2003.4
ack-ack'通信 
 
巻末にもあります様に、田中ショウリさんの素晴らしい航空ジオラマ写真集が出版されました。昨年から小生もコンピューターグラフィックにて合成・修整に協力して大いに楽しませてもらってますが、20年位昔?マンションのベランダや屋上での撮影(当時は小生も写真にどっぷり状態)で助手を務めたことが懐かしく思い出されます。3機編隊を撮る(縮尺違いの3機を吊して・・・)時など、それは大変でした。最後方の機は5センチ足らずなので風が吹くとひっくり返ってしまいますし、バックに良い雲をと思っても光線が難しく、釣り竿にテグスで3機を吊り下げて右往左往する始末。でも、ショウリさんはカメラ片手に一人でこなしちゃうのですから大変な技術でした。今回の写真は全てがショウリ流アートテクニックを駆使した作品だけであり、模型作成、撮影、プリント修整の課程も詳しく紹介されてます。情景のアイデアを練る〜モデルとなる実機の考証〜プラモ選定〜改造・作成〜実景をバックに撮影〜写真プリント〜修整・トリミングと実に見事な手際で仕上がった101機の写真が掲載されてます。お好きなお方は是非お買い求め下さい。驚異のジオラマ航空写真集ですよ。
4/20 はらっぱクラブ vol.2   今号の表紙を飾る、フレンドリーなジャズ・パーテイーで〜す。 皆様も良くご存知!足利を中心に活躍する、ピアニスト原 正夫氏と甥っ子ドラマー西谷文雄君を招いてのジョンイト・ライブで足利での同クラブ発足ライブには、ack−ack’も馳せ参じました。例年この季節には「友あり、遠方より来たるシリーズ」を開催(4回)するのですが、今年は相方の?佐野で活躍する、ヴォーカル相田さつき嬢が本業(生花店)多忙の為、参加出来ず残念なのですが、乗りの良い「はらっぱクラブ」の皆様がマイクロバスにて30人も駆けつけて下さいますので、大いに盛り上がりま〜す。時間と暇がお有りの方は是非いらして下さ〜い。

急 告!
  5/29(木)バードランド〜スリーピーズ倶楽部   故・松本英彦氏夫人・佳子さんのMCで、竹内 直(ts)、川嶋哲郎(ts)と豪快な2テナーでの目一杯パワフルな演奏をお楽しみ頂きます。前回は小生が在籍時のレギュラー、小谷教夫(p)、安久津泰久(b)のリズム陣でした。今回は今泉正明(p)、福井五十雄(b)で、又一味違ったグルーブが生まれると思います。ご優待チケット5.000−(2ドリンク)も御座いますので、ご遠慮なくお申し出下さ〜い。
読者のホ−ム・ページ(67)   よっぱライフプランナー
 そろそろ桜の季節である。東京では、あと数日で満開の見事な桜が見られるであろう。しかし、その美しい光景を見ずして、散って行った人がいる。俳優の古尾谷雅人さんである。自宅で首吊り自殺だという。1メートル88の長身でクールな演技でご活躍され、好きな俳優さんであった。仕事は順調で、自殺する動機が見当たらなかったが、金銭トラブルに見舞われた可能性があるようだ。 自ら命を絶つ人もいれば、自ら人に命を絶ってもらいに行く人もいる。イラク戦争では、3月27日までに米英側で46人、イラク側で26人の死者が出ている。このまま長期化の泥沼にはまっていけば、当然もっと多くの人が死ぬことになる。「この戦争で死んだら、戦争しか知らない人生になってしまう」。そう言って泣いたのは、イラン・イラク戦争のさなかに生まれたバクダッドの22歳の女性である。彼女の22年の人生は、生まれたときから戦争戦争で、このまま死んだら「この人生で自分は何をしたか?」について何も語れないのである。悲痛の叫びであろう。 私はあまりTVドラマを見ない(見る時間もない)のだが、先日終了した「僕の生きる道」だけはビデオに録ったりして、毎回欠かさず見ていた。SMAPの草g 剛演じる高校教師が、ある時ガンを告知され、余命1年と宣告される。それまで漫然と日々を送り、教師の仕事も適当にこなしていた彼が、残された短い人生を悔いなく生きるため動き出す。矢田亜希子演じる憧れの同僚教師に積極的に告白し、受験に不安がっている生徒に対しては、諦めずにやってみることの大切さを説き、自分が得意なコーラス隊で生徒の学校生活に活気を生み出す。そして、徐々に病状が悪化して行った彼は、入院先の病院を抜け出して駆けつけたコーラスのコンクール会場で、生徒たちの歌声を聴きながら愛する人の隣で息を引き取る。所詮はフィクションだと言ってしまえばそれまでだが、心に残る場面があった。彼が余命1年を宣告され、田舎の母親になかなか言い出せなかったとき、電話口で「母さん、僕が生まれたときどう思った?」に対する母親の言葉。「ようやく会えたね。」また、余命1年を宣告されて変わる前の情けない自分を振り返って言った言葉。「そういう自分も今ではいとおしく思えるんだよね。」 ようやくこの世に出てきて、漫然と送っても、積極的に有意義に送っても、どちらも間違いなく自分の人生である。どういう人生であろうと、最後には「十分納得して生きた」と言えるようになりたいものである。そう言えるのが、最後の1週間であったとしても。それで初めて「死ぬ権利」というものが与えられるような気がする。しかも、自然の摂理に沿った形で。ともかく、人生の最後には、「これだけのことをやった。悔いはない。」と言えるようになりたいものである。 おっと、今日はちょっと重い内容になってしまった。こんなときは、気分を変えて、力が湧いて来るような曲、“人生に一度、私を必要とする人がいる”と恋の喜びと素晴らしさを歌ったバラード For Once In My Life といこう。スティービー・ワンダー、カーメン・マクレー、フランク・シナトラとそうそうたる歌手が歌っているが、今宵はトニー・ベネットにしょうかな。そして、これまた力を与えてくれる恋人、バーボンを片手に・・・。今は亡きジャズミュージシャン達も、悔いのないジャズ人生を送ったに違いない。乾杯。
第35回      エロール・アさカわ
 協調と対話を持って世界の恒久和平の道を開くという理想論は実に耳障りが良い。安保理の理想に従って12年間、米国はイラクに武装放棄の説得に当たって来た。その間、イラクのサダム・フセインは言を左右しながら、大量破壊兵器、生物化学兵器の製造を着々と進めて来た。世界の国々の一番の脅威は炭疽菌兵器である。1リットルの炭疽菌は二百万人を殺傷出来ると云われているが、その炭疽菌を現在のイラクは一万二千リットル隠匿していることがCIAの極秘調査で明らかになっており、その他、マスタードガス、神経ガスなどの化学兵器も多量に保有していることが調査済みである。これらの兵器の破棄を説得し続けてきたが、イラク側は既に処分したとの一点張りで何等の証拠も示していない。此処に至って米国も堪忍袋の緒が切れたという所であろう。一人一人がミサイルとなって米国の横暴に対抗しようとイスラム圏の人々に呼び掛けるサダム・フセインやビン・ラディンの狂気は欧米諸国をテロの恐怖に陥れるのみならず、やがてはアラブ諸国にまでも、その弊害を及ぼすことになるだろう。現在のイラク国民の大半がフセイン大統領の洗脳指導に惑わされているが、北朝鮮の姿をオーバーラップするところが多々ある。嘗ての日本もそうであったが、幼児期から施される洗脳教育は為政者に取って好都合人間を作り上げていく。特攻隊や自爆テロで死んでいく者を護国英霊とかジハード戦士と云う美名で飾り、為政者は自分の都合に合わせてマインドコントロールしている。ところが急に此のコントロールから解放される者や、マインドコントロールを受けながらも醒めた部分を持っている者も居るのである。だが残念ながら、そういう者達はイラクに於いても北朝鮮に於いても全て粛正されてしまう。幸いにも亡命に成功したノンコントローラー達との接触を図り、CIAにはかなり信頼出来る裏情報が集まっていた。安保理の採決を待たずに武力行使に踏み切った米国に対する風当たりは強いが、綿密な調査と将来の展望を読んだ上での決断だったのではないかと思う。今機を逃がすことは世界中にテロの蔓延を許すことになったかも知れないのである。イラクにも北朝鮮にも卑怯という言葉は通用しない。日本人が卑怯と思ったとしても彼らに取っては戦略であり、戦略に引っ掛かった者は単なる愚者としか見ていない。バクダットには一般市民を装った兵士が十万人以上居るとも云われている。
カラオケ・ジャズ  #28   新 折人
   もともと、クラシックの世界では、伴奏だけを収録したレコードが古くからあった。オペラのアリアなどを練習するためのものである。これを「マイナス・ワン」と称する。
  1971年(昭和46年)頃の神戸で、このアイディアを酒場に持ち込み、伴奏のみのテープに合わせて客に歌うことを促しはじめたのが、我国カラオケの始まりである。当初は一般的に「テープ・ジューク」などと呼ばれていた。1973年(昭和48年)には現在カラオケ最大手の「第一興商」が設立され、1976年(昭和51年)に「クラリオン」が初めて商標名として「カラオケ」を使った。1977年(昭和52年)12月、毎日新聞はカラオケの隆盛を表現して、カラオケが繁盛して、ミュージシャンはオケラ!」と、大新聞らしからぬ駄洒落を書いた。カラオケの世界での、各社の競争と技術進歩が著しくなる。1978年(昭和53年)に「東映」がビデオ・テープを使った画面付きカラオケを開発した。1982年(昭和57年)の「パイオニア」による「レーザー・ディスク・カラオケ」、1992年(平成4年)の「タイトー」による有線を使った通信カラオケなども開発された。気の合った仲間同士だけで、狭い一室にはまりこんで遠慮なく歌いまくる「カラオケ・ボックス」は1948年(昭和59年)に岡山で誕生したと言われるが、最近は「24時間カラオケ・ボックス」なども出現し、体力のある若者サラリーマンが一晩中歌いまくって、そのまま出勤するなどという光景も珍しくはない。私もこれに付合って死ぬ思いをした。世の中「一億総カラオケ文化」の様相を呈し、カラオケ業界の売り上げは1兆円を超え、1994年(平成6年)にはカラオケ・ディーラーが団結して、「全国カラオケ事業者協会」(JKA)を設立するまでになった。「カラオケ」のおかげで、場末の一杯飲み屋での「流しのギター」は気の毒にも職を失った。そればかりではない。お座敷での芸者衆も、三味線と踊りを放擲させられて、「カラオケ操作係」の地位に転落した。
  カラオケ文化海外にまで普及して、中国、韓国など東南アジア、さらには欧米など世界中に伝播した。ソウル、バンコック、マニラ、シンガポールはもとより、上海や大連まで、カラオケの店にはそんじょそこらの日本の店よりはるかに立派な機器が備えられている。彼等は「日本の自動車、家電製品も素晴らしいが、『キャラオケ』の素晴らしさには到底かなわない。何故ならば、『キャラオケ』は、他の国の物まねではなく、日本が独自の発想で作り上げて世界中をとりこにした唯一のものだからだ。」などという。お固い文部省も、遂に1993年の「教育白書」の中で、「カラオケ」を茶道、絵画、園芸、工芸と並ぶ国民の文化活動の一つとして認定した。アメリカの雑誌「タイム」は1999年(平成11年)8月23日付けアジア特集号で「二〇世紀で最も大きな影響を与えたアジアの20人」を選んだ。その一人になんと、神戸でのカラオケ発明者の井上祐輔(大祐)が選ばれた。その時の選考理由は、「毛沢東やガンジーが昼の時代を変革したのと同じ位の影響力をもって、井上がアジアの夜をかえた。」というものであった。
   この「カラオケ」に最近はジャズ系の曲が多数収められている。大手の有線カラオケ・ソフトに収録されているジャズ、ポピュラー、ロックなどの英語曲は 800曲前後にも達する。普通では経験出来ない、17人編成のビッグ・バンドの伴奏、特にヴォーカル用に作られた間奏を除いてメロディ・ラインのない、すこぶる難解なプロ用伴奏をバックにジャズが歌えるという点では、それなりの醍醐味がある。男女が絡むシーンが現れるムード歌謡の色っぽいバックを、ギャルに無理矢理見せて、その反応をうかがってやに下がるような中年男にはならないで、カラオケでジャズを歌う練習を真剣にしようではありませんか。
E・メール名作選-33   (=^_^=)Writen byAYA with Musashi& AsariOtibi-Musashi &Sayori(^*^) 
 編集長、春です。ハル、haru、春ってなんなのでしょう?僕達、8月産まれだから、なんだかよくわかんないや!!!だって、まだ春やったことないもん....。でも、なんだか気分いいカンジ....これが春ってヤツなんでしょうね。飼い主は花粉症...。それってなんなの?僕達もくしゃみするし、でもって..もっと驚くべき....出来事....僕達、夏に向けて衣替えしてます。自然って、そういうことなんだ!とか飼い主は感動してますけど、僕達にとっては、普通のことなんでが....。無理矢理、ブラシされたり、掃除機に追いかけられたり...。非情な体験もしてます。(編集長、助けに来てえ~).....そんなことはどうでもよくって...とにかく僕達は“春"ってものに、出会えるのです。クンクンク~ン....いい匂いがします。これが春なんですね。全国の花粉症のみなさまへ花粉症は、つらい、きつい、最低です。でもこの、ムズムズする感じ....これがきっと春ってヤツなんですね。春ってウキウキしてればいいんですね。この家に来てから、ずっとウキウキ状態...でしたけど、今や、飛び切りのウキウキです。始めての体験の春.....。もう見るもの聞こえるもの、何もかも、面白い....。僕達も春のお歳頃...ってヤツらしい...です。そして、僕達、グングン大きくなってます。編集長、早く会いに来て!早くしないと、子猫を卒業してしまいそう....???