2002.5
破れ太鼓の会 vol.2 4月29日(月)
昨年は吹雪状態の大雪で大変なご迷惑をお掛けしました(それだけに意義深くも?)。今回は桜吹雪も北に過ぎ去り好天気にて汚名返上?大江戸サリバン・玉川氏の進行でack-ack’3(金山正浩 p/安久津泰久 b)で2曲演奏!早稲田ダンモ研出身・ルーツ部屋所属?O氏(実にジャズっぽい)、静岡県出身・同部屋・O氏(安定したリズムでピアノも弾ける!静岡よりピアノレストリオで参加)、東工大大学院出身・同部屋・U嬢(かれこれ10年?何かの時はピアニストに変身可の貴重な存在?)、当会・呼び出し・同部屋卒?玉川氏、香川県出身・同部屋卒?渡辺雄一プロ、同門・松本英彦ラブリーミュージック卒・シニア・オーケストラ所属・I氏(かれこれ27年?再度のルーツ部屋入門を考慮中?)、コージーエル出演・大五朗部屋所属・佐谷氏と、ドラマーが7名もいて師匠の出番は当然・・・以降カメラマンと化す?ボーヤ&お助けピアノ?佐藤祐二、何も手解きされてない錯覚参加組?I夫妻(Mrトロンボーン&スキャット/Mrsテナー&ヴォーカル)、ピアノレストリオ組・部屋頭・I氏(昔、弟のバンドに在籍。アルトは良い音でした)、ベースはウクレレ&胡弓&ピアノまでこなす大五朗親方&ピアノレストリオ組所属・K氏。I女史、ロミちゃん、W女史、福岡県出身・お手伝いシンガーズ所属・リエ、乱入プロ組・トシミ&ヨウコからなる美女ヴーカル陣!専任リスナーは、ack−ack’ご常連・町田組・O氏、同・名古屋組・I氏、同・三鷹組・M女史、同・障害児ボランティアに長年貢献するK女史、アルトのI氏グループ美人付人・Iさん、町内会組・マダム・チャンプ&チーママらの声援により大いに盛り上がりました。そして何よりも嬉しく思いましたのは、ルーツ音楽院にての触れあいを1985年より持続して来た(当誌の歴史より長い17年間!)O君の存在が当会の象徴となったことです。発会の際、小生のためらいを吹っ切らせてくれた玉川氏と、参加者ご一同のご理解に深く感謝致しまして、母上よりのメールを皆様に捧げます。

昨日は 本当に有り難うございました。帰り道、息子も私も、本当に幸せでした。彼にとって、あの時間が どれほど素晴らしい事か!そして、どれほど、自信になったか!ただ、ドラムの事での自信ではなく、生き方にとっても大きな自信につながったと思います。彼のような子には、中々 あのような機会が与えられる・・という事はありません。 皆様の前で叩く!!・・ということが あの子にとって、私達が考える以上に、余程、楽しい事だったのだと思います。ですから、本当に 嬉しかったですし、先生を始めとして皆様のお気持ちが どれほどありがたかったか!!私からみても、去年とは随分違ったと思います。ピアノや ベース、そして、先生を見て、聞くという余裕が出来たのでは・・と 思いました。テクニックの事は 私にはよく解りませんが、皆様にほめていただいて・・・。本当に感激し、又 嬉しかったです。また、帰りがけに、彼に声をかけて頂き、人生 始めてのお花まで頂いて、有り難うございました。家に着くまで、しっかり持っていました。あんなに嬉しそうな彼を見ることが出来て、親として、本当に 最高に 幸せでした。玉川さん、また お名前を 存じ上げませんが、皆様にどうぞ、どうぞ よろしくお伝えくださいませ。もう、来年を 楽しみにしているようです。
読者のホ−ム・ページ (56)   Dancing Lawye
 桜の季節も今年は3月中に終わってしまい、これは100年に一度位しかない異常なことだと聞いているが何となく気持ちが悪い。サッカーのWC(ワールド・カップ)も控え期待と不安の入り交じった昨今であるが、WCは成功させたいと願っている。さて、今日は私の不得手なコンピュータ(PC=パソコン)など、いわゆるIT(アイ・ティー)について話したい。西川編集長を始めとして、PCを駆使し且つ、有意義に活用している人は、勿論の事ながら増えた。しかし反面ITとかのトレンドや言葉だけに踊らされて、何となく利用したり、PCを買った人もたくさんいる。「ケータイ」も同じである。 PC が便利な事は今更言うまでもない。しかし使う側にとっては何のために(目的)に使うのかが、はっきりしていないと駄目だと思う。私は、今PCを使っていないが、もし使うとすれば、その目的は使う前から特定できる。例えばワードやエクセルのソフトによる文書や計算書の作成、関係者とのメール交換、顧客、会計士などの管理、一部の仕事に関するインターエットへのアクセスなどだ。しかし、このように目的とか使用の仕方を自覚している人は良いが、ただ単に「時流に乗り遅れるな」といった考えでPCを等を買うのは如何なものか?おそらくウインドウズの「ゴミ箱」的利用しかできないのではないだろうか?現在ではPCに代表されるインターネットシステムにより、世界中から膨大な量の情報が入ってくる。それとは別にインターネット以外の各マスメディアからも同様に多くの情報が入、今や我々は不要な情報を捨てることの方が大切な状況に置かれている。逆に昔は必要な情報を入手するのが大変であった。今は全くその逆だということだ。ではどの情報を入手、保存し、他の不要なものを捨てるのか?この作業自体がきわめて困難だ。結局は自分の生活、仕事、趣味など自分のアイデアとか価値観などで決めざるを得ない。即ち現代の情報洪水の中でも、最終的には自分しか頼れるものはない。従って本質的に昔と変わっていない。用は便利か否かだけの差だろう。結局、我々の有限の人世の中自分が主体的に世の中の色々な事象に対し、立ち向かい判断、対処して行くというスタンスがもっとも大切だと云うことがよく考えてみるとわかる。従って余り我々の興味とか利害のなかった外務省等は、あっという間にもっとも国外へ出せないタイプの国辱的な議員に翻弄されるわけである。そろそろ我々国民一人一人が構造改革すべき時であります。さて、PCと来ればコルトレーンの“Mr.PC”に落ちますな?ポール・チェンバースに捧げたシンプルなブルースだが、マンハッタン・ジャズ・クインテットなども再演していて実にファンキーだ。日本ジャズ界の“Mr.PC:西川編集長”とダブらせて、やはり今宵もバーボンのダブルですなぁ〜。    
やぶにらみ 第25回       エロール・アさカわ
  学校が五日制になることで学力の低下のことを懸念する親もいるようだが全くナンセンスである。例え五日制が四日制になろうと伸びる子供は確実に伸びるものである。若し五日制になって学力の低下する子供がいるとすれば、それは本人の資質か家庭環境の問題と云える。私の小学校時代からの友人に、現在、東大仏文科の教授となっている者がいるが、小学校時代も中学校時代でもガリベンタイプではなかった。中学時代の或る日、「俺がオゴルから映画を見に行こう!」と誘われたことがあった。しかも期末テストの真っ最中にである。私はせめて一夜漬の勉強でもと思って断ったが、校舎の壁に張り出された期末テストの結果を見ると7科目の平均点96点というのが彼の成績であった。高校時代は剣道部の選手として県大会でも大いに活躍していたが大学受験では東大と防衛大の両校に現役合格した。その友人とは現在も時々、食事をすることがあり昔話のついでに学生時代の好成績の秘訣を訊ねたことがあった。「勉強の秘訣なんて一度も考えたことはなかったが、両親に整理整頓だけは煩く仕付けられた」ということであった。小学校時代から自分の鞄の中、机の中、押入の中、本棚に並ぶ本の順序の事まで、ずいぶん煩く仕付けられたそうだが、それも5〜6才頃迄のことで、小学校に入学してからは何も言わないようになったそうだ。つまり幼児期に於ける整理整頓の習慣は成長期の脳の働きにも大きな影響を及ぼすと云うことである。それにもう一つは、ほんの些細なことにも感動したり感激したり出来ることである。彼は小説でも漫画でも読んで感銘を受けるとすっ飛んできて、その本を読むように勧める癖があった。中学二年の時に武者小路実篤の「愛と死」を読み感動してしまい、その本を抱えてくると、直ぐその場で読めと云って頁までめくってくれたことがあった。現代の反自然的物質文明社会の中にあって、IQの高さばかりが尊ばれる傾向にあるが、21世紀に入った今日、EQとのバランスが重要視されるようになってきた。IQの高いエリート達に依って占められる省庁官僚の中で頻発する一連の不祥事を見るにつけ、全てが金銭がらみという実に単純な結果を見るにつけ、全てが金銭がらみという実に単純な結果を生んでいる。そうして掴んだ大金の使い道や如何?豪邸を建てるか別荘を持つか、はたまた可愛い娘を囲うか。己の快適快楽に終始する。喝!右脳をたたけっ!。
名作「セロ弾きのゴーシュ」とジャズ  新 折人
 空想、ユーモア、宗教感、土着性、科学精神などを混在させた作品を書いた、東北の作家・宮沢賢治(1896~1933)の有名な童話に「セロ弾きのゴーシュ」がある。その主人公ゴーシュは、立派な交響楽団や室内楽団のチェロ奏者ではなく、小さな町の活動写真館で演奏するしかない楽隊、「金星音楽団」の一員である。「セロ弾きのゴーシュ」は、読んだ人も多いと思うが、粗筋次のような話である。即ち、楽団の中で一番下手だと評判のセロ弾きのゴーシュが、夜水車小屋で猛練習をしていると、毎晩日替わりで、小動物達が現れ、彼の演奏をせがんだり、なんだかんだと注文をつける。そして動物達との夜毎の交わりの後、ゴーシュは町の公会堂で行われた演奏会で最後に'ノロの名演奏を行い、観客はそれを熱心に聴き、楽長や仲間からは、「一週間か十日の間に随分しあげたなあ。」と絶賛をあびる、・・・という筋である。この話の中で興味深いのは、ゴーシュが子猫から、「ではね、『愉快な馬車屋』を弾いてください。」と頼まれて、「何だ「愉快な馬車屋』ってジャズか。」と問い返すくだりが出てくることである。周知の通りジャズが日本に入って来るようになったのは、1923(大正12)年の「関東大震災」以降であり、それが広く国民の間に広がり始めたのは、1928(昭和3)年頃からといえるが、すでに、宮沢賢治の頭の中にはジャズが大きなウエイトを占めていたのである。また、この作品の解釈に対して筆者は異議を唱えたい。それは、ゴーシュが絶賛をあびたのは、短期間で格別技量が上達した訳ではなく、彼が動物達に教わってジャズの演奏手法を身につけたからに違い無い・・と思われることである。この説は、それこそ「銀河鉄道」の星の数ほども居る宮沢賢治のファンや研究者違からは笑いとぱされるかも知れない。しかし、この作品を良く読んでみると、第一夜にやって来た三毛猫は、ゴーシュの自我的な演奏を聴いて逃げまどうが、このことによってゴーシュは猫から、ジャズの真髄である聴衆との一体感の重要性を教わる。第二夜のかっこうには、今迄と一寸違うドレミファ(ブルーノート?)とそのリフレインを教わる。第三夜には、棒をもってぽんぽん叩く子猫から、リズム(シンコペーション?)を教わった。第四夜の野ねずみからは、聴衆の気分を癒す演奏法(スイング感?)を教わった。・・ややこじっけの感は否めないが、筆者にはそういう風に読めるのである。そして、彼がソロで演奏して絶賛をあびた曲は、「印度の虎狩り」という曲であった。宮沢賢治は曲名しか書いていないが、これは原題を“Hunting tigers out in india”という曲のことだと考えられ、実はフォックス・トロットのダンス曲で、まさに当時のジャズの素材であった。時代の先端をゆく知識に食欲であり、かつ花巻の楽器店で新譜のレコードを買い漁っていた宮沢賢治は、当時すでにジャズについて造詣が深く、これを巧みにテーマとして作品の中にもぐらせたように思えるのである。
・メール名作選-21(=^_^=)Writen byAYA with Musashi& Asari(^*^)
 編集長、お元気ですか?ここのところ、ちっとも会えなくて、ちょっと寂しい気分です。気候も暖かいのか、寒いのか、わからなくて調子狂います。世間はgolden weekとやら、らしいです。ところで、ダイエット第2弾ある獣医さんによれば、食べきれないほどのご飯を出してもらえば、残すそうです。そして、その後は一気喰いをやめるそうです。でも、家の飼い主は、その話し、半信半疑です!なぜかといえば・・・、家の飼い主、beerあればあるだけ飲みます。No Thank You!という言葉がないらしいのです。二日酔いでも、翌日は、なぜか又おいしく飲める。あの頭の痛い、気持ち悪いの、学習効果なんのその。だから、僕達もきっとそうに違いない・・・と思っているらしいのです。あればあるだけ食べれば、せっかくのダイエットは水の泡!飼い主、ハムレットのように悩んでいます。食べきれないほどのご飯を出すべきか?今まで通り小出しにすべきか?・・・と・・・beerを飲みながら、真剣に悩む飼い主。僕達はこんな飼い主に付き合っていると、又睡眠不足になるので、適当に付き合って、さっさとお昼寝!そして、飼い主も僕達につられてお昼寝。・・・これが我が家の最近の休日の過ごし方です。