2002/11
ack-ack'通信   10月4日(金) テレビ朝日「人生の楽園〜野嵜正興」
 10月18日(pm6:00〜6:30)に放映された上記番組の1シーン収録がコージ・ーエルにて行われました。主人公は小生より5才年上の野嵜正興さん。大手の会社を定年退職後、趣味のカメラを片手に一躍!プロを目指して日々精進なさってる方なのです。3年ほど前にリラキシンで知り合い、オール・オブ・ミー・クラブ、コージーエルと小生の追っ掛けを演じつつ?ライブ撮影の場を広げ、最近では作品を当誌、その他で使わせて頂く程の腕前なのです。小生も写真にのめり込んでいた時期が長かったので会話も大いに弾みます。コチトラ最近はPCのモニター中心?日本シリーズもTVをつけはするものの気がつけば終了。ダイジェスト版で確認する状態?なので、多くのミュージシァン仲間までもが見ている番組だったとは吃驚!翌日拝見、確かに良い番組でした。小生はテロップ入り、お店はナレーション付で紹介されて至れり尽くせり?でした。何時も録ってる番組なのに録り損なっちゃったとか、当方への問い合わせも数多く、15本ほどダビングする騒ぎと相成りましたが・・・嬉しい悲鳴でした?(ご希望の方はまだ少々有りますので?) 野嵜正興氏のますますのご活躍を心より願ってま〜す。
 挿入している粗い写真はTV録画したビデオから、静止画キャプチャーしたものを超スピードで修正したもので〜す。只今、11月T日am 9:30!?何とかプリントアウトにこぎ着けて早く寝たいもので〜す・・・トホホホ!?
追 記 今月末は急遽、中堅実力派ミュージシァン、竹内 直(ts)と今泉正明(p)を加えたack−ack’4にて火を噴くようなライブをやることにしました。又、12月21日(土)はコージーエルの豪華プレゼント付・クリスマス・ジャズ・パーティー、28日(土)はリラキシンにての破茶目茶ジャムセッション、そうそう、14日(土)は俳優座にてサウンド・イン・六本木2002でした。実に盛沢山では御座いますが、皆様お誘い合わせの上是非いらして下され。
9月18日(水) 響演舞奏 JAZZ&気舞 at MUSEUM
 

昨年末、葉山でのT氏・CDリリース記念X'masパーテイーにて初めて、気功舞踏家・小峰和美先生の気舞を拝見。小生もフェンシングやら空手を嗜んだものですから、大変興味深く感じました。今年になり、笈田さんのCDの中の1曲“It Was a Very Good Years”を教室で舞われてると伺った後、当コンサートのお誘いを受け、小谷教夫(p)、横山 裕(b)のトリオにて出演。笈田敏夫さんも遊びにいらして唄って下さったりで大変豪華なコンサートとなりました。次回は本格的な競演をしたいものです。CD“ack−ack’Live”のキャラバンでも既に舞われたそうですので、此方もウカウカはしておられませんです・・・ハイ。
読者のホ−ム・ページ (63)   Dancing Lawyer  
 私も仕事の関係上いよいよパソコンをやらざるを得ない事になり、今年の6月から始めた。しかし、毎日悪戦苦闘している。とにかく余りに機能が複雑である。最近の携帯電話、家電製品も同じ。余分な機能が多すぎる。これでは年輩の人は、敬遠するだろうし、例え最新の製品を買っても、殆どの人は、1割程度の機能しか利用していないと思う。既に汎用的な製品においても自然科学の分野の技術が、一般の人間の許容能力を遙かに超えてしまっているといわざるを得ない。そんなに便利さだけを追及して、我々は幸せになったとか、豊かになったと言えるのだろうか。何やら心のゆとりは無くなっている気がしてならない。例えば電車に乗っても周りは、携帯でメール・ゲーム・通話している人ばかり。車内アナウンスで、携帯電話の使用は控えよと言っているのに、知らん顔。実は電磁波の人体に及ぼす悪影響を警告する科学者は多いが、まだ解明されていない。メールでも電磁波は飛び交っている。心臓のペースメーカーへの悪影響は立証済みだ。日本人の美徳ともいうべき人に対する配慮とか、一旦外に出たら世間の目があるとかの気遣い等は、喪失してしまっている。又、子供がテレビゲームばかりやっていると、脳の成長に支障を来す事を警告する科学者もいるし、一部は証明されている。ゆとりと言えば、文部科学省のバカ官僚が、ゆとり教育等と聞こえの良いスローガンで教育指導要領の改革などと言いっぱなしで、円周率は、3.14・・・でなくて、3で良いなどと無責任なことを言い出したから、教育現場は混乱状態。このままでは、バカの量産体制に入ったも同然で、将来の日本を背負う若者の資質・能力はどうなってしまうのか、心配する声が出てくるのも当然だろう。既に中学・高校の公立と、私立の格差は著しい。貧乏人は、良質な教育の機会すら与えられないと言った由々しき事態が既に生じている。机上の空論で主観的なエリート意識のみの官僚に任せる時代は最早終わった。文部省・厚生省・外務省等々の省庁こそ改革(解体も含む)すべきだ。彼らは責任回避・自己保身・定年後の天下り先のことしか考えていないのだから。少しはノーベル賞の田中さんの爪の垢でも煎じて飲んだらどうかと言いたくなる。最近、確か本の名前は「生き方。六輔の」と言う、永六輔さんの生い立ち等のインタビュー形式の本が出た。面白かった。今回の私の原稿も、この本からの受け売りもある。彼の様な人が増えると、日本は、もっとマシな国になるでしょう。しかし、天才の彼だからこそ出来た生き方だとも思いました。でも、お勧め本です。そう言えば過日、編集長より「笈田敏夫さんとのシヨーで永六輔さんとジョイントしたけど、トークも歌もメチャメチャ面白かった」と伺いましたが、正にさもありなんといったところで、その時の1曲「Lover Come Back to Me」を、今宵のバーボンの友と致しますか・・・ゲッツもホースも素晴らしいので両方とも聴いちゃおう?!? 
やぶにらみ 30       エロール・アさカわ
 此の2ヶ月間、全ての報道機関は拉致家族問題一色で視聴率を稼いで来た。日本政府もマスコミに煽られる形で拉致問題に重心を傾けざるを得なくなってしまった。選挙や支持率のことを視野に置いてのことであろうが、現在の日本政府は国の内外に早期解決を要する問題を多数抱えて居り、拉致家族問題だけに専念するわけにも行くまい。小泉総理の北朝鮮訪問の目的は日朝国交正常化にあるが、それに付随して拉致問題の解決も重要なウェイトを占めていることも事実である。だが、最大の目的は日朝国交正常化に当たって、現在継続中の核兵器開発の中止を具申することである。訪朝直前にブッシュ大統領に呼び出された小泉総理は、アメリカ、ロシア、中国、韓国及び近隣諸国を代表して核兵器開発の中止を強行に押し通すように要請を受けている。拉致家族の問題は日本国内の問題であるが、核兵器開発の件は米ソ中韓及び東南アジアを含む国際平和に関する重大懸案である。小泉総理と金総書記との会談の冒頭で「拉致問題の件は大した問題ではない!」と金総書記が発言したが、米ソ中韓も同意見である。日本側が執拗に拉致家族の問題を持ち出すことで国交正常化会談が不成功に終わった場合のリスクのことも考える必要があろう。今にまして第二、第三のテポドンの恐怖に晒されるのは当然であるが、ウラン型、プルトニウム型の核爆弾は既に完成しているい云う見方もあるのだ。日本の政治家の中には拉致問題に関して納得のいく回答がなければ、会談の席を蹴って帰ってくるべきだ等と云う者もいるが笑止である。そういう経緯を考えると今回の外務省の対応は誉めてやれる。たった二枚のハングル文書の解読など10分もあれば充分であったと思われるが、悪者になることを覚悟で調印の寸前まで報告しなかった点である。拉致被害者8名の死亡が事前に知れていたら、単純直情型の小泉総理のことだから本当に席を蹴った可能性もある。確かに拉致行為は国際ルールに反した犯罪ではあるが、今回の騒動は少々度が過ぎているようにも見える。あまり拉致家族の問題に固執すると再び慰安婦の問題を出してきたり、日本政府と日本軍によって強制連行と云う名目で拉致された60万の同胞の件はどうするのだ・・・とも言い出しかねない。「そんなことは遠い戦時中の事ではないか!」と反論しても、臨戦態勢を続行中の北朝鮮側には通じないだろう。
ジャンソンとジャズ  新 折人 #22
 
 フランスは元ニューオーリンズの所有者だけあって、早くからジャズが流入していた。古くはアメリカの「マーチ王」ジョン・フィリップ・スーザ(1854〜1932)が「スーザ吹奏楽団」を率いて1900年の「パリ万博」で演奏し、フランスにラグタイム等のジャズ前身のリズムと音楽を紹介した。その後の話は省くとして、しかるべき識者がジャズの音楽的価値を認めたのは、本場アメリカよりむしろフランスの方が早かった。アメリカ人は尊敬するヨーロッパでジャズが認められて、はじめて我に帰ったと言っても良い。ところで、今回の話は「第二次世界大戦」後のシャンソとジャズの関係についてである。1944年8月、パリはドイツ・ナチから解放され、人々は歓喜に湧いた。そしてフランスの町にジャズが戻ってきた。特に「実存主義」(Existentialism)で有名になった「サン・ジェルマン・デュプレ」(Saint Germain des Pres)で、若者達はジャズに熱狂した。そしてフランスでは、ジャズが伝統的フランス芸術である「シャンソン」(Chanson)にまで影響を与え始めた。1945年、イヴ・モンタン(1921〜1991)が、長ズボンに栗色の開襟シャツ姿で「エトワール座」のステージに現れ、第1回のリサイタルを開いた。彼はその後ドライでシンコペートされたスタイルの中に、ブルースの味を反映させ、ジャズ風の唱法に傾倒していく。そしてこれが、1950年頃から、シャルル・アズナブールやジルベール・ベコーにも引き継がれた。しかしながら、かって「セビリアの理髪師」(Le Barbier de S'ville)や「フィガロの結婚」(Le Mariage de Figaro)を書いた、生っ粋のフランス人戯曲家、ピエール・ボーマルシェ(1732〜1799)がいみじくも言っていた様に、「フランスでは全てがシャンソンで終る」のであって、ジャズはジャズとして認めたとしても、シャンソン自体がジャズへ接近することには抵抗があり、イタリアからの移民の子であったモンタンの試みは伝統の枠を突き破る迄には至らなかった。本格派シャンソン歌手で伝統的シャンソンの唱方を守り、自作の「愛の賛歌」[Hymne a l'Amour](1949)を熱唱したエディット・ピアフ(1915〜1963)の名は、今だにこれ迄のいかなる著名人よりも深くフランス人の心に刻まれている。 ところで、シャンソンそのもののジャズとの融合は不発だったが、むしろ、シャンソンの素材がジャズ化したのは興味深い。例えば、1945年に初演されたローラン・プチのバレエ「ランデ・ヴー」に使うべく、ジャック・プレヴェールの詩集「パロール」の中の詩に、ハンガリー生まれ、ピアニストでもあるジョセフ・コスマ(1905〜1969)が曲をつけた、シャンソン「枯葉」(Les Feuilles Mortes) がその代表例である。これが1946年の映画「夜の門」(Les Portes de la Nuit)でイヴ・モンタンによって唄われ大ヒットとなった。これを受けて、1950年ジョニー・マーサーが "Autumn Leaves" のタイトルで英語詩を書き、同年6月にはビング・クロスビーがこれを唄ってアメリカに紹介し、1952年にはナット・キング・コール、1957年にはシナトラやメル・トーメもこの曲を取り上げた。「枯葉」の器楽演奏では、1955年ロジャー・ウイリアムスのピアノ演奏も評判になったが、何よりも1958年のマイルス・デイヴィスの名演により、アメリカですっかりジャズ化し、その後の著名なジャズ・プレイヤー達の器楽演奏に無くてはならない曲になったのである。この曲がこれ程ジャズ界で取りあげられる理由はよく分からない面もあるが、これを笈田敏夫先輩と話題にした時の結論は、「曲そのものの良し悪しは別として、それ程マイルスの影響が大きいという事なのだろう。」という事に落ち着いた。
E・メール名作選-28 (=^_^=)Writen byAYA with Musashi& Asari(^*^)
食欲の秋です。私はお姫様病(飼い主がつけた病名ですけど)のおかげで、何も食べられなくなり、あれでもだめか!これならどうだ!ってことで、数々この世の中には、おいしいものがあるんだんあ!と体験してます。3日も食べないと、かなり心配してもらって、獣医さんのところに行くのはイヤだけど、おいしいものが沢山出ます。獣医さんは病院だったけど、今やフランス高級レストラン、果ては政治家ご用達の料亭・・・してます。でもこの手もそろそろ、バレテ来て使えないかも・・・なぜかって言うと先生と飼い主に、そろそろ、怪しい...って読まれてる感じ..充分わかるので・・・。次なる手段を考えないと・・・です。編集長、なんか良い案あります?私は松茸、食べたいとは思わない。(だって一応こう見えて猫ですもの。)お水はそこそこ飲むけど、、それ以外、おいしいと思えないのね。これじゃだめなんだけど、何も無理して、食べる気もなく、お姫様は御姫サマでいいじゃん!ねえ。これを乗り越えればお姫様は女王様になれるらしいけども・・・まあ、そんな欲もないし。季節もいいし、そのうち、食欲も出ることでしょう?限りなく贅沢、するからね!編集長、どうか、飼い主、甘やかさないでね。