2003.8 | |||
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ack-ack'通信 船山先生、ファースト・アルバム完成! 船山先生のスタジオF♭に鎮座する?スタンウェイのピアノとソナーのドラムの響きがとても良く録れており、プロでも難問のピアノ・トリオをアマチュアでも此処まで出来る〜お手本CD!!とも云える出来映えとなりました。選曲・曲順も趣味良く一気に聴いてしまいました。又、7月19日、ダイヤモンド・ホテルに於ける先生主宰の学会の懇親パーティーで全員タキシード着用にて2ステージ演奏しましたが、前号で述べました期待通りに、大勢のお客様に囲まれる中、スケールも一回り大きく自信に溢れたプレイでトリオは大グルーブ!素晴らしいの一語に尽きるステージとなりました。2年後に再挑戦すると張り切っておられる情熱からも今後が益々楽しみで〜す。紙上を借りまして、エンジニア・三住和彦、デザイナー・玉川昭子、福井五十雄(b)諸氏のご協力に感謝! |
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7月17日(木) オール・オブ・ミー・クラブ &25日(金) バーバーバー 我らがボス・笈田敏夫さんが体調を崩されて急病休演!毎月出演しているオール・オブ・ミー・クラブ は以前の負傷休演?以降、適正なトラ?が居る訳もなしと、小生のMCによる陳謝トリオ?のみにて演奏してましたが、今回は日頃当店に出演している若手シンガ−にチャンスをと、当日スケジュールが空いてたRINKO 嬢に白羽の矢が・・・。前記、先生の例ではありませんが、状況・環境の変化が好影響を与える例そのもので、当夜のRINKO 嬢はまるで別人。滅多に得られぬ経験(又あったりして・・・冗談ですよ?)・・・笈田さんと共演する意識で演奏しているトリオ。そのムードで進行するステージに呼び上げられるテンション・・・がそうさせたのです。お願いだからRINKO そのままで居て〜?!?これ以上、多くは語りませ〜ん。確認は当日現場にいらした方に・・・? バーバーバーは契約上そうも行かずで、一瞬目の前真っ暗でしたが、同じ事務所・アガサス所属の「スリーグレイセス」のお姉様方が代役を買って出て下さり大助かり。横浜出身でもありお客様とのコミニュケーションも上々。まぁ〜婆・婆・婆なんて、私達の為に有るお店みたい・・・等とトークも楽しく、一瞬当方も今夜は最高なんて勘違いするほど大受けとなり、目出度く終了?!ひとまずホット致しましところで、ボスの一日も早いご快気を願いつつ、ご迷惑をお掛け致したお客様及びお店に、ご当人に成り代わりまして、深くお詫び申し上げます。お姉様方、お疲れ様有り難う御座いました。 | |||
8月26日(火) 〜30日(土) リラキシン開店9周年感謝祭! リラキシンが目出度く開店9年目を迎えました。表紙に有ります様に、初日と最終日の破茶目茶ジャムセッションに、マスター・麻生氏へのお祝いの品を持参して出演します。お祝いの品は各日40個以上有りまので、一個を麻生氏へ、後はご来店下さった方々へのプレゼントとなりま〜す。これで表記のお値段では・・・後は申しますまい?!是非是非<お祝いに入らして下さい。破茶目茶ジャムセッションにも奮ってご参加下さい。お早目にご予約を・・・で〜す。チケット好評発売中! 9月6日(土) コージーエルお手伝いシンガーズ大集合 日頃、コージーエルでお手伝いをしつつ頑張ってる若手シンガー六名が和気藹々、楽しい雰囲気で歌い競いあう発表・親睦会です。早いもので三回目となりましたが、皆さんの成長ぶりは素晴らしいもので、今回も又、大いにお楽しみいただけると思います。楽しいこと受け合いですので、是非共、応援に入らして下さい。 |
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読者のホ−ム・ページ(72) よっぱライフプランナー![]() |
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やぶにらみ 第39回 エロール・アさカわ 有犯罪者に対する刑罰の決定は本人の年齢によるものではなく、その犯罪の内容と度合いによって決められるべきである。酒鬼薔薇徹事件に代表される猟奇殺人事件。今回の駿君突き落とし事件。ホームレス集団暴行殺人。連続通り魔事件。連続ひったくり事件。暴走族による手段奉公、器物破損、殺人。オヤジ狩り等々。未成年者、年少者による凶悪犯罪多発時代の到来を思わせる昨今である。彼らは事を起こすに際して充分に計画を練り、証拠隠滅をはかり、万が一捕まることがあっても未成年者であることも計算に入れているのである。事件が発覚しても逮捕ではなく補導されるのである。未成年者、年少者であれば将来のある身であるとして、名前も顔写真も公表されないで済む。又、弁護側の常套手段として用いられるのが「精神鑑定」と「心神喪失」であり、此によって犯罪者は精神治療の為に2、3年入院するか、少年院に入るか、或いは保護監察下に置かれるかである。場合によっては責任能力がなかったとして無罪になることさえある。此では被害者や遺族達が納得できる訳がない。アメリカには未成年者であろうと年少者であろうと9才以上であれば成人同様の刑罰が与えられる州もあると聞く。つまり犯罪を犯す人間には生まれながらに資質があり、その資質をつみ取るには若い内に刑罰の厳しさを教えることが大切である。「鉄は熱いうちに打て」と云う理念である。私もこの考え方に対して有る意味では賛成である。私の少年時代を振り返ってみると、父親や教師から良くビンタを喰わされたり拳骨を喰わされたりしたものである。その精か否かは判らないが、間違いなく現在のような凶悪犯罪は少なかった。悪いことをすれば痛い目に遭うのだという思いが体質化して居り、その思いは成人になっても持続しているからであろう。戦後生まれの親達は子供の躾や教育が出来ないと云われているが、自分自身のコントロールすら出来ない親達が増えていることも事実である。自分の云うことを聴かないからと言って子供に食事を与えず餓死させたり、殴る蹴るの暴行を加えて死に至らしめる親。夜泣きが煩いと云って乳児に布団を被せて窒息死させる母親。真夏の炎天下に子供を車内に放置したままパチンコに狂じ、熱射病で子供を死亡させるバカ親・・・等々。「ソドムとゴモラ」の物語を思い出させる現在の日本の姿である。 |
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シナトラとエリントン 新 折人 #30 先日「コージー・エル」で、我が国ジャズ・ヴォーカル界の重鎮、笈田敏夫さんと話していたら、「フランク・シナトラはエリントンの曲を殆ど歌ってないよな。」とおっしゃる。私は「そうですね。でも、“Take the ‘A’train"(エリントン作曲ではないが、バンド・テーマとしていた)位は歌ってませんでしたかね。」と良い加減なことを言った。言ったは良いけど気になる。そこで調べた。 シナトラが巨匠デューク・エリントンの曲を歌ったのは(正確に言えばレコーディングしたのは)、私が調べた限りでは、意外にもたった3曲である。古い順で言えば、@"I got it bad (and that ain’t good) "を1956年に、A"I’m beginning to see the light" を1962年に、B"I like the sunrise" を1967年に、それぞれ一回づつ吹き込んでいるだけだ。早速、笈田先輩に報告せねばならぬ。 シナトラのレコーディング記録を当たってみると、彼は1939年から91年に到るまで、私の集計だと多分1,017曲のソロ・ヴォーカル(デュエットを除く)の吹き込みをしている。何度も録音した曲もあるのでレコーディング回数は延1,530回にのぼる。それらからすれば、この3曲、それも各一回こっきりの録音が占める比率は、曲数にして全体のわずか0.3%、録音回数にして0.19%。まさに浜の真砂から一粒を探す如く、例外中の例外である。 とどのつまり、特にエリントン・ナンバーの、もっともっと有名な曲で、他の歌手の殆どが取り上げている、例えば "Sophisticated Lady"、"Solitude"、"Caravan"、"Take the ‘A’train"、"Don’t get around much any more"、"Satin Doll" 等は、私の知る限り、シナトラが取り上げた形跡がないのである。これはどうしてだろう。シナトラほどのミュージシャンが、巨匠エリントンの曲を評価していなかった訳でもないだろう。 彼はエリントンに前後して去来した、白人作曲家のアーヴィング・バーリン、コール・ポーター、ジョージ・ガーシュイン、リチャード・ロジャース、ジュール・スタイン等の曲は盛んに歌ってる。それから言えば、シナトラは黒人のデューク・エリントンに人種的差別意識を持っていたのだろうか。そうではあるまい。現にシナトラは、黒人のサミー・デイヴィス・ジュニアなどとは仲が良かったし、ルイ・アームストロングとも良く共演した。 あるいは、シナトラ全盛期にエリントンもまだ現役としてエリントン・ナンバーを盛んに演奏していたし、契約会社も違っていたので、そうした曲を歌うのを遠慮したのかも知れないと ![]() エリトンの曲の多くは、先ず器楽演奏用に作られ、あとで歌詞が付けられたものが多い。その優れてジャージーな曲調が、ポピュラー歌手として、そのキャリアをスタートさせたシナトラの肌に、なんとなくあわなかったのだろうと推測するしかない。少なくとも巨匠エリントンに対する、見当違いなライバル意識、ないし嫉妬だったとは思いたくない。 |
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E・メール名作選-37 ![]() (=^_^=)Writen by 全面的にAsari 登場人物..AYA with Musashi& AsariOtibi-Musashi& Sayori(^*^) |