2001.5
ack-ack'通信
4/21 ジャズ・パーティー at Cozy-L 「友、遠方より来るシリーズ#3」
K女史主宰による当パーティーも早3回目となり、遠方より来る友20.5名?を迎えまして、悠に50名をオーバーしましたが、全員楽々着席。コージー・エルの広さを立証した形となりました?相田さつき(vo)、原正夫(p)、西谷文雄(d)ご一同の遠方組と、原田忠幸(bs)、大徳俊之(p)、小林陽一(b)、西川輝正(b)、大矢江美(vo)からなるの近郊組?の面々。取り組み編成に気を遣いましたが、豪華ダブル・キャストゆえ至ってスムーズに進行・・・和気藹々ながら、気迫のこもった演奏の連続と相成りました。3ステージ目にはニューオ−タニ終演後、大急ぎで駆けつけました五十嵐明要のアルトが加わりまして、一段と華やかなステージとなりました。絶品のスターダストに皆さん痺れてましたねぇ〜!終演後、軽く打ち上げを致した後、そのまま All of me Clubのミッドナイト・ジャムへ。小生以外は小谷教夫(p)、川島崇文(ts)、横山裕(b)に変わった新編成にて、再びセッション開始。いゃ〜面白かった・・・くたびれた。(正午〜5:30のレッスン後の三連ちゃん?・・・でも毎月あるのだから心せねば・・・ハイ)来年も楽しくやりたいと思います。「遠方よりいらした友」ご一同様、お疲れ様でした。近郊から入らして下さった皆様、有り難う御座いましたSeeYou Soon!

4/28 ack-ack'Live #150 
コージーエルでの連続開催となりましたが(5月はジャズクルージングにてお休み。6月はリラキシンとなります)今回は若手2ホーンを加え、実に久々のクインテットでした。、熱気溢れるアンサンブルを随所に盛り込んだ迫力に充ちたテージが展開されました。テナーの川島崇文は深夜のジャムで既に共演してますが、骨太な音色が素晴らしい将来が大いに楽しみな若手奏者です。初登場の トランペット・寺島一雅は、いまだ30代前半なのに「セシボン」を小粋に披露するなどして大受けでした。ステージ・サイドに小生より小柄な寺島君と180pを越える川島君が並んでアンサンブルすると、又々これが大受け・・・本当に熱く暖かい演奏で、皆さんにも大いに楽しんでいただけました。必ず再演しま〜す。今月末はジャズクルージングにつき、ack-ack'プロデュースにてコージーエルに出ずっぱりで〜す。前売りチケットをお求めいただきますと大変割安ですので、連夜のお運びをお待ちしてま〜す。5夜連続で聴いたら小生の太鼓に飽きちゃうかも・・・いえいえフロントが素晴らしいので、太鼓を聴く暇などありませ〜ん?!?
読者のホ−ム・ページ  (43)       Dancing Lawyer
 平成不況が長引いています。小泉内閣がスタートしましたが、出口は見えてきません。どうなるのか不安の方が先に立ちます。何故、こんな状況に成ってしまったのか。昭和62〜平成3年頃はバブル経済のピークで、世界第一位の経済大国、欧米諸国も日本を見習え(ジャパン・アズ・No.1)、土地や株式などに投資しなけれは゛損をする、出遅れると云わんばかり。マスコミは勿論のこと、経済学者や民間エコノミストも、煽り立てていました。ところが、平成3年後半当たりから、バブル経済崩壊後、現在まで、煽り立てた人達(専門家)は、口を閉ざして、否、逆のことを平気で云う始末です。この様な人達の言動を信じることが出来ないのは当然でしょう。我々国民は肌(直感)で感じ取っているのです。しかし、それにしても、何でこうなってしまい、これからどうしたら良いのかの問題は、日本の国民、企業、政府などにとっても切実な問題です。勿論、私も専門家でないので解りませんが、次のような事は頭に入れておいて良いでしょう。

(1) 今後、高度経済成長期のような、作れば売れる事はありません。良くて、1〜2%の成長で、横ばいもあり得ます。
(2) 高齢化と若年の少子化で、いわゆる福祉の充実は期待できません。
(3) 当面はアメリカの支がは続きますが、アメリカもバブリーで、自分勝手な面も多くある国ゆ、「グローバル・スタンダード」なる基準を安 易に受け入れてはいけません。
(4) そろそろ、日本も第二次大戦後のGHQの各政策の延長戦から脱出し、自らの制作、哲学をP Rするべきです。
(5) ケインズも云ったように景気の変動は経験上必ずありますが、その予測とか原因はよく分かりません。一応言えることは、むしろ、簡単に云えば「将来への不安」です。これは重要なことです。何故、我々は「消費」することを控えるのでしょうか。それは、目先のことだけでお金を使って、「リストラ」にあったらどうしょう、「老後」の年金など当てにならない、事業資金も銀行は 貸し渋るし・・・等 「将来への不安」があるからでしょう。消費が落ち込めば不況になるのはケインズが言ったとおりです。
(6) とすれば、お互いに将来の不安やリスクを 少しでも回避する新しい制度やシステム を構築する必要があり急務です。安易にアメリ カ主導のグローバル・スタンダードを 採用せず、日本独自の資本主義とか、国家、企業、個人の制度・システムを見直すべ  きです。その際、重要な事は、抽象的ですが出来るだけ資産格差をなくすこと、改装と世代間の公平な負担配分をはかること、と共に価値観の多様性を認める制度・システムにすることが重要だと思います。我々全員が日々の生活に追われながらも真剣に考える姿勢が大切でしょう。早く、この不況を脱出して若い人達に希望が生まれる 世の中にしたいものです・・てなわけで、今宵の寝酒の友は、若人に青々と茂った瑞々しい人生をとの願いを託して、“Lush Life”。後年に付けられた歌詞も「そこは楽しい場所、ジャズとカクテル(小生はバーボンだが?)に酔いしれる。知り合った彼氏は不愛想な男だったが素敵な奴だった・・・歌と情熱で人生は充実する」とある。言うまでもなく、トレーンとハートマンの超名盤で決まり
    
 13回 ロール・アさカわ
 
21世紀は右脳的発想の出来る人間が社会のリーダーシップを握る時代である。1940年頃から半世紀以上に渡り、合理主義を旗印に邁進してきた現代社会も今日に至って翳りが見えてきた。特に日本人社会は敗戦という極限状態を体験してきただけに、合理主義に依存する傾向が強かった。将来の社会を担うべき幼児教育の在り方を見ても、合理主義社会に適合していくための理数系教育を重視し、理数系に強い子供が頭の良い優秀な子供であるという見方がなされてきた。大手企業でも大学の理工系を出た者を優秀な人材として受け入れてきた。就職率も100%という高率を占めている。勿論、今日でもその傾向は残っているが、大手企業やハイテク産業の首脳陣の考え方は20世紀後半から少しずつ変化している。頭の良い理工系出身の人間は企業内部にあって優秀な歯車として不可欠な存在であるが、それはあくまでも歯車の一つであって企業全体の牽引車ではないと言うことである。私が知っている世界最大手のコンピューター会社の人事構成を見ても、技術部門の中枢にあるのは殆どが理工科系出身の者で占められているが、会社全体の運営や営業戦略、事業部門に関する場は文化系が占めている。勿論、社長や専務もしかりである。1985年に開発されたスーパーコンピューターの制作に携わったのは優秀な理工科系出身の技術者達であるが、発送は文化系出身の営業マンである。「より便利に、より豊に、より快適に・・・」という掛け声の元に走り続けてきた半世紀であるが、合理主義思想が産出した大きな弊害が目立ってきた今日、かのビル・ゲイツ氏も「本来あるべき人間を取り戻すために、これからの半世紀を費やすべきである」と語っている。今後の人間社会に論理思考能力に優れた人間も必要であるが、独自に何かを生み出して行く独創性に富んだ右脳的発想の出来る人間を世界は求め初めている。日本のある大手企業が購入した250億円のスーパーコンピューターは、400人のスペシャリスト達が一ヶ月を要して仕上げる計算や作業を僅か15分でやってのけると言われるが、如何に優れていても、美しい景色に感動したり、映画で悲しい場面を見て涙を流したりは出来ない。21世紀の人間に望まれるのは情感溢れる右脳的発想と人間性の奪還ではないだろうか。  
ジャズとその国際化の軌跡     新 折人 *135〜136Pより抜粋
{2) ジャム・セッション(切磋琢磨によるアイデアの具現化) 「ジャム・セッション」Jam Sessionとは、常日頃は演奏活動を共にしてないメンバーでの、スタンダードなナンバーなどを素材とした即興的な合奏を言う。もともとシカゴあたりで、いやな白人観客のために、仕事だからと言ってやりたくもない曲を演奏させられた黒人ミュージシャン達が、仕事が終ったオフタイムに、三々五々巣まって、それぞれの楽しみのため、自由に演奏したことに端を発する.。通常ジャム・セッションでは、リーダーが曲目とコードとリズム位を簡単に言って、いきなリ演奏に入る。広義の「ヘッド・アレンジ」である.。場合によって、それも決めずにリーダーのイントロを受けるだけで、自由闊達にソロを取り合って演奏する。また、イントロはピアノがリーダーになってとることが多いが、それがまた問題だ。.曲のテーマの終り4小節とか8小節をイントロにするなど、ありふれた手法では馬鹿にされるだけで、リーダーの資質を問われる。独創的でかつ巧みにテーマを暗示するものでなければならない.。ジャズの世界では、その位のことが出来ないようでは、一人前のプレイヤーとは言えない。ジャム・セッションは競争と友愛の証となった。そして、これが思わぬ効果を発揮した.。第一にジャム・セッションはミュージシャン同士のアイデア、テクニックの出し合いで、大変な自己啓発、切磋琢磨の場となった。第二に、ジャム・セッションでは飛び人リ大歓迎であり、勇気のある若者がこれに参加する二とで、学校では教えない実践的教育の場となった。但し、それは生易しいものではない。力のある者は力のない者を徹底的に排除しようとする.死にものぐるいの世界であり、それにメゲない若者のみが受け入れられたのである。マイルス・デイヴィスでさえ、最初はこの洗礼を受けた。第三は、すでに述べたように、ジャム・セッションの中から「ビ・パッブ」のような革新的ジャズが創造されたことである。ジャム・セッションは、始めミュージシャンだけの楽しみだったが、1930年代の後半には、聴衆に聰かせるジャム・セッションも出現した。ソロの連続で見事なデューク・エリントンのDinah's in a Jam'などが残っている。但し、ジャム・セッションは聴衆から料金を取らないのが原則}であったので、1940年代の後半にはミュージシャンのユニオン「AFM」が、これに反対し、一時停滞してしまったこともあった。しかし、その後、ニューヨ一クでQuasi-Commercia1Jam(準商業的ジャム)などの言業も出来、再びジャム・セッションが盛んになった。1954年12月24日の夜中、一般に「クリスマス・セッション」の名で知られるが、同時に『喧嘩セッション」として名高い演奏が行われた.そのメンバーはマイルス・デイヴイスと、日頃演奏を共にしていないMJQメンバー、即ちヴァイブのミルト・ジャクソン、ペ一スのパーシー・ヒース、ドラムスのケニ−・クラーク、そして急遽このセッションに加わることになった、孤高の人、ピアノのセロニアス・モンクであった。混成部隊と言う恵味で、立派なジャム・セッションである.そしてこの時、事件が起った.マイルスが先輩のモンクに対して、「俺のソロの時はピアノを弾くな.」と言った.モンクは文句をつけられて、マイルッスよと言ったかどうか?.くだらぬ酒落だがご勘弁願いたい。さらにマイルスは、テーマでモンクが遅れ気味に入ってくると、「そ二も弾がなくていい.」と追い討ちをかけた。モンクの顔色は変わったが、そこは大人、その刺激と緊張で、特に当夜録音されたBagus GrooveやThe man I Loveでは、モンクー世一代の名演を行い、このセッシッション金体が「ハード・パップ」の完成を示唆する記念碑的な栄光を担うことになった。もっとも、マイルスは後で、「先竈のモンクに対して、そんな失礼なことは言わなかった.」と弁明しているが、事の真偽はともかく、ジャム・セッションが緊張感の中でジャズの進化を促す好例となった。「ジャム・セッション」のジャム(Jam)とは、『狭いところに押し込む』と言う意味である.「ミュージシャンを入れるだけ入れる」と言うことでつけられたと言う説もあるが、むしろ一つのソロの中に最大限のアイデアを詰め込むからだと言う解説の方が、音楽的に魅力がある。関連して、筆者がつくづく思うことは、現在の企業経営が「クラシック型」から「ジャズ型」への転換を迫られている、と言うことである。社長と言う指揮者がタクトを振れば、社員と言う演奏者が一糸乱れず、それについて来る、と言った時代は終った.。勿論、最低限のルールは必要であるが、社長と言うパンド・マスターの基本的コンセプトの提示のみを受け、社員の一人一人が、それぞれのアイデアを出し合い、個性を発揮してジャム・セッションをやり、結果的として見事に新規事業を開拓する、と言った経営手法が求められているのである.
「E・メール名作選」-11 
 
編集長、ご心配かけましたが、私(あさり)退院して大分元気を取り戻しました。その上新しい技を身に付けました。BOUNCEです。どうやるのかって言うと、家中で一番高いタンスの上から一気にベッドに飛び降りるの。そうすると着地の時トランポリンのように弾んでBOUNCE出来るのです。凄いでしょ。入院前はドスンって落ちるのが精一杯で、こんなこと出来なかったの。一方、むさしくんはブラシワ−クがバツグンなの。ふかふかのム−トンの上で前足を交互に、シュッシュ・シュッシュとかなり長い時間練習してます。しかも、もっと驚くことにブラシレスで手の平をじゃんけんのグ−・パ-の繰り返し。赤ちゃんの時から、ずっと毎日欠かさず練習して来たから、今でも暇さえあれば、一日に最低でも5回位は欠かしません!テンポ100位が一番ゴキゲン!むさし君は、眠くなると、必ずこの練習してからじゃないと寝られないの。そして寝つくまで、ずっとやってるの。だから、エンディングはrit...Fade out。それで近い内にSESSION に行きたいと思うんだけど、噂じゃSESSIONに来るdrummerは、皆んなかなりの腕前らしい.。私達だって、かなりイケテルと思うんだけど、それぞれ一つずつしか技、持ってないの。やっぱり、これ一本じゃ無理かなあ?それで、編集長にお願いです。私達、他にどんな技を身につけたらSESSIONデビュ−出来る?一度、行ってみたい...。六本木のJAZZ CLUBって所。お客様で行くんじゃつまんない。どうせ行くなら華々しくdrummer デビュ−!したい....。                  (=^_^=)Writen by AYA with Musashi& Asari(^*^)
 

 
僕達、もう一つ技、持ってる事に気づきました。例のダンボ−ルで出来たウエハ−スです。これを世間はネコの爪研ぎと呼んでるらしいけど?僕達、かなりのスピ−ドで刻めます。でも僕は飼い主が気付いてくれないと、悲しくて、やめて、かじってます。これがbreakに使えるんじゃないかと?(ちなみにあさりちゃんはbreak出来ません。飼い主の反応にお構いなしのマイペ-スですから。女ってイヤよね!)だから、僕はかなりイケルと思うのです。編集長、近い内に編集長を師匠と呼べる様に一番弟子をめざし、日夜練習して、DRUMMERめざします。     “トニ−”と呼んでの、むさし君より...。