2001.6
ack-ack'通信 5/16〜21〜25〜27  ジャズ・クルージングどたばた奮闘記
いゃ〜、久々に12日間連続で太鼓に対し?14本の仕事をこなしました!?!今回のジャズ・クルージングは5日間ともコージー・エルでしたので、豪華キャストに入りも上々、気迫のこもった演奏の連続で楽しい限りでしたが、前回も書きました魔の土曜日?!?(12時からレツスン、オール・オブ・ミー・クラブのジャム終了が3時半)が効きましたねぇ〜?特に26日の祟りは翌日PM1:00よりのリハーサルにズッシリ?でも、此の程度なら大丈夫なんだと、体力の確認も出来ました?!今月の6日は早いものでコージー・エルの開店一周年記念ライブ、23日のack-ack'Live vol.152 は前回大好評だった若手クインテットのベースのベースが一回り若くなっての再演・・・乞うご期待ですぞ。27日はコージー・エルにて、何やら怪しげな「Side By WEST RIVER Side」・・・豪華プレゼントのある当たりが・・・どうも?そう仰らずに入らして下さいな!お代は見てのお帰りだよ〜ん!   急告 7月号よりの当紙・広告スペースをご希望のお方はご連絡下さい。
読者のホ−ム・ページ (45) よっぱライフプランナー
最近は、居酒屋も様変わりしているようだ。一昔前までは、居酒屋といえば、サラリーマンのオヤジが仕事帰りに会社への不平不満を肴に一杯飲るというイメージがあった。しかし、いつの頃からかオヤジ化した女性達も居酒屋に進出し、上司への不平不満を肴にグラスを飲み干すという光景も見られるようになった。さらに最近は、サラリーマンや女性のグループだけでなく、ファミリーで居酒屋に出掛けるという光景も当たり前のように見られるようになった。その先鞭をつけたのが、ワタミフードサービス(株)代表取締役社長の渡邊美樹氏であろう。皆さんもご存じのように、氏が経営する「和民」は居酒屋ではなく“居食屋"として、お客様がくつろげる場を提供し続けている。お父さんは酒の肴で一杯飲り、お母さんとお子さんは食事を楽しむという家庭の食卓がそこに移ってきたかのようである。最近では、「和み亭」という、よりファミリーレストランに近いお店も展開している。「和民」の成功に刺激されて、他の居酒屋チェーンも同様のコンセプトの競合店を次々とプロデュースしているようである。 高杉良著「青年社長」に氏の立身出世物語が記されている。これを読むと、氏の熱くほとばしる情熱がびんびん伝わってくる。ベンチャーを目指す人達のバイブルともなっているらしい。父親が自分の会社を潰したのを見てきた氏は、絶対に社長になると決め、大学卒業後1年で会社を辞め、会社設立資金を稼ぐため、劣悪な労働環境であった佐川急便のセールスドライバーを1年勤める。そんな中で、運命的なひとりの女性との出会い。なんとその女性は既婚者だった。しかし、持ち前の情熱でその女性を奪い取る。その後、「つぼ八」創業社長の石井氏の協力もあって、居食屋「和民」を立ち上げる。そして、会社設立後15年で東証1部上場を果たすまでになるのである。 話はそれたが、サラリーマンの憩いの場であった居酒屋も“居食屋"勢力に押され気味になり、チェーン店の利点を最大限生かした価格設定に対抗できなくなってきていることも否めない。私は“居食屋"も嫌いではない。むしろ好きかも知れない。安いし、接客も気持ちいいし、味もなかなかいける。でも、居酒屋はやはり居酒屋の世界がある。赤ちょうちんである。♪♪♪お酒はぬるめの燗がいい〜、肴はあぶった烏賊でいい〜♪♪♪もう八代亜紀の世界である。値段はそこそこ。店のご主人はバカ丁寧でもなく、無愛想でもない。私は居酒屋のカウンターが好きだ。カウンターに座って、ご主人や女将さんとの会話がある。隣に座った見も知らぬ人と会話が弾むこともある。そして、ご主人こだわりの料理の数々。決して奇をてらったものではなく、ごくごく当たり前のメニュー。でも心にしみる味。ちょうどいい具合に酔っぱらって、♪♪♪一寸一杯のつもりで飲んで、いつの間にやら梯子酒〜♪♪♪にはならずに、満足して星空の下、帰路についた。家に帰り着くと、本日出会った人達に感謝しつつ、締めはやっぱりバーボンだ・・・「星影のワルツ」と行きたいところだが、此処はやはり「星影のステラ」だろう?居酒屋の未来に乾杯!    
 14 ロール・アさカわ
 
昔々、と云っても大正から昭和初期にかけて「女大学」という著書が発刊されて、当時、大勢の女性たちに読まれたものである。多分に儒教の影響を受けた内容であったらしいが、男尊女卑という封建社会の中にあって女性蔑視に喘ぐ女性達の地位向上を目指すものである。男女交際の常識から、結婚や出産への心構え、子供の育て方等々、ますます発展して行く文明社会に此れからの女性が如何に対応していくべきかに関して、学者や知識人達の考え方をベースに書かれたベストセラーズであった。私は今こそこの「女大学」が必要とされる時代ではないかと常々思っている。勿論、現在の日本人社会にそのままの内容が通用するとは思っていないが、少なくとも一般常識として考えられることは小・中学校の教育の中に取り入れても良いのではないかと思う。現代社会の常識というものも、昭和初期のものと比較にならないにしても、他人に迷惑を掛けるべきではないという程度のことで有れば、猿にでも解るはずであるし、実際に小猿に教育を施して見ると、その成果が上がっている。幼児期に施された教育こそが成人となった後にまで影響を及ぼすことを考えると、小・中学校時代の情操教育や「女大学」に見る一般常識の教育が重要であることが良く解る。私が住むマンションの近くに大きな商店街があり、独り者の私は毎日、買い物に行くのだが、決まって数人の幼児たちに出会う。2・3才児から5才児位までの幼児達は、駄菓子屋、八百屋、薬局を始め、高級洋菓子店やブティック、貴金属店にまで入り込んでは、其処の大切な商品をヨダレと鼻汁に汚れた手で遠慮無く触りまくるのである。これでは経営者としてはたまったものではない。何とか親を見つけて子供を引き取って貰おうとするが、肝腎の親がなかなか見つからないのである。幼児をなだめすかして親の居場所を尋ねると近くのパチンコ店に居ると云うので、店員が捜しに行ってみると、金髪に頭を染めた24〜5才の女性がくわえタバコに乳児片手というスタイルでパチンコ台にヘバリ付いて居たというのである。店員が恐る恐る事情を説明すると、「あんたの店ではこんな小さな子供のすることに目くじらをたてるわけ!」と怒鳴られて唖然として引き揚げたというのである。自分のこと以外は全く無関心な若者が急増する現代社会。景気回復を唱えることも大事であろうが、一歩先のことにも目を向けるべきでは・・・。
ジャズとその国際化の軌跡     新 折人*135〜136Pより抜粋
{2) ジャム・セッション
(切磋琢磨によるアイデアの具現化) 「ジャム・セッション」Jam Sessionとは、常日頃は演奏活動を共にしてないメンバーでの、スタンダードなナンバーなどを素材とした即興的な合奏を言う。もともとシカゴあたりで、いやな白人観客のために、仕事だからと言ってやりたくもない曲を演奏させられた黒人ミュージシャン達が、仕事が終ったオフタイムに、三々五々巣まって、それぞれの楽しみのため、自由に演奏したことに端を発する.。通常ジャム・セッションでは、リーダーが曲目とコードとリズム位を簡単に言って、いきなリ演奏に入る。広義の「ヘッド・アレンジ」である.。場合によって、それも決めずにリーダーのイントロを受けるだけで、自由闊達にソロを取り合って演奏する。また、イントロはピアノがリーダーになってとることが多いが、それがまた問題だ。.曲のテーマの終り4小節とか8小節をイントロにするなど、ありふれた手法では馬鹿にされるだけで、リーダーの資質を問われる。独創的でかつ巧みにテーマを暗示するものでなければならない.。ジャズの世界では、その位のことが出来ないようでは、一人前のプレイヤーとは言えない。ジャム・セッションは競争と友愛の証となった。そして、これが思わぬ効果を発揮した.。第一にジャム・セッションはミュージシャン同士のアイデア、テクニックの出し合いで、大変な自己啓発、切磋琢磨の場となった。第二に、ジャム・セッションでは飛び人リ大歓迎であり、勇気のある若者がこれに参加する二とで、学校では教えない実践的教育の場となった。但し、それは生易しいものではない。力のある者は力のない者を徹底的に排除しようとする.死にものぐるいの世界であり、それにメゲない若者のみが受け入れられたのである。マイルス・デイヴィスでさえ、最初はこの洗礼を受けた。第三は、すでに述べたように、ジャム・セッションの中から「ビ・パッブ」のような革新的ジャズが創造されたことである。ジャム・セッションは、始めミュージシャンだけの楽しみだったが、1930年代の後半には、聴衆に聰かせるジャム・セッションも出現した。ソロの連続で見事なデューク・エリントンのDinah's in a Jam'などが残っている。但し、ジャム・セッションは聴衆から料金を取らないのが原則}であったので、1940年代の後半にはミュージシャンのユニオン「AFM」が、これに反対し、一時停滞してしまったこともあった。しかし、その後、ニューヨ一クでQuasi-Commercia1Jam(準商業的ジャム)などの言業も出来、再びジャム・セッションが盛んになった。1954年12月24日の夜中、一般に「クリスマス・セッション」の名で知られるが、同時に『喧嘩セッション」として名高い演奏が行われた.そのメンバーはマイルス・デイヴイスと、日頃演奏を共にしていないMJQメンバー、即ちヴァイブのミルト・ジャクソン、ペ一スのパーシー・ヒース、ドラムスのケニ−・クラーク、そして急遽このセッションに加わることになった、孤高の人、ピアノのセロニアス・モンクであった。混成部隊と言う恵味で、立派なジャム・セッションである.そしてこの時、事件が起った.マイルスが先輩のモンクに対して、「俺のソロの時はピアノを弾くな.」と言った.モンクは文句をつけられて、マイルッスよと言ったかどうか?.くだらぬ酒落だがご勘弁願いたい。さらにマイルスは、テーマでモンクが遅れ気味に入ってくると、「そ二も弾がなくていい.」と追い討ちをかけた。モンクの顔色は変わったが、そこは大人、その刺激と緊張で、特に当夜録音されたBagus GrooveやThe man I Loveでは、モンクー世一代の名演を行い、このセッシッション金体が「ハード・パップ」の完成を示唆する記念碑的な栄光を担うことになった。もっとも、マイルスは後で、「先竈のモンクに対して、そんな失礼なことは言わなかった.」と弁明しているが、事の真偽はともかく、ジャム・セッションが緊張感の中でジャズの進化を促す好例となった。「ジャム・セッション」のジャム(Jam)とは、『狭いところに押し込む』と言う意味である.「ミュージシャンを入れるだけ入れる」と言うことでつけられたと言う説もあるが、むしろ一つのソロの中に最大限のアイデアを詰め込むからだと言う解説の方が、音楽的に魅力がある。関連して、筆者がつくづく思うことは、現在の企業経営が「クラシック型」から「ジャズ型」への転換を迫られている、と言うことである。社長と言う指揮者がタクトを振れば、社員と言う演奏者が一糸乱れず、それについて来る、と言った時代は終った.。勿論、最低限のルールは必要であるが、社長と言うパンド・マスターの基本的コンセプトの提示のみを受け、社員の一人一人が、それぞれのアイデアを出し合い、個性を発揮してジャム・セッションをやり、結果的として見事に新規事業を開拓する、と言った経営手法が求められているのである.
「E・メール名作選」-11 
 
編集長、ご心配かけましたが、私(あさり)退院して大分元気を取り戻しました。その上新しい技を身に付けました。BOUNCEです。どうやるのかって言うと、家中で一番高いタンスの上から一気にベッドに飛び降りるの。そうすると着地の時トランポリンのように弾んでBOUNCE出来るのです。凄いでしょ。入院前はドスンって落ちるのが精一杯で、こんなこと出来なかったの。一方、むさしくんはブラシワ−クがバツグンなの。ふかふかのム−トンの上で前足を交互に、シュッシュ・シュッシュとかなり長い時間練習してます。しかも、もっと驚くことにブラシレスで手の平をじゃんけんのグ−・パ-の繰り返し。赤ちゃんの時から、ずっと毎日欠かさず練習して来たから、今でも暇さえあれば、一日に最低でも5回位は欠かしません!テンポ100位が一番ゴキゲン!むさし君は、眠くなると、必ずこの練習してからじゃないと寝られないの。そして寝つくまで、ずっとやってるの。だから、エンディングはrit...Fade out。それで近い内にSESSION に行きたいと思うんだけど、噂じゃSESSIONに来るdrummerは、皆んなかなりの腕前らしい.。私達だって、かなりイケテルと思うんだけど、それぞれ一つずつしか技、持ってないの。やっぱり、これ一本じゃ無理かなあ?それで、編集長にお願いです。私達、他にどんな技を身につけたらSESSIONデビュ−出来る?一度、行ってみたい...。六本木のJAZZ CLUBって所。お客様で行くんじゃつまんない。どうせ行くなら華々しくdrummer デビュ−!したい....。
                                      (=^_^=)Writen by AYA with Musashi& Asari(^*^)
 

 
僕達、もう一つ技、持ってる事に気づきました。例のダンボ−ルで出来たウエハ−スです。これを世間はネコの爪研ぎと呼んでるらしいけど?僕達、かなりのスピ−ドで刻めます。でも僕は飼い主が気付いてくれないと、悲しくて、やめて、かじってます。これがbreakに使えるんじゃないかと?(ちなみにあさりちゃんはbreak出来ません。飼い主の反応にお構いなしのマイペ-スですから。女ってイヤよね!)だから、僕はかなりイケルと思うのです。編集長、近い内に編集長を師匠と呼べる様に一番弟子をめざし、日夜練習して、DRUMMERめざします。            “トニ−”と呼んでの、むさし君より...