2002.1
ack-ack'通信  四国ツアー顛末記 10月27日(土)〜30日(月)
前号では写真のみ公開。年明け二日?書き初めを兼ねての最終原稿・・・トホホ!さて、出発前夜、横浜のバーバーバーで同じ面子でライブ敢行・・・正常動作確認の上?27日9時50分発・ANAで出発。宇和島のプロデューサー・S氏帯同は心強い限り(年中、世界を飛び回ってる御仁ゆえ!)。松山より同氏ご手配の10人乗りワゴン(全日使用は大助かりでした)で、右手に快晴の宇和海を眺める道中は快適そのもの。宇和島・・・いゃ〜、熱い町でした!コンサートは大勢の立見が出る大盛況!打ち上げが、また凄かった。平ちゃん(世話人代表?)の名進行に誘われ、飲めないボスや追っかけ役のS女史まで、一気一気に誘い込まれてました。それにしても地魚は美味しかった。是非、再訪したいもので〜す。翌朝10時、S氏の運転にて窪川へ!中庭がステージなのに土砂降りの雨、途中の峠では絶望的状況。(S氏は高知からの帰京便欠航につき、大阪経由で・・・ご苦労様でした!)。デモ疑いなく雨は上がる?案の定、12時半のリハーサル時は一時停止。又降り始めるも、宴の始まる時刻にはお月様が綺麗な顔を見せ・・・これが美馬旅館なのです?旅館とは申せ、フォアグラ、キャビアまで出る150名近い宴席の準備は広い駐車場にサテアン状態で張られたテントからして大童だったと伺えました。宴の白眉は新郎と地元のカラオケ名人(凄い御仁でした)による「振り付き・俵星玄蕃」。ボスをして「これから心を入れ替えて真剣にやろう」と言わせる程でした?翌日は高知・買い物ツアー!親友・チョーさんと茶をしばきつつ談笑後、早く着いて楽して貰おうと高速道にて高松へ!途中の山中もの凄く、対向一車線トンネルだらけ。ドライバーが余り気持ち良くないのだから、全員同様だったらしく、高松のスタンドで全員に「飛ばしてたネ〜!」S女史が気分悪く成られたのも判明?ボスに「メーター覗いたら150だったなぁ〜」と言われるも、前後の流れに乗った結果で・・・ともかく申し訳なし!当夜は高松国際ホテルのご接待で豪華な夕食と高級クラブ(メンバーの要望により写真割愛?)へ、雄一のご両親と梯子したバーの本物・ギネスの生は美味しかったぁ〜。翌朝は雄一の生い立ち環境視察?ワタナベ酒店の回りを周回後、家庭訪問。ご両親に輪を掛けた人柄の良い御祖父母にお会いし「奴に此の有り難みはまだ判んねぇだろうなぁ〜」と雄一を眺めつつ?実に楽しい一時でした。午後、ホテルのK支配人に名物・讃岐うどんを全員で馳走になり、ストーン美術館にてお土産の石(墓石ではない?)を各自購入。ディナーショーではホテルの了解を得て、ご両親に内緒の「雄一、故郷に錦・・・作戦」を展開!渡辺家一族ご郎党に母方の祖父母も加わっての喜び・・・奴に判ったかなぁ〜?何はともあれ、めでたし目出度しでした。これ以上書きますと字が小さくなるばかりですので・・・これにて終了。四国の本当に皆様有り難う御座いました。

 下に紹介する写真はボスと我々が縁の下?客席より一段 低い中庭にて熱演する・・・アリーナでと思えば大して不思議でもないものの・・・貴重な現場写真なのです?
読者のホ−ム・ページ (52)   Dancing Lawyer
 2001年も激動の年だった。嫌な事の方が多かった年だと思うが、何と言ってもアメリカでの同時多発テロが現代の世界状況を示している。2002年も含め、キイワードの一つは「宗教」だろう。西欧文明が17世紀から他の文明を支配し、植民地化し、他の民族・宗教は西欧の支配力の下で抑圧されてしまった。全て西欧の周辺は西欧的近代化文明(キリスト教)の洗礼を受けた。日本も例外ではない。しかし、だからといって、周辺諸国の独自の宗教や文化が消失した訳ではない。種火の如く燻りながら発火しなかっただけだ。第二次大戦後はアメリカとソ連の圧倒的政治力、軍事力・経済力などの下で、これら大国の周辺諸国は再び、科学・技術力に対する信仰原理の影響を受け、殆ど沈黙させられた。しかし、東西冷戦構造の崩壊により、周辺諸国の抑圧されて来た宗教・民族・文化などの個々の独自性が復活した。いわば、休火山から活火山になったのである。だからといって、これらの復興した周辺諸国が単純に昔に戻れと言っているのではない。そんなことは歴史の不可逆性からも不可能だ。今日、イスラム世界・ユダヤ世界などの宗教復興が複雑なのは、いったん西欧文明の影響を受け、第三次世界と呼ばれた各国の中でも、より西欧化した国(例えば、イラン、イラク、エジプト、インドなど)から、新たにイスラム原理主義などの宗教復興が唱えられている事だ。そして、ビンラーディンのようなリーダー的存在は西欧文明や宗教に無知なのではなく、其れを十分に知った上で原理主義的な主張(テロも容認する過激なもの)をしている。これに対しアメリカも、レーガンやブッシュに代表される様に、いわばキリスト教原理主義を唱え対立を生んでいる。此処に、過去と違う難しさがある。日本も皇太子夫妻に愛子内親王が生誕し、世界最古の現存する王朝を有する国として、西欧コンプレックスから反動的な全体的行動が生じるかも知れない。2002年もいろいろあるが、やはり冷静な異文化間の対話が大切であろう。そして、もう一つ、天皇制を存続させるのならば、女性天皇の出現も検討せねばなるまい。(私は別に右翼ではありません)女帝が出現したら、英語ではクイーンと呼ぶのですかね。2002年の平和と不況脱出を祈るばかりです。皆さん、今年こそ明るい年にしましょう、と言いつつ早くも10年経ってしまいました?今宵の曲は同時多発テロ後、TVで再三放映されてましたが、何時行っても、楽しい夢を一杯に膨らませてくれる、ブロードウェイの華やかな賑わいが一日も早く戻ることを願って、デクスダー・ゴードンの豪快なテナーに願いを託そう。
第21回      エロール・アさカわ
 「机上の空論」という言葉がある。現在の日本社会を斜めから見てみると、正に此の空論の上に成り立っている事が判る。特に日本国の治安を預かる司法関係各省庁の有事対処法の稚劣さは幼児の域を出ない様に思われて仕方がない。つまり、幼児でも判断出来る様な危機に遭遇しても理屈理論が優先し、適切な対応が出来ない。その為に結果が予測出来る犯罪さえも阻止出来ず、頻々悲惨な結果を招いてしまう。人権保護法や少年法によって守られる凶悪重犯者達の社会復帰後の再犯を見るに付け、司法の甘さを痛感させられる。「疑わしきは罰せず」という法律上の規則を厳守するが為に全て結果を見ての対応となるが、被害者側の悲しみや苦しみ、無念さを外に、司法関係者達は自責回避の論理組み立てに腐心することになる。凶悪犯罪者への対応に限らず、大手企業と政治家との癒着に寄って生ずる贈収賄、警察署内の身勝手な相互隠蔽、大学病院を始めとする多発医療ミスの隠蔽など、「怪しい・・・」事実があったにしても内部告発でもない限り、取り締まることが出来ない。今回の不審船領海侵犯に際しての対応も、我々国民の目から見て実に馬鹿馬鹿しいものだった。不審船の発見から停戦命令が発せられるまで延々9時間も掛かっているのである。海上保安庁の警備艇から不審船発見の方を受けた保安庁は、防衛庁、自衛隊、警察、外務省等の各担当に連絡し、不審船に停戦命令を出すと共に捕獲の許可を要請した。「本当に不審船であるか。間違いなく領海を侵犯しているのか。船の形態は如何なるものか。国籍の判別は出来ないか。」といったやり取りの末に、ようやく停戦命令が出たわけであるが、この間の警備艇隊員の苛立ちが想像出来る。暴走族の後を付いて走るパトカーと同様に何の手出しも出来ず、相手側から抵抗行動や暴力行為があって初めて捕獲行動に移ることが可能となるのである。しかも、捕獲に際して相手を良く説得した上で、傷を負わせる行動は極力避けつつ速やかに捕獲することが条件である。この様な論理は平和ボケした日本独特の空論であり、各司法関係者達の責任回避の為の苦肉の論理に過ぎない。緊急有事に際しては現場での適切な対応が可能な枠を設けることが、国内及び国外からの不法行為に対する真の治安維持に繋がるものであると思う。         
ツキがツキを呼ぶ話     新折人
 第二次世界大戦後の米ソ間の冷戦による競争は、1950年代後半には人工衛星打ち上げ競争にまで及んだ.この競争では先ず1957年10月にソ達が「スブートニク1号」を打ち上げた。先を超されたアメリカは、翌年1月に「エクスプローラ1号」を成功させやっと失地回復した。そしてこれによる宇宙時代の幕開けを象徴する様に、1954年に出来ていたIn Other Words≠ニいう曲が、タイトルをFly me to the moon≠ニ変えた途端、1962年に大ヒットしたりした。月までも飛んで行くことが、人々の意識の射程内に入ったのである。尚、実際に人問が月まで飛んだのは、1969年で、アポロ11号の船長N・A・アームストロングが、7月20日に人類として初めて月面に左足の第一歩を踏み出し、「この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」との名文句を吐いたはいた。ついでに、1971年2月5日。アポロ14号の宇宙独行士アラン・シェパードは、なんと月面高地でゴルフ・ポールを打った。ソ連には思いつかない対抗意識だったのかも知れない。尚、このFly me to the moon≠フ様に、曲の題名を変えた途端にヒットした例は少なくない。調べてみて気が付いたのは、この手の曲には何故か「月」(Moon)にまつわる曲が多いのである。例えば1932年に作られたIfI believed in me≠ニいう曲は初め、さっぱリ流行らなかったが、翌33年にパラマウント映画Take a chance≠ノ使われ、その時It's only a paper moon(紙のお月様)と改題され大ヒット。1934年に作られたThe Prayer(祈る人)という曲はMake me a star(スターになりたい)という題も考えられたが売れず、次いでThe bad in every man(男が誰でも持っている悪)と変えられたが、それでも世に出るに至らず、1935年Blue Moon(ブルー・ムーン)と改題されて、ボスウェル・シスターズの長姉コニー・ボスウェルの歌等でやっと大ヒットした。まだ有る。1935年にグレン・ミラーが作曲、エドワード・ヘイマンが歌詞をつけた曲にNow we lay me down to weep≠ェあった。この曲はクラフなどで演奏されたが、全然注目されなかった.その後1939年にミラーがこれに手を加えて、タイトルをMoon light Serenade(ムーンライト・セレナーデ)と変えた途端に、ミリオン・セラーとなり、ミッチェル・パリシュが新しい詩をつけ、更にヒットした。この曲はグレン・ミラー楽団のテーマ曲として余りにも有名である。その他、曲が出来る道程でそのタイトルが何度となく推鼓された例もある.例えばパラマウント映画、オードリー・ヘップバーン主演「ティファニーで朝食を」(Breakfast at Tiffany's)の主題歓で1961年に出来たMoon River≠ヘ、June River▽Blue River▽Red River%勁数々考えられた挙げ句の果て、最後にMoon River=qムーン・リヴァー)に落ち着いた。同じ月でもこの抽象的で訳のわからないタイトルが、かえってこの曲のヒットという成功をもたらしたのである.このように、「月」がツキを呼んだ事実とノウハウは、売れなくて困っている作曲家に伝授したい位のものだ。
E・メール名作選-18     (=^_^=)Writen byAYA with Musashi& Asari(^*^)
 新年あけまして、おめでとう....と言いつつ、毎年僕達と飼い主は思うのです。今年こそ、猫年!なんで、猫年はないの?そもそも、ネズミが僕達の先祖にウソついた。干支は12の動物で作るからって話...ネズミから、連絡もらったのがいけなかった。先着12番まで!わざと一日遅らした日付をネズミは僕達の先祖に言った。だから、行った時はもう、out。その上、ネズミは牛の背中に乗って、集合場所まで行って、牛は当然一番に着いたと思ったのに、目の前に、ちょこんとネズミが降りて、1番の座を牛はネズミに取られてしまった。それでも、牛は干支に入っているから、ガマン出来るだろうけど....。干支が13で良ければ、猫年は存在したはずなんだ...。でも編集長、なんで12なんだろう?時計も12。月も12。 blues も12小節。普通は8小節、16小節、32小節、なんて言ってるくせに、なんで bluesは12小節でなんだろう?しかも、それが心地良い。12が気分良いのはなぜなんだろう?でも、世の中には、10小節や9小節でも、気付かずに気持ち良い曲が、実は沢山あるのです。僕達はそれを狙って、13の干支を目指したいと思います。誰か12について、教えてくれる人いたら、ご一報下さい。その裏が読めれば、13はいけるかも知れない....。年頭にあたり、僕達は13小節のblues を目指して暮らしてみようと思うのです。それがうまくいったら、来年こそ、猫年!です。編集長、来年は時計もカレンダ−も、13進法になると思われますので、今年は時計を買わないように.....。