2001.3
ack-ack'通信 2/17 ack-ack' Live at Relaxin'#147
 
三崎クラブのママのバースデイ・ライブとなりました。ack-ack'としましても「足を向けては寝られないO女史」が幹事では尚更のこと気合い充分!皆さんからの沢山のプレゼントにシャンパンで盛り上がった処で、ウン十本?の蝋燭をピッタシX息で吹き消すなどママの演出もなかなか!ドンが居なくて一寸寂しかったけど、それで幹事が燃えた訳ですから!?介添え役?啓次君夫婦に、お姉さんもいらしたことだし・・・おめでとう御座います。行きも帰りも一番乗り(1ステージ以上聴いてると泊まりになっちゃうので)、3/11のディナーショウを控えて張り切る、原君を添乗員?としたグループが遠路より、ご常連I女史にO氏を始め、お隣りのご常連なのに両店を掛け持ちして下さるK氏、最多出席数を誇る「こうや」のヤマちゃん、小生とのバーター契約?により、吉祥寺と六本木を行き来するM女史(お陰様で何十年振りかで、ピアノの本田竹広君と再会!楽しい共演も出来て最高だったス) ・・・、皆さんも盛り上げて下さいましたね。さて、初の共演、アルトの大山日出男の音色は流石に芸大!つややかで素晴らしいの一語。小谷教夫&山田晃路のジャズ研ゴールデンリズムセクション?も柔軟に対応して、輝きに満ちたセッションとなりました。又、再演したいもので〜す。

2/22(木)
at Relaxin'  此方も昔からお世話になっている、S女史のお誕生日ライブとなりました。栗田丈資のピアノとベテラン・小林陽一のベースが絶妙のバランスで快調なスタート〜始め良ければ全て良し・・・!?花束贈呈&バースデ−・ケーキ消灯?と大いにお楽しみ頂きましたが、アフターアワーズは焼き肉店にて、ご散財をお掛けするEndingで御座いました・・・先のお二方は無罪で〜す!?



通販生活誌に、大矢江美
登場
読者のホ−ム・ページ  Dancing Lawyer  
最近、外出していると騒音のことが特に気になります。乗り物とか工場などではなく、それらに比べれば音量的にはもっと小さい音(ノイズ)のことです。例えば電車に乗った時に隣りの若者のウォークマンのヘッドホ−ンからカシャカシャと外に漏れている音、携帯電話の受信音や会話の声、街を歩いてる時にビルの壁にある広告用大画面テレビからの聞きたくもない騒音などです。いつの間にか日本は騒がしい国になってしまいました。公衆のいる場所(公的な場所)では、静にするべしとの不文律=ルールが殆ど無視されつつあります。先日、日本テレビで其の辺のことを指摘する番組もありましたが、前述の広告用大画面テレビなどは東京都の条例規制に違反していると云わざるを得ません。東京都も同じ判断でした。ニューヨークでも、この様な画面での宣伝は認められていますが、音を出しては、いけないとの規制をしているそうです。恐らく眼で見るものは、見ないことも出来ますが、音は否応なく耳より入ってきて、聴きたくない自由が侵害されるからと云ったこともありましょう。音のことを例に出しましたが、勿論、音だけではありません。重要なことは公衆が集まる場合のエチケット(常識や道徳)の欠落にあります。渋谷あたりに於ける、他人の家、店や壁などへのペイントによる落書きなども同様です。私は若い人だけが自己中(ジコチュ−)だと云っているのではないのですが、客観的に見て若い人の方が配慮に欠けるケースは多いと思います。このまま進めば、「携帯電話の電車内での使用はお控え下さい」レベルでは済まず、罰則を持って禁止する法律を制定せざるを得ない状況も出てきます。結局は若い世代の教育を親や教師らが再考しなければならない状況なのでしょう。親が子に対する教育の責任を考え直し、学校の教師達も反省すべきです。文部省は小学校のカリキュラムを減らしていますが、これに対して大学の大半の先生方は危惧感を抱いています。隣に座っているウォークマン騒音の若人を見つつ、これまで我が国は経済的に成功したかも知れませんが、今後は「人創り」(人材育成)が急務だと思う今日この頃です。昨今、フリーター志向の若者が増えていると云われていますが、オーネット・コールマンの昔のアルバム「ジャズ来るべきもの」を聴いてると、自由であるほど限りなく本当の恐怖に近づくのでは、と云った意味で、フリーのミュージシャンとしてのオーネットは常にフリー・ジャズの中心で輝いてたなぁ〜!「若人来たるべきもの」を考えつつ、バーボンがすいすいと進むのも困りものですが?
 12回 エロール・アさカわ
  
3ヶ月程前ににモントリオール在住の知人に招待されて、彼の家に2週間ばかり滞在したことがある。たまたま市の商工振興会主催の様々なイベントがあり、タウンホールでは世界各国のミュージシャンが集まってコンサートも催されていた。アメリカからはジャズバンド、ラテンバンド等の7グループ。地元モントリオールのバンドが3グループ。フランス、スイス、イタリア、ハンガリー、オーストリアなどからも大勢のミュージシャンが参加していた。残念ながら私の知っているミュージシャンは一人も居なかった。ところが、彼らの演奏を聴いた途端に体中が熱くなる思いがした。演奏者各人が独特の個性を持っており、私自身レコードやCDでも聴いたことのないフレーズが続々と出てきた。グループ毎にコードを研究し、21世紀に向かっての新しい解釈が成されていたようだが決して突飛なものではなく、聴く者を納得、賛同させるものであった。私はそのミュージシャンの中でヴットリオ・ジャンディーニというイタリアのピアニストと仲良くなり、音楽の話で盛り上がった。お互いに個性的な英語で語り合ったので多少は意味不明な会話もあったと思うが、モントリオールに居る間は連日のように彼や彼のメンバー達と会って音楽以外のことについても語り合った。その会話の中で面白いと思ったのは、彼等の日本人観である。ヴットリオは数年間、日本に滞在しており日本通でもあるが、日本民族は「横並び民族」だと云うのである。何でも他人と同じことをしたがり、人と同じ品物を持ちたがり、人と同じ生活環境に住みたがり、他人を横目で見ながら、その線に並びたがる。身近な例に「ルイ・ヴィトン」がある。10代の男女から60代に到るまでバッグやベルト、財布などを持って満足気である。特に若い女性達の間では、それらを持つことに寄って初めて一人前の女性の仲間入りを果たしたという感覚を持っている。TV局もしかりである。同じ時間帯に天気予報を流し、食べ歩き番組や温泉宿巡りにクイズ番組、面白くも可笑しくも無いお笑いタレントの司会によるバラエティー番組等々、正に「横並び民族」と云われても反論に窮する次第であった。「赤信号みんなで渡れば恐くない」等は正に「横並び民族」の面目躍如と云った処では無かろうか。              
ジャズとその国際化の軌跡  新 折人
(トランペットの主導) 第三に、ジャズの形式、スタイルの変遷と発展において、不思議なことに多くの場合、コルネットを含むトランペット奏者が、これを主導してきたことである。ジャズの始祖、バディ・ポールディン、それを継いだ、キング・オリヴァー、そして、ルイ・アームストロング、白人のヒックス・バイダーパックらトランペッターがアーリイ・ジャズを主導した。(では、あれほどの革新を主導したデューク・エリントンは、ピアノであってトランペットではないではないか、と問われそうだが、ものには例外もある、と言うことで取りあえず逃げよう)。そして、モダン・ジャズ以降は、やはリトランペッターのデイジー・ガレスビ−、クリフォード・ブラウン、なんと言ってもマイルス・デヴィスがこれを牽引した。今また新しいジャズの形成に当っての期待の星、ウイントン・マルサリスも、トランペッターである。さすれば、何故トランペッターなのか、と言う質問に対して、筆者は明解な回答を持ち得ない。強いて言えば、第一にジャズ・バンドの発生がブラス・バンドを母体とし、トランペットが伝統的に欠かせぬ花形楽器であリ続けたこと、また第二にトランペットがその構造上、3本のハルブで操り、マウス・ピースでのリップ・ワーク、ベル(朝顔)でのミュート奏法などにより、浮んだアイデアを瞬時に、幅広く表現出来、加えてこれが良く通る高音域、華やかな音色の響きを持つ楽器であり、従ってジャズのコンセプトやダイナミズムに的している楽器だからだろう。面倒臭い理屈を並べなくても、次の理論的とは言えない事実を述べれば充分かもしれない。それは「ヨハネの黙示録」に示されているように、聖書の世界では、ラッパ(ラテン語で「トウペ」)は、天使が人間と神とを結びつけ、此の世の終末と永遠の救済を告げる楽器なのである。世の中の改革に集団の力も大切だが、カリスマ的「英雄」が必要なことは論を待たない。
 (人材の登用) 第四に、新しいアイデアに対するあくなき追求と、そのための人材の登用である。音楽家というものは、長い間、同じ素材でこつこつと仕事をしていると、もはや何の刺激も感じなくなる段階まで、芸術的に停滞することがある。この状況を避けるために、賢い楽団のリーダーは、自分の回りに若くて才能のある音楽家を配して、彼等の楽想を楽団の演奏に反映させるのである。スイングとビ・パップの仲介役を果たしたスタン・ケントンは、若者の登用に特に熱心であった。また、次々と若者を育てて、パップ以降のモダン・ジャズの澪標となった、デイジー・ガレスピイやマイルス・デイヴィスなどもその典型であった。ところで、19世紀に、ハーバード大学出身の随筆家、詩人。超絶主義の主張家として、またエコロジイ思想の先駆者として知られるヘンリー.デイヴィッド.ソロー(1817-1862)が居た。彼は人間が生きるために何が必要か、何が必要でないかを徹底して考えぬくために、1842年から2年あまり、アメリカ北東部マサチュセッツ州ウォルデンの森の湖畔に家をたててこもリ、自給自足生活をし、思索を深めた。その記録が'・Walden,or Life in the Wood(森の生活)として1854年出版されたが、その中に、「太鼓のリズムに足の合わぬ者を咎めてはいけない。何故ならば、その人は他の太鼓のリズムに聞きいっているのかもしれないからだ。」(鳩見俊輔沢)と言う言葉がある。なかなかに含蓄のある言葉として、筆者の好きな言葉だが、要は「過去に刷り込まれた既存の概念、前例、成功の経験に拘泥していては駄目で、突飛なことを言う若者のアイデアを無視してはいけない」と云うことだろう*74〜75Pより抜粋/因みに前回は58Pより・・・でした。   
「E・メール名作選」-8 
編集長、Tony Williamsのビデオ、どうもありがとう。Tony Williamsってメチャクチャかっこいい!つい又恋におちそうでした。危なかった。Gerry Malliganに“浮気もの"と言われてしまうところだった。ところで私が好きになる人は、好きになった時にはたいてい、もうこの世の人じゃなくなってる。初恋はクラ−ク・ゲ−ブル。あのレッド・バトラ−船長。風邪と共に去りぬは何10回か観たと思う。(南北戦争の頃の人じゃないはずなのに、手遅れ。) That's entertainmentでクラ−ク・ゲ−ブルが踊っているのを発見した時の嬉しかったこと。私のライバルはビビアン・リ−だけかと思っていたら、なんとJudy Garlandが That's entertainmentで、You Made Me Love Youを“私のゲ−ブル様"って替え歌唄ってた。次ぎはアステア。そしてシナトラ。Chet Bakerも長いことスキだった。Gerry MalliganもTony Williamsもスキになったのに、手遅れ!もういない。でもビデオやCDで会える聴けるってことは幸せ。ところで、むさし君の“し"はシナトラの“し"。あさりちゃんの“り"はビビアン・リ−の“り"。知ってた?これ本当の話!道理で美男・美女。我が家はHolly woodなのだ!
              (=^_^=) Writen by AYA with Musashi& Asari (^*^)