2001.9

ack-ack'通信      8月12日 日帰りに終わった夏休み?
 
11日(土)深夜・・・早朝?オール・オブ・ミークラブを終えるやヤマちゃん、エルちゃんを乗せて一路、天津小湊へ。20年近く通っており、最盛時?には、民宿2部屋に、延べ人数25人ほどで2〜3日は賑やかにワイワイとやったものです。以降年々、就職、結婚、ベビー誕生と皆さんも「人生色々?」にて寂しくなりましたが、当方は「遠くの親戚より近く?の他人」的お付き合い故、お盆の里帰り気分よろしく一度は伺わねば夏が終わらないのです。早朝、海の家「好友軒」に着くや、善さん(店主)、若手従業員一同が朝食を取ってる横にて生ビールをぐいぐい引っ掛け、即、昼寝?海へは膝まで入って?夕方には小湊駅前の「好友軒」に移り、海の家を閉めて戻ってくる、善さん達を待ちながら、誠に美味なる餃子に舌鼓を打ち、皆さんが揃ったあたりで、エルちゃんのサーバー使用テクニック披露による生ビールで乾杯!ジョッキ3杯ほど気分良くやったところで、小生は得意技?の酔い覚まし体勢に!二人は帰路の車中、実に気持ち良さそうに・・・でした。   8月30〜31日:リラキシン7周年フェスタ & 9月1日:破茶目茶ジャムセッション#13につきましては、次号をお楽しみに!
9月8日:Meet Again #8 も是非入らして下さい。& 9月23日:Don竹内追悼ライブ は SOLD OUT 間近です。
読者のホ−ム・ページ (48)   Dancing Lawyer
参議院選挙も終わりました。暑かったり、涼しかったりと、気候不順の8月下旬です。日本は不況から脱出できずに低迷しています。構造改革など言われておりますが、一体どうなるのでしょうか、不安です。我々は今、どうしたらよいのか考えなければなりません。私や我々、日本国民の考えや考え方は勿論大切です。しかし真剣に考えているかと言えば不十分です。私は最近読んだ本の中でアメリカのトップエリート達が日本やアジアをどう考えているかについて考えさせられました。例えばハーバード大学の大学院(ビジネススクールなど)の人達です。其処の生徒(各国の人もいます)や、先生(もと政府の重鎮だったり要職に就いてる人もいます)、つまりアメリカ人の支配者層の人達は、日本がこのまま経済不況が続き、やけくそで軍備を拡張するとか、北朝鮮が今より攻撃的になったら(否、中国も同じ)、それに対抗して日本も核を持つなどと真剣に考えているのです。もし、そうなったら、アメリカはどの様に対処するべきかも、議論しているのです。ハーバードでは20代の若手を中心にこの様な授業を「論争的」に行って 学生の学力を高めようとしているのです。我が国の大学院のレベルでも同じ事がテーマにはなっているのでしょうが 、濃度において違いましょう。何故なら、我が国では先ず、教授と学生が真剣に議論することはあり得ないからです。何を言いたいかと申しますと、日本人は現在の国際環境に対する「リスク管理」が余りに「無防備」であること、日本を取り巻く近隣諸国の動向に無頓着で、外務省なども全く役に立っていないこと(戦前も同様)、そして、世界は諸外国に状況変化があった場合を種々想定して、そのリスク管理とか対処の仕方を「常時」考えていることです。これらを大雑把に国際リスク管理と言うとして、今後はますます大切だと思うのですが、日本は外務省を始めとして全く出来ておりません。もう少し「外」へ眼を向けたいものですね。ハーバード大学といえば、それに匹敵するイエ−ル大学法学部というキャリアを引っ提げて華々しくデビューした、ジョシュア・レッドマンが熱いサックスで吹き捲くるセントトースで今宵の晩酌をスタートさせますかな?!? 
ジャズとその国際化の軌跡 折人 *130〜140Pより抜
聴衆とのコミュニケーション
 最近日本のライブで若者達の演奏を聴くと、演奏技術の面では相当上手くなっていることが実感出来る.しかし、にも係わらず多くの場合、我々聴衆に「ひしひし」と伝わって来るものがない.まるで、遠近法のない中世の絵画を見ているような感がある.彼等は概して能面のように表情もなく、個性もない。長年ジャズを築きあげてきた先輩ミュージシャンに対する敬意も示さず、礼儀も知らない。そして演奏と言えば、管の2,3本も入っていれぱまだしも、ひどい場合はトリオだけで1曲を15分も20分も延々とやる。しかもそれがメンバーの誰かのオリジナル曲ときては最悪だ.そして仲間同士で「お前は上手い」等とおだて合っている。是非止めてもらいたいし、第一そんな調子では客が入る道理がない。結局ジャズのソロやインプロビゼーションは、自己満足のためにやるのではなく、聴衆とのコミュニケーションの手段であると言うことが分かっていない。理論やテクニークのみが良いジャズを作りだすわけではなく、他人に対する思い遣りを含めた総含的な人問性、人問としての魅力、時には破天荒とも思われる「個性」がそれを作リ出すのである。イキりスの偉大な小説家サマセット・モーム(1874〜1965)が言っている。「いつも必ず平均点が出せるのは、二流の芸術家だけである。」
リスナーからの接近 (現場主義)聴衆の方にも問題がある。生で音楽を聴くことは、全てに優る。勿論、現在のオーディオは素晴らしく発達し、音に関する限り、人問の総力の限界を超えてオリジナルなサウンドを再現出来る。音は空中で一瞬にて消え去り残るのは記憶のみ、と言うことから言えば、レコードやCDで名演奏が再生出来ることは素晴らしいことだ.しかし、ジャズの演奏を、ミュージシャンの仕種や息遣い、メッセージを伝えようとする意欲と気迫を、目の前で観て感じながら、参加意識を持つほどにのめり込んで聴くことこそ、ジャスの醍醐味である。逆にそのような体験が多いほど、それが蓄積され、レコードやCDを聴いても想像力が働き、臨場感を感じとれるようになる。E.S.ファーガソンと言うアメリカの技術史家が「心眼」と言うことを盛んにに言った。「心眼(Mind's eye)とは、悪い起こされた現実のイメージによって得られるインスピレーションが存在する場所であり、信じられないほどの能力を持つ不思親な器官である。心眼は、全ての感覚的情報一視覚、触覚、聴覚、臭覚、味覚などの五感のほか、筋肉、内臓、骨の髄、髪の毛の先まで動員して得られる情報一それらをを集積して、相互につないで関係づける。これらのすぺての経験の元締めが心眼なのである。我々は心眼によって、自分達が住んでいる世界の感覚を作りあげる。」現場に立ち会わなければ、CDでは心眼は形成されない。ライブには行かず、ただひたすらCDを収集し、それを暗い部屋で、冷めたコーヒーを前に前屈みになって、ひたすら一人で聴いているジャズ・ファンも少なくないが、可哀想と言うしかない。。来日経験の多いソニー・ロリンズが言っている.「日本人はレコードを頼りにしてジャズを考えすぎる.レコードはジャズ演奏の歴史の小さな点にすぎない。」ミュージシャンにとっても、録音効果を上げるためスタジオで隔離され、ヘッドホーンを耳にはめられて録音するのと、仲間と接し合い、聴衆の反応を感じながら演奏するのとでは、絶対的な差と言うものがあるはずだ.耳の肥えたリスナーは、同じスタジオ録音でも「鳥篭録音」と「対面録音」の違いはすぐ分かる.ジャズ・プレーヤーのカと喜びの泉は、聴衆の反応を敏感に身体に受け止め、その雰囲気に乗って自在に、その場一回限リの即興演奏をくリ広げることから沸き出して来る。くどいようだが、ジャズの本質的な魅力は、演奏者と聴衆の、えも言われぬコミュニケーションが楽しめるところにある。レコードやCDと言う媒体を通じると、それは出来なくなる
やぶにらみ 第17回   エロール・アさカわ
 少々古い話しになるが、終戦後も間もない昭和25年と29年、GHQに依って日本人の知能指数調査が実施された。その結果、日本人とユダヤ人の知能指数は世界でも最高レベルであることが判明したのである。当時の政府は未だ昏冥の時期にあり、国会では乱闘が頻発していた。その姿を見たマッカーサー総司令官は「日本人は正に12才の子供と同じである」と評したものである。しかし、日本人の知能指数の高さを知ったGHQのスタッフは脅威を感ずると共に、「日本民族白痴化政策」の必要性を提唱する者もいたと言われている。実際に其の政策が執行されたか否かは判然としないが、現在の日本人社会を見るにつけ、正にGHQの政策が功を奏した如くに見えて仕方がない。日本の次代を担うべき若い世代にはアホバカの類が蔓延し、知性、教養、節操、努力などという言葉は既に死語となりつつある。特にテレビが普及を始めた昭和30年頃からは、日本人の白痴化に拍車をかける結果を招き、旧約聖書に見る「ソドムとゴモラ」の世界の再現を思わせる。現代教育のゆがみによって脳のバランスを失った人間の急増に比例し、凶悪犯罪の増加及び知的集団である筈の省庁に於ける金まみれの犯罪。「金のないのは首がないのと同じである」という金銭至上主義思想に取り憑かれてしまった日本人社会に在って、女子高生の援交や売春を呵責出来る筈がない。幼児期から始まる塾通いや家庭教師を雇っての英才教育も、優秀な学校へ進学し、卒業後は高収入の得られる優良企業への就職を目的としている。つまりは少しでも多くの金を得んが為の手段と言うことであれば、「私は16才だけど、大学での父の3倍の月収を得ている!」と、誇らしげに語った少女の言葉に対して、如何なる言葉を用いて反論することが出来るのか。彼女たちは援交に伴うセックスには全く罪悪感を持っていない。「それはイケナイ行為だ!」であるという判断の基に、今や女子中学生の援交が急増し始めている。彼女達が援交を隠したがるのは罪悪感からではなく、単に自分の彼氏が嫌がるからである。「援交はイケナイことだ!」と諭す警察官が買春をする今日の日本人社会を目の当たりにする時、資本主義社会の弊害と白痴化政策の集大成を現実のものとして見せつけられた気がしてならない。                         
 「E・メール名作選」-14
 
編集長、mail、遅くなってごめんなさい。実は読書に勤しんでいたのです。“猫語の教科書"という猫が猫の為に書いた本です。ところが、なんということでしょう!これを人間が面白がって、読んでいるのです。猫がいかにして、人間の家を乗っ取り、可愛がられて、やりたい放題、楽しく幸せに暮らしていくか...という“猫人生を上手に過ごすHow toもの"なのに、なんで人間が読むかなあ?この手口を人間に悟られてしまったら、僕達、かなりやりにくくなりそう!それに僕達より、先に本を出版するなんて許せない!でも、僕達、この本に負けない優れ本を執筆することにしたのです。実はこの本?緒、音楽に関することが書いてないのです。猫の耳は敏感なのです。誰かがやって来た音を聞き分けるだけじゃない!音楽にはかなり、ウルサイんですよ。それに鳴き声だって、にやあおん(にやあ音♪)だけで、会話してるのだから、音程・タッチも聞き分けているのです。そして華麗に歩く、あのRYTHM・BEAT感覚!これに気づかず、無意識に暮らしている猫達の為に僕達は、とうとう執筆することにしました。これなら、人間が読んでも、猫は益々尊敬されて、見透かされることもないしね!この秋を芸術・文学に費やすことにしました。乞うご期待!    (=^_^=) Writen by Musashi & Asari (^*^)