の中に溶け込んでいく男の後ろ姿が浮かびます。そして、あのサラサラと鉄の肌を撫でる様な無機質の音、それでいてホテッた傷跡に心地よいサックスの音が蘇ってきます。ずっとずっと昔、余りにも昔に聴いた曲です。Out of the Past ・・・確か演奏はベニー・ゴルソンとか言ったのでは・・・。今の私には音楽とは、そういった昔のものになってしまいました。それでも、今でも耳の底、胸の奥の辺りでは流れ続けております。ずっと以前、百数十年も昔の様な気もするけれど、あの頃は、私も都会の無機質の空虚さをロマンティックに感じる様なところがあったのではないかと・・・。鉄とコンクリートとプラスティツクの一部になりきって生きてみたいと云う様な気持ちが・・・。それは、あの曲を思い出す時、今でも神経の何処かを震わせて来ます。だが、もし私が大都会で生き延びようとするならば、私は散弾銃ではなく、カラシニコフでもなく、ワルサーなどを懐にせねばならなかったかも・・・。私の為に、あの曲を聴いて戴ければ幸い・・・何処かで演奏でもして戴ければ、そいつを聴きながら永眠しても構わない様な気もします。ずっと以前TVで貴兄の演奏を聴いた時・・・見た時は興奮して眠れなくなって了った。今後、一度でも貴兄の演奏が聴けたら何にもまして幸せなのだが・・・。