2000.11
ack-ack'通信      10月12日(木) スリーピーズ倶楽部 Part-1
京王プラザホテルの青空の間(当日は文字通りの晴天で看板に偽り成し?)での、故・松本英彦氏の誕生日に行われたジャズ・パーティに出演しましたが、トランペットもアルトサックスも、うら若き美人奏者にて、正にIT時代そのもの?全て云うことなしでした!それはさておき、先ずは快く参席して下さった7名ものack-ack'不安倶楽部の皆様に感謝を述べねばならぬ処なのですが、O氏、M氏ご両人には終演後にボーヤ?をお務め頂き(今時3名も使えませ〜ん)、小生と共に搬入口より退出?果てはコージーエルまでご同行の上、酒盛りまでお付き合い願いました。M女史(我々が搬出口より出た結果、正面玄関にて待ち惚け状態?)も、其処はIT時代ゆえ直ぐ連絡が取れまして、タクシーを飛ばして間もなく到着!御一同ボルテージは上がる一方で・・・ご参席のお礼だけでは済まない状況となってしまいました。O氏、M氏は呉越同舟、終電にて帰路につかれましたが、その後もM女史は頗る快調、タフの極み状態を維持なされて、am4:30の始発タクシー?に無事御帰還なされました。此処に改めまして、重ね重ねも深く?お礼申し上げます。
閑話休題 リラキシンでの待望のピアノレス・ワンホーン・トリオの顛末記は次号にて詳細をば・・・今夜なのですが、何せ編集上間に合わずで〜す。今月もやりたかったのですが、各自調整ならずで・・・来月は必ず!10日の植松孝夫(ts)、米田正義(p)からなるカルテットでのコージー・エル出演は正に近来の見物・聞き物?数多くの皆さんの御要望にお応えしましての臨時開催となりました?26日の三崎クラブ・ライブ〜六本木版(詳細は表紙参照)同様、熱〜いステージが展開されること請け合いですので、是非入らして下さい。こちらも、○いて益々ご盛んな?ボス(笈田敏夫)に加えまして、前日・25日の「ドクトル・HIROKO・ジャズ・パーティー」(早くも2回目とは大したものです)に京都から馳せ参じる、親友・藤井貞泰(p)の連夜出演となりましたので、大いに楽しみなのです。これで、三崎クラブのドン竹内氏が快気なされてたら最高でしたのにね・・・超々熱狂的・巨人・・・長嶋ファンですから!
     
このコンサートの収益はLAFFOO(ラフー)の活動の為に使われます。アジアの子ども達の教育と生活向上を支援する活童を行ってます。今年はホーチミン市にある盲学校「BUNG SANG Blind Scool」の校舎と子供達の宿舎の移転並びに子供達の自立を支える為の音楽教育の支援を目的としております。21世紀のアジアを創る子供達の為に、皆様のご支援とご協力をお願い申し上げます。
 JAZZ CRUISING~Part3に参加して! 初めて参加したクルージングは私にとって大変に有意義出会ったことを最初に述べておきます。それは今まで知らなかったお店に気軽に出入り出来たこと、様々な曲や演奏が聴けたこと、数多くの方達との出会いなどなど、経済の活性化が叫ばれている昨今、その必要性が感じられる中で、企画から実行まで様々なご苦労もあった事でしょう。関係者の方々には心から拍手を贈りたいと思います。私もこの一週間、毎日午前様が続き次の週から体が持つかと心配しましたが「すきなことをしていれば体は壊さないよ」と誰かに云われましたが、その通りだと思います。期間中、比較的天気にも恵まれ、出足も上々ではなかったのではないかと思って居ます。この様なイベントは盛況であればあるほど、楽しければ楽しいほど一週間が早く感じられ、過ぎてしまえばちょっぴり寂しさも感じられます。打ち上げ後、二軒ほど寄って家路についた時、外は雨でした。クルージングの終わるのを待っていたかのように降り出した、まさしく「九月の雨」でした。来年のクルージングを楽しみにしつつ・・・。           2000.10/1 寺田久貢
読者のホ−ム・ページ (38) Dancing Lawyer
シドニー・オリンピックも終わり、この原稿を執筆の最中は巨人とダイエーのON対決中。今年も他の分野では余り良い話はなく、我々庶民はスポーツ談義に明け暮れた。 今回は宝塚歌劇団(タカラヅカ)の話をしてみたい。それは戦後の殆どと云っても良い程、長期間に渡り宝塚の音楽を担当された「寺田瀧雄」の話である。残念ながら本年7月30日に死去なされたが(享年69歳)、和歌山県出身で'56年に宝塚歌劇団に入社、'60年から作曲を始めて、亡くなられるまでに約三千曲の作品を残したという、戦後のタカラヅカを支えてきた重鎮と云っても良いであろう。亡くなる少し前の今年3月に、タカラヅカは祝福と慰労を兼ねてコンサートを開き、NHKのBSで放送されたのを、私もたまたま観ていた。名だたるタカラヅカのOBや現役のスター達が次々に踊り、そして賛辞を述べるのであるが、寺田さんは最後までシャイであった。私ならば少しぐらいくだけて、威張って、パフォーマンスをするところだが、その様な振る舞いは全くなく、淡々としておられた。タカラヅカの作詞家からの急な要望にも速やかに応えられ、しかも品格と哀愁のある作曲を完成する天才肌であったと聞く。しかし、そんなことはオクビにも出さず、最後まであくまでもシャイであった。タカラヅカの大スター達が異口同音に云う、寺田さんに対する評価なのだ。タカラヅカは日本独特の文化である。現実に観たことがない方の半分位(特に男性)は、恐らく少女漫画の類と馬鹿にしているかも知れないが、それは間違いである。実は私もそういう一人であったのだ。しかし、偶然にも本場(即ち関西のタカラヅカ)にて初めて観た時、大いに感動したのである。その後は観る機会はないのだが、NHKのBSも定期的に放送しており、外国での評価も高いと聞く。取り上げるテーマも種々あり、なかなか面白いのだ。この様な戦後のタカラヅカを支えてこられた作曲家の寺田さんが亡くなられたのは残念である。先日、知人の結婚披露宴が帝国ホテルであり出掛けたのだが、お隣には新しい東京タカラヅカ劇場の建物が完成間近でそびえていた。この長期不況の中、日本のジャズ界同様、タカラヅカも間違いなく、日本のオリジナルな音楽文化の「担い手」であると確信する次第である。さて、不況=POOR=「POOR BUTTERFLY(蝶々夫人)」=タカラヅカでもあるまいが、今宵一杯の友!は、ポールデスモンドの「GLAD TO BE UNHAPPY」の中からと参りますか?ソニー・ロリンズでは些か骨太ゆえ、タカラヅカには今一・・・ね?                          
やぶにらみ 第8回       エロール・アさカわ
 水が急速に冷やされると、雪や氷、霜といった個体になり顕微鏡で見ると美しい結晶が出来ていることが分かる。ところが、隅田川、荒川、淀川のように都市の中心部を流れている川の水からは結晶が出来ないことが分かった。これは化学工場から排出された有害物質や一般家庭から流れ込んだ汚水によって川の水全体が死水になっているからである。死水になるからには、生水(活水)の時期があった筈である・・・という見地から様々な実験を行ったところ、正に水は生物であることが分かったのである。因みに塩素の大量投入によって消毒された水道水も死水となって居り、いくら凍結させてみても美しい結晶を見ることが出来なかった。いずれの川も源流の水では見事な結晶が出来るが、人間社会を流れる時点で死水となつてしまい、結晶を作る力をなくしているのである。地球上に存在する全ての物質を大別すると、動物、植物、鉱物の三種類に分けられるが、水は鉱物の類に入っている。鉱物といえば天然無生物の総称となつているが、水は生物であり、水は記憶力と強い生命力も兼ね備えていることが解明されている。20数年前にコロンビア大学工学部の水質研究グループで死水を蘇らせる為の様々な実験を行った。その中で興味深かったのは、インディアンの有名な祈祷師に祈らせて水を蘇らせるというものであった。不味い水道水を二箇のコップに入れて、一方の水に念を送ってもらうこと10分。「水よ蘇れ!」と念じたかどうかは分からないが、は天然水に近い美味い水になっていたということである。更に念入りに調べてみると、水の分子式が変わっていたのだ。祈祷師の祈りの波動が水に影響を与えたことは確実なことであるが、つい先日のテレビ番組の中でもこれに似た実験を放映していた。死水となって結晶が出来なくなった東京都の水道水に、音楽を聴かせてみたのである。最初にモーツアルトの曲を聴かせて凍結させてみると見事な雪印が現れた。次に、ベートーヴェンの曲を聴かせてみると雪印ではない美しい結晶が現れたのである。この実験で知り得たのは、与えられる波動によって死水は本来の正常な水に蘇ることが叶であることと、削岩機の音やバイクの音からの波動では死水になってしまうことであった音楽が生命に与える波動の偉大さを改めて認識するべきであろう。            
E・メール名作選-5
  
久しぶりですネー西川さん。Ack-Ack News 10月号受領・拝読、ざわめきの中の人の群れ、音楽(いつでも耳を澄ますと、当時のサウンドが頭の中に再現され、Liveの中に身を置くことができます)、酒(殆ど忘れかけています)が身近に、音と臭いと振動とともに蘇ります。Ack-Ack NewsもそんなLive-Spotとして機能しております。ありがとう。
先日、ベースのA氏より突如の電話。笑っているような、泣いているような、酔っているような声だった。どこか白昼の夢のようで、So Whatの唐突なソロが背後に響いて、幻想的だった。気がついたら電話は終わっていた。やっぱり白昼夢だったのか?八王子に引っ越したということを聞かなかったら、多分本当に夢でしたろう。
 日頃はバッハを聴いたり、ジャズではDavis とEvansがメインメニュウ。時々ヒスを起こして、何かもっと尖端的なものないか?と、CD売り場をほっつき歩き、ほとんどは手ぶらで帰ってくる。 最近では遅ればせながらKeithのStandardを感心して聴いております。DeJohnetteはいいですね!彼の多様な個性が・・いつもはその一つが際立っているのに・・ここでは全体的な調和を持って、しかも、極限的に現れている。 DeJohnetteを聞くと西川さんを思い起こします。松本英彦のバンド、リズムエースの演奏では協調性のある西川さんのドラムにも拘らず・・・あの協調性は異常に凄かった!・・それでも僕は何時も彼等との違和感を楽しんでいましたッけ。
 桜子ちゃんのCDはあまり聴きません。最初の一音ですべての記憶が蘇り、彼女の別takeが始まるからです。僕の中で彼女の音楽は僕なりの成長?をし続けているから。何年も経ってみると、秀ちゃんのこだわり、桜子ちゃんの音楽世界(未完成だったし、たぶん、今演奏していても未完成のままだったでしょうが)少し分かるようになりました。
  皮肉な感想:流れていますね。川幅の割には。「ゴーゴーと 音をたてて 塀の中」
SLEEPY'S CLUBは吃驚しました。おやすみなさい。また便りしたためますル。     S.A  拝