2002/10
ack-ack'通信  8月31日(土) 破茶目茶ジャムセッション vol.15
  
恒例となりました、リラキシン周年記念の大ラス・ジャムセッションは40名様を超える大入りにて目出度く終了。 先月号でお約束致しました、「破茶目茶ジャムセッション・フォーカス版」です。エネルギー消費量は音の編集と同程度でした・・・?演奏者全員もれなく・・・のつもりですが、落ちてましたらご容赦をば!ホームページにはもっと多く掲載してますので御覧下〜い。
9月28日(土) ack-ack'Live vol.164
 久方振りの(3月以来)純正ack-ack'Live?・・・最近は「破茶目茶ジャムセッション」やら「破れ太鼓の会」 ・・・ETCと他事多彩?にて、なかなか純正ライブの開催ならず、些か焦ってましたが、町内会軍団?K氏の有り難きご要望により開催となりました、他力本願型ライブ?では御座いましたが、町内会大軍団の皆様+I氏トリオ、Kさん、Wさんデュオ!と<親しい方々ばかりに囲まれての楽しいステージとなりました。オール・ブルース、インヴィテーション等々にエルちゃんの歌を加えて、たっぷりと2ステージ・・・いゃ〜楽しませて頂きました・・・改めて皆様に感謝・・・皆様会あっての・・・で〜す。有り難う御座いました。当日は正午よりのレッスン、当ライブ終了後はオールオブミークラブのミッドナイトセッションへ・・・、翌日も早起きでしたが・・・まだまだ・・・?!? 今月末は恒例の六本木ジャズ・クルージングですので、連夜のご出勤をお待ち申し上げま〜す。
9月22日(日) ぴあーの・ライブ
大河内隆則君のドラミングを黒岩さんのお力添えで、長野県富士見町のこの街福祉会が運営するお店でご披露しました。当初は翌日、この街学園にての予定でしたが、重度の障害者の方が多く、祭日に集まるのは困難とのことで、関係者各位がお集まり下さる楽しいライブとなりました。「破れ太鼓の会」では30名程の小生の教え子達に囲まれて2年続けて演奏してますが、全く知らない皆様の前では今回が初めて・・・一抹の不安もありましたが、堂々とドラムセットに向かい2曲演奏。終わってからの最初の一言「上がっちゃって、大きく敲き過ぎた・・・ピアノ&ベースを聞けなくて、ご免なさい・・・反省!」には、一瞬涙が出るかと・・・嬉しかった。一年程前迄は小生との掛け合いでも正確に(機械的に?)ハイハットが踏めたのですが、最近は時々狂うようになりました・・・小生程度に?唄心が出てきたのです。本当に頼もしい限りです。火付け役の玉川夫妻、ピアノの原正夫ご一家も遠方より駆け付けてくれましたし、地元の田代さん、中山さん、黒岩さんのお兄さん、タマキさんを始め多くの皆様に大変お世話になりました。心より感謝致し、厚くお礼申し上げます。 西川喬昭 拝
読者のホ−ム・ページ (62)   よっぱライフプランナー  
日の暮れるのが早くなった。もうすっかり秋である。秋といえば読書。私が最近読んだ本の中で、大変参考になった一冊をご紹介したいと思う。日野 佳恵子さんが書いた「クチコミュニティ・マーケティング」(朝日新聞社)という本である。日野さんは、タウン誌編集長、広告代理店プランナーを経て、90年に女性の企画集団 株式会社HERSTORY(ハー・ストーリィ)を設立。代表を務める。副代表のさとうみどりさんと2人で起業した。同社の最大の武器はインターネットで結んだ全国の主婦層で、2002年に6万5000人を越えた。企業のWEBビジネス・コンサルティング、マーケティング、プロモーション、広告宣伝などに女性のネットワークを活用する手法は全国初である。又、ネットで結んだ在宅ワーカーの活用は、新しい雇用形態のビジネスモデルとして注目されている。社名は、HISTORY(歴史)という言葉がHIS STORY(男の人生)が語源であるという説からHER STORY、つまり女性の人生という意味でつけたということである。当時、お二人には小さい子供がおり、資金無し、人脈無し、時間無しという三重苦の中では他人の力を当てにするしかなく、クチコミという方法を取るしかなかったという。更に、世の中には、自分達と同じ様に、結婚や出産で企業を退職した「ビジネスセンスを持った女性」が家庭内に眠っているはずであり、その人達の力を借りて、女性のリスクを分かち合えるシステムを作れば、一人前の会社ができるのではないかと考えた。そして、まずは周辺の家庭にチラシを入れた。友人の伝手で、地方新聞に記事を書いてもらった。事務所の電話が鳴り続け、アッと言う間に300人が集まったという。これが全国6万人を超える仲間を擁する会社への第一歩だった。お二人が女性だということもあるが、主婦のクチコミにスポットを当てたところがキーポイントだと思う。日野さんは著書の中で、市橋和彦氏の言葉を紹介している。アメリカでは消費財の80%が女性によって購入されている、という調査結果を取り上げ、日本はアメリカ以上に女性が購買決定を行っている比率が高いはずだと言うのである。家庭内のあらゆるモノに係わって決定権を持っているのは主婦だ、ということである。それなのに、日本企業の商品開発現場の80%が男性だという。これでは買う人の立場に立った商品は生まれない。電化製品や家庭のシステムキッチンを、男性だけが雁首揃えて新製品を検討しても主婦の心に響く商品は生まれないだろう。高度経済成長期からバブル期までは、モノは勢いよく売れ続けてきた。だから、それでよかったのかもしれない。しかし、今はモノが売れない時代。作る側、サービスする側が、自分達が買って嬉しいモノ、サービスされて感動するモノを提供しないと生き残れない。人は、「嬉しい」「感動した」時に、他の人に伝えたいと思うのである。クチコミが生まれるのである。美味しい料理も、素晴らしい音楽も、体験した人はその感動を他の人に伝えたくなるものだ。そして、それを体験した人が、また他の誰かに…。さて、秋の夜も更けてきた。こんな夜は、誰からか「うまい}と教えられたバーボンと、誰からか「素晴らしい」と教えられた音楽に限る。スタン・ゲッツとビルエバンスのアルバムで、エルビンがまた素晴らしいのだが、曲名からは想像だにしない「お爺さんのワルツ(Grandfather's Waltz)」の美しいメロディーに痺れながら、大好きなバーボンを・・・。ア〜、この心地よさを誰かに伝えたい?                                
やぶにらみ 第28回       エロール・アさカわ
 心に傷を負った子供達に心のケアを・・・と云う声が頻繁に聞こえるようになって来た。不登校、登校拒否、自閉症の子供達が年々増加する傾向にある事実を見るにつけ、「そんなものかなぁ〜!」と思う反面、大きな疑問も湧いてくるのである。心のケアと云う言葉を耳にするようになったのは20年ほど前のことであったと記憶している。しかし20年たった現在、不登校や自閉症の子供達の数は10倍以上にも増加している。不登校、登校拒否の要因を探ってみると、「勉強が良く解らないので授業を受けることが苦痛になる。」。「先生が勉強の出来る生徒ばかりを贔屓するから。」。「クラスに意地悪する生徒が居てイジメられるから。」。「教室の雰囲気が嫌いだから。」等々と云ったところが主な理由である。この様な子供達に早期のケアを施して置かないと、成長した後の社会生活に支障を来すことになるらしい。我々の少年時代のことなどを持ち出すと時代錯誤もハナハダシイと非難を受けそうだが、我々の幼少、少年時代には心のケア等という言葉さえ聞いたことがなかった。私は父親の仕事の関係で小学校、中学校だけでも7度も転向を余儀なくされた。何処の学校にも腕力の強い悪ガキや、上級生の兄を持つイジメっ子がいて、転校生は良くイジメの対象にされものである。イジメにあったからと行って家の者に告げ口をするようなことはプライドが許さなかった。腕力自慢の悪ガキに呼び出しを受けたりすると、「俺の兄貴が中学校の柔道部にいるが、喧嘩が好きで何時も転校させられるんだ。」この一言で態勢は一変してしまう。勉強で解らないところがあればクラスで一番出来の良い友達の家にキャラメル一箱を持って行って、納得のいくまで執拗に教えてもらった。つまり弱者は弱者なりに色々と知恵を搾ったり工夫をしたりした活路を開いたものである。学校と云うのは常に真剣勝負の場であり、その中で社会生活に必要な様々のテクニックを身に付けて行った。私の記憶の中にはイジメに会って不登校や登校拒否をした生徒は一人も居なかった。先生からも数え切れない程ゲンコツやビンタを喰わされたが、そのために不登校になったり親に告げ口をすることなど夢にも考えたことはなかった。心のケアも病的自閉症の子供には必要かも知れないが、ケアのあり方が逆に依存心や甘え、我がままの増長に繋がらなければ良いが。
ジャズ・タイトルの中国語訳  新 折人 #20
 前回のジャズの日本語訳の話に続き、今回は中国語訳がテーマである。 中国にいつごろからジャズが入ったのかは明らかではないが、1922年のアメリカの雑誌には既に、バーネット・ハーシーなる人物が、「上海では皆ジャズに熱狂している。」という趣旨の紀行文を書いている。1926年には、本場アメリカから、Dsのジャック・カーター、Pfのテディ・ウエザーフォード、女性Tpのヴァレイダ・スノーらが上海に去来した他、1933年から女性Voのミッジ・ウイリアムス、翌34年からマフィアに追いつめられたTpのバック・クレイトンなども中国に渡りジャズを広めた。日本人のジャズ・プレーヤーで最初に上海に渡ったのは、Tpの斉藤広義とされ、早くも1921年(大正10年)のことであったが、その後1945年の太平洋戦争終焉までに、Pfの杉原泰蔵、Tpの南里文雄、Tbの周東 勇、Clの東 松二郎、Saxの大川幸一から、Voの水島早苗、ベティ稲田、ディック・ミネ、更には名もない「バンスキング」(前借り王)まで、多くのミュージシャンが、上海を訪れた。 戦前には、1925年に出来た「キャセイ・ホテル」のバー(現在の和平飯店北楼)では、毎夜ジャズが奏でられ、各国の名士が酒とダンスと紫煙と談笑を楽しんでいた。戦後「文化大革命」で、上海のジャズが「仮死状態」になったことはあったが、現在上海のみならず、中国でのジャズはまことに盛んである。 ところで、中国ではジャズを「爵士楽」という。なんとなくデューク・エリントンを思わせ優雅だが、ニューオーリンズは「乳男倫」で、ぞっとしない。その中国でジャズのタイトルをどう訳しているのだろうか。"In the Mood"は「情緒中」、"Sentimental Jhorny"は「多情的旅行」、"On the Slow Boat to China"は、「往中国的小船」で分かりやすいが、"Begin the Beguine"は「開始跳別剄舞」"Georgia on My Mind"は「喬其亜在我心理」、"As time goes by"は「時光流逝」、"Our love is here to stay"は「挽留的愛」、"Let's dance"は「一起跳舞」と、苦労の跡がしのばれる。訳す苦労を放擲したかのような音読み当て字スタイルでは、"Desafinado"がそのままに「戴沙費南杜」、"Mambo No5"が「曼波第五号」だが、"One Note Samba"が「一曲散巴」であり、何故「一音散巴」でないのかと疑問を感じる。
E・メール名作選-26(=^_^=)Writen byAYA with Musashi& Asari(^*^)
あさりちゃんが8月、4回の入退院。点滴して頂いて、一応いまは元気なのですが.....。病院通い過剰のせいか、“飼い主不信嫌いモ―ド"になり、玄関の下駄箱の中か部屋の隅にじっとして、移動する時は私の横をイタチのように超特急で駆け抜けて行きます。目が合うと逃げて“あさりちゃん"って声かけると、もっと逃げて…悲しい気持ちの今日この頃…。そんな訳であさりちゃんは、メ−ルを編集長に送っている場合じゃないのです。今夜が原稿の締切だというのに....。どうするんだろう...?もしも間にあわないといけないので、今回は番外編になりますけど、飼い主が取り敢えず送ります。そして、どなたか、仲良しの猫に嫌われて....でも、又仲良しに戻れた方がいらしたら、是非その解決方法を教えて下さい。(これは必死のお願いです。)10年前、あさりちゃんが始めて家に来た時丸々一週間、ベッドの下から、出て来なかった。ご飯食べる時だけ、出て来たけど...。それ以外はずっとベッドの下で、傍に行くとフ−フ−怒って“来ないで!"って....。でもキッチリ一週間でデビュ−しました。今回、今日でちょうど、一週間です。あさりちゃんには、“シカトはイジメよ"とか色々言ってみてるのですが、聞く耳持ってない様子。ここまで、根性・忍耐あるとは思いもしませんでした。(一体誰に似たんだろう?)夜私が寝ると、こっそり出て来る。留守の間は出て来ている。それはバレテいるのです。あさりちゃんの産みの親、鴨居のママ獣医さんにも相談しました。そしたら、あさりちゃんの写真(正面・後ろ姿・右・左半身)合計4枚撮って送って!そしたら、何かわかるって言って頂けて...すごく救われたんだけど....でも出て来ないあさりちゃん。一体どうやって撮ればいいんだ?一説によると、入院先の病院で、あさりちゃんはみんなに“美人ね!"と言われて、かなり御機嫌で、ポ-ズまでとって、点滴していたらしい....。家では、もうずっと美人なんて、言ってあげてなかったから....。どうもそれがお気に召さないらしい....。でも編集長、10年連れ添ったダンナサマがオクサマに毎日、毎日“美人ね!"って今でも言い続けている人知ってる?今頃急に“美人ね!"って言っても、もう見栄見栄で、効果ないみたい...。今私がしていること....I've grown accustomed to her faceを何げない振りして、でもあさりちゃん、わかってよ、この私とむさしくんの気持ち...とずっと唄ってるのです。あ〜あ、どなたか、何か良い方法があったら、是非ご一報下さい。