2002/9.
ack-ack'通信 8月17日(土) 友遠方より来たるシリーズ vol.4
 当シリーズも、はや4回目!3回まで4月に開催してたのですが、今年は当方がバタバタ(今年に限らず?)にて、オシオシ状態となり、どうしたものかと思案してましたところ、さつきちゃん(家業は花屋さん!)、Lちゃん(現在、本業はママ?)の業務上の都合?もあり気合い一発、待ったなしの立ち会いでお盆明けと決定?!?・・・原ちゃんと小生も継続は力なりの精神(決して、周りの迷惑顧みずでは御座いません!)にてイケイケ・ドンドンと即決定!店内は、佐野・足利からの大勢の皆様を含めて40名様ほど(出演者が11名もいたのです)が、極めてゆったりとおくつろぎ頂き、収支度外視?(ご提供者なくしては、トテモトテモ。心より感謝!)のプレゼント2品までつきまして、大変喜んで頂けました。ステージもAバンドwithA2ヴォーカル+1の豪華版にて、和気藹々、誠によい雰囲気でスウィングしまして最高に楽しい一夜となりました。また来年も必ず継続致しますのでよろしくお願いしま〜す。有り難う御座いました。佐野・足利の皆様、御遠路お疲れ様でした。
*出 演 大友義雄(as) かわ島崇文(ts) 原 正夫(p) 小谷教夫(p) 福井五十雄(b) 
     西川輝正(b)  西谷文雄(d)  西川喬昭(d) 相田さつき(vo)  大矢江美(vo)  近藤 淳(vo)
8月31日(土) 破茶目茶ジャムセッション vol.15
恒例となりました、リラキシン周年記念の大ラス・ジャムセッションは大入りにて目出度く昨日終了。この欄が当月の最終編集となりますが、時間もスペ−スもありませんので、取り急ぎお礼を申し上げまして、詳細は次号にお伝えします。以前は録音して、皆様にコピーを後日届けしてたのですが、時間的に(古いなぁ〜)なかなか消化できず、また必要な御方はご自分でなさる時代となり、当誌はフォーカス化?し、写真中心となってしまいました。 次号をお楽しみに・・・です。
読者のホ−ム・ページ (61)    前回の私の原稿は、まだ、Wカップが終わっていなかったので、優勝チームや次期監督の推測をしていたが、私の予想が的中した。自己満足だが嬉しい。次期Wカップでの日本の活躍を期待したい。さて、今回は心の問題について述べたい。最近臨床心理学の専門家の書いた、問題提起の本(「心の専門家」はいらない、小沢牧子著、洋泉社新書)を読んだので紹介したい。著者は長年に亘り臨床心理学の研究に携わってきた専門家だ。臨床心理学は大雑把に言えば、カウンセリングにより人の心の悩みを治療・ケアする学問のことである。現代の都市化した社会では、伝統的な地縁・血縁等の人の関係が稀薄になり、人は一部の家族・友人を除き、孤独な地位に立たされており、且つ人間関係も広く浅く機能的になり、個人としての独立・確立を要求される。いわば孤独な群衆なのだ。これは西欧、特にアメリカの影響が大きい。その結果、人は個としての悩み・不安が大きくなり、例えば不登校症の現象が出て、身内では対処できないと強迫観念を抱きカウンセラーに頼り、それが心の病だと専門家が分析し、心の病気にされ、レッテルを貼られる。心の病も肉体的な病と同一視され、その治療・ケアが必要だと認識され需要が生じ、資本主義社会では市場が出来る以上、心の悩み等は商品化される。アメリカでは、精神科のホームカウンセラーを持っていることは、社会的なステータスだとまで言われる。しかし、心の悩み・不安は本当に病気なのか、専門家が権威的に「治療する」といったことに馴染むのだろうか、と先の著者は自問自答する。心の悩みなどは病気でも何でもなく、本来日常生活の中で身近な人達と話し合い、助け合い、金に変えがたい人同志の関係の中で解決するものでないかと言う。今の社会では、その人間関係が崩壊しており、何でも専門家に依頼すれば、自動販売機のように治ると思いこんでいる、しかし、専門家が介入すればクライアントは専門家の方が優越的地位にあるので、無意識のうちにカウンセラーに迎合し、当面は解決した気になっても、それは全くの受け身なので主体的な解決でなく、また問題が出れば再びカウンセラーの下へ通うのである。しかし、仮に不幸なことに出会っても、それは日常的な出来事だと認識し、受け止めて、自分の頭で考え、身内や親しい人と会話等しながら打開の道を模索することこそ大切だという。 携帯電話のメールも良いが、余りに人間関係が浅薄なものになっていないか、人と人の関係は、まずは面と向かって相手の顔や表情を見て、身体的にぶつかることが基本だろう。ジャズでいえば生演奏のアドリブだ。それはスリリングであり、ハプニングもあり、身体的なぶつかり合いなのだ。先輩の人は若い人に、このアドリブの快感を教えるべきですね。さて、今宵のバーボンの友はテーマから云って、SOUL EYESで決まりだ。マルの作曲だが、コルトレーン・バージョンがたまらなく良い。アルバム自体が素晴らしい・・・TUNJIなど、若い頃に痺れまくっちゃったものです。     Dancing Lawyer
やぶにらみ 第28回       エロール・アさカわ
 心に傷を負った子供達に心のケアを・・・と云う声が頻繁に聞こえるようになって来た。不登校、登校拒否、自閉症の子供達が年々増加する傾向にある事実を見るにつけ、「そんなものかなぁ〜!」と思う反面、大きな疑問も湧いてくるのである。心のケアと云う言葉を耳にするようになったのは20年ほど前のことであったと記憶している。しかし20年たった現在、不登校や自閉症の子供達の数は10倍以上にも増加している。不登校、登校拒否の要因を探ってみると、「勉強が良く解らないので授業を受けることが苦痛になる。」。「先生が勉強の出来る生徒ばかりを贔屓するから。」。「クラスに意地悪する生徒が居てイジメられるから。」。「教室の雰囲気が嫌いだから。」等々と云ったところが主な理由である。この様な子供達に早期のケアを施して置かないと、成長した後の社会生活に支障を来すことになるらしい。我々の少年時代のことなどを持ち出すと時代錯誤もハナハダシイと非難を受けそうだが、我々の幼少、少年時代には心のケア等という言葉さえ聞いたことがなかった。私は父親の仕事の関係で小学校、中学校だけでも7度も転向を余儀なくされた。何処の学校にも腕力の強い悪ガキや、上級生の兄を持つイジメっ子がいて、転校生は良くイジメの対象にされものである。イジメにあったからと行って家の者に告げ口をするようなことはプライドが許さなかった。腕力自慢の悪ガキに呼び出しを受けたりすると、「俺の兄貴が中学校の柔道部にいるが、喧嘩が好きで何時も転校させられるんだ。」この一言で態勢は一変してしまう。勉強で解らないところがあればクラスで一番出来の良い友達の家にキャラメル一箱を持って行って、納得のいくまで執拗に教えてもらった。つまり弱者は弱者なりに色々と知恵を搾ったり工夫をしたりした活路を開いたものである。学校と云うのは常に真剣勝負の場であり、その中で社会生活に必要な様々のテクニックを身に付けて行った。私の記憶の中にはイジメに会って不登校や登校拒否をした生徒は一人も居なかった。先生からも数え切れない程ゲンコツやビンタを喰わされたが、そのために不登校になったり親に告げ口をすることなど夢にも考えたことはなかった。心のケアも病的自閉症の子供には必要かも知れないが、ケアのあり方が逆に依存心や甘え、我がままの増長に繋がらなければ良いが。
ジャズ・タイトルの中国語訳  新 折人 #20
前回のジャズの日本語訳の話に続き、今回は中国語訳がテーマである。 中国にいつごろからジャズが入ったのかは明らかではないが、1922年のアメリカの雑誌には既に、バーネット・ハーシーなる人物が、「上海では皆ジャズに熱狂している。」という趣旨の紀行文を書いている。1926年には、本場アメリカから、Dsのジャック・カーター、Pfのテディ・ウエザーフォード、女性Tpのヴァレイダ・スノーらが上海に去来した他、1933年から女性Voのミッジ・ウイリアムス、翌34年からマフィアに追いつめられたTpのバック・クレイトンなども中国に渡りジャズを広めた。日本人のジャズ・プレーヤーで最初に上海に渡ったのは、Tpの斉藤広義とされ、早くも1921年(大正10年)のことであったが、その後1945年の太平洋戦争終焉までに、Pfの杉原泰蔵、Tpの南里文雄、Tbの周東 勇、Clの東 松二郎、Saxの大川幸一から、Voの水島早苗、ベティ稲田、ディック・ミネ、更には名もない「バンスキング」(前借り王)まで、多くのミュージシャンが、上海を訪れた。 戦前には、1925年に出来た「キャセイ・ホテル」のバー(現在の和平飯店北楼)では、毎夜ジャズが奏でられ、各国の名士が酒とダンスと紫煙と談笑を楽しんでいた。戦後「文化大革命」で、上海のジャズが「仮死状態」になったことはあったが、現在上海のみならず、中国でのジャズはまことに盛んである。 ところで、中国ではジャズを「爵士楽」という。なんとなくデューク・エリントンを思わせ優雅だが、ニューオーリンズは「乳男倫」で、ぞっとしない。その中国でジャズのタイトルをどう訳しているのだろうか。"In the Mood"は「情緒中」、"Sentimental Jhorny"は「多情的旅行」、"On the Slow Boat to China"は、「往中国的小船」で分かりやすいが、"Begin the Beguine"は「開始跳別剄舞」"Georgia on My Mind"は「喬其亜在我心理」、"As time goes by"は「時光流逝」、"Our love is here to stay"は「挽留的愛」、"Let's dance"は「一起跳舞」と、苦労の跡がしのばれる。訳す苦労を放擲したかのような音読み当て字スタイルでは、"Desafinado"がそのままに「戴沙費南杜」、"Mambo No5"が「曼波第五号」だが、"One Note Samba"が「一曲散巴」であり、何故「一音散巴」でないのかと疑問を感じる。
E・メール名作選-26 (=^_^=)Writen byAYA with Musashi& Asari(^*^)
あさりちゃんが8月、4回の入退院。点滴して頂いて、一応いまは元気なのですが.....。病院通い過剰のせいか、“飼い主不信嫌いモ―ド"になり、玄関の下駄箱の中か部屋の隅にじっとして、移動する時は私の横をイタチのように超特急で駆け抜けて行きます。目が合うと逃げて“あさりちゃん"って声かけると、もっと逃げて…悲しい気持ちの今日この頃…。そんな訳であさりちゃんは、メ−ルを編集長に送っている場合じゃないのです。今夜が原稿の締切だというのに....。どうするんだろう...?もしも間にあわないといけないので、今回は番外編になりますけど、飼い主が取り敢えず送ります。そして、どなたか、仲良しの猫に嫌われて....でも、又仲良しに戻れた方がいらしたら、是非その解決方法を教えて下さい。(これは必死のお願いです。)10年前、あさりちゃんが始めて家に来た時丸々一週間、ベッドの下から、出て来なかった。ご飯食べる時だけ、出て来たけど...。それ以外はずっとベッドの下で、傍に行くとフ−フ−怒って“来ないで!"って....。でもキッチリ一週間でデビュ−しました。今回、今日でちょうど、一週間です。あさりちゃんには、“シカトはイジメよ"とか色々言ってみてるのですが、聞く耳持ってない様子。ここまで、根性・忍耐あるとは思いもしませんでした。(一体誰に似たんだろう?)夜私が寝ると、こっそり出て来る。留守の間は出て来ている。それはバレテいるのです。あさりちゃんの産みの親、鴨居のママ獣医さんにも相談しました。そしたら、あさりちゃんの写真(正面・後ろ姿・右・左半身)合計4枚撮って送って!そしたら、何かわかるって言って頂けて...すごく救われたんだけど....でも出て来ないあさりちゃん。一体どうやって撮ればいいんだ?一説によると、入院先の病院で、あさりちゃんはみんなに“美人ね!"と言われて、かなり御機嫌で、ポ-ズまでとって、点滴していたらしい....。家では、もうずっと美人なんて、言ってあげてなかったから....。どうもそれがお気に召さないらしい....。でも編集長、10年連れ添ったダンナサマがオクサマに毎日、毎日“美人ね!"って今でも言い続けている人知ってる?今頃急に“美人ね!"って言っても、もう見栄見栄で、効果ないみたい...。今私がしていること....I've grown accustomed to her faceを何げない振りして、でもあさりちゃん、わかってよ、この私とむさしくんの気持ち...とずっと唄ってるのです。あ〜あ、どなたか、何か良い方法があったら、是非ご一報下さい。