2005.5 | ||||
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ack−ack’通信 | ||||
創刊200号達成!今号で当紙も200号!清原の500号には遠く及びませんが?16年8ヶ月に渡る当紙の編集笑史を振り返りますと、1988年10月〜3行表示液晶?東芝ルポで創刊。以降、サンヨー、ミノルタとワープロを乗り継ぎ、イラスト等は切った貼った、新年号などカラー版はプリントごっこ併用と超人的テク?を駆使しての10年間を経て、1999年新年号より文字通りめでたく?パソコン導入。一画面編集、切り貼りなしと、それは夢のようでした(勿論、パソコンに慣れる迄は悪戦苦闘・・・。)。1999年7月〜涙チョチョ切れる?有り難き御要望を請け協賛広告掲載開始(俄然、カラフル度アップ。今号に芦田整形外科クリニックの新規掲載もあり感謝の限りです。)。1999年11月〜ホームページ立ち上げ(以降、更新に追われる羽目に・・・。)。パソコンの急速なパワーアップもあり、2004年11月よりPDF配信を開始(既に100部を超えました。、一筆啓上はブラインドなしメールと封書の二本立てとなり・・?)と、能率向上したのやらしないのやらで、通年バタバタ状態は変わらずの17年弱でしたが、継続できましたのはひとえに皆様のご支援があってこそと厚く感謝致す次第で御座います。
原 正夫、1stCDリリース! 原ちゃんがやりました!ルーツへの遠距離通学も頑張った、我が愛弟子でもある甥っ子ドラマー・西谷文雄を加えた「○は水よりも濃しトリオ」の演奏によるもので、ハラピアノスタジオのパブリシティを見据えての選曲?も的確で〜す。今後の発展を大いに期待し、初リリースを祝しまして「万歳」三唱!心より、おめでとう。 ドドンパ山田氏奮闘記! 4月2日はピアノカウンターの九州男児大集合に始まり、朝まで実に楽しい時が流れました。東京っ子の超お洒落老人、後日曰く、「いゃ〜喬ちゃん。流石に疲れて現状復帰に2〜3日掛かったよ。歳だねぇ〜!」。それでは小生と余り変わりませんよと申しましたが?山田君が何十年振りかの再会後、毎月送ってくれる会誌は今回実証されたのですが、記憶力の衰え未だ見られぬリポーター風ストーリー展開が実に面白いので無断で掲載致しました。お楽しみ頂ける事、請け合いで〜す。 |
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ドドンパ山田奮闘記 ack-ack'News 追補![]() 六本木のジャズクラブ AIL of Me Clubでセッションに参加したドドンパ山田! 東京のジャズシーンを考えると、「へ〜!お前がか〜?」と疑われても当然の事でしょう。ところがご安心を、ここに先輩の「西川喬昭」さんが居られて、オールナイト・ジャムセッションをプロデュースされている訳です。メンバーは、実力派アルトサックスプレイヤー・大森明氏、故・松本英彦などのレコーディングに参加したピアノの小谷敦夫氏、中堅ベース奏者・横山 裕氏。早々たるメンバーがサポートしてくれるジャムセッションなのです。 ここでも元気を貰った出来事が! 店内はいかにもジャズがマッチする雰囲気が漂っていましたが、私が店に入った時、カウンターにステッキを持ちジャケットを着た老人が座っていました。その後、西川さんが現れ、老人の横の席を勧められ、彼を紹介されました。すると彼は「ワシャ〜、喬ちゃんと30年付き合っている!どうしてか分かるかい?喬ちゃんはハートがいい」なんて、周り構わず大きな声で話しかけます。そして話しは続きますが「ワシャ〜な〜!喬ちゃんの左手の、あの間をおいたドラミングが好きなんじゃ〜!分かる?あの○○(昔からの有名ドラマー?)なんぞはな〜!問なんてあったもんじゃない、ただアゴばかりジャ〜!」。「山田ちゃん!ワシャ〜な〜、昭和23年にアルトサックスの○○を聴いて以来、イエローJazzが一番好きになったんジャ〜!」一晩中レコード掛けてボトル一本ウイスキー飲んでも虚しいだけや!分かる?なぁ〜、山ちゃん!!」(山田ちゃんが山ちゃんに変わってしまった)初めてこの老人と会った時、確かキープしたばかりのボトルが立っていたようでしたが、セッションが終わる午前3時半頃になると、ボトルは空になっていました。「あれ〜!お父さん、ボトル一本空けたの?」と聞くと「いやいや、明(アルトサックス奏者)に飲ませたんじゃあ〜」と言いつつも上機嫌でした。が、勿論、ジャムセッションが終わる頃には、何ぼ都会と言えど電車は動いていず、息子宅に泊まるにも始発電車を待つ必要がありました‥ 夜明前の約2時間、最も体力の消耗を感じる時間をどうして過ごすか心配していました。ところが、その心配は徒労だったと感じるのに時間は要しませんでした!さすが六本木、クラブのすぐ近くに、これまた24時間営業のパブレストランがあり、そこでまた酒を飲みながら時間を費やす事が出来た訳です, この店でも老人。「おい!山ちゃん、お前、ウソつかん顔をしとる!しかし、山ちゃん!お前プロだったら、喬ちゃんのように、左手に“間"を持ったプレイをしろや!」。六本木のパブレストランにて 相変わらず大きな声でビ一ルを飲み干し、演説らしき喋りを聞かされたのでした。しかし、更に驚いたのは「山ちゃん!ワシャ〜な、ベース:メ一カー埋めてるんじゃ〜!と言いながら、身障者手帳を内ポケットから出した事でした。「ヘぇ〜!」 76歳?ボトル一本?探夜のジャズライブ? ペースメーカー‥?何を取ってもスケ一ルが違う、超“お洒落"老人に脱帽致しました。「すっげ〜!」。そして、私も、こうありたいと希望を抱いたのに併せて、元気を貰った気がしました。店を出た時は、もう大陽が登る時間(6時)を廻っていました。私と老人は同じ地下鉄千代田線を反対方向に乗り、帰路につきました。「西川先輩お世話になり本当に有り難うございました。」西川さんと再交流が出来たのも、佐賀エスプラッシュコンサートを開催した時、打ち合わせの場をあぶさんで行ったきっかけから始まったわけです。これまた先輩の当店店主、永渕さん(嘗てのパリーグ首位打者)が連絡場所を教えてくれたから実現した訳で、私の周りは親切で素晴しい人達ばかりが、勇気を与えてくれたり、激励してくれたりして、おまけに“元気を与えてくれている"から、私は大きな顔してスカイラ一クと共にステ-ジに上がる事ができるのだ!と今更ながら感謝している訳です。 |
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読者のホ−ム・ページ (93) Dancing Lawyer![]() |
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やぶにらみ 第59回 エロールあさかわ 「金さえあれば何でも出来る。」、「人の幸福の基本は金である。」、「金がないのは首がないことに等しい。」といった「金銭至上主義」「拝金主義」思想を基盤に発展してきた現代日本。だが、20世紀後半から21世紀に掛けて現代日本は重大な岐路に立たされている。つまり「金銭至上主義思想」の定着により金銭に関するトラブルや事件の急増が社会的な大問題となってきたからである。身近なものとしては闇金融の暴利恐喝事件の多発、振り込め詐欺、一人暮らし老人をターゲットにした詐欺、引ったくり、強盗、強奪、ブルドーザーを使ってのATM・BOX破壊。援交という名の女子中学生売春、未成年者による麻薬売買グループ台頭など短絡的金銭取得事件の常習らも問題であるが、組織的かつ知能的犯罪の慢性化が大きな問題となっている。先頃、発覚した日本道路公団と関連会社700社による税金流用と横領や警視庁幹部と県警幹部とが結託して永々と続けて来た税金搾取。社会保険庁の国民年金流用と役人たちの贅沢三昧の生活。厚労省内部に於ける7兆円にも登る使途不明金。全国の県庁と市役所職員の税金無駄遣い及び空残業、空出張名目の税金搾取。大小を問わず企業内部の所得隠しと脱税等々、数え上げたら切りがない。このような金まみれの不祥事の蔓延続発には無能な政府側も対応手段を講じざるを得なくなってきたが、その対応策の甘さと歯切れの悪さばかりが目立っている。一般庶民が如何に悔しい思いをしようが、歯ぎしりをしようが、この姿こそ「金銭至上主義国家」となった現代日本の真の姿である。今回マスコミを騒がせたライブドアとフジテレビの買収乗っ取り騒動も「金銭至上主義国家」たる現代日本の象徴とも考えられる。ただ此処で不可思議な事があった。ライブドアは潤沢な資金力を用いて日本放送の筆頭株主の座を取得し、フジテレビにまで手を伸ばしたのだが失敗に終わった。勿論、ホリエモン側は合法に基づいた手法で行動を起こし、それに関しては落ち度はなかった。ホリエモンの買収乗っ取り失敗の原因は人心掌握の失敗にあったのである。「金銭至上主義国家」となった現代日本ではあるが 、「金さえあれば何でも出来る。」、「金は万能である。」と思い込んでいる人々の中に一石を投じたことになる。人が人としての尊厳を維持して行けるのは、心や魂の存在意義を認識することにあるのではないだろうか。 |
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「ミュージシャンの伝記映画」 新 折人 #51 (2001/2〜![]() 二次世界大戦の終焉(1945)から50年代までの、アメリカ映画の特色の一つとして、ジャズ系のソング・ライターやプレイヤーの伝記映画が盛んに製作されたことを挙げる事が出来よう。いちいち数えるときりがないが、例えば、@ジョージ・ガーシュインの伝記映画「アメリカ交響楽」[Rhapsody in Blue](1945)、Aアル・ジョルスンの「ジョルスン物語」[The Jolson Story](1946)と「ジョルスン再び唄う」[Jolson sings again](1949)、Bジェローム・カーンの「雲晴れるまで」[Till the clouds roll by](1946)、Cコール・ポーターの「夜も昼も」[Night and Day](1946)、Dジミーとトミーのドーシー兄弟を描いた「ドーシー兄弟物語」[The Fabulous Dorseys](1947)、Eシグムンド・ロンバーグの「我が心に君深く」[Deep in My Heart](1954)、F「グレン・ミラー物語」[The Glen Miller Story](1953)、G「ベニイ・グッドマン物語」[The Benny Goodman Story](1955)、Hエディ・デューティンの「愛情物語」[The Eddy Duchin Story](1955)、Iヘレン・モーガンの「追憶」[The Helen Morgan Story](1957)、JW・C・ハンデイの「セントルイス・ブルース」[St. Louis Blues](1958)、Kジーン・クルーパの「ドラム・クレージイ=ジーン・クルーパ物語」[Drum crazy~the Gene Krupa Story](1959)・・等、たちどころに思い浮かぶ。 「最近この種の映画がないな」と思っていたところ、二ヶ月程で立続けに3作に遭遇した。@コール・ポ‐ターの伝記「五線譜のラブレター」(De-Lovely)、Aレイ・チャールズの「レイ」(Ray)、そしてBボビー・ダーリンの「ビヨンド・the・シー」(Beyond the Sea)である。驚いたのはそれぞれ主人公を演じた俳優の達者さであった。ポーターを演じたケビン・クライン(1947生)は「作曲家を 演じるのだから、歌は下手でも良いだろう」と言ったそうだが、これが半端じゃない。買ったCDを聞き直してもその歌唱力は相当なものだ。レイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックス(1967生)は、細かいしぐさまで本人になりきっていた。彼のアカデミー主演男優賞受賞は当然だろう。ボビー・ダーリン役のケヴィン・スペイシー(1959生)の歌は抜群、ブロードウエイで鍛えたダンスとあいまって、かってのフレッド・アスティアやジーン・ケリーを彷佛とさせた。 映画「レイ」では、バックのバンドで第一トランペットを吹いて、スクリーンに何度も登場したプレイヤーを見てあっと思った。先頃ニューオーリンズに行った時、老舗ライブの「メゾン・バーボン」に出演していて、そこで知り合った男ではないか。その名をジャミール・シャリフといい、親子二代にわたるトランペッターで、この映画のスタッフ・リストでは「ニュー・オーリンズ・コーディネイター」ともクレジットされていた。「ビヨンド・the・シー」は、かの「マック・ザ・ナイ フ」(Mack the Knife)の名唱で世に出たボビー・ダーリンが、夜空を彩る花火のごとく華麗にステージに咲き、37歳という短命で燃え尽きるまでを描いている。シナトラを目指した彼が、晩年ビッグバンド・ステージを捨て反戦歌に走ったのは、信念としては立派だと思うが、ショー・ビジネス界に居たからこその才能を思うと「残念」の一言に尽きる。「五線譜のラブレター」では、ポーターの数多い傑作から選ばれて、全編のテーマとして流れたのが、“In the Still of the Night"[夜のしじまに](1937)であった。実は私はポーターの中でこの曲が一番好きで、畏れ多くもackack'西川編集長のドラミングをバックに歌ったりもするが最近のヴォーカルの人達はこの佳曲をあまり取り上げていないように思う。映画の影響で歌う人が出て来ることを、是非期待したい。 |
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ルパンの私書箱〜from 田舎親父 (18)![]() |