2007.
http://www.ack-ack.join-us.jp / t.nishikawa@〜 / 平成19年3月号 2007#20.3〜223 since1988
2月22日(木) ゲソの気まぐれコンサート メモリアル '07 新宿安田生命ホール
ボス!笈田敏夫さんが天国へ旅立たれてはや3年半。82回目の誕生日の翌日に4回目の当ビデオコンサートが催されました。昨年亡くなられたボスの盟友とも申すべき、大橋節夫さんとのユーモア溢れる絶妙なトーク・シーン(内容は至って真面目?)がオーバーチェア風に流された後、プロデューサー・藤原忠男氏の挨拶を経て、一部が始まる、おしゃれな演出でした。「ゲソとオッパチ こだわりコンサート」2回分と骨折された直後の「77回目のラブレター」から編集・構成されており、70年にも及ぶ御二人の交友振りが偲ばれますが、ステージでリアルタイムに笑わされていた身としましては、途中からは泣き笑いしている気分になりました。「年に一回の同窓会みたい」とのお声掛かりに応えられるコンサートの映像があるのも凄いことですね。   
 くーぷらん'ライブのバンドマスター!山田幸夫君が ack-ack'News 同様、地道な努力で続ける「ニュースカイラークJAZZオーケストラ近況報告 」 を何時も楽しく読ませて貰ってますので、これを機に最新号から抜粋・・・誌面の制約上、彼の趣意を尊重しつつ、先輩の誼で勝手に編集して紹介致します。
 私は約30年間バンドマンとサラリーマンの二足の草鞋を履いた、言うなれば双方共に片足の経験しかない50%男ですが、お蔭様でキャバレー文化と云う裏文化に触れられた事は、私に90%のエネルギーとして機能しました。サッチモが♪キャバレーにおいでよ、キャバレーには人生があり、文化がある♪と唄う様にキャバレーには正に人生がありました。人それぞれ満足感の虔合いは異なるでしょうが、演奏が終わり緞帳が下がる時の満足感は何物にも替られぬものでした。殊に私はドラマ−なので勧進帳風な長い楽譜を片手で捲りながらビッグショウをやり遂げた安堵感は数倍増幅され大満足感を生んだのです。サラリーマンでは到底得られぬ満足感だと思います。逆に満足な演奏が出来なかった時は不眠症になるほど落ち込み、翌日は恐る恐るタレントの顔色を窺いつつステージに上がる事も屡々でした。この経験は私の贅肉として身に付き、過去となったキャバレー時代の思い出を今でも引きずってる訳です。緞帳の裏側では一般社会と違う出来事が繰り返され、演奏以前の物語が沢山ありました。最近の音楽界(地方ジャズ界)では技術でプロとアマの線引きが出来るか?まるで差がなく線の引き様がありません。局面に於いてはアマチュアの方が勝れている場合もありますから、ギャラを貰うからプロと定義付けるのも短絡的過ぎて説得力に乏しい気もします。じゃ〜何を基準に・・・?明瞭な答えを出せません。でも、先日、或るライブであれっ!と感じた、たった一瞬の不自然さがプロ、アマを判断する基準に近いのではと思うのです。ほんのちょっとした事が、後々大きな差となる事だって稀ではありませんから・・・。そのあれっ!の瞬間とは、ライブが終わりアンコールを客席で聴いていたボーカリストに唄って貰う時、ライブですのでイントロは決まっておらず、アドリブの前奏で歌を導くのですが、ボーカルが入れず、3回ほど仕切り直し後に、やっと・・・?昔のTVで故・江利チエミとフランキー堺の対談番組と記憶しますが、チエミさんが唄の出が分からなくなると、八っちゃん(故中村八大)が、セ〜ノ!とセブンス・コードをくれるんだよネ!あれで、随分助けられたよ!との会話を今回の事に当てはめると、導きが不足していた!結果、ボーカリストに恥を・・・!まぁ〜、足し算にもならぬ私の経験から集約して、プロとは説得力と思い遣りに長けた人と言う抽象的な表現に行き着きます。でなければ、ギャラを貰う、貰わない、の寂しい選別になって了います。サラリーマンの給料をギャラと考えると全てがプロ?とんでもない!極端かも知れませんが、体験した会社のサラリーマンは役職付社員を含め、プロと認められる人材は2割しか居なかったと思います。(あくまで私流の判断基準です!)不二家、雪印食品、パロマ、JR西日本等、大きな会社でも♪ドングリころころ♪ですよ。大樹の陰で荒風を凌ぎさらし者にされた経験も無いひ弱な社員が嘘の上塗りで業績を上げ役職に着いた結果、地に着かんばかりに頭を下げ、大さらし者にされる様な人間等、バンドマンの世界ではアマチュア呼ばわり!バンドマスターなんぞには到底なれません!?バンドマンは常にさらし者と紙一重の瀬戸際で仕事して来ましたもの!バンドリーダーはさらし者になった数の多さ、修羅場を経験した人しかなれません!?嘘の上塗りが実績になって地位を得られる軟な社会でないのは、リーダー「森口茂生 81才」を見てると納得されるでしょう?何もかも成し遂げた様な笑顔!?ある時はさらし者、別の時は性の悪いメンバーに屈理屈こねられ・・・。少々の苦労であんな笑顔は出来ません!まるで仏様みたいでしょう!(女性に愛想振りまいてるだけかな?)
者のホ−ム・ページ (115)    Dancing Lawyer
 今回は久しぶりに本の紹介をしましょう。
その本は「下山事件(最後の証言)」柴田哲孝著(祥伝社刊、2005年7月初版・本体価格2000円)で、本文450頁の力作です。終戦間もない時期に起きた下山事件は,昭和24年7月6日,その前日に行方不明になった、当時の国鉄総裁(初代総裁)、下山定則が足立区五反野の線路上で轢死体として発見された事件で、自殺か他殺か?今もって不明で今日まで多くの人が書いてきた最も謎の多い事件です。松本清張の「日本の黒い霧」(文集文庫)が有名ですが,現在では他にも多くの本が文庫化されています。 しかし,紹介する本の衝撃的な点は,著者の祖父(柴田宏(ゆたか))が戦後関与していた日本橋の亜細亜産業という会社関係者が下山事件の犯人なのではないか?従って著者の祖父も犯人なのではないか?といった処から推理や取材等が始まる点にあります。著者は,親戚はじめ多くの関係者に面会取材し,また膨大な資料や他の書物も紹介、引用しながら,ありとあらゆる視点から多くの説を分析されていて、まるで、一流の推理小説さながらの展開や内容になっている事です。そして,戦前戦後の多くの政治家、右翼、フィクサー、左翼、GHQ関係者が、ほぼ実名で出て来るのです。例えば吉田茂、岸信介、佐藤栄作、西尾末広、白洲次郎、伊藤律、児玉誉士夫とGHQの高級将校等です。それから、昭和24年当時の国鉄に関連する三鷹事件、松川事件、昭和電工疑獄事件、造船疑獄事件などにも言及されていますし、GHQ内部での確執や占領政策の転換等にも克明に説明があり、闇に埋もれた昭和史の解説のような趣もあります。しかも,下山事件に関する膨大な情報には,いわゆるガセ情報も多く,一部真実で一部ガセといったものが多く,それを他の情報と比較しながら,評価分析し,真相に近づく為に推理していく著者の手腕には素晴らしいものがあります。初めて知る様な事もあります。例えば中曽根元首相がロッキード事件への関与をもみ消すべく,右翼政界フィクサーの大   物に依頼した事などもさらりと出てきた   りします。当時は国鉄や造船など運輸  に関係する分野は,多くの関係者の   利権の巣窟であった訳ですが,構造自   体は現在と全く変わりありませんね。最   近読んだ中では出色の出来の本でし   た。お薦めします。さて、今宵もバーボン   をばとグラスを取り出しつつ、口ずさんだ   「ザット・オールド・フィーリング」から、ミステリーサスペンス映画「白いドレスの女 1981米」を思い出しました。キャスリーン・ターナー演じる知的でセクシーな悪女が夫を殺害し、財産を狙う計画に、ウィリアム・ハート演じる、ご同業の弁護士がまんまと填められるといったストーリーです。ジョン・バリーが音楽担当で全編にジャズが流れてましたが、中でもサックスが気だるく甘美なムードでに奏でる同曲は堪らなく良かったですねぇ〜。では、乾杯!何に?勿論、JAZZに・・・です!
78 回   エロールあさかわ
  現在「ニート」の数は五百万人を超えており、今後も増加の傾向を示しているが、ここ数年来「ネットカフェ難民」へと変化し始めている。他人との協調性が乏しく、忍耐や努力を嫌って身勝手な理屈を並べ立てる。年齢を調べてみると十代後半から三十代後半という者たちである。働く気になれば仕事は幾らでもある筈だが、働く気は全くない。それでも金銭が必要になれば携帯電話で日払いのアルバイトを捜して何がしかの金銭を得ると、ネットカフェで一日を過ごすのだ。一日を過ごすと云うよりはネットカフェを寝起きの場として三年間も家に帰っていない者もいるのである。彼等は月給を得るような仕事はしない。一ヶ月も二ヶ月も同じ職場で働くほどの忍耐力や辛抱、努力が出来ないのだ。そのくせ、自分の能力が発揮できる仕事がなかなか見つからないと愚痴る。彼等に如何なる能力があるのか一度見せて貰いたいものである。「ネットカフェ難民」にも色々悩みはあるらしい。ネットカフェには手足を伸ばして寝られるスペースと、シャワールームがないことだと宣う。ならば、サッサと家に帰れば良かろうと思うのだが、家には口煩い親や兄弟が居るので帰りたくないらしい。此の様な難民の中には女性も三割近くいるのだが、女性の場合は同じ日払いのアルバイトでも男性より率の良い仕事があるという。つまり援交という名の売春とホテトル、出張売春などである。時には大型量販店やコンビニで万引きをすることもあるらしいが見つかると家に連絡されるので、時々しかやらないそうだ。此の様に「ニート」、「ネットカフェ難民」の数は加速度的に増加の可能性があると言われるが、日本社会の将来は一体どうなるのか。日本社会を牽引、指導すべき政治家や官僚達は税金の無駄遣いと搾取に奔走し、教育の場たる学校では「いじめ」による自殺が頻発している。学校での「落ちこぼれ」が社会に出ても「落ちこぼれ」となり、凶悪犯罪に走ったり暴走族グループに入って迷惑の垂れ流しで憂さ晴らしをする。それに比べれば「ニート」、「ネットカフェ難民」の方がまだマシであるという見方もあるが、将来に於いて此の様な連中からの税金徴収は当然不可能である。となれば、国家経済が破綻することが明白となる。政府の役人達はあらゆる保障制度を廃止し、真面目な庶民に重税を課し、将軍様と側近の利益維持を最優先する北朝鮮と肩を並べることになるかも?
ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (39)
   では、♂の一頭を求めるしかない。私は猟野を弾丸の様に疾駆し、獲物を追い詰める犬を想像し、Magunam という言葉を思い浮かべた。Magunam 、呼称 Mag 。ブリーダーは私と同年配の人物で親切に高速の出口まで出迎えてくれた。犬の好みを伝えると直ぐに母犬、そして仔犬に会わせてくれた。犬は他にも沢山いた。仔犬だけでも三十頭はいた。彼は他の犬たちのことは口にもせず、真っ直ぐ広告に出ていた犬たちの所へ案内してくれた。仔犬は三頭残っていた。一頭は♀。私は♀の仔犬のことを訊いた。「予約済みの雌というのが此ですか?」、「いや、あの雌は既に千葉県に送り出しました」、「じゃ、此は別の犬の仔犬ですか?」、「いや、同じです。」、「何故、広告には出てなかったのです?」、ブリーダーは一寸口ごもった後で「あの仔犬だけが産まれた時から他より一回りも小さくて、今も見ての通りです。だから広告には載せなかったし、売る気はありません」。私はその一回り小さな雌の仔犬を眺めた。毛色は頭部がリバー、後は白。白い毛の下に薄く小さな濃褐色の斑点が透けて見える。何故か、この濃褐色、僅かに紫がかった此の犬を犬飼共はリバー(Liver)、つまり肝臓の色と呼ぶ。それを聞く度に私は胃の横の辺りの具合が悪くなる。私には自分の犬の毛色を見て、体内から取り出した動物の肝臓などを想像して良い気分になれる感受性の持ち合わせはない。ツイン色とでもチョコレート色とでも、マホガニー色とでも呼べそうではないかと何時も思っている。此の仔犬は色も生まれも、前年に死んだモーナに似ていた。モーナは所謂、負け犬、他の兄弟について行けず、常にイジメに遭っている仔犬であった。私は其の仔犬に決めかかっていた。ブリーダーのS氏は熱心に他の二頭の雄の仔犬を誘導し、説明をしていた。私と小さな仔犬は見つめあった。仔犬はほんの一寸の間、私を見つめて甲高い声で一声ないた。それから転がる様に足元に走り寄り、コロリと横になって腹を見せた。私はそれを抱き上げた。その瞬間、その仔犬は私のものになった。「これを売って下さい。」、「えっ?どれですか。こっちですか・・・」。S氏は親犬の足にまとわりついている、二頭の雄の仔犬の一方を捕まえて言った。それは見るからに元気な大きな仔犬であった。「いや、この雌。この仔犬を欲しい」、「それは、しかし・・・」、「売れませんか。少し他のより高くても構わないが・・・」、「しかし、何故又それを、そいつは一番小さくて・・・」、「此が気に入った。此の犬も私を嫌いじゃないらしい」、「そういえば、最初からオタクの方にばかり興味を示していましたナ」。私は仔犬を抱いたまま事務所に向かった。S氏は直ぐには書類を作ろうとはしなかった。用紙や筆記用具、印鑑などをあちこち捜したり、置き忘れたりと色々時間を引き延ばしながら、売り渡した犬が何らかの理由で送り返されてきた例を熱心に語 った。私は気の毒になって言った。「心配要 りません。私が病気になって死んでも、此の犬がそうなっても犬は返しません」。私はテーブルの上に金の入った封筒を置いた。「十万入ってます。不足分は直ぐ送ります。予約と言うことで・・・」、「いや、そんなには。広告では八万と  言うことだった」、「しかし、それは他の仔犬の値段でしょう。この仔は売る気はないと言われた。決めて下さい」。S氏は額に手を当て間をおいてから言った。「では、七万五千。良いでしょうか?」、「八万でなくて良いんですか?小さいから安くしろとは言わなかったが・・・」、「いや、この仔犬は自分で育てなくてはなるまいと思ってました。見に来た人も大勢いたが、此の犬に興味を持った人は一人も居なかった。それをいきなり一目見て決められ、ちょっと戸惑ってしまいました。七万五千、良いでしょうか。五千円は高速料、或いは犬の送料と思って下さい」。私は仔犬を手に入れた。書類を作る段になって、懸命を問われ、今度は私の方が戸惑うことになった。Magunamは 、雄の名前である。少なくとも私の頭の中ではそうだ。私は仔犬の顔を見た。仔犬は眠り掛けていた。