2001.10
9月1日 破茶目茶ライブ vol.13
 
全4時間半以上に及ぶダット・テープを1日掛かりで聴きつつ思い起こしながら書き始める。残念な事にフォーマット・ミスによりデジカメの100枚程が一瞬の内にパー!因って写真は当日の参加者・ロミちゃんと村山さん提供のみとなりまして申し訳けなし!(北海道の雄大な風景も消え去りました!)ホームページの都合もありますので送って頂ける際は宜しくお願い致します。又、3時間半過ぎより突然デッキのヴォリュームが大幅に落ち、必死で聴き取るも判別不能となり結局駄目。踏んだり蹴ったりでした!? さて、お馴染み、玉川氏の開会宣言を得てack-ack'3(金山正浩p 安久津泰b)の演奏後、久方振りの参加世話人・氏がソニームーン・フォー・トゥで快調なスタート!T君のタイム・アフター・タイムには愛弟子・女性ドラマー・嬢がジャジィーなドラミングを同じく名物OBドラマーM氏はホエン・ユー・スマイルで意表を突く渋いドラミング・・・ラストのI氏夫妻とのA列車では期待に違わぬ派手なソロと多才振りを遺憾なく発揮!S嬢の初々しいペーパー・ムーンでは山形よりのご常連ドラマー氏(毎回、奥様が追っかけ同伴でお熱いのです)が燻し銀のバッキング!ご夫妻出演者ご常連・I夫人がアイム・フール・ウォント・ユー、ご主人が加わりバット・ノット・フォー・ミーと此方も熱かった?足利の原 正夫氏(p)は星に願いをで生徒・女史の伴奏を務め、水を得た魚状態にしてました後半でオール・オブ・ミーをを唄った女生徒の方も見事なデビュー振りでした。フルートの嬢の爽やかな不思議の国のアリスに絡んだ静岡の愛弟子氏のドラミングは自らのリクエストに寄るテイク・ファイブでも冴えてました。何かとお世話になる、I女史は何時もの渋いムードで一段と力の入る金さんのバックでアイ・デイ・デイドント・ノ〜を絶唱CDリリース&発表会を終えたばかりの氏はアイ・キャン・ギブ・ユ〜とマイ・ワン〜にて初単身出演中学生から参加していたI君はイスラエルで着実な成長振りを!医学博士新人・嬢はホンワカ?アワ・ラブ・イズ〜を、キングコールばりのスターダストは氏と後半はヴォーカル陣でスタート。さんはウィスバ−・ノットを新婚ムード満杯で。いよいよ、アルトの氏軍団(+テナー&ドラム)登場。目一杯ファンキーにドキシー、サツク・ウォー・ウォー他を大熱演!H嬢はハウ・イン・センシティブをクールなボサノバで、セミクラ風ソロを外国人ピアニストと初登場組の後、歯科医・氏はお得意のミスティーで迫ってました。初登場・嬢がコンファメーションでグル−ブ後、ロミちゃんの我が心のジョージアあたりからヴォリュームが減衰。上記した曲以外はマイ・ファニ〜、サマータイム、サニ−・サイド〜を誰か唄っているなぁ〜状況となり、やむなく聞き取り調査断念!?!オールオブミークラブ・サタデ−ナイト・ジャム・ご常連シンガ−・女史、ヤング・プロ・ドラマー渡辺雄一、西谷文雄両君らの行動確認ならず誠に残念でした。皆様お疲れ様でした、次回は年末で〜す。 −乞う御期待−
9月23日 Don.竹内追悼ライブ
 
22日(土)ルーツのレッスン終了後、三崎クラブへ会場セッティングの手伝いへ。ママと信哉君が料理を仕込む傍らでピアノの調律を聞きながら、PAのセット&雀卓の移動。アンサンブルを終えて駆け付けた雄一とドラム運び&ピアノ移動。そこは手慣れたものにて難なく終了!オールオブミークラブのミッドナイトジャムをこなして午前様?当日はシェフ・L作成の料理をシェフ共々?車に積み込み馳せ参じる。八月薫子を始め大勢の助っ人(夫妻の人望厚く!)により手際よろしく準備完了!戸越&三崎町内会の皆さんを始め、毎回素晴らしい記念品をご提供下さるO女史&グループ、加えて各ミュージシャン'S追っかけグループ?と、80名を越す入場者にて場内は熱気ムンムン!ステージが楽しかったのはモウ言うまでも御座いません・・・10人もの出演者がひしめいたのですから!?!雄一を加えましたのはボーヤ初仕事の現場?でもあり、DON伝説が少しでも長く継承される事を願ったからで〜す。 「これからも年に一度はやって下さい」とのお声も一杯戴けましたし、DON への何よりのご供養になったと思います。ご参集下さいました皆様、ミュージシァンご一同には改めまして、心より感謝申し上げます。有り難う御座いました。        
読者のホ−ム・ページ (49)   よっぱライフプランナ
締め切り間際になり、何を書くか迷っている処にビッグニュースが飛び込む。“長嶋監督退任!"突然のことであっけにとられた。長嶋監督は58年、立教大から巨人に入団。「巨人軍は永久に不滅です」。そう言って74年に現役を引退。その間の活躍は日本の高度成長と重なる。「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた巨人の黄金時代を担った。翌75年から監督を6年間務め、2度のリーグ優勝。しかし最後の2年間は5位、3位と低迷し、「監督失格」の烙印を押され、1度は球団を追われながら、サッカーのJリーグが誕生した93年、監督として呼び戻された。復帰後は3度リーグ優勝、94年、00年は日本一に輝いた。監督在任は巨人歴代最長の15年となる。現役時代から、天然ボケとも思える言動で人を愉しませた。長男の一茂を球場に置き忘れて来たという逸話は余りにも有名である。又、こんなエピソードもある。北野武が写真週刊誌に関する暴行事件で謹慎中に、長嶋監督からゴルフに誘われた。落ち込んでいたたけしが、当日喜び勇んでゴルフ場に行くと、監督はたけしに会うやいなや、「おやっ、君もここでゴルフかい?いや〜、奇遇だねえ。」と言われて呆然としてしまった。途方に暮れていると、監督がやって来て、「いや~、ごめんごめん。ボクが誘ったんだったねえ。」と、やっと気が付いたということである。普通の人ならカンカンになって怒るところだろうが、何故か監督は憎めない人間なのである。監督になってからも、日本語と長嶋製英語が入り交じった独特の言葉で、数々の長嶋語録を生み出した。「メーク・ドラマ」は流行語にもなった。インタビューが、ひとつのショータイムではないかとも思えるほどである。意図的ではなく、ご本人は至って真面目に答えているのであるが。巨人は嫌いでも長嶋監督は好きと言う人は多い。監督を嫌いと言う人は余りいないのではないかと思われる。Jリーグ人気に負けずファンを野球に取り戻し、昨年は背番号「3」を再び付け、オールドファンの喝采を浴びた。世紀末の王・ダイエーとのONシリーズを実現し2度目の日本一に輝いた。しかし世紀が変わり大リーグ時代が来た。野茂に始まり吉井、長谷川、伊良部、佐々木、イチローと大リーグでの日本人選手の活躍は、日本人を本場の“ベースボール"の面白さに目覚めさせた。今期、巨人戦ナイターの全局視聴率は8月末までで、平均15.1%.昨年の年間平均18.5%を3ポイント以上も下回った。シーズン後半に入ると一桁まで落ちることもあり、長嶋監督も落胆を隠さなかったという。こういう状況が、監督に世代交代を決断させたのであろう。後任は原ヘッドコーチ。長嶋監督だから着いてきたという選手もいると思われるので、選手との確執がいろいろ出て来そうなのは心配だが、大幅な若返りとなる。そう言えば、中日・星野監督、オリックス・仰木監督、西武・東尾監督等も退任の様子。球界全体が監督の世代交代時期に来ているのかも知れない。今後、長嶋監督は専務取締役として経営陣に残り、ユニホームを着ない「終身名誉監督」になるということらしい。監督は、巨人のというより、球界全体の功労者であり、今後は日本のプロ野球が大リーグのベースボールにひけを取らない面白いものになるよう、裏からのバックアップを希望したい。今宵は長嶋監督の功労に感謝しつつ、大リーグの国・アメリカのバーボンを飲み干すしかないか?何時でも青空を思い浮かばせた監督の笑顔に乾杯!「ブルー・スカイ」とくれば、映画「摩天楼を夢見て」で痺れさせてくれた、アル・ジャロウで決まりだ!     
ジャズとその国際化の軌跡 新折人*209〜210Pより抜粋
フレイン 第4章「ジャズ」を巡る影と光   ジャズには売春や享楽、ギャングや麻薬、人種差別などの暗いイメージがつきまとっておリ、それ故にクラシック等に比べて、一段も二段も低俗な音楽と見られやすい。現にジャズの本場アメリカですら、そうした傾向が払拭されているとは言い難い。日本企業のフィランスロピー(文化的貢献事業)でも、クラシック音楽の為に資金を供出する企業は多いがジャズを応援するところは極めて少ない.我々が履歴書を書いて、趣味の柵に「読書」とか「クラシック音楽」と書けば無事だが、筆者の様に「ジャズ」とでも書こうものなら、たちまち奇異な目で見られる。おまけに日本の文部省の文化庁は、「芸術選奨文部大臣貨」などと銘打つ表彰行事で、今だに「ジャズ」を「音楽部門」ではな<、「大衆芸能部門」に分類している。天下の公共放送を標榜するNHKのラジオ放送では、「では、デューク・エリントン楽団のキャラバンをお送りします」等とアナウンスしながら、イントロも終らない内に「交通情報」をかぶせてきて、結局曲は聴けない。バック・グラウンド・ミュージックにするつもりなら、作曲者、演奏者や曲名を告げなければよい。ジャズに対する冒涜以外の何ものでもない。情けないことだ。以下にジャズの影の部分を率直に考察し、更にジャズは音楽として高い芸術性を持っていると言う光の部分を、結論として述べてみたい。
1.ジャズの品格(ジャズと紅灯街)その誕生以来ジャズは、白人識者とそれを代弁する新聞から絶えず攻撃されることとなつた。その根拠の一つがジャズの揺籃期に、それがニューオーリンズの「紅灯街」(ストーリィヴィル)において演奏され、売春や飲酒や犯罪や享楽と言った非通億的、不健康なイメ-ジにつきまとわれて来た事にある.確かに「売春組織」やそれに附随する「酒場」は、性病、アルコール中毒、麻薬耽溺、賭場、暴力組織をもたらしたが、そこで演奏されたと言うだけで、ジャズの音楽性まで否定されては理不尽と言うものであろう.そんな事を言ったら、モーツァルトのピアノ曲やヨハン・シュトラウスのワルツが、ヨーロッパの「紅灯街」でも演奏されていた事をどう説明するのだろう.又アルコールの匂いが悪いと言うなら、画家崩れのロドルフ・サリが詩人のエミール・グラドーと計らって1880年に開いたモンマルトルの「黒猫」と言う酒場で、エリック・サティ(1866~1925)が自分の生活費のためにピアノを弾き、演奏用に多くの曲を残している事実だけで、彼の音楽は排除されなけれぱならぬだろう。真にロマン派的音楽を残したエクトル・ベルリオーズ(1803~1869)等は、婚約を破業された腹いせに、3人も人を殺そうとした。
2.(宗教とジャズ)世の中で最も道徳的と信じられている教会は、融合された音楽であるジャズの源流の一つとも言うべき聖歌、ゴスペルを持ちながら、事実上ジャズを禁止した。1903年に時のローマ法皇ピオ10世は、「教会においてピアノの他、ドラム、シンバルの様な騒がしく浮ついた楽器の使用は禁じられる.教会で楽団の演奏を行うことも、それが厳粛で適切な様式で書かれ、あらゆる点でオルガンの特性に合致するもの以外は、厳しく禁じられる」との教書を示した。明らかに当時形成され始めたラグタイムなどのジャズ風音楽を意識したものと考えざるを得ない。1916年にニューオーリンズの紅灯街ストーリィヴィルが、軍の方針によって廃止されよラとしていた時、それを裏で強力にバック・アップしたのは清教徒を中心とする禁酒法賛成派の圧力であったが、だからと言ってジャズを「魂を売る音楽」とまで極め付けることはなかった様に思われる。更に1920年代の「ローリング・ツエンティーズ」の頃、市民の良識の反映を標傍する大新聞は、若者の、セックスや飲酒にまつわる喧嘩、殺人、自殺ざたを、必要以上にジャズのせいにし、報道した。しかしそのうち、レコードやラジオといった媒体の発達で、ジャズが大変な商売になると気付いたマスコミは、手のひらを返した様に、「殆ど全ての民俗や時代が、文明の呪縛から解き放され、本能の解放と自由を勝ち取る為、神がそれを制限する様な社会状況を体験し、克服しているのである。」と言った、訳の判らない論法でジャズを擁護した.そして、ついに教会も折れた.イギリス国教会の牧師、ジョフリー・ボーモントが、1950年代半ばに「20世紀フォーク・ミサ」を作曲し、1959年には同牧師が『アメリカン・ジャズ・ミサ」やエドガー・サマーリンが「朝の儀式のための音楽」を言いて、典礼用のジャズが出現した。1965年以降は多くの教会用ジャズが作られた。また格式のある「宗教音楽会」(Sacreed Concert)にもジャズが使われるようになった。1965年のサン・フランシスコの聖公会堂の「第1回宗教音楽演奏会」では、デューク・エリントンが演奏する迄になリ、彼はその後も、1968年のニューヨーク・セント・ジョン・デ・ディヴィアン大寺院での『第2回宗教音楽演奏会」や、1973年のロンドン・ウエストミンスター寺院での「宗教音楽会」でも演奏した。
やぶにらみ 第18回     エロール・アさカわ
「ほろ酔いかげんのお父さん達が千鳥足でブラブラ出来るところといえば今や銀座しかない!」と言われる昨今であるが、その安全な筈の銀座の高級倶楽部(高額倶楽部)にも強盗が押し入るように成って来た。つい先月も時々、演奏に出向く倶楽部の隣の店が強盗にやられた。彼等は4人組で全員が野球帽にマスク着用という格好で閉店間際の時間を狙い押し入ったのである。3千数百軒はあるといわれる倶楽部やバー、スナックの中から何故、隣の店が選ばれたのか・・・。最近は銀座も不景気風に吹かれ、安い給料で使えるフィリピン人や中国人女性を雇う店が増えており、隣の店もその類の一店だったのである。彼女達の中には香港マフィアや台湾マフィア、上海マフィア、等と通じている者がおり、その店の給料日、給料総額、客層などの情報を組織に流して押し入るタイミング、逃走の手引きまでしていたと言うことである。不思議なことに彼等は店に押し入る前に野球帽は被っていたものの、マスクを着用したのは店内に押し入ってからであったというのである。一見、無謀と思われるが、彼等には絶対捕まらないと言う自信があったのだ。マフィアの手引きで密入国した連中であるから、当然の如く住所不定、氏名不詳、国籍不明の3拍子が揃っている。これでは日本の警察も完全にお手上げである。この様な三国人の多くが新宿、渋谷周辺や上野、池袋周辺を根城にしていることは解っていても、操作の手がかりさえ掴めない状態である。現に麻薬密売、売春、窃盗・強盗、殺人・殺人請負、放火等々、金のためなら何でもありの連中だが、その大部分が手がかりなしである。勿論、中華料理店やレストラン、喫茶店で真面目に働く三国人や留学生も大勢いるのだが、そういった彼等にもマフィアの手は伸びている。脅迫されて彼等の手伝いを強要されるのである。マフィアの要求を拒否したりすれば簡単に殺されてしまうことにもなるが、マフィア同士の抗争であろうというとで片づけられる。今や三国人マフィアの稼ぎ場所は都内23区全域に及ぼうとしている。石原都知事はこの様な状況を憂慮し、こういった三国人を排除すべきだと提唱しているが、脳天気な連中の人種差別、人権侵害という声に押されて立ち往生している。私も上京以来30年ぶりに歌舞伎町に出向いてみたが、どの路地を歩いてもトブの臭いが充満していた。 
「E・メール名作選」-15
秋晴れです。爽やかだけど急に寒くて、ぼつぼつbedが恋しい季節です。さて早速、正しい猫語の“に・・やあおん"についての学術的見解の発表!まず出だしの“に"を4拍めの裏で取ります。そして、1拍めが“やあ"、2拍めが“おん"。この時“やあ"の“あ"と“おん"の“お"は大事です。これをいい加減にすると甘ったるい感じが出ません。これが人間社会で言うところの、いわゆる猫撫で声ってヤツの大事なポイントです。(人間社会は勘違いしていて、実は人間が猫に向かって語りかける時、もしくは人間同士でお願い事がある時に出す声で、それを猫のせいにしてる訳ですけど...)音楽的には一拍を長く取るってヤツです。そして最後の“ん"と最初の“に"をリエゾンするのです。"ni・yaa~oo~n”を一塊りにして、(これで二拍分)複式呼吸でテンポ100位で4小節も鳴けば大抵の人間はいちころです。人間社会は一生懸命、これをメトロノ−ムに合わせて頑張ってる様ですが、僕達は生まれつき出来ちゃうのです。跳ねない4beatっていうらしい・・。なのに何故かgroveしちゃう・・。人間社会が僕達のこと可愛い、愛おしいと言ってくれるのは当たり前です。だって僕達いつでもswingして暮らしてますから・・・。この姿見て楽しい気持ちになれない人なんて居ない筈ですから・・・。昨日は町内のお祭りで御神輿を見ちゃった。猫的には今一つbeatに乗り切れなかったけど、僕達は飼い主にダッコしてもらって窓辺でずっと見ていた。楽しかった。でも警備のお巡りさんぽい人達、ノリいまいちダサカッタ。どうせなら同じノリで、ピ−ピ−すればいいのにね。そしたら、もっと楽しめたのに・・。でもお祭りで御神輿は大好き!ときめいちゃいます。毎日がお祭りだったら良いのにね....。 (=^_^=)Writen byAYA with Musashi& Asari(^*^)