2002..8
ack-ack'通信 7月20日(土) ぴあーの
ルーツでのドラムレッスンを終えるやいなや、中央道の諏訪南インターを目指し、pm 5:15スタート。快調!そのものにて、長蛇の列で駐車場と化した上り線を尻目に1時間半で長野の富士見町・あぐりモールにオープンした“ぴあーの”(ラストページ参照)に到着。須藤俊也(p)、近藤 淳(vo)のステージが始まったばかりの処で、先ずは生ビールを・・・2ndステージからはドラムをセットして気分良く・・・?いゃ〜最高でした!いえいえ、決して遊びに行った訳ではありません。「破れ太鼓の会」に参加なされた方は良くご存知、大河内隆則君のドラムを、黒岩さんのご尽力により、ご当地の「この街学園」でご披露する事になり、打ち合わせに伺った次第なのです。彼の17年間の成果は「破れ太鼓の会」にて証明済みですので、本人の喜びがより大きくなる事を切に願っておりま〜す。(スケジュール参照)帰路は駐車場を走る羽目となり、それにも飽きて途中下車、食事など取りながら一般道を6時間・・・それはそれは楽しい旅となりました?9月22〜23日が今から大いに楽しみです。隆則君と猛練習せねば・・・で〜す。
7月27日(土) 結城市 けやき公園サウンド・フェスタ          昨年、小生の3度目の出演後、結城市の関係者・Oさん一同がコージーエルのライブへいらして、居合わせた順天堂大学のS&I君(ルーツの生徒)に、ジャズ部が出来たら是非参加して下さいと、声を掛けて下さったのが始まり。部は小生の高校の同期・鶴丸君(現、同大教授)が顧問を引き受けてくれたりで何とか発足!部として初の対外公演となる意義深い日ゆえ、レッスンを上記日時に変更(上は上の事情に合わせて・・・ハイ。大河内君は隅田川の花火大会へ・・・年に一日の欠席事由がなしにてご満悦?)し、3時からのリハーサルに駆けつけた。5時からの本番を観て、聴いて・・・なかなか受けてました。ラストのリカルド・ボサを見届け?一路、佐野市へ。今月17日に共演する(表紙参照)、原 正夫氏と築地直送の美味い魚を肴に!一杯やりつつ作戦会議?後半はひたすら酔いを覚ましに掛かり、9時半頃帰路につく。途中、コンビニで金城氏のバースデイ祝い用のし袋に白黒版を購入(表書きは勿論、お祝いで〜す。)して、オール・オブ・ミー・クラブの深夜ジャムへ。上記の理由もありで良く入ってました・・・結果、帰宅は朝の6時と相成りました。前日も4時でしたが良く持ちましたぁ〜。17日の「友遠方より来たるシリーズ」は豪華プレゼント付となりましたし、是非共いらして下さい・・・品物で釣るなど、そんな滅相もない!?
読者のホ−ム・ページ (60)      よっぱライフプランナー
先日、我が家のエアコンがただの送風機になってしまった。全く冷風を送らなくなったのである。よりによって、この1年で1番暑い時期にである。購入して11年も経っていれば、無理もない話だろう。エアコン無しでこの暑さとつき合うのは流石にきつい。寿命と諦め、早速エアコンを買い求めた。エアコン工事の人が来て、慣れた手つきで手際よくエアコンを取り付けて行く。同じ能力なのに、11年前とでは明らかに大きさが違う。性能もアップし、機能も豊富である。エアコンは「エアコンディショナー」を略した言葉である。しかし現実にエアコンにおける中心課題は冷やす事、つまりクーラー機能の開発にあったし、人々の期待もクーラー機能だった様である。科学情報評論家の古瀬幸広氏がエアコンの開発史について書いている。それによると、エアコンの歴史はかなり古く、すでに1920年にはアメリカで特許申請がされているらしい。日本も技術導入によって芝浦製作所(後の東芝)が1935年に日本初のルームクーラーを発売している。日本でこの市場が立ち上がるのは、第二次世界大戦からの復興を果たす1950年代からである。家庭用として売り出され始めたのは、1952年に日立が発売したウィンド型クーラーあたりからである。今の様に室外機を外に設置し、室内機のみを屋内に設置するスプリット型エアコンを家庭用として最初に発売したのは、三洋電機だった(1961年)。暖房機能を備え、「クーラー」から「エアコン」へと変わったのもこの頃だ。三菱電機がヒートポンプ式の冷暖房ルームエアコンを投入し、日立が除湿機能をつけたドライエアコンを出す。1970年代から80年代にかけては、本格的な性能競争の時代となる。まず始まったのが、室内機の小型化競争だった。続いて、1971年にインテルが開発したマイクロプロセッサ(マイコン)の利用が始まる。1980年に日立が出した「白くまくん」は、温度センサーと湿度センサーを備え、冷房・暖房・ドライ機能をもっていた。機能的には、これが現在のエアコンの出発点だといえる。1982年には、東芝が制御をインバータ制御に変更したインバータエアコンを投入し、インバータ革命が起きる。インバータ技術は現在もエアコン技術の基盤を支える技術となっている。また、冷・暖・ドライに加えて、空気清浄機能も加わっている。そして、地球温暖化問題によって特定フロンの使用が禁止された後も、性能を特に落とすことなく、しかも省エネを実現しながら今なお新製品が開発され続けている。蒸し暑い日本の夏を乗り切るには、今やエアコンは必需品である。昔は、そんなものがなくても夏を乗り切ったという大先輩方もいらっしゃるだろうが、それは日本家屋での話でしょと言いたくなる。団扇か扇子、足元には水の入れたバケツでもあれば、風通しの良い日本家屋では何とか夏を乗り切れただろう。しかし、住環境の変化、都市環境の変化がエアコンを必需品にしているのだ。勿論、自然の風の方が身体に良いことは言うまでもない。エアコンには「冷房病」という弊害もある。これからのエアコンには、「冷房病」という言葉とは無縁の技術開発を期待したい。さて、今夜も寝苦しい夜がやってきた。こんな夜は、バーボンを飲やりながら、クールなジョー・モレロのサマータイムで気分をスッキリさせてからベッドに入るとしよう。フィル・ウッズとゲーリー・バートンの素晴らしいソロに痺れつつ・・・乾杯!?!                            
やぶにらみ 第27回       エロール・アさカわ
人それぞれにテレビの見方や利用方法が違うと思うが、私の場合は生活の中でのBGMとして利用することが多い。目が覚めてスイッチを入れると、トイレに居ようと洗面所に居ようと、外出する時以外にスイッチを切ることがない。かといって何かを見ようという目的があるわけでもない。小生の如く長年独身を続けている者にとっては、部屋の中で人の話し声が流れていること自体に意味があるのだ。別に独り者に限ったことではなく、夫婦者の間でも長年の共同生活の中に漂う倦怠感を中和させるのに大いに役立っているのである。人の声というのは楽器と共通する波動を持っており、バリトンやアルトの話し声は一種の安らぎを与える。どうせBGM代わりに聴くのなら音楽を聴けば良さそうなものだが、クラシック音楽についで人の声(特にニュース解説者の声)がアルファー波を発生させるのに役立つと云うことである。ならばテレビで音楽番組を聴くことにすれば・・・と云う考え方もある。しかし残念ながらテレビで四六時中音楽番組を放映しているわけもないし、第一に画面からサックスやトランペット等の管楽器が消えて以来、我々が聴く音楽番組は無くなってしまっている。時々、超人気バンド(小泉首相が感激したと云う)の演奏や類似バンドの演奏も放映されることがあるが、やたらパワーアップした巨大なスピーカーから、決して音楽的とは思えないエレキの爆音と支離滅裂な歌詞を怒鳴る声が聞こえた。どのバンドの演奏を聴いてもリズムとテンポが殆ど同じである。又、ステージでは飛んだり跳ねたり、上着を脱いで裸になったりすることで観客(聴衆ではない)の人気を煽ろうとする。観客の90%の者が十代と二十代前半の若者達である。もっとも「本物の音楽ってどんなの?」と問われても返答に窮してしまうのだが、この様なハイパワーな電気の音が音楽であると思っている現代の若者達を見るにつけ、「時代は変わったのだ!」と自分に言い聞かせる私である。それにしてもテレビ業界の無節操ぶりにはアキレル。麻薬常習者、痴漢行為、詐欺行為、脱税といった歴とした犯罪をおかしたタレントや芸能人であっても、何%かの視聴率が稼げるとなれば何の臆面もなく起用する。「反面教師」だとコメントする業界人もいるが、頭脳の成長期にある子供達にとって「教師」となってしまうことを考えるべきでは・・・。 
ジャズ・タイトルの日本語訳 新 折人 
 「ジャズ」のタイトルを日本語に訳す時、必ずしも元のタイトルに忠実である必要はないと思われるが、それにしても、明らかに誤訳と言はざるを得ないものが少なくない。良く指摘されるのが、"You be so nice to come home to"(1941)の訳である。これは誰かが「帰ってくれたら嬉しいわ」と訳して定着しているが、明らかな誤訳である。"come"という言葉が、「来る」という意味で頭に入っているための間違いであろうが、英語では「来る」という意味の他、"Jhon, supper is ready." "Yes, I'm comming." のように相手の居る場所に「行く」という意味でも使われる。更に、高校時代の英文法の授業を思い出して頂きたい。このタイトルの文型は「仮定法過去」であり、通常の"If・・・"という条件節が、"to"以下の不定法の中に置き換えられている。また「仮定法過去」といえども、日本語では「現在の時点」で訳さなければならない。かつ、訳す時、「・・だろうに」とか「・・なのに」とか、思い入れが入らねばならない。従ってこの曲のタイトルを直訳すれば、「私が家に帰ったとき、あなたが居てくれたら素敵なのに」という、流布されている訳とは逆の意味になる。もう一つの例は、"Love letters in the sand"(1931)を「砂に書いたラブレター」と訳していることである。何故なら、この"letters"が複数型であるからだ。従って、これは「砂の中に書かれたL・O・V・Eという四つの文字」という意味に他ならない。 以上の二例は、直訳だと面白くないので、あえてこういう訳にした、と考えれば罪は軽い。許されないのは"Do you know what it means to miss New Orleans"の訳である。古い本でこれを「ミス・ニューオルリンズを知っているかい」と訳しているのをみた。それどころか日本有数のジャズを専門とする某出版社が、1987年11月発刊の「ジャズ映画音楽特集号」で、「いとしのミス・ニューオルリンズ」という迷訳を付けていた。改めて説明する必要はないが、このタイトルにある"miss"は「他動詞」であって、文例としては"I miss you."(あなたが居なくて淋しい)、あるいは(あなたが懐かしい)という時の"miss"である。従って両訳とも、これを「・・嬢」の"Miss"と間違えた、ひどい誤訳である。なお、後者の場合は、「ミス」さえ省いて「いとしのニューオルリンズ」としておけば、むしろ名訳というべきであった。アラ探しはこの位にして一つだけ名訳を挙げておこう。"Get out and get under themoon"(1928)の訳である。この曲名の訳には「月下にいでよ」とか「月夜の晩に」とかいった邦訳もあるが、浅草オペラの発展にも貢献した伊庭孝(1887~1937)が付けた「月光価千金」というタイトルが、なんとも詩的で、まれにみる名訳だと思う。中国南宋の詩人蘇軾(1036~1101)の「春夜」と題する七言絶句の冒頭部分に「春宵一刻価千金 花有清香月有陰・・・」とあり、それにヒントを得たものと思われる。
E・メール名作選-25 (=^_^=)Writen byAYA with Musashi& Asari(^*^)
あ〜締め切りに間に合ってよかった。私、又入院していて、今帰って来たところ。先生のところには、家よりスゴイ、パソコンがあったの。で、夜中にこっそり先生のパソコンをお借りして、メ−ル出そう!と考えた。良い思いつきでしょ。でも、ダメ・・・先生のところのパソコン、編集長のアドレス入ってなかったもん。編集長、この4日間の入院は、先生に私の私生活を暴露し、私と先生は“内緒の指切りゲンマン"したから、飼い主は何を暴露したのだろう?と・・・私に頭が上がらないの。で、先生も入稿に間にあうように退院させて下さったから、この4日間の私との(蜜月?)日々がどんな風に原稿になっちゃうのか、チョッピリ心配な様子。私はお陰様で、元気になりました。先生、どうもアリガト!この4日間で、一番驚いたお話をします。子猫・・・というものに遭遇してしまいました。産まれて2週間目らしいです。始め、私はこれがハムスタ−ってヤツかと思いました。でも、ミュウミュウって言うんだ。そして、猫ミルクグングン飲んで・・・果ては私のご飯まで食べようとするの。なんて、頼もしいヤツなんだ!私は“おかあさん"したことないから、ヤツが近づいて来るとなんだか、怖くて・・・来ないで!ってフウフウしてるのに来るんだ。私もむさし君もこうやって、先生のところで、赤ちゃんやってたんだよ!って飼い主に言われたけど、ちっとも、わかんないや。私がわかんないのは仕方ないとしても、家の飼い主は私のこと、心配してる振りして、その子猫見て、改めて感動してました。“あさりちゃんも、むさし君も私と出会う前に、こうやって先生が寝ずに育ててくれて、"って。編集長、わかっていても、実際目撃すると、体験になって、ちゃんとわかるらしいです。飼い主はトロイです。私はそういうことがわかりました。だから、編集長、みんなに言いふらしておいて下さい。<出会いは、大切!>飼い主はただのミ−ハ−ってこともわかりました。私の今回の入院は禅寺に修行にいったようなもので・・・ますます達観してる今日この頃です。