2002/12
12月21日(土)コージ・ーエル〜クリスマス・スペシャル・ライブ!
 早くも3回目!当方が還暦にもなる訳ですなぁ〜!?今回もゲストに笈田さんを迎えまして、素敵なクリスマス・プレゼントが2品・・・プレゼントだけで元が取れるかも・・・も付いてとサービス内容大充実!大変豪華なパーティーとなりました。絶対お奨めにつき、お申込はお早めに・・・です。そうそう、1月4日のジャズ新年会-破れ太鼓番外地編も、象英暦+1と大盤振る舞いお年賀付きとなってますので、此方もお早めに・・・どちらも数に限りありですゆえ・・・で〜す。
年末年始連ちゃんジャムセッション!   12月28日(土)、リラキシン恒例・破茶目茶ジャムセッション、お正月の4日(土)pm4:00〜9:00は、コージー・エルにてジャズ新年会-破れ太鼓番外地編P、同日pm11;00〜は、オール・オブ・ミー・クラブの定例・サタデー・ミッドナイト・ジャムセッション・新春第一弾〜お年賀セッション*5Pと、年末年始に掛けてジヤムの連ちゃん状態!となりました。腕に覚えのある方、無い方を問わず奮ってご参加下さい。ちなみにゼ〜ンブ参加しても?それぞれ見事にカラーが違うのでとても面白いと思いますが・・・なに、そんなに暇じゃない・・・失礼しました。
1月26日(日) 古伊萬里ジャズ一夜!   6年前と同じく従兄弟の経営するホテルにて甥っ子の披露宴で演奏後、下記にあります様に「故郷に錦を飾るシリーズ?第4弾」を開催します。八人からなる従兄弟ご一同ゆえ、甥っ子、姪っ子多数にて誠に頼もしい限り!お陰様で小・中・高の同期生・恩師、プロ入り時の仲間・先輩と一堂に会することが出来る最高に楽しい一夜なのです。今年は当たり前ながら同期生全員が還暦?!多くの同期・同窓会(大抵は最終学年なれど、還暦ともなるとボーターレスで参加を募ってる会もあり、それも又楽しい)が催されましたが、九州へは行けず仕舞いでしたので、遅ればせながらで・・・大いに楽しみで〜す。今回は佐賀、博多他の皆さんの帰路も考慮しまして早めの時間設定と致しました。是非是非、皆様お誘い合わせの上ご参集下さい・・・ネ。(チケットのお申込はホテル、当方どちらでも結構です。)
追   記    
10月18日(土)、テレビ朝日「人生の楽園〜野嵜正興」オンエアー当日、予定より十日も早く、土佐・美馬家七代目・春平誕生!遂に父となった勇作君との出会いは、鈴木章治とリズムエースで窪川に出向いた1982年3月17日!以降、美馬さんには何度も公演に呼んで頂きました。珍児と愛称(小学生時にTVの山田五十鈴にウットリ?松本英彦カルテット公演の際、リハーサルでりんご追分けを聴くや自宅に取って返し、美空ひばりの遺影を胸に掲げて・・・お嬢も喜んでます?・・・思い出すと切りがない!)で呼ぶ長い時を経て、披露宴の際には笈田さんをも含めた「大江戸じゃず社中」を結成して馳せ参じるなど(当誌の読者ならご存知?)、近くの親戚より遠くの他人?的お付き合い(当方、遠くの親戚にも恵まれてます?)が続いている次第ですが、きっと七代目はテレビにて小生に初見参を果たすべく十日も早く此の世に現れたに違いないのです!?いずれにせよ、此にて美馬家ご安泰・・・良かった、良かった。早くご尊顔を拝したきところなれど・・・先ずは万歳三唱。一本締めにて・・・パシッ!
読者のホ−ム・ページ (64)   よっぱライフプランナー
 早いもので、今年も12月に入ろうとしている。12月に入ると、そろそろ年賀状の準備が本格化して来る。街の電気屋さんには、秋口からはがき作成ソフトのバージョンアップ版がたくさん並んでいる。最近はパソコン・デジカメを使って、自分で年賀状を作成する人が増えて来た。先月の「読者のホームページ」で、Dancing Lawyer氏がパソコンに毎日悪戦苦闘していると書いておられるが、最近のデジタル化の波について行けない方にとっては、パソコンで年賀状を作るなんてことは考え様もないことかも知れない。 しかし、パソコンで年賀状を作れるか否かは別として、手作りの年賀状の方が心が伝わるのではないだろうか?私の知り合いに、筆を使って一枚一枚絵と文字を書き、素晴らしい年賀状を作る人がいる。その年賀状をもらった人は、その素晴らしい出来栄えに思わず本人に電話をしてしまうかも知れない。それくらいの見事さである。年賀状に限らず、できれば手紙や葉書は手書きで出したいものである。お礼状や詫び状は殊更である。メールなど何をかいわんやである。確か以前何かで、ある会社の新人営業マンが、お客様へのお詫びをメールで送ってお客様の逆鱗に触れたという話が載っていたが、こういうことが当然だと思う人が現れてもおかしくないのが最近のデジタル世界である。メールは、基本的に連絡に使うべきなのではないだろうか?女優の萬田久子さんは人と会ったその日に、、必ず手書きのお礼状をFAXで送るらしい。それも、形式にとらわれたお礼状ではなく、一枚の白紙に自由に文字を書く形式である。FAXで送るのが良いか悪いかは別として、もらった人からはすこぶる評判が良いらしい。かくいう私はどうかというと、人と会ったらお礼状、ヘマをしたら詫び状、暑中見舞い、年賀状、年間約400通のバースデーカードを出しているが、だんだんと楽をしてパソコンを駆使するようになってきている。これで気持ちが伝わるだろうかと内心疑問を抱きながら。先日、ある電気屋さんの社長さんと話をしていたら、店内にレコードプレーヤーが置いてある。ひょっとして売り物?と思ったら、社長の私物で、スペースの関係で自宅を追いやられて店に置いてあるらしい。聞くと、自宅にはJAZZを中心として、約500枚のレコード盤があるという事である。「やっぱり音楽はレコードの方がいい。」と社長。アナログに慣れ親しんで、アナログを好む人がいる。「時間があれば、ブルーノートとかに聴きに行きたいね。」とも。ブルーノートもいいが、コージー・エルで西川編集長の演奏を聴くのもいいですよ。さて、私も心を込めた年賀状の準備でもするか。今年お世話になった方の顔を思い浮かべながら。来年も、一年間「読者のホームページ」を無事執筆できます様!こんなシーズンに似合う曲と言えば、ウイントン・マルサリスのWinter WonderLand、Sleigh Ride のジョン・ヘンドリックスがまた良いのだ。そして、今年もお決まりだったバーボンをグラスに・・・。
Merry Christmas & Best Wishes for The New Year!
にらみ31       エロール・アさカわ
 つい最近、少年法が改正されたばかりだが、少年犯罪、未成年者犯罪に対する刑罰の甘さと曖昧さが問題になっている。先日、婦女暴行、窃盗、家庭内暴力、麻薬常習などの問題を抱えた少年達の厚生施設である某学園で、少年5人による殺人事件があった。殺害されたのはその学園の教師である。温厚な性格で面倒見が良く、学園内での人望も厚い教師で、悩みや苦しみを抱えた少年達の相談には親身になって乗ってやっていたという事である。その教師が相談に乗ってほしいと云う少年に呼び出されて出向いたところ、いきなり首を絞められて殺害されたのである。あげくに7万円という現金まで奪って逃走を図ったのた。まもなく全員捕まったが、「堅苦しい学園から逃げ出したかったから・・・。」、「厳しい教育に耐えられなかった・・・。」などが殺人と現金強奪の理由であった。少なくとも事件を起こした人間に対しては、例え少年であろうと未成年者であろうと厳しい教育が施されるのは当然な事と思う。殺人を犯し、金品まで奪って逃走した少年の内の二人は無罪、三人は少年院送りとなり再び更正の為の教育を施される事になった。この判決に対して夫を殺害された奥さんは、あまりの刑の軽さに言葉も無いという状態であった。未だ少年であるし将来のアルミであるからという事で下された判決であるが、「此では殺された主人があまりにも可哀相です。いずれ少年達は三、四年で出所することになるでしょうが、出来る事なら夫の敵討ちでもしてやりたい・・・。」と号泣しながら語っていた奥さんの姿が印象的であった。過去に様々な事件を起こし、公正を図る為に入った学園で再び殺人という大罪を犯した人間に対する判決としては軽過ぎるのではないかと思う。又、年齢が若いと云うだけで、将来のある身だからと云うことも疑問に思う。過去に罪を犯したものが二犯、三犯と罪を重ねて行く現実を見るにつけ、少年の頃から犯罪を重ねるものが本当に更正出来るものなのか、この様な人間に将来があるとすれば果たして如何なる将来なのか・・・。少年、未成年者であるからこそ厳しい罰則が必要なのでは云う考え方もある。少年、未成年者であるからと言う事で刑罰を決めるのではなく、犯した罪の重さの度合いによって刑罰の決定がなされるべきではないかと思う。下手をすれば少年犯罪は営業に使える事になるかも・・・。
フランスでのジャズ・・・二人の評論家の相克  新 折人 #23
  前回シャンソンとジャズの話をした。ついでにこの際、フランスでのジャズについて話を続けたい。アメリカの多くの白人エリートの間で、ジャズがまだ低俗な音楽だとされていた頃、プレイヤー以外でジャズの価値を認め、研究し、宣伝し、普及に努めた人物の出現は、本場アメリカよりフランスでの方がはるかに早かった。ヘミングウエイ(1899?1961)の著作に代表される、「失われた世代」のアメリカ文学の多くがそうであった様にジャズもまたフランスで認められて初めて、その栄光が本国でも歓迎され、讃えられる様になったのである。換言すれば、アメリカの白人識者達がジャズを認めるには、彼等が敬愛するヨーロッパでの良い評価が不可欠の要件であった。 ここで、「クラシック・ジャズ」から「モダン・ジャズ」への移行期のパリで、同時代に生き、ジャズの普及に大きな貢献をした二人のフランス人を挙げなければならない。ユーグ・パナシェ(1912?1974)とシャルル・デロネイ(1911?1988)である。 ユーグ・パナシェは、作家を本業とし、18才でジャズに関する記述を始め、1934年には、本場アメリカにもまだ無かった様な、ジャズを正面から取り上げた単行本、 "Le Jazz Hot"(ホット・ジャズ)を書いて、世界的なジャズ評論家の草分けとなった。また彼はラジオのジャズ番組の司会や、コンサートやレコードの制作にも積極的に取組んだ。一方のシャルル・デロネイは、裕福な画家の息子であったが、ジャズ・レコードの普及に欠かせない武器、レコード一枚一枚を解説した書物、即ち「ディスコ・グラフィー」の発案者であり、1936年に "Hot Discography" を発行し、これまた本場アメリカに先駆けた。更に、彼は1937年にはフランス最初のジャズ・レコードのレーベル "Swing" を立ち上げ、1945年には「パリ・ジャズ・フェスティバル」を主催し、1945年からはラジオでいくつかのジャズ番組を担当した。パナシェとデロネイは当初、スイング時代の1930年代には、手に手を携えてフランスでのジャズの普及に貢献した。二人は共同で、1932年にパリの地下の酒蔵で "Hot Club de France" というジャズ・クラブを設立した。このクラブは、ニューオーリンズ黒人風の「ホット・ジャズ」愛好家のたまり場となった。更に二人は早くも1935年に、ジャズの専門誌 "Jazz Hot"(ジャズ・オット)を発刊したりもした。これは本場アメリカのジャズ専門誌「ダウン・ビート」発刊の、僅か一年後である。ところが、1940年代に入って、「バップ」が誕生すると、あれだけ仲の良かった二人の間に確執が生まれた。即ち、パナシェは「バップ」嫌いで、熱烈なクラシック・ジャズ・シンパサイザーであり続けた。ちなみにパナシェは、1956年7月7日号の英誌「メロディ・メイカー」に「ミントンのおとぎ話」(「ミントン」はいうまでもなく、ビ・バップの発祥の地とされる、ハーレムのライブ・ハウスを指す)という論説を書き、「ビ・バップはジャズではない」と痛烈なモダン・ジャズ批判をしている。他方デロネイはパナシェと異なり新しい「バップ」にも理解を示した。特にジプシー出身でパリから登場し、1934年頃から、後のビ・バップの概念を先取りするかの様な、「インプロビゼーション」を展開しつつ、独創的で力強く、官能的で叙情性に満ちた演奏活動を行った異色のギター奏者、ジャンゴ・ラインハルト(1910?1953)等、新感覚のミュジシャンを強力に支援した。そして「クラシック・ジャズ派」のパナシェと「モダン・ジャズ派」のデロネイは、袂を分かつ事になってしまった。 二人の違いは次の事実にも良く表れている。即ち、1938年、「クラシック・ジャズ」系のバンド・リーダー、カウント・ベーシー(1904?1984)はパナシェの為に、"Panassie Stomp" と言う曲を捧げた。方や1954年、「モダン・ジャズ」系のピアニスト、ジョン・ルイス(1920?)は、デロネイに"Delauney's Dilemma"(1954)という曲を捧げているのである。 頑迷なジャズ・ファンは、「スイングが最高だ」、「いやバップこそジャズだ」と、誠にかしましい。「良いものは良い」・・のであって、どちらでも構わぬではないか。我らがルイ・アームストロング(1901?1971)は、いみじくもこう言った。「やれバップだホットだクールだと? そんなことは関係ない。ジャズはジャズなのさ。」
E・メール名作選-29
★お目にかかったことのないみなさんへ
 天国のお花畑から、こんにちは!早川アヤちゃんちの、“むさしくん"です。この度は、僕の急逝の為に“お香典"をありがとうございました。家の飼い主は、みなさんの僕への暖かいお心を、しっかり受け止め、そして、僕も、勿論、しっかり、受け止め、メソメソせずに、前向きに、今まで通り・・・いいえ、今まで以上に、元気!になりたいと決心しました。本当に、なんと言っていいか、わからない・・・。こんな時って、当てはまる言葉が、見つからないんだなあ。でも、何か伝えたい・・・とにかく感謝の気持ちは、なんとしてもお伝えしないと・・・。みなさんのお心は僕と飼い主の心の中、い~っぱい、大事な宝箱にしまっておきます。本当に、本当に、ありがとうございました。そして、みなさんに頂いた“お香典"は、僕がお世話になった、獣医さんとよく相談して、ちゃんとした、動物愛護団体に、有効に使って頂くことにしようと思っています。メ−ルで、その上、BBCで失礼かとも、思いましたけれど、あまりにも沢山の方で・・・、感動の極みで、いずれ改めて、ご報告したいと思っています。本当に、ありがとう!僕って、幸せ!          喪主:早川アヤ/親族代表:あさりちゃん ♪♪from むさしくん♪♪