2003.5
ack-ack'通信      03.4/20 はらっぱクラブ vol.2
昨年2月10日、足利サテンドールで原正夫:後援会「はらっぱクラブ」発足の際、「2回目はバスを仕立てて、コージー・エル・ツアー・・」と話したのが、ナント実現したのです!はらっぱクラブご一同30名+お迎え組?(ack-ack’ファンクラブ)10名+出演者10名と、殆どが顔馴染みであり、和やかムード満杯。ack-ack’5+道下あずさ(vo)のウェルカム演奏でスタート〜大矢江美)&原 正夫に変わり一段とヒートアップ。2部は西谷文雄(d)、深井大五郎(b)からなる、原 正夫3に大友義雄(as)、南野陽征(tp)が適宜加わり熱演。佳境に入った処で、原先生?が小谷教夫(pに替わり、密かな当方の企み?遠路いらした生徒さんにステージを楽しんで貰おうと、両・H氏と美女3名を順次招き上げ、日頃の成果発表会?皆さん実に楽しそうに超熱唱!フロアではK氏with大矢江美組のダンスもあり、盛り上がりもピークに達しました。皆さん実に乗り良く、楽しみ上手でした。お迎え組も、皆さんお顔馴染み、「友・遠方より〜シリーズ」発起人・K女史、三崎クラブのママ、湯河原からのIご夫妻・・等々、素敵な方揃いで、誠にフレンドリーな一夜となりました。飯倉片町交差点からバスで帰路に着く皆さんと手を振り合い・・・来年も会いましょう・・・!お疲れ様&有り難う御座いました 
読者のホ−ム・ページ(69)   Dancing Lawyer
今回は、私の今、行っている事件の事を披瀝したい。
それは刑事事件で、電車内で痴漢と間違えられた事件だ。電車内で痴漢行為をやったと間違えられ逮捕・勾留される事件が、ここ数年間で増えており、痴漢えん罪の被害者のネットワーク組織も出来ている。私もこの組織に参加した。警察の痴漢撲滅キャンペーンもあって、又、最近は痴漢行為を取り締まる条例が、罰則を強化した(罰金だけでなく、懲役6ヶ月もあり得る)事もあり、痴漢行為の取り締まりには、厳しいものがある。しかし、その反面、いい加減な捜査で無実の人が逮捕されたりし、長期間身柄を拘束され、職を失い、家族も多大な苦労を強いられる事件が増えている。
 いったん、逮捕・勾留されると、一般の人は心身共に参ってしまい、本来やっていない事もやったと自白してしまう。警察官等は自白すれば、罰金で済み、すぐに釈放されると言った誘導をするので、初めて留置施設に拘束された人なら、家族・仕事・健康の事も考え、嘘でも良いから、一刻も早くこの苦痛から逃れたいとの一心で、泣き寝入りしてしまう。 警察・検察の捜査は近年能力が落ちており、痴漢事件だと被害者の言い分だけを、一方的に信じ客観的な証拠の探索や、被害者の供述の信用性などを緻密に分析しない。私の今抱えている事件も目撃した女性がわざわざ駅事務室に来て、被疑者は痴漢をやっていませんよと、駅員に言っているにも関わらず、間抜けな駅員は、その目撃者を放置し帰してしまった。被疑者も駅員に抗議したが埒があかず、被疑者が目撃者を追ったが、人混みに紛れ見失った。警察・検察に被疑者が最初から、一貫して、説明しても、一切聞く耳を持たないという不当なやり方だ。いわばでっち上げの事件をつくっているとさえ、言いうるのである。 この痴漢えん罪事件の恐ろしい所は、誰でもがえん罪の被害者になると言った点にある。極論すれば、電車に乗っている裁判官・検察官・警察官でさえ(私とて同じであるが)、えん罪の被害者になりうるといった一般性があることだ。交通事故に、誰もが遭うのと、同じなのである。 これを、防止するには、捜査機関が綿密な捜査(裏も確実に取ったりすること)をし、駅員には例えば目撃者等が居たら必ず警察官が来るまで、待機してもらう等の適切な措置を執るように徹底した教育をすること、裁判官の慎重な審理等、しかない。
 今、私は目撃者捜しのために、ボランティアの人の支援もあおいで、現場の駅でチラシを配布したり、痴漢えん罪ネットワークのホームページに掲載してもらったり、マスコミ関係者の取材を受けたりと、活動しているが、弁護士一人では、限界があるので、無償で協力して下さる弁護士を捜しているところだ。裁判は始まったばかり。何とか、被告人の無罪を勝ち取りたい。特に、男性の方は、電車に乗った時は注意なさって下さい。
 ふと気付くと耳元に「飾りの付いた四輪馬車」が流れている・・・馬車の時代は、例え、駅馬車でも「えん罪」はなかったであろうな?!?マイルスがインスパイヤーされたと云われるだけあり、いつ聴いてもジャマルのリリカルでソフィスティケーテッドなピアノは素晴らしい・・・明日も「誰かこの指とまれ」と念じてつつ・・・バーボンを一杯。
 
第36回      エロール・アさカわ
 
イラク戦争はアメリカの勝利と云うことで一応の決着をみた。しかし当初の目的である生物化学兵器は依然として発見されていない。この生物化学兵器発見、押収とサダム一家の身柄確保ないし、死亡確認が得られない限りは完全勝利とは云えない。化学兵器の隠蔽場所にしてもイラク圏内に限定することは難しい。シリアに運び込んだ公算が高いというCIAの見方にシリア政府は完全否定しているが、シリアには強力な反体制組織が存在しており、何時か革命を起こすべく機会を狙っているという情報もあるらしい。サダム一家がこれらの組織に対して国家予算にも匹敵する巨額な金を握らせれば、化学兵器の隠蔽工作やサダム一家の逃亡に手を貸すこと位は考えられる。つまり形式上の勝利を得たアメリカとしては頭痛の種が残った侭なのである。それに加えて今度は北朝鮮の問題に着手しなければならない。だが北朝鮮の問題に関しては充分な対策が練られていることが予測される。北朝鮮が核兵器の開発を仄めかし、我々はイラクとは違うのだと喚き散らしてみたところで軍事力、経済力、情報収集力の差は、スピッツとライオン以上である。アメリカ側は公式発表をしていないが、若しテポドンやノドンが発射されるようなことがあうれば、発射された段階で撃墜も可能であるとしている。しかしイラクにしても、北朝鮮にしても独裁国家というものは、余りにも類似している。独裁者にとって国民はあくまでも自分の快適な生活の為の道具にすぎない。自分に不都合な人間や不満分子、反抗分子などは、即処刑によって消してしまう。不満、反抗分子の摘発は数多くの密告者の情報によって行われるが、サダムも金正日も密告者組織、密告社会を形成していたと云う点でも同じである。独裁者達は快適、快楽を貪りながらも常に身の危険を感じていたと云うことであろう。自分の安全の為には国民を盾に使い、ジハードという名目で自爆や特攻を奨励する点も同じである。嘗ての日本軍部も同じ事を行ったが、イラクや北朝鮮もこのシステムを取り入れたのかも知れない。北朝鮮の場合は日本の江戸時代をも思わせる。将軍様一人の為の国家を創造し、「喜び組」という大奥システムもあり、娘を大奥にあげれば娘家族の安泰が得られる点も同じだ。恐怖政治から解放されたイラク民衆の略奪行為には呆然とするが、盗賊の子孫であれば当然かも・・・。
「アメイジング・グレース」#28   新 折人
 
現在でもアメリカ人が事あると歌う「アメイジング・グレース」[Amazing Grace](驚くべき神の恩恵)は、もともとイギリスの歌であった。最近NHKが特別番組でこのことを取り上げていたので、知っている人も少なくないだろう。
 この曲の作詞をしたイギリス人ジョン・ニュートン(1725〜1807)は少年の頃から船乗りになり、非情な奴隷船の船長を経て、最後には牧師になるという数奇な運命を辿った人であった。彼は1748年5月10日、23才の時、アフリカから本国へ帰る航海の途中大嵐にあい、九死に一生を得た。そして神の恩恵を知る。彼はその後、多分さしたる最悪感もなく奴隷船の船長になったが、やがて奴隷貿易にたずさわる自らの罪を悟り、1755年船を降りた。彼は聖書を読み、「ヘブライ人への手紙」6章6節から、「堕落した者は再び立ち直れない」と絶望するが、他方「ルカによる福音書」11章13節の、「天の父は、求める者に精霊を与えて下さる」という言葉に救いを求めた。そして神に身を捧げる決意をし、39才で「英国国教会」(Anglican Church)の牧師に転身、ケンブリッジ近くの小さなオルニーの教会を経て、ロンドンのセントメリー・ウルノース教会に転じ、1764年には資格の難しい「聖職者」(Cleric)にまで上りつめた。
 そのジョン・ニュートンが、自分の罪と、嵐の中での神の加護をテーマに、「アメイジング・グレース」の詩を書いた。この詩に、アイルランドの民謡をもとにしたメロディが付けられ、1779年に賛美歌として登録され、歌われるようになった。この曲は、アメリカではアパラチア山中に入植した英国人により保存され、やがて、少しずつ編曲され、アメリカ中に広まったと考えられている。今ではむしろ、イギリス人よりアメリカ人の方が、また白人より黒人の方が、この歌に愛着を持ち、セレモニイの度にこれを取り上げて歌う。特に、マヘリア・ジャクソン(1911〜1972)の名唱がこの歌を有名にした。
 この歌詞の中には〈♪ Amazing Grace・・that saved a wretch like me.〉というフレーズがある。この “wretch” をジョン・ニュートンは、自らを反省して「恥知らず」あるいは「卑怯もの」という意味で使ったのだろうが、黒人達は “wretch” を、もう一つの意味である「虐げられた人」と解釈して歌う。そのことで、奴隷商人の「償いの歌」が、黒人達の「救いの歌」に転身したのである。
 話は飛ぶが、この3月5日、戦後我が国のビッグ・バンドの父ともいうべき、アルト・サックスの長尾正士さんが亡くなった。長尾さんは終戦の年、1945年(昭和20年)に早くも「スイング・オルフェアンス」というバンドを結成、1947年(昭和22年)には「スイング・ジャーナル誌」創刊者の一人ともなった。1948年(昭和23年)には「東京ビバップ・エース」を結成して、当時馴染みの薄かった「バップ」の普及に努め、さらに1949年(昭和24年)には、名バンド「ブルー・コーツ」も創立している。
 すごいのは、長尾さんの演奏活動の大部分は、自分自身、某自動車会社の要職をつとめる合間になされて来たことである。長尾さんは1912年(大正元年)生まれで、90才で亡くなるその日も、来るべきリサイタルに備えバンド仲間と練習をする予定であった。この終生現役であった大先輩の告別式は、3月8日、古い伝統のある飯田橋「富士見町教会」(明治22年創立)でとり行われたが、我々参列者は「アメイジング・グレース」の元歌、つまりメロディがより素朴な「賛美歌第2集167番」を歌って、長尾さんとの永久の別れを惜しんだ。合掌。
E・メール名作選-34   (=^_^=)Writen byAYA with Musashi& AsariOtibi-Musashi &Sayori(^*^) 
 はあ〜い!編集長....わかってますよ。原稿、締め切り間近...刻々と迫ってる....。今回はさっさと書きあげたんです。で、<なんとか保存>しちゃって、もう一度読み直して、迷文を名文に、誤字脱字をちゃんと直して、編集長にお手数かけないようにしよう!...とハリキッていたのです。ところが、変?なメ−ルが来た!!!飼い主パニクッタ!!!で、色々、よせばいいのに、あっちこっち操作?して、あげく、大事なものが、み〜んな消えた!僕達の原稿....も...消えた!!じっと何もしなければ、僕達の原稿、今回は、素晴らしい原稿が提出出来たはずなのに...。...実はあさりおねえちゃまが緊急入院5日もして、バリウム飲んでレントゲン撮って、それはそれは大変だったの。だから、僕達otibiチ−ムとしては、少しでも、あさりおねえちゃまの負担を軽くしてあげよう!...とハリキッテお留守番中にメ−ルがんばったの。...なのに...家の飼い主ときた日にゃぁ〜...全滅させてくれました。家の飼い主に、<ねえ、なんとかしてよ>とは言ってみたものの、これが裏目に出て、どんどん最悪!<ちょっと待ってなさい。必ず復活させてみせる!>と言うものの、今だ復活せず....。編集長、グチ聞いて頂けます?多分、だめ、だめ、だめだあ!見つからないって。どんどん悪循環、どうどう巡りだあ!家の飼い主が留守の時に来て僕達に正しいパソコン教室講座、開いて頂けませんか?家の飼い主...確かに、何もわかってなくて、でも、マジな話し...こういう騙されやすい人にヤバイメ−ル出したヒトも、立派?ですけど、なんだか、パソコンとかいう物体、家の飼い主の性格が変わる物体なんだってことも、学んでしまいました、話しは変わりますけど、編集長、未だに会いに来てくれないから...僕達otibiチ−ム...気がつけば、もう、子猫じゃない?大きさらしいです。家の飼い主もヒトに言われるまで、気付かなかったらしいけど、背なんか、高くなったんだからね。30cm位あるからね。家の飼い主チビだから。そのうち追い越すからね。期待してて下さぁ〜い!